11.孤児の少年
洞窟の中は、深淵の闇であった。
壁に手を触れながら、ハナエはただひたすら足を動かす。
まったく光の差さない暗闇の中では、目を開けているのか、閉じているのか、自分でも分からなくなる。
少しでも気を抜いたら、言い知れぬ恐怖が足をすくませてしまうだろう。そうすればきっと、一歩も歩けなくなる。
(早くしなきゃ、アデルが……!)
焦りがハナエの足を急がせる。
その時であった。
足首に痛みが走り、体が宙に浮く感覚がした。
「きゃあ!」
全身を強く打って、ハナエは悲鳴を上げる。
「ハナエ、どうした?」
ヨシュアの声がする。
「平気……転んだだけ」
あたりを手で探る。指先がごつごつした壁に届いた。そのまま、そろそろと立ち上がる。
――そこで気づいた。
(あたし、どっちから来たっけ?)
見渡したところで、何も見えない。
「ヨシュア?」
返事はない。
「ヨシュア、どこ?」
自分の声だけが、残響を残して消える。
「うそでしょ……」
ひたり、ひたり、と。
自分の首筋に、暗闇の中に住まう何かが触れたような気がする。
くらい。こわい。どうしよう。
だれか、たすけて――。
無意識のうちに、右手の指先が白い剣に触れていた。
白い剣が、ふわりと淡い光を放つ。
漆黒の闇の中では、それはまるで満月のように明るく見えた。
ハナエは柄を握ると、ゆっくり鞘から抜き放つ。
すると、どうしたことだろう。刀身全体から放たれていた光が、剣先に集まっていく。
それはやがてひとすじの光となって、まっすぐハナエの肩越しを指し示した。
「……こっちに行けばいいの?」
白い剣はただ、光を放ち続けている。
ハナエは、光が示す方へと歩き出した。
ほどなくして、明かりが見えてきた。
「出口だ!」
ハナエは外へと飛び出していった。
「おいおい、止まれって! 危ねえよ」
腕を掴まれ、ハナエはやっと立ち止まった。
出口の洞窟は、崖の上に口を開けている。そのまま止まらなければ、ハナエは崖下に転落していただろう。
「まったく、あわただしい姉ちゃんだな」
あきれた様子でハナエを見上げているのは、さっきから道案内をしてくれていた声の主だ。
洞窟の外――月明かりの下で、その姿がはっきり見える。思った通り、それは小学校高学年くらいの少年だった。
「ヨシュアは?」
「先に降りた。もうひとりのケガが、かなりひどいみたいだったから」
その言葉を聞いて少しうつむいてしまったハナエに、少年は気遣うように声をかける。
「俺たちも行こうぜ。もうちょっとだから、頑張って歩いてくれよな」
「うん」
ふたりは岩場を下っていく。ごつごつした崖のように見えて、足場は悪くない。
よく見ると、岩をくりぬくようにして、いくつも建物が作られている。この岩場も自然の物ではなく、どうやら人の手によって作られたもののようだ。
「ねえ、ここは何?」
「もともと炭鉱の町だったみたいだな。もう放棄されちまったみたいだけど」
「あなたたちの故郷ではないの?」
「違うよ――俺たちは孤児だ」
「孤児?」
「そ。紛争とか病気とかで、親を亡くした子供。そんなガキどもが、ここに勝手に住み着いてるだけ」
「そっか……」
石段を下っていくと、大きなアリ塚のような石柱の群れが見えてきた。そのひとつひとつが、中をくり抜かれた住居なのだ。
少年は、石造りの建物沿いに進んでいく。
どこかからせせらぎの音がしている。川が近くにあるようだ。
ふいに、少年が言った。
「俺はトト。あんたは?」
「あたしはハナエ。ねえ、トト。どうして私たちを助けてくれたの?」
「実は、頼みたいことがあってさ」
「なあに?」
トトは振り返ると、簡素な木の扉を開けた。
「話はあと。あの兄さんの手当てが先だろ」
ハナエは頷くと、部屋の中へと踏み込んだ。
***
ベッドの上のアデルは、血の気の失せた真っ青な顔をしていた。
それでもハナエと目を合わせると、いつものように優しく微笑んでくれる。
「ハナエ、さま。申し訳、ありません……このような、失態を」
「ごめんね、アデル。あたしのせいだ」
「あなたの、せいでは、ない……ハナエ様は、針と糸を、もっていませんか?」
「針と糸?」
ハナエはトトを振り返る。トトは頷くと、部屋から飛び出していった。
「おい、アデル。お前まさか、傷を縫う気か?」
目を見開いたヨシュアが聞くと、アデルは小さく頷いた。
「そう、です」
「無理に決まってるだろ! 俺はそんなことできねえぞ!」
「ヨシュア様に、できると、思っていません。自分で、やります」
「それこそ無理だろ! 虫の息の奴が何言ってやがる!」
「縫わな、ければ、僕の命は、明け方まで、持ちません」
アデルはヨシュアの手を借りて体を起こすと、ハナエの方を見上げた。
「ハナエ、様。できるだけ、たくさんの、清潔な布と、湯……あと、酒を……」
「分かった」
不安で苦しくなる胸を、両手で無理矢理押さえつける。ハナエはトトを追って、部屋から飛び出した。
***
湯が沸騰する音だけが、静かすぎる部屋に響いている。
「マジでやんのか、お前」
「ええ……」
アデルは額にびっしりと浮かんだ汗を、手の甲で拭う。
まだ、賊の凶刃は刺さったままだ。
「ヨシュア様、僕が合図をしたら、剣を抜いてくださいますか……その後、足の付け根あたりを、強く押さえていてください」
「ああ……けどお前、大丈夫かよ」
「はは、やってみないと、なんとも……麻酔薬が、あれば、よかったのですが」
アデルは辛そうに顔をゆがめながらも、ヨシュアを見上げる。
「ヨシュア、様。とちゅうで、僕が、痛みで気を失ったら……殴って意識を、戻して、ください」
「……っ」
そんなこと、できるわけないだろう――そう言いたげな顔で、ヨシュアは唇を噛んだ。
アデルの視線が、ゆっくりとハナエの方へと向けられる。
「ハナエ、さまは、どうぞ外へ。ゆっくり、やすんでいて、ください……」
「やだ、ここにいる」
「あまり、お見せしたくは、ないのです、が……」
ハナエはふるふると首を振った。
泣きたくなんかないのに、涙がこぼれてしまう。ハナエは組んだ両手に顔をうずめた。
(せめて、痛みだけでも抑えられたら……)
お願い、神様。アデルを助けて――ハナエが目を閉じて、そう強く祈ったときだった。
「なあ、ハナエ姉ちゃん」
トトがハナエの袖を引っ張っている。
「それ、また光ってない?」
「え?」
見ると、確かに白い剣がぼんやりと光っている。
ハナエはそっと、その柄に触れた。
白い剣が突如、強い輝きを放つ。
ハナエは見た。自分の手の甲に、くっきりと白い紋章が浮かび上がるのを。
「おい、どうしたハナエ?」
「ハナエ、さま?」
自分の意思とは関係なく動く右手。それが、白い剣をすらりと抜いた。
「ちょ、ちょっと待って! 白い剣、何をするの?」
振り上げられた白い刀身が向かう先には、アデルがいる。
白い剣は躊躇なく、アデルの足へと切りかかる――!
「やめて! だめっ!」
だが、輝く白刃は止まらない。
ハナエはたまらず、ぎゅっと目を閉じた。
「ハナエ、さま……? これは、いったい……?」
苦悶でも、悲鳴でもない――戸惑ったようなアデルの声に、ハナエはゆっくりと目を開ける。
「なんだよ、なにが起きたんだ?」
ヨシュアも呆気にとられている。
剣は何事もなかったように、ハナエの腰へと戻っていた。
アデルの足には、賊に突き立てられた剣がまだ刺さったままだ。
だが、それ以外の傷は見当たらない。
白い剣に切られたはずの傷は、どこにもない。
「……痛みが、ない?」
皆が呆然とする中で、アデルが突然、そう呟いた。
「痛みが――痛みが消えました! ウソみたいだ……全く痛くありません」
「そんな、どうして……?」
「分かりませんが、この期を逃すわけにはいきません。ヨシュア様、手伝ってください!」
「あ、ああ……」
ヨシュアは賊の剣に手をかける。
アデルは丸めた布を口に詰めると、ぎゅっと噛みしめた。
「行くぞ」
その声に、アデルは頷く。ヨシュアは大きく息をつくと、一気に剣を引き抜いた。
止血用の布を、鮮血がみるみる染め上げていく。
ヨシュアは歯を食いしばって傷口を押さえている。その顔からも血の気が引いている。
けれど当のアデルは、酒瓶を逆さにして傷口を洗っている間も、傷の深い部分を縫っているときも、悲鳴ひとつ上げることはなかった。
鮮やかな手つきで傷の表面を縫い終わると、アデルは糸をパチンと切った。
「ヨシュア様、ありがとうございました」
「うまくいったのか?」
「ええ。あとは傷が化膿せずに、うまく付いてくれれば」
アデルはエールの軟膏を傷に塗り付けると、新しい布を分厚く巻き付け、しっかりと傷を縛った。
「これでおしまいです。ありがとうございました」
ヨシュアはふらふらと壁まで下がると、そのまま背中をあずけて座り込んだ。
「お前……よくこんなことできるな。俺の方が参っちまいそうだぜ」
「はは、そうですか?」
アデルは笑うと、その優しい目をトトへと向けた。
「ありがとうございます。あなたのおかげで助かりました」
「俺は何もしてないよ。兄ちゃんすげえな、医者か?」
「僕は白の王城の近衛兵ですよ。アデルといいます。あなたは?」
「俺、トトっていうんだ」
「そうですか――もしかして、トトは僕たちに、何か用があるのではないですか?」
「そうなんだ! 俺、あんたたちに、その、助けてほしくて……」
「何か、あったのですか?」
トトはその場に膝をつくと、地面につくほど頭を下げて叫んだ。
「弟たちがさらわれたんだ! 頼む、力を貸してくれ!」
「さらわれたって、あの賊どもにか?」
ヨシュアが聞くと、トトは頷いた。
「あいつら、この近くを根城にしてる野盗なんだ。最近、誰かから依頼されて人をさらうようになったみたいでさ。これまでも何度か、子供を無理やり連れてくるのを見た」
「さらってどうすんだよ、身代金でも取ろうってのか?」
「違うよ。外から誰かが馬車で乗り付けてきて、どこかに連れていくんだ」
アデルとヨシュアが顔を見合わせる。
「奴隷商でしょうか」
「どうだかな……」
ヨシュアは腕組みをして考え込んでいる。アデルはトトに向き直ると、不思議そうに尋ねた。
「リペルの村に駐屯している兵士に、助けを求めなかったのですか?」
トトはうつむいたまま、ぽつりとつぶやいた。
「俺、孤児なんだ。弟や妹たちもそうだ。さらわれたって泣くやつはいない。どうせ村の自警団も駐屯兵も、俺たちがどうなろうと知ったことじゃないだろ。それに……」
ヨシュアが黙って立ち上がると、トトのほうへと歩み寄る。それには気づかないまま、トトは続けた。
「俺、食うためにしょっちゅう盗みを働いた。リペルの村の連中だって、俺なんかいなくなったほうがいいと思ってるだろうさ……でも、でも! 弟たちはまだ小さいんだ。あいつらに罪はないんだよ! なあ、俺はどうなったっていい――泥棒として捕まったってかまわないから、弟たちを助けてくれよ!」
――バチン!
ヨシュアの平手が、トトの頬を打った。
思わず立ち上がったハナエの手を、アデルがそっと押さえる。
「痛えな、なにすんだよ!」
「うるせえ! つまんねえイジけ方しやがって!」
ヨシュアはトトの細い首筋を掴み上げた。
「孤児だからなんだ? 村の奴らはどうせ助けてくれない? 頼む前から勝手に拗ねて助けを求めなかったのは、お前が弱虫だからだろうが!」
ヨシュアは乱暴に手を離すと、トトを見下ろして言った。
「お前、さっき『俺はどうなってもいい』って言ったよな?」
「え?」
「その言葉、忘れんなよ。いいな」
ヨシュアはくるりと背を向けると、剣を拾い上げて歩き出す。
「ちょっとヨシュア、どこ行くのよ」
「ガキどもを取り返してくる」
「バカ、ひとりで行くなんて無茶よ!」
「誰がバカだ! 俺ひとりで十分だ。お前は怪我人の面倒でも見てろ」
「ヨシュア様、ちょっと待ってください」
アデルが声をかけると、やっとヨシュアは立ち止まった。
「トト、野盗についてもう少し聞きたいのですが」
「ああ、いいよ」
「その奴隷商人のほかに、野盗たちが取引している人間はいますか?」
「いないと思う。外からくるのは、ひとりだけだ」
「ひとり……ですか」
アデルはじっと考え込んでいる。ヨシュアがイライラした様子で言った。
「おい、アデル。何なんだよ!」
「その奴隷商人と、我々に襲撃を指示した人物は、同一人物の可能性が高いです」
「は?」
ヨシュアは目を見開く。
「賊どもが逃げ去るとき、言っていましたよね――『間違いない、白の騎士だ』『あの方に知らせろ』と。賊の集団が、仲間に『あの方』などと言うでしょうか。恐らく外部の人間――それも、かなり上等な取引相手でしょう」
「じゃあ、奴隷商人がハナエも狙ってるっていうのか?」
「ええ。目的は分かりませんが、恐らく」
アデルは何やら少し考えた後、顔を上げると、改めてトトに向かい合う。
「トト、その奴隷商人がいつ現れるか、知っていますか?」
「今日は来ない。いつも決まって金曜の深夜に、馬車で現れるんだ」
「金曜の深夜、というと……次の晩遅くですね」
アデルは鋭い表情で、じっと窓の外を睨んでいる。
空はもう、白く明けはじめていた。
ハナエもヨシュアも、ただ黙ってアデルを見つめていた。
川のせせらぎだけが、遠くから聞こえてくる。
やがて、アデルは軽く息をつくと、にこっと笑った。
「ひとまず、少し眠りましょう。疲れ切っていては、勝てるものも勝てませんから」
***
トトが用意してくれた寝床にもぐりこむと、ハナエはすぐに眠りに落ちてしまった。
何か夢を見たような気がするが、よく覚えていない。
どれくらい眠っていただろうか。
空はもう茜色をしている。
(アデル、大丈夫かな)
ハナエは起き上がると、寝癖を直してアデルの部屋へと向かった。
次回は3/11夜に公開予定です。




