15.リペルの村
馬のいななきが聞こえて、ハナエは目を覚ました。
あのまま焚火のそばで眠ってしまったハナエを、ヨシュアが部屋まで運んでくれたのだろう。ハナエは長椅子から身を起こす。
外からは小鳥の歌と、明るい笑い声が聞こえてくる。
(みんな、外にいるのかな)
ハナエは立ち上がると、扉のほうへと足を向けた。
外には、見覚えのある荷馬車が止まっていた。
「よう、姉ちゃん! 無事だったか!」
都からハナエ達を乗せてくれた、あの馭者だ。
「おじさん!」
ハナエは思わず馬車に駆け寄っていく。
「おじさんも無事だったのね、よかった」
「おう、あんたたちのおかげでな! こいつらも無事よ。まったく、感謝してもしきれねえぜ」
馭者は顔をくしゃくしゃにして笑いながら、栗毛の馬の鼻面を撫でた。馬はされるがままで知らん顔をしている。
荷台の影から、アデルが顔を出した。
「ハナエ様、おはようございます」
「おはよ、アデル! 足の具合はどう?」
「傷口はなんとか付いてくれたようです。無理をしなければ大丈夫ですよ」
そう言ってアデルは笑う。言葉の通り、顔色はだいぶ良くなったように見える。
「起きたのか、ハナエ」
アデルの後ろから、ヨシュアの長身がぬっと現れた。こちらはずいぶん眠そうだ。徹夜で見張りをしていたのだから当然か。
「おはよ、ヨシュア」
「おう」
ヨシュアは大きくあくびをしながら、周囲をきょろきょろと見渡した。
「ガキどもはどうした」
「あたしが起きたときは、部屋にいなかったけど」
「あの野郎、逃げちまったか」
ヨシュアがチッと舌打ちをしたとき、建物の扉が勢いよく開いた。
「待てって! 置いて行くなよ!」
「トト!」
トトは弟たちの手を引いて、ヨシュアの前まで駆けて来る。
アデルはニッと笑った。
「決めたのですね」
トトは頷くと、挑むようにヨシュアを見上げた。
「俺、リペルの村へ行く。許してもらえるように謝って、何年かかっても罪を償うよ。弟たちが心配だけど、村の人たちになんとか頼んでみる。どこまでできるか分かんねえけど……俺、このままの自分でいたくない!」
「……さっさと乗れ。行くぞ」
ふいっと背を向けたヨシュアに変わって、ハナエはトトの背中をぽんと叩いた。
「素直じゃないからね、ヨシュアは」
アデルは荷台に登ると、トトに手を差し伸べる。
「さ、行きましょうか」
「……おう」
トトはその手をぎゅっと掴むと、荷台に飛び込んだ。
子供たちを全員乗せて、最後にハナエが乗り込む。
狭い荷台は満員だ。馭者は楽し気に声を張り上げた。
「当馬車はリペル行きィ! 振り落とされないよう、ご注意くださぁい! しゅっぱーつ!」
木の車輪が、ごろりと動き出した。
***
リズミカルに足音を立てながら、馬たちが少しずつ速度を上げていく。
それにつれて、うっそうと茂った暗い森に少しずつ明るさが増していく。
だんだんと木漏れ日がさし込みはじめ、日に透ける緑の葉が光の粒を弾く。頬を掠めてそよ風が吹いていく。
あんなに怖かった森はすっかり表情を変え、今は心躍るような緑のトンネルだ。
ハナエはきらきらと降り注ぐ木漏れ日を眺めていた。
そんな時だ。
突如、光が降ってきた。
ハナエは反射的に目を閉じる。
次にゆっくり目を開くと、視界いっぱいに広がっていたのは一面の青空だった。
「わあっ!」
馬車の揺れがおだやかになる。見ると、ヨシュアと子供たちはぐっすり眠っている。アデルは起きていたようで、ゆっくりと身を起こした。
「見えたぜェ、リペルの村だ!」
馭者が景気よく呼びかける。ハナエはアデルと並んで荷台から身を乗り出した。
轍の残る道が、なだらかに下りのカーブを描いている。その両側に広がっているのは、色とりどりの広大な農地だった。
金色、茶色、黄緑、クリーム……中には真紅の区画もある。それぞれの作物が、ちょうどセンスのいいパッチワークのように地面を塗り分けているのだ。それらが空の青と競い合うように、鮮やかに大地を彩っている。
ところどころに、とんがり屋根の風車が建っている。ゆったりと回る羽根が、時間の流れを表しているようだ。
鳥が一羽、すべるように青空を横切っていく。吹き渡る風からも、香ばしい穀物のにおいが漂ってくる。
道のずっと先には、円柱形のずんぐりした建物がいくつも並んでいる。あれが村の居住区なのだろう。
「どうだい、すげえだろう?」
馭者は、まるで自分のことのように自慢げに言った。
とっさに返事が出てこない。それほどまでに、目の前の景色は雄大だった。アデルも圧倒された様子で、感極まったようなため息を吐くばかりだ。
「あとちょっとさァ。さあ、行こうか!」
ハナエが頷くと、馬車は再びスピードを上げた。
***
村の建物は皆、同じようなずん胴の円筒形をしていた。灰色の石造りで素朴な印象だが、それがいくつも並んでいる様子は、どことなくかわいらしく見える。
小さいながら市場もあるようだ。だが、天幕を張った店先には誰もいない。
「どうしたのでしょうか」
アデルも不思議そうな顔をしている。
しばらく村の中を進んで、馬車はゆっくり止まった。
ひときわ大きな円柱が3つ、くっつきあうような形でそびえ立っている。その入り口付近に、大勢の人々が集まっていた。
「さあ、着いたぜ! ここがリペルの駐屯地……うわぁ!」
馭者の言葉を遮って、集まっていた人の群れが一斉に押し寄せ、荷台を取り囲んだ。
「リーシャ! 無事だったか?!」
「ロイくん、ケガはない?!」
「ああ、よかった! 子どもたちは無事だわ!」
口々にわが子の名を呼び、手を伸ばして抱きしめる。涙が、歓声が、叫び声が、狭い荷台を駆け巡る。その中でかき回されつつも、ハナエも自然と頬が緩んでくる。
「ほらほら、みなさーん。ちょっと下がってくださいよ。お城の兵隊さんたちがつぶれちゃいますよー」
奥の建物から出て来た若い兵士が、村人たちを荷台から引き離してくれた。
「長旅でお疲れなのに、大騒ぎしてすいません。僕はリペル駐屯兵のハンスといいます」
「近衛隊のアデルバード=ガーラントと申します。こちらは王女様のお客人で、ハナエ様とおっしゃいます」
ハナエが頭を下げると、ハンスは少し緊張した顔で会釈を返す。
「ヨシュア殿からお伺いしております。アデルバード殿は賊と交戦した際、足にお怪我をなされたとか」
「ええ、しくじりました」
アデルは「あはは」と笑っているが、まだ足の腫れは引いていない。見ているだけで痛いのか、ハンスのほうが顔をゆがめている。
「なんとまあ……何もない田舎ですが、ゆっくりお体を休めてください」
「ありがとうございます。お世話になります」
ハンスの手を借りて、アデルは荷台から降りる。続いてハナエも、やっと地面に降り立った。これまでずっとゆられていたせいか、まだ地面がぐらぐらする気がする。
ヨシュアは大きくあくびをすると、トトを抱えて荷台から飛び降りた。それからヨシュアとハンスで、子どもたちを次々に降ろしていく。
全員が荷台から降りたのを確認すると、馭者は改めて深く頭を下げた。
「あんたらは命の恩人だ。本当に何度礼を言っても足りねえよ」
「おじさんこそ、ここまで運んでくれてありがとう」
「お安い御用さ! また王都に戻るときは声かけてくれや。じゃあ、またな!」
馭者はちょっと寂しそうに笑うと、手綱を引いた。馬車はUターンすると勢いよく走り出す。
それを合図に、集まっていた村人もゆっくりと散りはじめた。
「さて。ひとまずお部屋に案内しますね。あ、アデル殿あての荷物も届いていましたよ」
そう言いながら、ハンスが歩き出そうとした時だった。
「ちょっと待ってくれ!」
転がるように飛び出したのは、硬い表情のトトだった。
きょとんとした顔のハンスの前で、トトは少しのためらいの後、地面にひざをつくと深く頭を下げた。
「俺……この村で盗みを働きました!」
立ち去ろうとしていた人々が立ち止まる。
しんと静まり返った広場で、トトの震える声だけが響いている。
「かならず、償います。なんでもします。だからどうか、俺に仕事をください。お願いします、村においてください。雨をしのげたらどこでもいいです。お願いします、お願いします!」
「やれやれ、困ったな」
ハンスはその場にしゃがむと、トトの顔をのぞき込んだ。
「盗みを働いたって、それはいつのことだい?」
「去年の冬、食べるものがなくなって……」
「盗んだものは何?」
「パンとチーズ、ハムも」
「困ったなあ」
ハンスは本当に参った様子だった。眉毛が八の字になっている。
「どうしたんですか?」
たまりかねてハナエが訊ねると、ハンスは立ち上がって言った。
「被害届が出ていないから、盗んだと言われても困るんだよね」
「え?」
ハンスは村人の集団に向かって声を張り上げる。
「おーい! バムじい、ちょっと来てくれ!」
一人の老人が、険しい顔をしてこっちへ歩いてくる。
老人と言っても背はしゃんと伸び、恰幅の良い体格は弱々しさなど微塵も感じさせない。ふさふさのヒゲだけが年齢相応に白いけれど、ぎょろっとした灰色の目は命の力に溢れている。
「なんじゃ、ハンス。お前もやかましい男じゃの」
「この子が去年の冬に食べ物を盗んだっていうんだけど、記憶あるかい?」
「なんじゃと?」
バムじいにギロッと見つめられて、トトはびくっと肩を震わせた。けれど、逃げずにしっかり目を見返すと、深く頭を下げた。
「ごめんなさい。大事な品物を盗んだこと、本当にごめんなさい」
細い肩が震えている。バムじいはトトをじっと見つめていたが、やがて口元を緩めて言った。
「盗んだ? はて? なんのことかの」
驚いて顔を上げたトトが見たのは、老人の包み込むような笑顔だった。
「おお、新作パンの試作品のことかの? あれなら、誰かに試食してもらおうと思って、店先に置いていたものじゃよ」
バムじいの後ろから、ふくよかなおばさんがひょこっと顔をのぞかせた。
「あら、うちは変わったフレーバーのチーズを作ったんだけど、作りすぎちゃったのよね。捨てるのももったいなくて、誰か食べてくれたらいいなと思っておいていたの」
「ウチのハムは、ちょっと古くなったヤツを売り場から下げたんだよ 自分で作った食べ物を捨てるのが忍びなかったんだけど、一人で食べきれる量じゃなかったし、持って行った奴は腹壊してなきゃいいけど」
駆け寄ってきたおじさんも、そう言って笑う。
いつの間にか、トトの回りには村人たちの輪ができていた。誰もがニコニコ笑っている。
「どうして……?」
そうつぶやいたトトの目には、涙が浮かんでいた。
ハム屋のおじさんが、トトの肩をばしんと叩く。
「坊主、味はどうだったよ」
トトは擦り切れた袖で、ごしごしと顔を拭った。
「うまかったです、最高に」
「だろぉ?」
叔父さんが自慢げに言うと、人々がどっと笑った。
バムじいが改まった声で、トトに言う。
「おまえさんたち、孤児か」
「うん」
「行くとこがないなら、ワシらを手伝ってくれんかの」
「手伝う?」
「おう。この村は農地の割に人が少なくてなあ 村の子どもたちもみんな仕事を手伝っておるが、いかんせん手が足りん おまえさんたち、行くところがないなら、この村で手を貸してくれや 高い賃金は払えんが、住むところと食うことぐらいは保証するぜ。どうだい?」
トトは声にならない声を上げて、泣き出してしまった。地面に座り込み、深く頭を下げる。
「ありがとう……ありがとうございます!」
「おい、男がそんな簡単に頭を下げるもんじゃねえ。男が頭を下げるのはな、嫁さんをもらうときと、嫁さんを怒らせた時だけよ! ほら、顔を上げな」
バムじいが笑いながら、トトの手を引いて立ちあがらせる。弟たちは泣きながら、バムじいの周りにわっと駆け寄ってきた。
「じいちゃん、ありがとう!」
「兄ちゃんを許してくれてありがとう!」
「ごめんなさい、パンうまかった!」
「チーズも!」
「ハムも!」
バムじいはハナエたちに向き合うと、深く頷いた。
「お前らは、子どもたちを救い出してくれた恩人だ。何しに来たかは知らんが、俺たちは何だって協力するぜ。手伝えることがあったら、気軽に言ってくれ」
「ありがとうございます」
アデルに続いて、ハナエも頭を下げる。
「じゃあ、子どもたちは俺についてきな。まずは住む家から用意しねえとな。さ、みんなは仕事に戻れよ!」
バムじいの一声で、村人たちはぞろぞろと戻っていく。
ハナエはヨシュアに駆け寄ると、小さく囁いた。
「もしかして、こうなることが分かってた――とか?」
「さあな」
そっけない返事だが、ヨシュアの口元は、心なしかほころんでいるように見えた。
ヨシュアは続けて言う。
「ここは王都から離れているから、物流の末端だろ? 病が流行る年なんかは、薬が間に合わなくて亡くなる人も多いんだ。だから孤児も多い。孤児の受け入れには慣れてるのさ。まあ、国内屈指の農産地だから、食料が豊かなのも理由だと思うけど」
「きっと大丈夫よね、トトは」
「さあね、どうだかな」
口ではそう言いながらも、ヨシュアは明るい顔をしている。
「みなさんはこちらですよ。お部屋にご案内しますね」
ハンスが手招きしている。
ハナエたちは荷物を担ぐと、アデルを支えて歩き出した。
次回は3/15の夜に更新予定です。




