惹かれてしまう人
目が離せなかった。
「とりあえず……脱出しよ?」
自分でも驚くくらい、言葉が自然に出た。
先を指差す指先は、迷いがない。
倒れていた彼――クオンは、頷いた。
「……ああ」
剣を納める動作が、静かで綺麗だった。
戦いが終わったあとの空気に、まだ魔素の匂いが混じっている。
石壁は冷たいのに、さっきまでの熱が残って、息が少しだけ重い。
クオンは姿勢を正して、短く名乗った。
「俺はクオン。戦闘魔術師だ」
その声は疲れているはずなのに、芯がある。
私は胸の前で手を合わせ、同じように名乗り返した。
「私はトワ。ルクス王国から旅をしてきたの」
「……ルクス?」
クオンが目を丸くする。
その反応が、なんだか可笑しくて、つい胸を張ってしまった。
「え、めちゃくちゃ遠い場所から来たんだね」
「ふっふっふー!」
誇らしげに笑って、私は指を折って説明する。
「赤子から成人して、学園も卒業!
それから二年、旅をしてます!」
クオンは「へぇ……」と呟きながら、少し首を傾げた。
「俺は生まれも育ちもアグナス王国。
学園を卒業してから一年だ」
言いながら、何かを計算するみたいに眉間に小さく皺が寄る。
きっと年齢の感覚が違うんだろうな、と察する。
「……同世代、みたいなもんか?」
小さな声。
半分、独り言みたいだった。
私は楽しくて、すぐに頷く。
「うんうん! 近い近い!」
笑ってみせると、クオンが少しだけ目を泳がせた。
その仕草が、なんとなく不器用で、嫌いじゃない。
「……タメ口でいい?」
恐る恐る。
まるで、怒られたくないみたいに聞いてくる。
私は声を上げて笑った。
「あはは! いいよ!
一年くらい、誤差だもんね!」
そう言った瞬間、クオンの表情がほんの少しだけ緩んだ。
空気が、わずかに柔らかくなる。
――不思議。
初対面のはずなのに。
命のやり取りを挟んだせいか、距離の測り方が分からない。
私は一歩踏み出した。
躊躇いは、ほんの一瞬。
差し出した手に、自分でも驚くくらい迷いがなかった。
「行こ」
短い言葉。
それだけで十分だと思った。
クオンが、その手を取る。
握った瞬間、指先に熱が伝わる。
怪我の熱じゃない。
生きている温度が、確かにそこにあった。
――視線が、絡む。
近い。
思ったより、ずっと。
私は、にこっと笑った。
クオンは一瞬、呼吸を忘れたみたいな顔をして、すぐに前を向く。
そして肩越しに、指で合図を送ってきた。
――手信号。
(……似てるな)
アグナス王国とルクス王国。
細部は違うのに、意味は同じ。
思わず口元が緩む。
それに気づいたのか、クオンがちらりとこちらを見て、目を細めた。
……笑ってる。
一緒に壁際へ身を寄せる。
石の冷たさが背中に伝わる。
気配が近づく。
魔物の足音が、湿った床に鈍く響く。
合図。
同時に、走る。
私は反射で、クオンの袖を掴んだ。
引いた。
次の瞬間、私は抱き留められていた。
息が、重なる。
目が合う。
近すぎて、世界が狭い。
でも怖くない。
言葉はなくても、分かる。
頷き合って、また動く。
……不思議だ。
ダンジョンを脱出しているはずなのに、
まるで踊っているみたいだった。
潜み、進み、すれ違い。
止まって、確かめて、また歩く。
呼吸の速さ。
視線の高さ。
足音の間隔。
全部が、自然に揃っていく。
ふと、壁画が目に入った。
女神と王が、手を取り合い、
静かに舞っている姿。
(……ああ)
私たちも、同じだ。
目線が絡んで、動きが重なって、
次の一歩が分かる。
クオンが笑う。
私も、笑う。
――この人、変な人だ。
そう思ったのに、なぜか嫌じゃない。
魔物をやり過ごした先で、
ふっと静寂が落ちた。
クオンが息を整えてから、口を開く。
「……一目惚れしたんだ」
声が、少しだけ震えている。
そして次の瞬間。
「抱かせてください!!」
……え?
私は固まった。
クオンも固まった。
慌てて自分の口を押さえて、咳払い。
「トワ。俺と……付き合ってくれないか?」
今度は、ちゃんと言い直した。
私は一瞬きょとんとして――
「ぷはっ」
吹き出した。
だって、あまりにも、勢いが可笑しい。
必死なのに、言葉の方向だけが迷子だ。
その音と同時に、空気が揺れた。
――気づかれた。
魔物が、こちらを向く。
「っ……!」
判断は一瞬だった。
クオンが剣を抜き、踏み込む。
足元に魔術陣が展開される。
(守る)
理由は、それだけに見えた。
牙を弾き、爪を避け、魔力を叩き込む。
私は後方から、迷いなく治癒を展開する。
淡い光が降り、削れた感覚が即座に塞がる。
(……速い)
――そう思ったのは、クオンの動きのこと。
「戦闘」と「判断」が、一直線で、速い。
視線を送ると、クオンが頷いた。
それだけで、役割が噛み合う。
最後の一体。
クオンが剣を振り抜き、
血を払って、静かに納める。
「……ふう」
短く、息を吐く音。
――返事。
そうだ、返事だ。
さっきの。
私は呼吸を整えながら、クオンの方を見る。
……見た。
確かに、見た。
でも。
次の瞬間には、身体がもう動いていた。
私はしゃがみ込み、
さっきまで襲ってきていた魔物の傍へ寄る。
まだ完全に霧散していない。
魔素が、淡く空気に溶けていく、その直前。
集中。
(……ダンジョンに吸収される前に……)
指先で、慣れた位置を探る。
刃を入れる角度。
魔力の残滓が薄い部分。
(……素材、取らなきゃ……)
だって、素材は大事だ。
売れる。
薬になる。
旅を続けるための、確かな糧になる。
旅先で、次に困らないために。
帰る時、手ぶらにならないために。
気づけば、思考より先に、
指が正確に動いていた。
石床に、かすかな擦過音。
血の匂いと、土と、魔素の混じった空気。
その向こうで、
クオンの視線が、こちらに向いているのを感じる。
顔を上げないままでも、分かる。
一度だけ、
彼が天井を仰いだのが、視界の端に映った。
(……なに、その顔)
問いかける言葉は浮かぶけれど、
口には出さない。
私は、採取をやめない。
――たぶん。
さっきの告白、
その続きなんだろうけど。
胸の奥で、ほんの少しだけ、
何かが引っかかる。
不思議と、惹かれてしまう人。
一緒に動くと、呼吸が合う。
視線だけで、次が分かる。
命のやり取りの最中でも、迷いがなかった。
それでも。
私たちは、種族が……違う。
寿命も、時間の流れも、
大切にするものの重さも。
それを、私は知っている。
だから、今は。
今は、素材を取る。
握った手の感触だけが、
まだ、指先に残っていた。
さっき触れた熱。
生きている温度。
それが消えないうちに、
私はもう一度、刃を入れた。




