10.襲撃
皆が眠っている間も、馬車は順調に走り続けていたらしい。
ハナエが目を覚ました時、周囲はまるで違う景色になっていた。
遠くまでなだらかな丘が続き、一面に広がる金色の穂が風に波打っている。
高く澄んだ青空の下、明るい日の光が草原に反射してきらめいている。
「すごい……きれい」
「このあたりは田園地帯のようですね――見てください、あの美しい麦の穂を! なんと豊かな土地なのでしょう」
「あ、アデル。おはよう」
だが、それには答えずに、アデルは目を潤ませてハナエを見つめている。
「ど、どうしたの?」
「僕、このような景色を見たのは初めてです! 僕の暮らす国がこんなに美しいなんて、これまで知りませんでした」
「そっか、アデルはお城の外に出たことがなかったんだっけ」
「はい! このような景色を見られたのも、ハナエ様のおかげです。ありがとうございます!」
「そんな、大げさだよ」
「いいえ!」
アデルはうっとりと周囲を見渡した。
「あなたに出会えなければ、僕はこの景色を見ることはなかった――もっと見たい。この世界の姿を、もっと見てみたい――ああ、いけませんね、欲が出てきてしまいます」
ハナエはふふっと笑った。
「もっと見られるよ。だって、この先もまだまだ付き合ってもらうんだから。ちゃんと事件が解決するまで、一緒にいてもらうんだからね!」
「……それ、俺も?」
樽の影から、のそりと大きな体が起きる。
「あっ、ヨシュア。おはよう」
「朝から元気だね、お前ら」
馬車がスピードを落とす。馭者が振り返ってニカッと笑った。
「よう、みんな起きたな。そろそろ朝飯にしようか」
三人は頷くと、止まった馬車から飛び降りた。
そうやって何度かの休憩をはさみながら、馬車は快適に走り続けた。
田園地帯を抜け、森の小道へと乗り入れる。この森を超えれば、リペルの村はもう目の前だという。
「このぶんだと、少し早めに到着できるかもしれませんね」
「どうだかな」
ヨシュアの表情が厳しくなる。
薄暗い森に、夜が迫っていた。
***
うっそうと茂る森は、夜の訪れとともに色彩を失っていく。
影絵のような木々の枝がひどく不気味に見えて、ハナエはぞくりと肩を震わせた。
「ハナエ様、大丈夫ですか」
「うん、大丈夫」
「不安ですか?」
「……うん」
「何かあったとしても、ヨシュア様から離れないでくださいね」
アデルが優しくそう言ったが、ヨシュアはめんどくさそうにため息をつく。
「おい、なんで俺なんだよ。お前が面倒見ろよ」
「僕よりあなたの方が頼りになるからです」
「他の奴を頼る必要なんかねえだろ、コイツは自分で戦えるんだから」
「そういう問題ではありませんよ」
「はぁ? めんどくせえな」
――その時であった。
がくん! と、馬車が大きく揺れる。
沈黙の森に、馬のいななきが響き渡った。
「――やっぱり来やがったか」
ヨシュアはすばやく剣の柄に手をかける。
「ひ、ひぃぃっ!」
馭者が声にならない声を上げる。
暗がりの中、剣を抜く音がいくつも聞こえた。
ヨシュアは木箱を思い切り蹴り飛ばすと、そのまま荷台から飛び出した。
「ハナエ様、こちらへ」
アデルはハナエの手を取ると、荷台の裏へと回る。
ヨシュアは剣の腹で馬の尻を打つと、大声で叫んだ。
「行け!」
馭者は無我夢中で鞭を振る。馬車はあっという間に森の奥へと消えた。
1、2、3……全部で6人の人影が、じりじりと三人に近づいてくる。
「馬車を追わねえってことは、荷物や金が目的じゃないってことだ。狙いは俺たちか?」
賊はそれには答えず、一斉に襲い掛かる。
――だが。
あっという間に勝負はついた。
ヨシュアの鋭い剣が、賊どもの合間を縫って走り抜ける。
賊はなすすべもなく、うめき声を上げながら次々と倒れていく。
「すごい、強いのね」
「別に。こいつらが弱いだけだろ」
ハナエの問いに息も乱さず、ヨシュアは倒れている男を見下ろしている。
「ヨシュアって、てっきり口だけ偉そうなんだと思ってた。ごめんね」
「お前……!」
にらみ合うふたりの横で、アデルはしゃがみ込むと、賊の一人の肩を掴む。
「さて、あなたたちの雇い主について、話してもらいましょうか」
そのときアデルは気づいた――男の視線が、ほんの少し逸れたことに。
「後ろです! まだいる!」
暗がりで、白刃がひらめいた。
剣がぶつかり、火花が散る。
「くそ!」
現れた三人の賊が、一気にヨシュアに襲い掛かる。
ヨシュアは絡みつく刃を振り払い――目を見開いて叫んだ。
「ハナエ! よけろ!」
その声に、ハナエはとっさにしゃがみ込んだ。
頭の上で、鋭く風を切る音がした。
敵だ。
立ち上がらなければ、逃げなければ――それなのに。
足が震えて動けない。
「バカ! 剣を抜け!」
ヨシュアの声がする。
(そうだ、白い剣――)
びくりと、柄にかけた手が止まる。
脳裏に浮かぶ、赤――白い刀身を伝う血。
ハナエがその手で、誰かを傷つけた証。
「……ぃや、だ……」
立ち上がることもできず、柄にかけた手も震えている。
剣を抜くことさえできないハナエを見下ろして、賊はニタリと笑った。
剣を逆手に構え、そして――。
賊は一気に剣を振り下ろす!
鋭い切っ先は、ハナエの喉に突き立てられた。
――そうならなかったのは、誰かが飛び込んできたから。
「……っ!」
「あ、でる?」
ハナエの目の前で、アデルは倒れて動かない。
「アデルっ!」
「ハ、ナエ、さま……」
アデルの太腿に深く突き立てられた剣が、ぎらりと冷たく光を跳ねた。
賊がゲラゲラと笑いながら、腰からもう一本剣を抜いた。
「死ねェ!」
その時。
ハナエの右手が、白い剣を掴んだ。
一陣の突風。
何が起きたか分からないまま、賊はがくりと膝をついた。
その胸に、じわりと血が滲んでいく。
「ぎゃああああ!」
賊が悲鳴を上げる。
ハナエの右手で、白い光が燃えている。その手の甲で、白い紋章が輝いている。
握られた白い剣からも輝きがあふれ、あたりを強く照らし出す。
「許さない……」
ハナエがキッと顔を上げた。
「あんたたち、許さないから!」
白い剣が、ひときわ強く輝いた。
――その右手を、温かい手が包む。
「ハナエ、様、落ち着いて……」
優しいその声に――そのぬくもりに、ハナエはハッと我に返る。
白い光は、音もなくふっと消えた。
「痛ぇ、痛ぇよ! いつ切られたんだよ、ちくしょう!」
「まちがいねえ、奴が『白の騎士』だ!」
「急げ、あの方に報告だ!」
賊どもは口々に騒ぎながら、森の奥へと姿を消していった。
「アデル、アデル! しっかりして!」
逃げる賊には目もくれず、ハナエは無我夢中で、倒れたままのアデルに縋りつく。
「だいじょうぶ、です……それよりも、はやくここから、離れないと……」
「バカ野郎、しゃべるな!」
ヨシュアも駆け寄ると、手早く足に布を巻きつけ、強く縛る。
「ヨシュア、さま、ハナエさまを連れて、はやく……」
「うるせえっつってんだろ! お前どうすんだよ!」
「ぼくは、ここへ、このまま……」
「勝手なこと言ってんじゃねえぞ! このまま死なれてたまるかよ!」
その間、ハナエは震えることしかできなかった。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう……!)
アデルが、死ぬ?
そんなの嘘だ。そんなわけがない。だって、だって……。
「おいっ、姉ちゃん!」
突然、暗がりから甲高い声がした。
振り返ったハナエの目の前に、藪から小さな人影が飛び出してきた。
「きゃあ!」
「こっち、早く!」
暗くて顔が見えないが、声からすると子供のようだ。
「あ、あなたは……?」
「話はあとだ、新手が来ちまうぞ。ついてきな。そっちの兄さんたちも、早く」
ヨシュアはアデルを背負うと、大きく頷いた。
「行くぞ、ハナエ」
「う、うん」
少年は早足で森の中を歩いて行く。
その背中を見失わないように、ハナエも懸命に足を動かした。
***
岩場に口を開けた洞窟の前で、少年は立ち止まった。
「こっちだ」
「こ……ここに入るの?」
ハナエは恐々、中をのぞく。月明りも届かない洞窟は、ただ漆黒の闇が広がっているばかりだ。
「中は真っ暗だけど、一本道だから迷うことはないよ。壁伝いに歩けば大丈夫だから」
「わ、わかった」
少年は頷くと、先に洞窟へと踏み込んだ。
「ハナエ、行けるか?」
ヨシュアの背中で、アデルがぐったりと目を閉じている。
足にはまだ、深々と凶刃が刺さったままだ。
「あたしは大丈夫――急がなきゃね」
ハナエは自分の頬をバチンと叩くと、腹を決めて漆黒の闇へと飛び込んだ。
毎日投稿がんばってます!次は3/10の夜に更新予定です。




