60 風見祭り1日目
宿の扉を開けた瞬間、音が多いな、と思った。
昨日までより、人の声が重なっている。
笑い声もあれば、呼びかける声もあって、足音が途切れない。
まだ昼なのに、街全体が起きている感じがした。
「……あ、もう始まってる感じだ」
小さく言うと、ジークが隣で頷いた。
「ええ。祭りの一日目ですね」
外に出ると、空気の密度が違う。
同じ通りのはずなのに、歩いている人の数が明らかに増えている。
昨日まで仮止めだった布は、きちんと結ばれていた。
色も揃っていて、風が吹くたびに同じ方向に揺れる。
それだけで、通りの印象が変わるのは不思議だ。
「へぇ……ちゃんと変わるんだ」
自分でも、少し感心したような声が出た。
キースは何も言わず、自然に一歩前に出る。
人の流れに逆らわず、でも飲み込まれない位置取り。
ジークはその少し後ろで、周囲を見ている。
「離れないでくださいね」
「うん、分かった」
フローラは私の肩で、きょろきょろと街を見回している。
布が揺れるのが気になるのか、風に合わせてふわっと浮きかけては、また戻ってきた。
通りを進むにつれて、屋台が目に入るようになる。
食べ物の匂い。甘い匂い。香ばしい匂い。
呼び込みは控えめだけど、準備は整っている感じだ。
子どもっぽいNPCが走り回っていたり、
観光気分なのか、立ち止まって写真を撮っているプレイヤーもいる。
「ふーん……お祭りって、こんな感じなんだ」
もっと騒がしいのを想像していたけど、まだ余裕がある。
人は多いけど、押し合うほどじゃない。
歩いていると、視線を感じることが増えた。
正面から、横から、すれ違いざまに。
露骨じゃないけど、確実に向けられている。
「……見られてるね」
小さく言うと、ジークが苦笑する。
「今日は特に、でしょうね」
キースはそれには触れず、短く言った。
「止まる時は言え」
「はーい」
言われる前に止まることは、たぶんない。
今はただ、流れに乗って歩いているだけだった。
人混みを抜けて、少しだけ外れた場所に出ると、風が通った。
音が一段落して、空気が軽くなる。
「あ、ここ落ち着く」
思ったまま口にすると、フローラが「りぃ」と小さく鳴いて、膝の上に降りてきた。
ジークは周囲を確認してから、言う。
「人は、これからさらに増えます。長居は避けた方がいいでしょう」
「うん。ほどほどにする」
キースは通りの方を一度だけ見て、視線を戻した。
「用事は分けろ。一気に動くな」
「分かった」
全部回ろうとは、最初から思っていない。
今日は、雰囲気を見るだけでいい。
戻る途中、服屋の前が少し騒がしいのが見えた。
衛兵詰所の方も、人の出入りが多い。
あちこちで、何かが動いている気配だけがある。
「……なんか、色々ありそう」
フローラが肩に戻り、くるりと一回転した。
街を一度、見渡す。
布が揺れて、人が行き交って、声が重なる。
昨日とは、確かに違う。
でも、まだ手が届く距離だ。
「……まぁ、今日は様子見でいいかな」
全部を見るのは、また今度。
そう思いながら、私はゆっくりと歩き続けた。
風見祭りは、始まったばかりだった。




