お留守番
翌日。
「野暮用があって、俺だけでシュタットへ行く。何か欲しいものがあれば買ってくるぞ?」
その言葉が落ちた瞬間、
胸の奥で、何かがわずかに揺れた。
ずっと一緒にいた。
朝も、昼も、夜も。
気づけば、彼のいない時間を想像するほうが難しくなっていたのに。
――ひとりで、行くんだ。
「私を置いていくの?」
そんな言葉が、喉の奥までせり上がる。
けれど、音になる前に、そっと押し戻した。
代わりに、軽く。
「林檎と、焼き鳥かな」
彼は目を細めて笑った。
「わかった。行ってくる。
戸締まりは、しっかりしろよ?
俺以外を入れるな」
その一言で、
胸のざわめきが、すっと静まる。
「クオン以外、ここに来た人いないじゃん」
「念のためだ。トワは綺麗だからな」
一瞬、言葉に詰まる。
「……っ。もう!
はやく焼き鳥、買ってきて!」
追い出すように言って、
扉が閉まる音を聞いた。
……ひとり。
拠点に残された私。
お留守番だ。
――でも、彼は帰ってくる。
そう、わかっている。
わかっているのに。
心の奥で、
黒い感情が、静かに、ゆっくりと渦を巻く。
どうして、ひとりで?
誰に会うの?
何を話すの?
もし、目を離したその間に、
彼に何かあったら。
もし、誰かが、
彼の時間を奪ったら。
昨日は、あんなに嬉しそうに泣いてくれた。
でも――
一瞬だけ、悲しそうな顔もしていた。
……大丈夫。
私が、整えておけばいい。
彼が戻ってくるまでに、
家の中を、きちんと。
匂いも、温度も、空気も。
彼が「帰ってきた」と思える状態に。
――他に、居場所なんて作らせない。
数刻後。
ジャリ。
砂を踏む足音。
胸が、ひとつ、跳ねる。
……あ。
扉を開ける。
「おかえりなさい!」
彼は一瞬、驚いた顔をして、
それから、笑った。
「ああ。ただいま」
その顔を見た瞬間、
胸の奥が、ふっと緩む。
早い。
思っていたより、ずっと。
手には、大量の焼き鳥と、林檎。
「多すぎない?」
「好きだろ?」
「好きだけど」
「大丈夫だ。俺も好きだから」
同じものを、同じだけ。
それだけで、
胸の奥に、小さな満足が落ちる。
焼き鳥三昧の日。
昼下がり。
変わらない、ふたりの時間。
彼は書を読み、
私は刺繍を刺す。
針が布を抜ける感覚に、
呼吸が、自然と揃っていく。
……そろそろ。
紅茶を淹れて、
彼の好きなお菓子を添える。
差し出すと、
「ありがとう」
視線が絡む。
ただ、それだけで、
心が満たされる。
それから。
夕食を一緒に作って、食べて。
お風呂に入って。
「おやすみ」と言って。
それぞれの部屋へ。
布団に横になりながら、
ぽつりと、言葉が零れた。
「この王国へ来て、よかった」
彼がいる場所。
彼が帰ってくる場所。
その条件が、
いつの間にか、同じになっていたことに気づかないまま。
穏やかに、
その夜も、静かに更けていった。




