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16.辺境での噂

 広場の裏手に、小屋がひっそりと建っていた。

 駐屯兵の宿舎とは別の、来客用の予備宿舎だそうだ。


 扉を開けた先は、広い居間。大きなテーブルと長椅子、暖炉もある。奥の部屋には仮眠用のベッドも用意されていた。好きに使ってくださいと言い残して、ハンスは部屋から出て行った。


「やっと着いた……」


 ヨシュアは長椅子に勢いよく体を沈めると、ぐったりと天を仰いだ。ここ数日、ほとんど眠っていないのだから、相当疲れているのだろう。


 アデルはテーブルの側の椅子に腰かけて、そばの木箱をがさがさと探っている。

 ハナエはその手元を覗いてみた。何やらガラスの器がいろいろと入っている。


「それ、なあに?」


「先に送っておいた荷物ですよ」


 アデルは、箱の中身をテーブルの上に手際よく並べていく。

 底が丸くふくらんだガラス瓶、細長い筒形のガラス瓶、蓋つきのガラス瓶、色とりどりの液体が入ったガラス瓶……。


「なんだよ、これ。ガラス瓶ばっかじゃねーか」


 ヨシュアは歩み寄ると、青い液体が入った瓶に手を伸ばした。


「あ、気を付けてくださいね。その液体に触れると、皮膚が溶けますから」


 ヨシュアは目を剥くと、素早く手を引っ込めた。


「なんか、実験が始まりそうだね」


 ハナエがそう言うと、アデルはやっと顔を上げた。


「ええ。土や植物の成分を調べるための、試薬と道具ですよ」


 今度は鉄でできたスタンドを組み立てていく。結局、広いテーブルのおよそ半分が、アデルの実験器具に占領されてしまった。


「で? 何を始める気なんだよ」


 うんざりした顔で言うヨシュアに対して、アデルは目をきらきらさせて口を開いた。


「畑の土とイモ、それから薬草とポポの花に含まれる栄養素や成分を比較してみます。王都近くのものと、途中立ち寄った街道沿いのもの。それと、リペルの村のもので違いがあるのか。違うとしたらどのように違うのかを……」


「わかった、わかった! そりゃわかったけど、別に今やることねえだろ」


「なぜです?」


 アデルは不思議そうにヨシュアを見上げた。ヨシュアはあきれた様子でため息を吐く。


「とりあえず、ちょっと寝ようぜ。考えてみろよ、王都を出てから一回もまともな睡眠取ってねえんだぞ。なあ、そうだろハナエ」


 ハナエも頷く。 


「そうね、特にここ数日はちゃんと休めてないもん。アデルも足、つらいでしょ?」


 ところが……。


「何を言っているんです? やっと着いたんですよ! じっとしていられるはずがないでしょう。さっそく調査開始です!」


 アデルはそう言って、ふたりの憂いを元気に笑い飛ばしてしまった。


「怪我人が何言ってんだバーカ! 足の腫れだって引いちゃいねえくせに。いいからおとなしくしてろ!」


 ついに苛立ちが抑えられなくなったヨシュアが、アデルの肩をぐいっと掴む。が、アデルはその手を逆にぐっと握りしめた。


「な、なんだよ?!」


「あとでいくらでも、おとなしくしますとも!」


 アデルは勢いよく立ち上がると、高揚した表情で一気にしゃべりだした。


「丘の上からリペルの村を見下ろしたとき、僕の心臓は高鳴りました――ああ、なんて豊かな農地、なんて美しい作物たちよ! これほど豊かな農業を支える土は、どれほど肥沃なのでしょうか。一体どんな成分が含まれているのでしょうか。ああ、早く調べたい、その美しい細胞が薬液に溶けていく瞬間をこの目に焼き付けたい――」


 瞳を潤ませて熱く語るアデルを前に、ヨシュアの毒舌もお手上げのようだ。


「おい、ハナエ。なんとかしろ」


「これはちょっと難しそうね……」


 ハナエはむうっと口をとがらせている。


「あきらめるな、オマエ白の騎士だろ。「黙って寝ろ」って命令すりゃいいじゃねえか」


「今のアデルがそんな命令を聞くと思う? 王女様の命令だって無視しそうよ」


 当のアデルは、何やら道具の入った袋をふたりの前に突き出した。そして、満面の笑みで言ったのだった。


「さあ行きますよ、おふたりとも!」


「行くって、どこに?」


「畑に決まっているでしょう。分析用の土と作物を採取してこなくては。手分けして作業すれば、夜までに終わりますよ」


「は? バカじゃねえの、お前。明日やればいいだろ!」


「バカはどっちですか! 何のためにわざわざここまで来たと思っているのです? まったく、遊びじゃないんですよ!」


 アデルは杖を手に取ると、さっさと歩き出してしまった。


「……やっぱ、アイツ変わったよな」


「……そうね」 


 残されたふたりは顔を見合わせて、同時に深くため息をついた。


「ほら、早く。行きますよ!」


「あー、もう。分かったよ!」


 ヨシュアはめんどくさそうに歩き出す。ハナエも立ち上がると、ふたりの後を追いかけた。



   ***



 広大な畑をたった三人で回るのは、さすがに無理がある。

 そこで、ハンスやトトたちに声をかけ、手伝ってもらうことにした。


「では、手分けして作業しましょう」


 ハナエとハンスが西の畑。アデルとバムじい、トトや孤児の弟たちは南のほうへ。ヨシュアは、ハム屋のオヤジと村の子どもたちと一緒に、東の畑へと向かった。


 作業自体は簡単なものだった。渡された瓶の中に、土や草を詰めていくだけ。土は、表層と深いところの2か所を掬い取る。草は、葉っぱと根っこを別々に瓶に入れる。


「ふー」


 ハナエは腰を伸ばして息をついた。簡単な作業とはいえ、ずっと腰をかがめているのは疲れる。

 一方のハンスは慣れているのだろう。ずっと中腰のまま作業しているが、少しもへばった様子はない。


「ハナエさん、お疲れですね。少し休憩にしましょうか?」


「うん、ちょっとだけ休憩!」


 ハンスは笑いながら立ち上がると、ハナエの隣にやってきた。


 さえぎるもののない青空を、白い雲がゆっくり流れていく。

 少し日が傾いてきたようだ。


 振り返ると、小さく村が見えている。


「けっこう遠くまで来たね」


「ええ。すぐそこが『外の森』ですよ」


 ハンスの視線の先に、暗い青緑色の森が見える。もう少し近くに行ってみたいと言うと、ハンスは頷いた。


 森に近づくと、頑丈そうな高い柵が見えて来た。畑の周囲にぐるりと張り巡らされている。その向こうがわには、息を飲むような光景が広がっていた。


 うっそうと茂る森をつくっているものは、ハナエのよく知る木々ではない。そこかしこに生えているのは、巨大なシダ植物だった。

 渦巻き模様のゼンマイさえ、ハナエの何倍も背が高い。まるで原始の森だ。中から恐竜が顔を出しても不思議ではない。


 ほかには、平べったいうちわみたいな形のキノコも、青白い霜柱のような結晶などが見える。それもハナエの腰くらいの大きさから、見上げるほどのお化けサイズまである。


 何とも言えない、どこか神秘的な森がそこにあった。


「ここは『外の森』。誰も立ち入ったことがないと言われており、もちろん地図もありません。子供たちが迷い込まないように、こうして柵を作って入れないようにしているのです」


「こんなの見たことないわ。普通の森とは全然違うのね」


「村のお年寄りは、森には精霊が住んでいると言っています」


「本当?」


「ははは! どうでしょう。ただ、何が潜んでいるかわからないので、立ち入るのは危険です。ハナエさんも入らないでくださいね」


 確かに、いかにも得体のしれないものが住んでいそうに見える。


「魔女はいないの?」


 ハナエが何気なくそう言うと、ハンスはカッと目を見開いた。


「魔女ですって?」


(いけない! 言っちゃいけなかったのかな)


 ハナエはハッと慌てたが、どうも心配は無用だったらしい。


「あっはははは! 王都からのお客人は面白いことをおっしゃいますね! ですが、さすがに魔女はいないでしょう!」


「えっ? そうなの?」


 ひどく驚いたハナエの様子が、よほどおかしかったのだろう。ハンスは涙を流して笑い転げている。


「ああ、笑い過ぎて腹が痛い。ハナエさんは純真なんですね。魔女や魔法使いは、おとぎ話の中の存在ですよ」


「そ、そう?」


 ハンスには分かっていないようだ。ハナエが驚いたのは、別の理由だったのだが。


(この村の人は、魔女の噂を知らないの――?)


 どういうことだろう。

 王都では、国の不調はすべて魔女の呪いだと言われていたのに。


 ハナエの浮かない表情が、自分の笑い過ぎのせいだと思ったらしい。ハンスは慌てて話題を変えた。


「ほら、北側を見てください。ぼんやりかすんでいますが、北は切り立った崖になっているんです。崖の手前は深い渓谷で、簡単に渡ることはできません。その向こう側は、もう『黒の国』です」


 ハナエは、アデルに見せてもらった地図を思い出した。

 地図の真ん中を東西に横切っていた川。あれが、今見えている崖の下を流れているのだろう。


「本当に、ここは国境沿いの村なのね」


 目を凝らしてみても、黒の国の様子は分からない。

 白の国とは、あまり関係がよくないと聞いている。もし争いが起これば、この村は間違いなく最初に巻き込まれることになる。


(そんなことにならないように、しっかりしなきゃ!)


 ハナエは唇をきゅっと結ぶと、勢いよく振り向いた。


「ハンスさん、休憩はおしまい! あと少し、がんばろう!」


「は、はい!」


 今はただ、できることをしよう。

 ハナエは再び腰をかがめて、土を瓶に詰め始めた。



   ***



 暗くなる前に宿舎へ戻ると、村の人たちが食事を用意してくれていた。

 子供たちを助け出したお礼だと言われたが、とても食べきれない量のご馳走の山に、ハナエは目を丸くするばかりだった。


「せっかくなんだから、ありがたくいただこうぜ。俺は腹が減った」


 ヨシュアの意見に、アデルも頷く。


「そうですね。保存がききそうなものは置いておきましょう。食べきれない分はトト達に渡せばいいですし」


 それから、ハンスを交えた4人で食卓を囲むことにした。


 ハンスの話は面白かった。「何もない田舎だし、面白い話はあまりありませんよ」と言っていたが、そんなことはない。脱走した家畜を捕まえようと奮闘した話や、間違えておかしなキノコをつまみ食いしてしまった話など、涙が出るほど笑い転げた。


 そして、有益な情報も聞けた。

 この村の人たちは、王女様の体調不良を全く知らないのである。


「もしかして、白の騎士の噂話も知らないのか?」


 しれっと訊ねるヨシュアを、アデルが慌てて睨み付ける。だが、今回も心配は不要だったらしい。


「白の騎士――って、昔話のですか? 知ってますよ」


 それがなにか? とハンスは不思議そうにしている。

 白の騎士が現れたという話も、彼は知らないのだ。目の前にいるのが白の騎士だとは、夢にも思っていないだろう。


「そ、それにしても、やっぱりリペルの農作物は上等ですね!」


 話題を変えようと、不自然に明るい声でアデルが言う。ハンスは疑いもせず「そうでしょう」と嬉しそうに笑っている。


 ハナエもふかふかのパンを頬張る。

 甘くて香ばしい。お城で食べたパンの何倍もおいしかった。


 ――これは一体、どういうことなのだろう。



   ***



 食後のお茶を飲んでから、ハンスは石造りの宿舎へと帰っていった。


 ランタンの明かりが優しく室内を照らしている。

 久しぶりの穏やかな夜であった。


「いろいろと、興味深い話が聞けましたね」


 アデルの満足そうな声に、ハナエはこくりと頷いた。

 だが、落ちた頭が上がってこない。


「ハナエ様?」


 顔を覗き込むと、もうまぶたが半分閉じている。疲労と満腹が揃えば眠くなるのは当然か。アデルはハナエの肩を支えて、長椅子の上にそっと寝かせてやる。


「おやすみなさい、ハナエ様。お疲れさまでしたね」


 アデルの優しい声に、ハナエはふにゃりと笑う。

 そして、そのまま寝息を立て始めたのだった。

次回は3/16の夜に更新予定です。

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