59 祭りの前日の空気
丘陵を離れて歩き始めると、背中に残っていた静けさが、少しずつ剥がれていくのが分かった。
風の音に混じって、人の声が聞こえ始める。
金属が触れ合う乾いた音。木材を引きずる音。
意識しなくても、それらが近づいてくる。
「……戻ってきたね」
思ったままを口にすると、ジークが小さく頷いた。
「ええ。街の音です」
門が見える頃には、丘陵で感じていた静寂は、もう背後に置いてきていた。
カフレアの門前は、昼下がりの時間帯にもかかわらず、朝より人が多い。
行き交う人の歩調が揃っていない。急ぐ人もいれば、立ち止まって上を見上げる人もいる。
装飾はまだ途中だ。
柱に巻かれた布は色が揃い始めているが、結びは仮止めのまま。
屋根の縁に渡された紐も、次の作業を待っているように弛んでいる。
それでも、街の空気は確実に変わっていた。
門をくぐった瞬間、視線を感じた。
一つや二つじゃない。
通りを歩くにつれて、それが増えていく。
わーー、視線が刺さるなぁ。
理由は、分かってる。
キースとジークは、目立つ。
街中でも十分すぎるほど整った容姿の上に、ここ最近の出来事が重なっている。
ネリス村での真剣勝負。
カフレアでの、衛兵NPC五十人抜き。
そしてさっきの雑談配信。
直接見ていなくても、噂は回る。
しかも、二人とも否定も誇張もせず、普段通りに歩いているから余計に目を引く。
「……視線、多いですね」
ジークが小さく呟く。
「気にするな」
キースは短くそう言っただけだったが、歩く位置を自然に変え、少しだけ前に出た。
人の流れと視線を、無意識に受け流すような動き。
露店の準備をしていた商人が、手を止めてこちらを見る。
通りの端にいたプレイヤーらしき人影が、ひそひそと何か話している。
声は届かない。
けれど、好奇と探るような気配だけは、はっきりと伝わってきた。
フローラが私の肩からふわりと浮き上がり、くるりと一回転する。
「りぃ?」
「うん。人が多いね」
そう答えると、彼女は納得したように、また肩に戻った。
街の中心部へ進むにつれ、準備の音は増えていく。
布を広げる音。箱を開ける音。
まだ賑やかとは言えないけれど、落ち着きは確実に薄れていた。
「祭りが始まると、もっと歩きにくくなります」
ジークが、前を見たまま言う。
「人の流れも変わりますし、視線も今以上でしょう」
「……そうだろうね」
キースは周囲を一度だけ見回した。
「目立つ自覚は持て。無駄に絡まれる」
忠告はそれだけだった。
宿に戻ると、外の騒がしさが嘘のように和らいだ。
扉一枚で、音の質が変わる。
部屋に入って一息つく。
採取したものは、インベントリに入れてある。細かく確認するのは後でいい。
窓の外からは、準備の続く音が微かに届いてくる。
昼と夜の境目に向かって、街が落ち着かなくなっていくのが分かる。
少し考えてから、私は口を開いた。
「……明日は、祭りを見たい」
自分でも、意外なほど迷いはなかった。
ジークは一瞬だけ目を細め、柔らかく微笑むと、何も言わずに頷いた。
キースは、短く息を吐く。
「……人は増えるぞ」
それだけ。
否定はしない。
止めもしない。
私は何も答えず、ただその言葉を受け取った。
分かっている。
それでも、見てみたいと思った。
窓の外では、まだ準備が続いている。
派手になるのは、きっと明日から。
今日は、その前触れだけ。
街は、確実に動き始めていた。




