14.夜明け前
失意のまま広間に戻ってきたとき、いきなりドアが乱暴に開け放たれた。
ハナエはとっさに白い剣を抜き放つ。
「うわ、何だよ!」
「なんだ、ヨシュアか。ああ、びっくりした」
「びっくりしたのはこっちだ。いきなり切り付ける奴があるか」
「威嚇だもん」
「笑えねえんだよ、お前がやると」
ヨシュアはハナエの額を指ではじく。「いたっ!」と言ったハナエの顔をまじまじと見て、ヨシュアは首をかしげた。
「なんかあったのか? 冴えねえ顔して」
「ふん、いつも通りですよーだ」
「お前はそうだろうけど、ガキどもも暗い顔してるじゃねえか」
ハナエは、まだ子供がふたり見つかっていないことを話した。ヨシュアは少し考えた後、泣きはらした顔の少女の前にしゃがみ込んで言った。
「そいつら、隙を見て逃げ出したのかもしれないな」
「えっ?」
「体の小さいヤツなら逃げられたかもしれないぜ。この建物、けっこう壁に穴が開いてるからな」
「そうかな……だったらいいけど」
「明日にはリペルの駐屯兵が来る。あいつらに捜索を頼んでおくから、心配すんな」
「うん、ありがとう」
ヨシュアは慣れない手つきで少女の頭をぐしぐしと撫でた。
そのあまりにも不器用そうな様子に、思わずアデルも吹き出す。
「……何だよ」
「いえいえ。それより、伝令お疲れさまでした」
「明日の朝には馬車が来る。ガキどもも全員連れて、一旦リペルの村まで行く」
小さな子供たちは、わあっと声を上げて喜んでいる。けれどトトだけは下を向いて、硬く唇を噛みしめていた。
「おい、トト。お前もだぞ」
「……俺は、いい」
トトは顔を上げると、わざと明るい声で言った。
「ここからは俺たちの住処の方が近いしさ! 歩いて帰れるよ」
「駄目だ。お前も来い」
「俺は……行けない」
トトの表情は、再び暗く沈んでしまった。
「俺、リペルの村で盗みを働いた。何回も。だから行けない。行ったら捕まっちまう」
トトは顔を上げた。大きな目に涙がたまっている。
「悪いことをしたと思ってる! でも、捕まるわけにはいかないんだ! 弟たちはまだ小さい、俺がいなきゃ生きていけない!」
「黙れ」
冷たい声が、ひとことだけ響いた。
ヨシュアの手が、トトの襟首を強く掴む。
「お前、言ったよな。ガキどもを助けるのに協力したら、何でも言うことを聞くって」
「それは……」
「約束を破るのか、お前」
「……っ」
「お前が嫌だって言っても、無理やりにでも連れていくからな」
ヨシュアは乱暴に手を離すと、背を向けて歩き出した。
「ちょっと、どこ行くのよ」
「外で見張る。お前らは寝てろ」
バタンと音を立てて、扉が閉まった。
アデルはゆっくりと立ち上がると、その場から動けずにいるトトに歩み寄っていく。
「アデル兄ちゃん、座っときなよ」
「ええ。あなたもそこに座ってください」
アデルに促され、トトも椅子に座る。
「トト、あなたは住処に戻った後、どうするつもりなのですか?」
「そこまで考えてない。弟たちを助けることに必死で……」
「あなたたちの住処にも畑がありましたね。あの畑で作物が収穫できましたか?」
「えっ? それは……失敗したけど……」
「そうでしょうね。ちらっと見ましたが、土づくりが全然できていませんでした。あれでは作物を育てるのは無理です」
「そんなの分かるのか?」
トトは驚いている。アデルは頷くと、少し厳しい面持ちで口を開く。
「では、改めて質問です。あなたは住処に戻ってから、どうするつもりなのですか?」
「それは……まだ考えてないけど」
「けど――何でしょう。またリペルの村から食べ物を盗むのですか?」
トトはぎゅっと眉を寄せると、下を向いてしまった。
「いつまでもあの住処にいても、同じことを繰り返してしまうだけではないですか?」
「……無理だよ」
トトは震える声でぽつりと言った。
「俺、どうせ孤児だし。頭も悪いし、力仕事だって、ガキにできることなんてたかが知れてる。まっとうに生きるなんて、はなっから無理なんだよ。村の子たちとは生まれが違うんだ。どうせ俺なんて、世界の端っこにかじりついて生きるしかないんだ」
「それがなんだというのです!」
珍しくきついアデルの声に、トトはびくっと肩を震わせた。
思わず顔を上げたトトを見つめると、アデルはいつもの優しい笑顔を向けた。
「ヨシュア様も、孤児だったのですよ」
「えっ?」
「だから、あの方は力をつけました。一人で生きていけるように、自分の足で立てるように。どうせ孤児だからなどと言わず、自分の人生を自分の足で歩いていくために」
アデルはトトの細い肩に手を添えると、その瞳をのぞき込んで言った。
「どうせとか、俺なんてとか、そんな言葉で自分の人生をないがしろにしてはいけません。あなたはあなたの人生を、ちゃんと生きなければ――誰かの脇役ではなく、自分自身の人生を生きなさい」
「俺自身の、人生――?」
「大切なのは、あなたがどうしたいか、です。自分の頭で考えて、自分の心で決断しなさい。あなたがきちんと考えて出した答えなら、僕は賛同します。それがたとえ、再び盗みをするという結論でもね」
「俺……俺は……」
アデルはぽんと肩を叩く。
「まだ夜明けまで時間があります。馬車に乗るかどうかは、トトが自分で決めてください」
「えっ? でも、アイツが許さないって……」
「かまいません。もし乗らないと決めたなら、僕がヨシュア様を説得してあげます」
アデルはにこっと笑って頷いた。
「では、僕も少し眠ります。ハナエ様は、あちらの長椅子でお休みになってください」
「うん。じゃあみんな、おやすみ」
ハナエは、テーブルの上の蝋燭を吹き消した。
灯りが消えても、窓から差し込む月明かりのおかげで、周囲はそこまで暗くない。
ハナエは長椅子に寝転がると、トトの背中に目をやった。
じっと床に座り込んで、膝を抱えている小さな背中。
――誰かの脇役ではなく、自分の人生を生きなさい。
アデルの言葉を思い出し、ハナエの胸がずきんと痛んだ。
(あたし、自分は脇役なんだって思ってた。通行人Aがお似合いなんだって――それはきっと、そのほうが楽だったからだ)
学校ではその方がいい時もある。下手に目立ってしまえば、いじめられることもあるから。
けれど、その振る舞いに慣れてしまって、人生そのものまで誰かの脇役になっていなかっただろうか。
この国に来てから、ハナエが脇役でいることは許されなかった。本音を言えば、それがとても辛かった。
けれど今は――。
懸命に『白の騎士』としてあろうとした日々。そのおかげで今、アデルもヨシュアも側にいてくれる。トトと出会い、子供たちを助けることができた。
(白の騎士、か)
まだ、あまり分からない。自分の役割も、果たすべき使命も。
けれどもし自分にできることがあるなら、成し遂げたいと心から願う。
(主役とか脇役とかじゃなく、あたしも自分自身の人生を生きたい)
ハナエは白の剣を手に取ると、鞘ごとぎゅっと抱きしめた。
(だから、力を貸してね。白い剣――)
月光の描く窓の影が、雲の加減で時々揺れる。
それをぼんやり見つめているうちに、ハナエはいつしか眠りに落ちていた。
***
がたん、と音がして、ハナエは目を覚ました。
床に突っ伏して眠っているトトの足が、どうやら椅子をひっかけたらしい。
まだ外は暗かった。眠っていた時間は、案外短かったのかもしれない。
それでもかなり頭がすっきりしている。体は少しだるいけれど、気分はいい。
ハナエは起き上がると、自分の毛布をトトにかけてやった。まだ答えが出ていないのだろうか、ずいぶんと険しい寝顔をしている。
アデルも静かに寝息を立てていた。こちらは穏やかな顔で眠っている。傷による熱も下がってきたのだろう。
窓の外で、明かりがちらちらと揺れている。窓をのぞくと、たき火の側に座っているヨシュアの背中が見えた。
ハナエは足音を立てないように、そっと玄関へと向かった。
外は思ったより寒い。息を吸い込むと、鼻の奥がつんと痛んだ。
「なんだ、起きたのか」
ヨシュアが振り返る。
ハナエは小走りでたき火に近づくと、ヨシュアの隣に座った。
「寒いね」
「夜の森はどうしても冷える」
ヨシュアは、毛布をばさりとハナエの頭にかけた。
「何すんのよ、もう」
「着てろ。風邪ひくぞ」
ぱち、と火花が爆ぜる。
ふたりはしばらく黙ったまま、揺れる炎を見つめていた。
踊るようにゆらめき、パチパチと音を立てて燃える炎。
同じように木々の影も揺れる。周囲すべてが、まるで不気味な影絵のようだ。
けれど、ハナエは怖くなかった。
側にヨシュアがいる。ただそれだけで、夜の森など少しも怖くない。
(お城にいたころは、本当に大っ嫌いだったのにな)
なんだかそれがおかしくて、ハナエはくすっと笑った。
「なんだよ、急に」
「なんか、ずいぶん遠くまで来たんだなあ、って」
「そうだな」
ヨシュアは細枝をふたつに折ると、炎の中に投げこんだ。
静かな夜だ。たき火の音だけが、あたりに満ちている。
「あいつは、変わったな」
ヨシュアがぽつりと言った。
「あいつって、アデルのこと?」
「ああ」
炎が爆ぜる。
火の粉がいくつも舞い上がり、暗い空へと消えていく。ヨシュアはじっと炎を見つめたままで、口を開いた。
「あいつはいつもオドオドしてた。剣の腕はからっきしで、傷つくのも傷つけるのもビビっていやがった。それが今はどうだよ。敵の白刃を前に、ビビるどころか飛び出していきやがった。信じられねえよ」
「ねえ、ヨシュアって、アデルのことを昔から名前で呼んでたんでしょ。やっぱり認めてたってこと?」
「……まあ、少しはな。剣の腕はへっぽこだが、頭は切れるしカンもいい。それなのに、いっつもビクビクしやがってさ。ああいうとこが腹立つんだよ」
「それでいじめてたの? ホントにヨシュアって子供ね」
「うるせえな、そんなわけねえだろ。俺だってそんな暇じゃねえよ」
「じゃあ、なんでアデルに冷たく当たってたのよ」
「――やめさせたかったんだよ」
「やめさせるって、近衛兵を?」
ヨシュアは軽くため息をつくと、枯れ枝をぽんと炎にくべた。
「お前、近衛兵ってどんな連中だと思ってる?」
「それは――国のため、王女様のために尽くす義理の人、って感じ」
「だったらいいんだけどな」
ヨシュアは新たな枯れ枝を手に取ると、くるくると弄んだ。
「興味があるのは自分の地位だけ。権力に媚び、面倒な仕事は押し付け合って、手柄だけは決して手放さない――そんな奴ばっかりさ。バカ正直な奴が泣きを見るんだ。特にああいう自信のなさそうな奴は、真っ先にナメられる」
「それで、アデルを追い出そうとしてたの?」
「あいつの実家は名門の貴族だ。別に働かなくったって食っていける。慣例で城仕えしなきゃならねえっていっても、籍だけ置いてりゃあいい。それをあのバカ、クソ真面目に務めやがって」
苛立った様子で、ヨシュアは枝をぽきりと折る。
「アデルに対しては、権力欲しさにすり寄っていく奴か、劣等感からいじめに走る奴。近衛隊――特に城内勤務の下っ端には、そんな連中しかいなかった。文官だってそうさ。侍女どもの陰湿な仕打ちは、ある意味近衛隊のいじめよりキツかっただろうさ。それなのにあのバカは、何も言わずにじっと耐えてばかりだ。見てるだけでイライラすんだよ」
不機嫌そうに歪んだヨシュアの頬を、揺れる炎が照らし出す。
その整った横顔を、ハナエは不思議そうに見つめていた。
「ねえ、それって――アデルが心配、ってこと?」
「あ? そんなわけねーだろ! 別にあんなヤツ……」
「ふーん、そうかなあ?」
「なんだよ」
「素直じゃないからなぁ、ヨシュアは」
ハナエは、ヨシュアの仏頂面をちらっと見やる。
そして、何もかもお見通しだと言わんばかりに、ふふふと笑った。
「ったく……可愛くねえな、お前は」
「はいはい。知ってますよ、そんなことは」
ヨシュアは、ハア、と大きく息を吐き出すと、弄んでいた小枝をたき火に投げ込む。
そして、あきれたように笑った。
「お前も、変わったな」
「そう?」
「最初はマジでムカつく奴だった。力があるくせに、ビビッて逃げ出そうとしてんのが気に入らなかった」
確かにそうだ。ヨシュアの言うとおりだと思った。だからこそ、その言葉を聞くのは辛かった。
「けど今は、そうでもない」
顔を上げたハナエと目が合うと、ヨシュアは小さく笑った。
「お前はよくやってるよ。だからまあ、お前のことも、認めてやらなくもない」
視界が涙で歪むのを感じて、ハナエは慌ててうつむいた。泣いてる顔なんて見られたら、また悪口を言われてしまいそうだ。目じりの涙をそっと拭うと、落ちていた小枝を拾って、たき火に向かってぽんと放る。
ぱちん、と、炎が音を立て、小枝を飲み込んであかあかと燃える。
「あたしが変わったのは、アデルのおかげ。あたしに知識と自信をくれたの」
「……あっそ」
ちょっと面白くなさそうに、ヨシュアがぼやく。ハナエは思わず笑ってしまった。
「なに笑ってんだよ」
「白い剣と仲良くなれたのは、ヨシュアのおかげだよ」
「なんだよ、それ」
ハナエが「えへへ」と笑うと、ヨシュアは「変な奴」と肩をすくめた。
息が白く煙る。まだ夜明けは遠いのだろうか。
「アデルはこの先も、お前についていくんだろうな」
ヨシュアがぽつんと呟いた。
「え? ヨシュアは来てくれないの?」
「は、俺?」
「なんだ、来てくれるんだと思ってたのに」
「……いいのかよ、お前は」
「なんで?」
「なんでって、そりゃあ……俺、お前にけっこう酷いこと言っちまったし」
「いいよ、別に。もう気にしてない。あたしも前はヨシュアのこと大嫌いだったけど、今はそうでもないもん」
「お前なぁ……」
「来てくれるんでしょ?」
ハナエはヨシュアの瞳をのぞき込んで、にっと笑った。
「……考えとく」
「もー、本当に素直じゃないね、ヨシュアは」
「悪かったな、俺はアデルみたいに素直じゃねえんだよ」
「いいんじゃない、それでも」
ゆらめく焚き火の炎が、暗い森をあたたかく照らす。
「ありがとう」と、ハナエは言った。
「なんだよ、急に」
「一緒に来てくれて、感謝してる。ヨシュアがいなかったら、あたしはとっくに死んじゃってたかもしれない」
「別に。仕事だからな、礼を言われるようなことはしていない」
ハナエはくくっと笑った。
「なんだよ」
「やっぱり素直じゃないなと思って」
ヨシュアは「うるせえ」とだけ言って、そっぽを向いてしまった。
拗ねたようなその背中を、ハナエはニヤニヤ笑いながら眺めていた。
森はまだ漆黒の夜に沈んでいる。塗りつぶされたような深い闇の中だ。目の前の炎が消えてしまったら、きっと何も見えなくなってしまうだろう。
けれどハナエはそんな濃い闇さえ、今は少しも怖くなかった。
次回は3/13の夜に更新予定です。




