花束を君に
あれから、数週間が経っていた。
研究は、生活の一部になっている。
まず手を付けたのは、
記憶を鮮明に呼び起こす魔術の研究だった。
ポーションは――俺には無理だ。
畑が、違いすぎる。
シュタットの本屋で、
記憶や精神干渉に関する書を片っ端から探す。
「記憶に関連する書を、取り寄せてほしい」
そう頼むと、店主は少しだけ視線を伏せた。
「……ああ。任せておけ」
何かを察したような、声だった。
隣では、彼女が楽しそうに棚を眺めている。
「お菓子作りのレシピ本、新刊出てる!」
……今回は甘味か。
君が作る新作のお菓子を想像して、
自然と口元が緩んだ。
納品を済ませ、
二人で買い出しをして、拠点へ戻る道。
ふと、彼女が言った。
「……未来へ帰れたら、どうするの?」
どうする、か。
ただ漠然と「帰りたい」と思っていたはずなのに、
今は、少し違う。
帰れたら、嬉しい。
そのくらいに、正直になってきている。
「……トワ」
「なーに?」
「もし、そうなったら――君も、俺についてきてほしい」
彼女は立ち止まり、少し考える仕草をした。
「えー! 未来の世界も興味あるけど……どうしようかなー。考えておくね!」
……考えておく。
拒否では、ない。
歩き出すと、花屋が目に入った。
なぜか、既視感がある。
紫の花。
「この花を、頼む」
「スターチスだね。奥さんに贈るには、もってこいだ」
……奥さん?
首を傾げると、店主が笑った。
「色褪せない花でね。変わらない想いとか、途切れない記憶って意味がある」
なるほど。
俺は、迷わず買い込んだ。
大量のスターチスを、花束にしてもらう。
「わっ! 急にどうしたの? お腹痛いの?」
……さすが治癒魔術師。
スターチスは、下痢止めの薬効を持つ薬草でもあるらしい。
店主の説明を思い出して、納得しかけてしまう自分が悔しい。
違う。
そういう意味じゃない。
咳払いをして、姿勢を正す。
「……トワ。好きだ」
花束を差し出す。
「ありがとう!」
満面の笑顔。
……ダメか。
でも、いい。
毎日、伝えればいい。
いつか、きっと。
シュタットで軽く昼を済ませ、家へ戻る。
研究を進めながら、ふと目をやると、
彼女はローブに刺繍を入れていた。
……それ、俺のローブだよな?
新しいのを、作ってくれているらしい。
嬉しい。
好きだ。
大好きだ。
シュタットへ行くたび、
俺はスターチスの花束を贈った。
彼女は、笑って受け取る。
気づけば、家の中は花で溢れ、
最近は、庭にもスターチスが増えている。
「……植えたのか?」
「クオンが、そんなに好きな花なら、私が咲かせてあげようと思って!」
……あ。
……そっちで、受け取ってたのか!?
真剣な顔で頷かれて、
思わず笑ってしまった。
「ああ。たしかに、大好きだ」
ぎゅっと、彼女を抱きしめる。
「花農家に転職できるね」
「ぷはっ!」
二人で、笑った。
それからは、本格的に栽培が始まり、
納品できるほどになった。
「……これは、すごいな」
一面の、紫の花海。
どこか、懐かしい。
とても――
本当に、懐かしい。
「泣くほど、嬉しかったの?」
どうやら、また泣いていたらしい。
「ああ。本当に……好きだよ」
「よかった!」
眩しい笑顔に、理性が削られていくのを自覚する。
……よし。
プロポーズをしよう。
「……指、貸して」
きょとん、とした顔のまま、彼女は手を差し出した。
細い指。あたたかい。
無言で、そっとサイズを確かめる。
指先が触れるたび、心臓が一段ずつ跳ね上がる。
(……近い)
喉が、勝手に鳴った。
「……ありがとう」
声が、少しだけ掠れた。
「ん? うん」
何でもないみたいに返されて、余計に胸が騒ぐ。
可愛い。
反則だろ、それ。
呼吸を整える暇もなく、顔を近づけた。
距離が縮む。視界いっぱいに、彼女。
(今なら――)
「わっ、ぶつかる」
軽く身を引かれて、空振り。
……胸の奥が、きゅっと縮んだ。
しょぼん。
「なに? なに?」
不思議そうに覗き込まれるのが、追い打ちだ。
「……なんでもない」
本当は、
言葉も、理由も、全部溢れそうだったのに。
翌日。
俺は、迷わず彼女のために指輪をオーダーメイドした。
宝石は、使わない。
それは最初から決めていた。
彼女は、きらきらしたものに目を輝かせるタイプじゃない。
街で宝石店の前を通っても、足を止めることはなかったし、
値段や希少性よりも、形や意味を先に見る人だ。
だから――
光る石より、想いが残る形を選んだ。
意匠は、スターチス。
色褪せず、形を保ち、
乾いてもなお、そこに在り続ける花。
俺が何度も贈り、
いつの間にか彼女が庭に咲かせていた花。
言葉にしなくても、
もう、二人の間に根付いてしまった象徴だった。
指輪の内側には、俺の名前と、彼女の名前。
並べて、刻んでもらう。
――そして。
これは、ペアリングだ。
彼女に渡すだけのものじゃない。
俺も、同じものを身につける。
もし断られたら?
もし受け取られなかったら?
そんなことは、考えなかった。
これは、覚悟だからだ。
未来に帰れるかどうかも分からない。
この時代に、どれだけ居ることになるのかも分からない。
それでも。
「一緒にいる」という意思だけは、
形にして、ここに残しておきたかった。
指輪を受け取って、
掌の中で、そっと包む。
冷たいはずの金属が、
不思議と、あたたかく感じた。
――準備は、完璧だ。
あとは、
渡す勇気だけ。




