婚約破棄現場に居合わせた隣国王子、および俺。
異世界恋愛ジャンルですが、恋愛要素は薄め。
違ったらすみません。正しいジャンル is どこ。
「お前との婚約を破棄する!」
その声が響き渡ったのは、大きなシャンデリアの垂れ下がる優雅なパーティー会場。多くの若い貴族が集い、華やかでありながら和やかだった雰囲気は、一瞬で切り裂かれた。
婚約破棄を宣言したのはここ、ティール王国の王太子。彼の後ろには取り巻きの数人の男たち、横にはハニーブロンドのふわっとした髪の可憐な女性がいる。王太子とハニーブロンドはまるで婚約者同士のような距離だが、二人はそのような関係ではない。彼らの視線の先にいる赤茶の髪の女性こそが王太子の婚約者だからだ。
王太子は周りの注目が集まるのを待つように、ゆっくりと時間をとってから、再び声を上げた。
「お前はエルセをひどく虐げていたそうじゃないか。彼女の悪評を流し、私物を池に沈め、階段から落とされそうになったこともあると聞いた。落ちていたら怪我ではすまなかったかもしれないのだぞ」
本当に怖かったです~、とゆるふわハニーブロンドが王太子に体を密着させる。
「それだけじゃない。エルセは熱い紅茶を掛けられてやけどしたり、大切にしていたノートをやぶかれたりしている。真冬に水を掛けられ、実際に寝込んだことだってある。そうだよな、エルセ?」
そうなんです~、でも私は身分が低いから言えなくて~。
などと、ふわもこハニーブロンドが合いの手を入れる。
俺ヨハンは主であるヘンドリック王子と共に、王太子と少し離れた場所で他の貴族たちと歓談しているところだった。俺たちは今いる国であるティール王国からすると隣国にあたるグリンデル王国から公務で来ていて、このパーティーに参加している。ヘンドリックはグリンデル王国の第二王子、俺は文官であり彼の側近で、年齢は共に二十一だ。
にこやかな会話など吹き飛び、彼らの断罪劇に集中する。
なんだ、どういうことなんだ、これは?
状況がわからずに目を白黒させていると、ヘンドリックが俺にすっと近づいてきて小声で聞いた。
「ヨハン、誰だ?」
俺は一度大きく深呼吸して、頭を落ち着かせた。俺は王子の側近。必要な情報を迅速に伝えなければならない。
婚約破棄を叫んでいるのは王太子、その視線の先が婚約者である公爵令嬢メリッサ。この二人とは俺もヘンドリックも面識がある。誰かと聞かれているのはエルセと呼ばれた、王太子にへばりついているふわふわハニーブロンドのことだろう。
「こちらの国の男爵家のご令嬢です。といっても、もともと庶子で平民育ち。貴族籍になったのは三年ほど前のことだとか」
「ほう」
「婚約者のメリッサ嬢を差し置いて、よく王太子殿下と二人で過ごしている、と先日の夜会で耳にしました。成績もふるわず礼儀もなっていないなど、あまりいい評判は聞かなかったですね」
「なるほど。ということは要するに、浮気だな?」
俺を含むヘンドリック一行がこの国に来たのは七日前。俺は外交をこなしつつ、夜会などに積極的に参加して情報を集めていた。ヘンドリックが表舞台で活躍している間に、王子では入りにくい場所で動くのも俺の役目だ。
「後ろの奴らは見たことがあるな」
「いずれも高位貴族のご子息たちですから、顔を合わせているはずです」
この国に来てから俺たちは多くの会談、茶会、パーティーなどに参加している。彼らもそこにいたはずなので、ヘンドリックと挨拶程度の会話はしている。一度見ただけで顔を覚えられるヘンドリックなら、しっかり記憶しているだろう。
「メリッサ嬢の評判は?」
「あまり表に出ることが多くないようで、社交も最低限のようなのですが」
「王太子の婚約者なのに、か?」
「そうです。控えめで大人しく、成績は常に上位で聡明。未来の王妃として申し分ない才の持ち主という評判がある一方で、傲慢で浪費家だという反対の噂も聞きました。王宮に閉じこもって出てこない、とも」
「浪費家?」
ヘンドリックはフンと鼻で笑う。
「あの頭ふわふわ女より、よほど質素なドレスじゃないか。それにヨハン、先日の食事会を覚えているか?」
「はい。メリッサ嬢が全て回していましたよね」
「その短い時間だけでも優秀であることはわかるし、少し話しただけでも聡明なのは見てとれた。情報を操作されているのか、もしくは彼女がそうならざるを得ない状況に置かれているか」
実際、頓珍漢なことを言う王太子をさりげなくフォローしていたのも彼女だった。
「この場で婚約を破棄されるような理由があったのか?」
「それを今、あの王太子殿下が述べているんだと思いますが?」
それでヘンドリックは理解してくれたらしく、「なるほど」と頷いた。
俺が得た情報によれば、彼女に婚約を破棄されるほどの瑕疵はないだろう。
俺は知っている。物語の中ならば、婚約破棄されて断罪された令嬢は、その婚約者よりも立場が上の人物によって救われるものなのだ。例えば、隣国王子。
そして元凶をぎゃふんと言わせたのちに、こんなふうに続く。
『実はずっと好きだった。婚約がなくなったのなら、俺と結婚してください』
チラッと隣を見る。
隣国王子、発見。
まさに条件に当てはまる人物がここにいる。第二王子とはいえ、国の規模は上。顔よし、頭よし、性格はえっとたぶん悪くはない、ハイスぺ王子のヘンドリックだ。
だけどちょっとまってほしい。
この王子、溺愛する妻がいるのだが……?
小声で情報をやりとりしている間にも、断罪劇は進んでいく。
ヘンドリックの怒りのボルテージがどんどん上がっていくのを感じ、俺は息をのんだ。
これは、いろいろとまずいのでは?
急いで脳内に検索をかける。
この作品 is なに!?
◇
俺ヨハンは、グリンデル王国のそれなりに歴史ある伯爵家のしがない三男坊であり、転生者だ。といっても、前の世界で死んだ記憶はない。だからこれが「転生」なのかはよくわからないし、「前世」と呼ぶのが正しいのかもわからないけれど、ひとまず前の世界を前世、今を今世、そして今の俺は転生者ということにする。
前世の俺は、異世界転生冒険系のライトノベルをこよなく愛する、ごく普通の男だった。
剣を抜いて勇者になっちゃう話も、パーティから追放されるところから始まる話も、人ならざるものに転生した話も、みんな大好きだ。お気に入りの本はページが擦り切れるくらい読んだし、どこが大事だったのかわからないくらいに付箋だらけになっている本も少なくない。とにかく暇さえあれば、いや、なくても作って、読みふけっては冒険の世界に浸っていた。
普段は寡黙で大人しい俺だったが、その系統の話であれば何時間でもしゃべり続けることができた。不思議なものである。
どこが好きかということを一言で語るのはとても難しい。まずは魔法アリの世界だと(略)
自分もそんな物語に関わる一人になりたいと編集者を志して猛勉強、みごとに出版社に合格した。そしてこの熱い思いを語りまくりぶちまけた結果、女性向けライトノベル部門に配属された。なんでだよ。
どうして冒険系ではないのか、と編集長に泣きついてみると、いろんな経験をすべしとの至極まっとうな助言をいただいた。その通りだ。悲嘆にくれていても始まらない。俺の冒険はここからだ。
同じライトノベルという括りではあっても、女性向けはあまり履修していなかった。婚約破棄でスパダリでざまあで溺愛でしょ、というくらいの知識である。ぼんやりそんなことを言うと、舐めるな、と編集長にどっさり自社レーベルラノベを積み上げられた。別に舐めてない。知らないだけだ。編集長だって転生冒険ものに対して、勇者で追放からの俺TUEEEでしょ、くらいにしか思っていないくせに。奥が深いんだぞ、冒険系は!
なお後日、編集長の部署移動歴および担当遍歴を知り、その認識を改めた。いろいろ理不尽なおじさんだけど、その手腕はたしからしい。編集長、俺、ついていきます。
それからはひたすら読んで読んで読みまくった。書籍も投稿サイトの小説も、大好きな系統の読書時間を減らしてまで、読んで、がむしゃらに仕事をして、また読んだ。ようやく自分の担当作品を持てるようになり、原稿を見せながら編集長に意見を述べると、こう言われた。
「お前は経験が足りん! もっと現場を見ろ!!」
その瞬間だった。
すうっと原稿に吸い込まれるような感覚があって、気がついたらこちらの世界にいたのだ。どういうことだよ。編集長、なにをしたんだ!?
慌てふためいた、なんてもんじゃない。発狂寸前だった。そして、発狂する代わりにプツリと意識が途切れた。
よく前世を思い出した主人公が意識を失う描写があるけれど、あれは大げさなのではなく実際に起こりうるのだなと身をもって実感した。
編集長、経験ってこういうことですか?
目覚めたときにまず思ったのは、この体の主はどうした、ということだった。
あぁヨハン。君はどこへ行ってしまったんだ。俺は君の体を乗っ取ってしまった。
そんな罪悪感に打ちひしがれそうになったが違った。ヨハンは自分の中にいた。十五年分の記憶も考え方も、全部そのままだ。乗っ取っていたわけじゃなかった。むしろ俺の記憶と人格が追加されただけで、ヨハンはヨハンだった。じゃなきゃ、こんなに流暢に人と会話したりしない。家族や使用人、医師たちとのやりとりでわかった。元の俺は奥手で寡黙だったのだから。
これが融合……。
ガチで怖い。これが小説ならば、ジャンルはホラーである。間違いない。
ここが読んでいた原稿の世界だと気がつくのに時間はかからなかった。なにせ直前まで読み込んでいたし、その世界観と人物がぴったりと当てはまっていたから。
タイトルは、
『森の中で拾ったのは王子様でした~虐げられていた令嬢は氷の王子に溺愛される~』
である。
俺勇者じゃないのかよ!
どうせならカッコいい呪文唱えて強力な魔術ぶっ放して俺TUEEEしてみたかったよ!
魔法さえない世界だなんて、と嘆いたのは一瞬だった。読むのは好きだけど実際に戦うのは嫌だ。怖いのも痛いのも嫌だ。魔物のいない世界ブラボー!
この物語のあらすじをざっくり説明すると、以下のようになる。
七歳の頃に訪れた森で、一行から外れて迷子になり倒れてしまったヘンドリック王子。彼を見つけて介抱したのがヒロインの侯爵令嬢アンネリーゼだった。二人は王子の体調が戻るまでの数日を共に過ごし、王子はすぐに恋に落ちた。しかし王宮に戻った彼はアンネリーゼに会うことができず、数年が経過する。
侯爵家の令嬢ならば、いずれ学園で顔を合わせるはず。それを楽しみに入学したのに、同級生のはずの彼女はいない。社交界にも出てこない。どういうことかと調査すると、後妻と連れ子に虐げられていると発覚。彼女の父であるはずの侯爵までもが見て見ぬふりを貫いている。
そこからは怒りの腹黒ヘンドリックが画策してヒロインを救い出してざまぁして囲い込んでハッピーエンド!
いろいろはしょっているが、そんなストーリーである。
物語の中のヨハンは、名前と少しの役割があるモブといった立ち位置だった。
ヘンドリックの幼なじみとして共に育ち、伯爵家に生まれたものの三男なので継ぐ爵位はなく、文官として彼の側近を目指す。ヘンドリックとは友人として気安くありながらも主従でもあるといった関係で、相談に乗ったり、結果としてヒントになるようなことを言ったりする、という役割だ。
性格は基本的に善良。なんだかんだと文句は言うし心の中では悪態をつきまくっているが、小心者で悪いことはできない。本文にそんなに出番はなかったけれど、ヘンドリックに振り回されながら裏方では動いていそうなキャラであった。
俺モブかよ。ヒーローですらないのかよ!
十五歳の学園入学時に記憶を得た俺は、知識を元にヘンドリックに助言やらおせっかいをかまして、ストーリーを進めた。ヘンドリックは物語のヒーローなだけあって、顔も頭もよくて能力が高い。時々彼が突っ走るのを抑えたり、読んだ小説と違う流れになって慌てたり、なんやかんやあったけれど、見事にアンネリーゼを救い出すことに成功。そして彼女に不当な扱いをしていた人たちをざまぁして、物語のクライマックスを迎えた。
ここまではまぁ順調に進んだのだが、ちょっと愚痴らせてくれ。
あとはスマートにプロポーズしてハッピーエンド、のはずだったのに!
『でもアンネは俺以外の男をほとんど知らないわけだし、社交界に出たら好きな人が現れるかもしれないし、だって囲い込んだ自覚あるし、でも嫌われたくないし……』
とか言い出して、ここまできていきなり自信なくして、でもでもだって、し始めた。
ハァ?
今まであの手この手で表から裏からいろいろやってかっこよく敵をやっつけて、ここにきてそれですかい。外堀埋めた上で、なんなら柵作っちゃうくらいにアンネリーゼの逃げ道塞いで、イエス以外言えないように追い詰めておいて、今さら?
もちろん俺はアンネリーゼからも「好き」の矢印がヘンドリックに向かって出ているのを知っている。ヘンドリック側からの愛情矢印が大きすぎて極重なゆえに薄れて見えるけれど、両想いですおめでとうございます。
ヒヨるところはそこじゃねぇよ、アンネリーゼも待ってるから、絶対大丈夫だからさっさと行け! をMAX敬語で言ったのち、「殿下がいらないって言うなら、俺がもらいますよ?」と挑発したところ、視線だけで凍らされそうになった。彼のアイスブルーの瞳は氷点下50℃を記録しました。なるほど「氷の王子」と呼ばれるわけだ。
そして想いをたしかめ合った二人は婚約期間をしばらく設けたのち、めでたくゴールインした。つまり結婚して幸せになりました、めでたしめでたし、となったのだった。
そう、一つの物語はもう終わっている。
俺はお役御免、これできっと元の世界に戻るのだろう。そう思うとこの世界や周りの人に愛着がわいた。しょせん書かれた物語の中、なんて思う日もあったけれど、ここにいる人たちはそれを現実として生きている血の通った人間だ。ハイスぺヒーローのヘンドリックも、無茶なこと言うし理不尽だし人使い荒いしどう考えてもヒロイン狙ってない俺にまで嫉妬するし、でもいい奴で、そんな文字には描かれない人間臭いところがたくさんあった。
なぁ、ヘンドリック殿下。俺、あなたに仕えられて楽しかったですよ。アンネリーゼと一緒に、どうか末永くお幸せに……。
なぁんて星に祈り、こっそり枕を濡らしたりしたのに。
俺は元の世界に戻らなかった。なんでだよ。濡らした涙返せよ。嘘です、返されても困ります。
このタイミングで戻ることがないのなら、もう俺はこちらの世界の住人になったのだろう。ここで生きていくしかない。
そう覚悟を決めてから約一年。
俺は側近として「イヤだアンネと離れるなんて絶対にイヤだぁ」とごねるヘンドリックを「公務ですから」と彼の愛妻となったアンネリーゼと共に説き伏せ、引きずってティール王国に来たのである。
ちなみにヘンドリックは俺の説得には耳を塞ぐくせに、アンネリーゼの「ティール王国にしかないお土産を買ってきてください」というおねだりと「お仕事頑張ってくださいね」の笑顔で速攻に陥落していた。愛妻に「行ってくる」とキリッと宣言したあと、長いキスを人前でするのはどうかと思う。それから颯爽とした姿で馬車に乗り込んでおきながら走り出した瞬間にへなへなと崩れてやっぱり離れたくないだのなんだのとグチグチ言うのもどうかと思う。
どこが「氷の王子」だよ。溶けきってんじゃねぇか!
心の中でだけ悪態をつく。でも表向きはイケメン王子で、実際に仕事はバリバリできて、なんだかんだ情のある人なのは知っている。俺はここにいる限り一生あなたについていきます。
◇
現場では断罪劇が進行している。
明らかに前の物語ではない、別の話が始まっちゃっているのだ。
ちくしょう、どれだよ、この話!
話の筋が見えれば対策の立てようもあるが、婚約破棄断罪の脳内ヒット件数が多すぎてわからない。
このパーティーは明日帰国するヘンドリックの送迎会としてティール王国側が開いてくれたものだ。しかも国王が気を利かせてくれて、同年代のほうが楽しめるだろうと王太子を中心に若い貴族を集めてくれた。そんな気の利かせ方しなくていいです、なんて言えない。
そういうわけで本来ならばヘンドリックが主賓のパーティーで、王太子はもてなす側のトップであるはずなのだが、彼は全くお構いなしの独壇場だ。国王や王妃がいないこの場では王太子の立場が一番上なこと、咎める役割のはずの側近たちが後ろでむしろ援護していることで、集まった若手貴族の誰もが声を上げられない。
浮気相手と思われるふわハニ男爵令嬢を虐めた、から始まって、傲慢で生意気だとか、俺を立てないだとか、しまいには地味で美しくあろうともしない、などと容姿まで貶し始めた。
お前の容姿でそれを言えるのか!?……言えるな。
「なにか言ったらどうだ。真実を告げられて言い返すこともできないか?」
婚約者のメリッサは青い顔で黙ってうつむき、震えている。
無理もない。衆目にさらされているだけでなく、数人の男に睨まれている。普通の女性ならばそれだけで声が出なくなるだろう。それに、仮になにかを言ったところで、権力的にも物理的にも勝てるわけもない状況だ。
チラッとヘンドリックを伺うと、彼は静かに怒りを燃やしていた。
そもそもだが、ヘンドリックは愛する妻に会えなくて最初から苛立っていた。もちろん彼はそれを表に出したりしないけれど、こちらに来て日数が経過するに従って機嫌も崩れているのを、俺は感じている。
それに加え、なんだかメリッサはどことなくアンネリーゼと似ているのだ。顔や姿じゃなくて、こう、虐げられている者の雰囲気というか、なんというか、その感じが。
偉そうにメリッサを見下ろした王太子が、ふん、と鼻を鳴らした。
「身分を笠に下位の者を虐げる卑しい性根のお前は、未来の王妃にふさわしくない。そのような者を私の妃にすることは断じてできない! よってお前との婚約を破棄し、このエルセと新たに婚約を結ぶこととする」
まるで自分のセリフに酔っているかのように、高らかに告げた。
婚約破棄から即、次の婚約宣言。はい、浮気確定です!
「お前には国外追放を言い渡す。即刻国から出て行け!」
ガクッと膝をついたメリッサに、ハニーブロンドは勝ち誇った顔をする。
それから彼女はわざと心配そうに王太子を見上げた。王太子はわかっている、とでもいうようにふわふわ頭をポンポンと撫でる。そしてメリッサを見下ろしてニヤリと笑った。
「……と、言いたいところだが、優しいエルセはそんなに厳しい罰を望んでいない。今ここで罪を認めて謝罪すれば許してやってもいいと言っている。感謝するんだな」
うわぁ、気色悪っ。ぞわっと全身の肌が鳥になった感覚がする。
感謝するんだな? 誰が感謝するんだよその状況。
ヘンドリックの怒りのボルテージは振り切れる寸前だ。
だけど王太子と王子でのトラブルとなれば、国家間の関係に影響してくる。友好のために訪れているヘンドリックはそれも理解しているから、ぎりぎり耐えて……いや、無理だな、時間の問題だ。
ええと、俺はどうしたらいい?
衆目が固唾をのんで動向を伺う中、メリッサは俯いたまま、なにも言わない。しびれを切らした王太子がチッと舌を鳴らした。
「本当に頑固な奴だな。許してやると言っているのだからさっさと謝ればいいものを。そんなに国外に追放されたいならそうしてやる。それで生きていけるとは思えないけどな」
ハハッと馬鹿にしたように王太子が笑うと、ハニーブロンドと後ろの男たちもそれに同調した。
「今すぐ謝るか、国外追放にするか、選ばせてやろう。さあ、どちらだ?」
令嬢が身一つで国を追い出され、生活していくことができると思う人はいないだろう。それがわかっていて、あえて選ばせようとする王太子の人の悪さに吐き気がした。
どちらかを選ぶように強要されたメリッサが、ここでようやく青ざめた顔を上げる。
「わ、わたくしは……」
「なんだ、聞こえない。はっきりと、ここにいる全員に聞こえるように謝罪しろ」
真っ青な顔で震えるメリッサに、さらにわざと怯えさせるような声が浴びせられた瞬間、ヘンドリックの堪忍袋の緒がブチンと切れた音がした。
「国外追放だ」
ここにいる全員に聞こえたであろう、よく通るその声はヘンドリックのものだ。国も物語も違うかもしれないけれど、彼もまた王子である。声は響くし、一声発すれば途端に光を帯びたように輝く。
たぶんヘンドリックは「スポットライト」っていうスキルをもっている。
効果は一定時間人々の視線を自分に向けることができる、とかだ。
俺たちの国にもこの国にも魔法は存在しないが。
ヘンドリックが動くと道を空けるようにさっと人が避けていく。彼はその道を進み、メリッサの近くまで向かった。ついでに俺もスポットライトが当たらないギリギリのラインでいそいそとついていく。
「なんだ?」
と、ヘンドリックの堂々たる登場を見た王太子が呟いた。
おお、さすがに「誰だ」とは聞かなかったか。聞かれたら「第二王子殿下である!」と印籠ならぬ国家紋章でも見せつけなければいけないかと思ったけれど、俺にそんな心の強さはない。覚えていてくれて助かった。
なお、王太子とは何度も食事をしていて、ヘンドリックはボソッと「あいつ嫌い」と言っていた。それはそうだろう。溺愛王子と浮気王子、根本的に話が合うわけがない。
ヘンドリックは王太子の声を無視して、自ら膝をつき、メリッサに目線を合わせた。
「メリッサ嬢、国外追放を選んでください。我がグリンデル王国は貴女を歓迎します」
「……え?」
メリッサが困惑の顔をする。
彼女が答える前に怒声を発したのは王太子だった。
「勝手なことを言うな!」
「勝手なことを言っているのはどっちだ?」
ヘンドリックは立ち上がって王太子と向かい合った。声色は静かだ。ただしそこにはとてつもない怒りがこもっている。
その熱と冷気を同時に感じて、背筋がゾクッとした。
ああ、この王太子はヘンドリックを怒らせてしまった。覚醒させてさせてしまった。
これはもう駄目だ。俺たちがこの国に来た意味、国家間の友好はもろくも崩れ去ろうとしている。
あぁ……、と空を仰いだが、見えたのは天井のシャンデリア。この状況を楽しむかのように、無駄にキラキラしている。
こうなったらもう俺の進む道はただ一つ。我が主を徹底的に応援するのみだ。
心の中でだけ、ヘンドリックに声援を送る。
いいぞいいぞ、いっけえぇぇぇー! 言ってしまえ、やってしまえ! けちょんけちょんに言い負かしてやるのだああぁ!!
要するに、俺も相当腹に据えかねていたのだ。この王太子、ムカつく。
でも俺はやりあう強さとかないから、ほら、身分も違うし。ヘンドリックの見せ場なはずだから、ここ。静かに応援してる。
「まず聞きたいのだが、なぜメリッサ嬢はこのようなパーティーで衆目がある中、王太子という立場のあなたから婚約を一方的に破棄されている?」
「聞いていただろう? この女がエルセを虐めたからだ」
「虐めた、か。女性一人に対し数人の男が睨みを利かせ、寄ってたかって見せしめのように大勢の前で辱めているこの状況のほうが、よほどひどい虐めだと思うが?」
冷静に突っ込まれ、王太子が一瞬顔を赤くする。
「これは虐めではない! この女の罪を明らかにしようとしているだけだ」
「それならなにも、この場でなくてもいいだろう。あなたが出る幕でもない」
「俺が言わなければ、この女は身分を盾にエルセを脅して押さえつけるに決まっている」
「おかしなことを言う。今まさに身分が上のあなたがメリッサ嬢を脅して押さえつけているではないか」
そうだそうだ!
と心の中でヤジを飛ばす。
「とりあえず、あなたの言う『この女の罪』とやらの証拠を出してもらおうか」
「証拠だと?」
「そうだ。やったというなら証拠があるのだろう。まずは私物を池に沈めた、だったか。沈んでしまっているのに私物がなぜ池にあるとわかったのか謎だが」
「そ、それはわたしの目の前でメリッサ様が沈めたから……」
ハニーブロンドが口を挟むと、ヘンドリックは「君には聞いていない」とぴしゃりと切り捨てた。これはヘンドリックが正しい。この世界では発言の許可を得るでもなく、王太子と王子の会話に割り込むのは無礼だ。
「メリッサ嬢、それは事実ですか?」
メリッサに向けてヘンドリックが聞くと、彼女は首を横に振って「いいえ」と答えた。
「やっていないそうだが?」
「嘘をつくな!」
「それからあとはなんだ、ノートが破かれたとか、熱い紅茶でやけど、か。では痕を見せてもらおう。やけどの痕はなかなか消えないものだからな、証拠になる」
アンネリーゼのやけど痕を知っているヘンドリックは、本気なのかわからない痛ましい顔をして一歩エルセに近づく。彼女は半歩下がって王太子にぎゅっとしがみついた。
「見せられるわけがないだろう!」
「見せられないような場所なのか? それにも関わらず、あなたは知っているのか。それはどういうことだ?」
王太子がぐっと唇を噛む。ヘンドリックも確信していたわけではないだろうが、なにも言わないということは、本当にそういうことらしい。最低。
「最低だな」
思っていた言葉が出てしまったと慌てて口を押さえたが、どうやら俺ではなくヘンドリックがそう呟いたようだ。
「婚約者がいながら、そこのふわふわ女とそういう関係になったのか?」
否定の言葉はない。
キン、と空気が冷えた気がした。
ヘンドリックが大嫌いな奴、それは浮気男である。
数か月前にご夫人がたとお茶会をしているアンネリーゼを迎えに行ったときのこと。ヘンドリックと付き従っていた俺は、偶然会話を聞いてしまったのだ。
『アンネリーゼ様は殿下にそれはそれは愛されていらっしゃって、羨ましいこと』
『でも、男の人って心変わりするものなのでしょう? 今はわたくしを想ってくださっていますけれど、いつまでだろうと思うと不安なのです』
ヘンドリックは飛び出していって、心変わりなどありえないと彼女にすがっていたし、実際ないだろう。だけどそう思われていたことがだいぶショックだったようで、その時以来、愛人持ちの男や浮気男には容赦がない。
そうは言っても、政略結婚の夫妻が義務を果たした後にお互いに了承の上で恋愛を楽しんでいるのならば、軽蔑はするけれど文句は言わない。ヘンドリックが許せないのは、女性には貞淑を求めるくせに自分は相手を蔑ろにするクズである。
「信じられない。婚約者がいるのに浮気するなど……」
なにせヘンドリック、七歳の頃に数日会っただけの初恋の君を十年以上思い続けた、超一途王子である。浮気そのものが理解できないに違いない。
「お前のような奴がいるから、男はみんな浮気をするのだと思われてしまう」
あ、やばい。ヘンドリックの目が座っている。
「お前らのせいで、男というだけで浮気すると決めつけられ、なんなら男は女なら誰とでも関係をもつ汚らわしいクソだと思われている。そうでない男まで同類扱いされる!」
殿下、アンネリーゼはたぶん、そこまでは思っていないと思います。
「浮気男など滅びるがいい」
だいぶ私怨が入り、魔王のようなことを言い出した。静かな怒声に周りが凍っていく。室温は氷点下に入りました。
もっと言ってやれという気持ちがないわけではないけれど、ここは軌道修正が必要だろう。俺はこう見えてできる側近なのである。
「殿下、話が逸れてます」
小声で囁くと、ヘンドリックは細く息を吐いてから、何事もなかったように続けた。
「とにかく、現時点で証拠が見えないが、どちらに?」
「しょ、証拠だと? エルセがそう言うのだから、この女がやったに決まっている」
「まさかそこのふわふわ頭が言った、というだけで信じたのか? 証拠もなく?」
ハッとヘンドリックは鼻で笑った。
王太子が浮気男だと確信してから、もはや見下す雰囲気が隠せていない。王太子を「お前」呼びしてたし。
「信じられない。王太子ともあろうあなたが、一方の言い分だけを聞いて虐めがあったと結論付けたのか? 確たる証拠もなしに? たとえそれが愛する人の証言であっても、ありえない。それがどれほど危険なことか、理解していないのか?」
俺はその発言を聞いて、目を瞬いた。あなたがそれ言っちゃいます?
ヘンドリックは基本的には公正だが、アンネリーゼが絡むとそこは著しく歪む。アンネリーゼが言ったことなら盲目的に信じるし、むしろ彼女がカラスは白いと言ったのならカラスの色が白だということにさせてやる、くらいではなかったか。
いや、いい。この状況では自分のことを棚に上げようが誰にもバレない。どうぞ続けてください。
「その様子を見たという証言もある」
「その後ろにいる取り巻き令息たちか? そちらは全員あなたの部下だろう? それが証拠になるはずがないではないか」
図星のようで、取り巻きたちがぐっと詰まった顔をする。
「メリッサ嬢はやっていないというので、私はそちらを信じることにしよう。あなたはそこの女性の言い分を根拠なく信じているようだから、これでおあいこだよな」
「嘘よ! 水をかけられたわ」
「だから君にはなにも聞いていない。口を挟まないでくれるか」
割り込んできたエルセを一刀両断する。いいぞもっとやれ。
「婚約破棄というが、国王陛下はご存知なのか?」
「この女の悪行がわかれば、父上も理解してくれる」
「知らないということか」
理解してくれる、ということは、現状で申し入れたところで相手にされないからこのような状況になっている、ということか。馬鹿だな。
「婚約を考えなおすにしろ、まずは両家に報告して相談するのが常識だと思っていたが、なぜわざわざこのようにしているのか……、あぁ、なるほど」
急に納得するような表情を見せたヘンドリックに、王太子が構えの姿勢を取った。ようやくヘンドリックの恐ろしさに気づいたのかもしれないけれど、時すでに遅し。敵に回したくない人ランキングがあったならば上位入賞間違いなしのヘンドリックを敵に回した時点で、もうこの王太子は終わっている。
「敢えてこの場でメリッサ嬢の罪を暴き、ここにいる全員を証人にする。そしてさらに私がそれを承認したとでも言えば、国王陛下も婚約破棄を認めるだろう。そういう魂胆か。つまり、私は利用されたわけだ」
「そんなことは……」
「私も舐められたものだな。まさか理不尽な婚約破棄の片棒を担がされそうになっていたとは。私は断じてそれに加担するつもりはない!」
ヘンドリックは王太子と取り巻きたちを視線で半凍りくらいにすると、メリッサに向き直り、ふたたび膝をついて目線を合わせた。室温は氷点下に感じられるけれど、ヘンドリックとメリッサの二人だけを見ると、なんともいい雰囲気である。まるでこれから求婚するかのような……。
スポットライトは全開だ。
「メリッサ嬢、私の手を取れ」
おーいおいおい、まてまてまて!
アンネリーゼがこの状況を見たら、不安になるんじゃない?
震えているメリッサを安心させようとしているだけだと、俺はわかるけどさ。浮気絶拒のヘンドリックが、まさか心動かされているわけじゃないとは知っているけどさ。
え、そうだよね……?
「こちらでの待遇は保証する。不遇な暮らしはさせないと約束しよう。だから貴女の能力を我が国のために使ってほしい」
「それは困る!」
待ったをかけたのは王太子だった。
ヘンドリックは首だけを回して王太子を見上げる。
「なにが困るんだ? 国外追放だと言ったのはそっちだろう」
「その女の能力はティール王国のため使うべきだ。謝れば許すと、そう言ったではないか」
「まさか婚約は破棄しておいて、彼女がもし謝罪したら慈悲を与えるかのように許し、仕事だけはこのまま続けてもらおうとでもいうのか?」
たしかにあの王太子ではいずれなにかやらかしそうだし、ハニーブロンドに王妃が務まるとは全く思えない。裏で自分たちの仕事をやらせてしまおう、というのはよくある展開にも思える。
「違うなら違うとはっきり言ったらどうだ」
「ち、違う」
「ならば問題ないだろう。王太子に婚約破棄された令嬢がこの国で幸せになれるはずがない。彼女にとってもこの国から離れるのが最善のはず。それに、選ばせると言ったのはあなただ」
「それは……」
「王太子であるならば、発した言葉の重みは理解しているはずだ。そのあなたが選べと言ったのだから、メリッサ嬢には選ぶ権利がある。ここにいる全ての者が証人だ」
ヘンドリックはメリッサに手を取らせ、立ち上がらせる。
そして全体を見回してから、メリッサに答えを促した。彼女はいまだに青い顔をしながらもしっかりと王太子を見つめ、宣言した。
「わたくしは、国外追放を選びます」
ブラボー!!
俺は一人、心の中で拍手喝采した。イメージでは紙吹雪も舞っている。
だけど、俺の心の中だけじゃなかったらしい。どこからともなく歓声と拍手が湧いている。
少し静まった絶妙なタイミングでヘンドリックの声が響いた。
「女性一人に罪を負わせ、このような場で辱めた上で婚約破棄を言い渡すのがこの国のやり方ならば、我が国は友好を考え直さなければならない。この件は私の父上、兄上、それからティール王国の国王陛下にもしっかりと報告させてもらう」
それでは失礼する。
そう宣言するとヘンドリックは王太子に背を向け、メリッサをスマートにエスコートして出口に向かった。
俺は悔しそうな顔の王太子と取り巻きたちを心の中で、やーいやーい、うちの王子に勝てると思うなよ馬鹿、と嘲笑し、観衆のどよめきと称賛を聞いて鼻を高くしながら、いそいそとヘンドリックたちに続いたのだった。
◇
こうして断罪劇は幕を閉じたが、その後、思わぬ展開が俺を待っていた。
パーティー会場を後にした俺は、メリッサと共に馬車で彼女の家である公爵家に向かっていた。彼女をグリンデル王国に連れて行くことは決まったが、公爵家に事情の説明をしなければならないこと、それからメリッサにも荷物や準備があるからだ。
ヘンドリックは国王のところへ苦情と説明に行っている。代わりに俺が公爵家を任されたのだ。
「あの、この状況は落ち着かないとは思いますが、しばらくの間お許しください。ヘンドリック殿下からくれぐれも丁重にと言われていますし、外には護衛もおりますから」
婚約破棄されたばかりで男と二人になるのは嫌だろうが、あいにくこの国に王子と共に来ているのは男ばかりで女性がいない。メリッサを一人にするわけにもいかず、見張り兼護衛として俺が一緒に乗っている。
「この国と違うところはあるでしょうけれど、グリンデル王国でのメリッサ様の身の安全は保証します。決して悪いようにはなりませんから、どうかご安心ください」
静かにしているべきなのか迷ったけれど、まだ青い顔の彼女を少しは安心させたくて、なんとか言葉を紡ぐ。
顔を上げたメリッサと一瞬だけ目が合う。紫の瞳が綺麗だと思った。きっとメリッサは、なんだかわからないけれどこちらの物語のヒロインだろう。
だけどその視線はすぐに逸らされ、混乱しているのか安定しない。
彼女は戸惑いの表情を隠せないまま、ボソッと呟いた。
『どうなってるの?』
…………え。
それは、こちらの世界では聞くことのなかった音の並び。
「今、なんと?」
「え?」
「今、なんて言いましたか? もう一度言ってください!」
「な、なんのことでしょう?」
彼女が困惑状態であることを忘れ、ガシッと手を掴んだ。ビクッと彼女の体が揺れたのを感じ、ハッとしてすぐに離す。
「すみません。でも」
ごくりと唾をのむ。そして、同じように音を紡いだ。
『俺がなにを言っているか、わかりますか?』
それは前世で使っていた言葉。こちらに来てから発していなかった音の並びはどこか発音しにくくて、勉強中の外国人が話したときのような片言感があった。だけど通じたようで、彼女の目はみるみる丸くなる。
「まさか」
そう呟いたのがどちらなのか、もうわからない。
しばらく見つめ合ったあと、先に口を開いたのはメリッサだった。
「転生者、なのですね?」
「そうです」
「この世界には、他にも転生者が?」
「俺が会ったのは、あなたが初めてです。だから驚いていて。あ、えっと、俺が記憶を得たのは六年くらい前で、グリンデル王国は小説の中の世界でした。それで、ええっと、なにから話したらいいんだろ」
俺も戸惑いを隠せなくなって、ぼりぼりと頭を掻く。
「六年前で、小説の中……」
「はい」
「ここも、小説の中……」
「そうだと思います。思い当たる物語はありますか? 俺はけっこう詳しいほうだとは思うんですが、どれだかわからなくて」
メリッサは考える姿勢を見せて、バッと顔を上げた。
「理解してくださっているなら話が早い。お願いです、公爵家には行かないで」
「はい?」
「ここは、『断罪された悪役令嬢はスローライフを満喫する~前世を思い出したのは断罪後でした。今さら「やっぱり君がよかった」と言われてももう遅い~』の世界で、わたくしはその主人公です」
今度は俺が目を丸くする番だった。
「そ、その長いタイトル、よく覚えてましたね?」
「作者ですから」
「ええぇっ!?」
「でも隣国王子に助けられる展開はなかった……」
驚きすぎて、そこじゃないだろ、という返しをしたら、さらに驚くべき反応が返ってきた。作者でしたか、あなた……。
「ということは、さっき記憶を得たばかりということですか?」
「そうです。断罪中に」
「よく意識を失いませんでしたね。俺は倒れましたよ」
「そうなる寸前でした。だから正直、混乱していたのと意識を保つことに必死で、あの王太子が言うことをあまり聞いていなかった……。あ、でもなにを言ったかはだいたいわかります。私が書いたので」
それからヘンドリックが出てきて、予定にない展開にさらに混乱して今に至る、と彼女は説明した。
「とにかく、お願いです。このまま国外に連れ出してください。公爵家に戻ったら父に殴られて監禁された上で修道院に送られ、ようやくスローライフ楽しんでいると、今度はあの馬鹿王太子が戻ってこいと迫ってきて……っていうストーリーなんです」
「それはまたすごい」
「最終的にはハッピーエンドだけどそこまでが長すぎる! 絶対無理!」
どうやらあの断罪劇で終了ではなく、本来なら第二弾があるらしい。
「そのストーリー作ったのあなたなんですよね?」
「だってまさか自分が体験するとは思わないじゃないですか」
「それは完全に同意」
俺は取り急ぎ御者に行先変更を伝え、そのまま国境に向かってもらった。同時に伝令を走らせ、ヘンドリックに事情を伝える。
「いいのですか? おそらく貴女はここでのヒロインなんでしょう。ということはめぐり合うヒーローがどこかにいるのでは?」
「それはそうなんですが、まだ作成途中で誰をヒーローにするか悩んでいたんです。しかも私が描くキャラって全員なんていうかクセがあって、ええと、うん、いいです、全然大丈夫、このまま国外へお願いします」
目を逸らしながらそう言うので、なんとなく察した。きっとこのまま連れ出しても大丈夫だろう。俺たちは最速でグリンデル王国へ向かった。
◇
二つの物語が終わったその後を、少しだけ話したいと思う。
俺たちは無事にグリンデル王国に入り、メリッサはひとまず王宮で保護された。それから彼女はヘンドリックと俺の伝手で形だけ子爵家の養女となり、アンネリーゼの侍女兼文官となった。
アンネリーゼとはすぐに打ち解けたようで、メリッサは「ヒロイン、マジ可愛い」と言っていた。あなたもヒロインですよね、と思った。
予想通りティール王国ではメリッサが王太子の執務を肩代わりしていたらしく、彼女が表に出なかったのもそのせいで、かなり忙しい日々を送っていたという。メリッサを失った王太子は仕事もこなせず評判は目に見えて墜落、王位継承権を剥奪されたそうだ。その取り巻きも爵位継承からそれぞれ外され、エルセは修道院に行ったと風の噂で聞いた。メリッサの実家の公爵家は白い目で見られるようになり、早々に当主は交代したらしい。
「この末路は予定通り?」
メリッサにそう聞いてみたけれど、はっきりとした答えは返ってこなかった。だけど納得はしているらしい。
「まだそこまで書いていなかったからなんとも言えないけれど、本当はもう少し厳しいざまぁの予定だったの。第二弾がある予定だったから。だけどこの世界では今が現実で、わたくしが逃げたから第二弾はなかった」
「そうだな」
「実力のない彼らが這い上がることはきっとできないでしょう。それで充分。複雑な気持ちではあるけれど、もうティール王国にこだわるのはやめて、今を生きたいの」
「そうか」
同じ王子夫妻に仕える仕事仲間として接点が多く、そして転生者同士という特殊な共通点があった俺とメリッサは、いつの間にか意気投合し、二人で過ごすことも多くなった。
そしてヘンドリックに「お前がいらないって言うなら、他の奴に嫁がせるぞ?」と挑発されてプロポーズを決意。
「ここが現実なのかわからなくなる感覚も、自分が自分じゃないような気がすることも、そもそも自分は一体誰なんだろうと思うことも、実際自分は今何歳なんだろうとか考えちゃうことも……」
「わかりすぎるわ」
「こんなにわかり合えるのはメリッサ、君しかいないんだ」
「完全に同意するけど、そんな悲壮感漂わせて言わないでくれない?」
「どうか結婚してください」
彼女は「そのプロポーズじゃ小説の参考にならないじゃない」と文句を言ってから、笑って頷き、俺に飛び込んできた。
俺の妻となったメリッサは、自身の経験とアンネリーゼへの取材により生まれた物語を本にして大ヒット。それから俺たちは作家と編集者として活躍中だ。
ヘンドリックとアンネリーゼを題材にした小説は人気だけれど、今の二人はもうイチャイチャしかしない。幸せそうでなによりだが物語としては面白みに欠けるので、たぶん続刊はないだろう。
ティール王国でのメリッサを題材にした話も人気だが、こちらもまた、たぶん続刊はない。現実ではそれが幸せだ。
こちらの世界で人気作家となった彼女の悩みは「虐げられ成分が足りない」「ざまぁが足りない」と言われてしまうことだそうだ。
「だってもしこれが現実になったら無理って思っちゃうのよ」
「わかりすぎる」
そんな妻に俺は「冒険ものとか書かない?」と勧めている。
俺・ヨハン
ヘンドリックを溺愛系執着王子などと言っているが、周りからはよく似た主従だと思われている。転生?世界で人生一周したのちに元の世界に戻ってくる。速攻でこちらの世界のメリッサを探す。
メリッサ
同じく人生一周したのちに元の世界に戻る。パソコンを前に気を失っていた(寝落ち?)ことが発覚。ぜったいに俺が押しかけてくるとわかっていたので、取り急ぎカップラーメンの汁を捨てて見られたらまずいポスターを剥がす。原稿書かなきゃと思うと掃除がはかどるタイプ。
編集長
「現場を見ろ」などと無茶を言った結果、部下が原稿に吸い込まれるように消えてしまい腰を抜かす。周りに聞くも「昼休憩じゃないですか?」と相手にしてもらえず約一時間慌てふためいた結果、別人のような雰囲気をまとった部下が急に現れてふたたび腰を抜かす。とうとう魔法が使えるようになってしまったらしいと帰宅後にそれっぽい呪文を唱えたりしてみるが、当然なにも起きず、飼い猫ミケに「んなぁー(変なこと言ってないでごはんよこせ)」と鳴かれる。実はミケは使い魔なんじゃないかと疑っている(違う)。
読んでくださりありがとうございました!




