58 丘陵の静かな時間
カフレアの門を抜けて少し歩くと、街の音は驚くほど早く遠ざかった。
背後では人の声や荷車の軋む音がまだ微かに残っているのに、正面に広がる丘陵は、それらを受け付けないように静かだった。
緩やかな起伏が続く草地。ところどころに顔を出す岩場と、低く広がる灌木。
風が通り抜けるたび、草が一斉に揺れて、さわり、と音を立てる。
「……本当に、空気が違うね」
思ったままを口にすると、ジークが頷いた。
「街の外は、いつもこうです。人の都合とは無関係に、時間が流れています」
キースは返事をせず、少し先で足を止め、丘の稜線と周囲を見渡していた。
視線は低く、けれど広い。敵を探すというより、地形そのものを頭に入れているように見える。
「この辺りは見通しがいい。採取向きだ」
短く、結論だけを告げる。
私は足元の草に視線を落とした。
街道沿いとは違い、踏み荒らされた形跡が少ない。葉の縁も欠けていないし、根元の土も柔らかそうだ。
「……確かに。質は悪くなさそう」
フローラが肩からふわりと飛び立ち、私の前をゆっくりと進む。
風に乗るように上下しながら、時折くるりと回る。
「りぃ」
「うん。好きに見てきて」
そう言うと、彼女は嬉しそうに少し速度を上げた。
キースは丘の斜面に向かって歩き出し、ジークはその少し後ろで周囲を警戒する位置につく。
自然と役割が分かれているのが分かる。
私はしゃがみ込み、草の根元を確かめた。
葉の色は濃く、張りがある。乾きすぎてもいない。
「この辺りは……日照と風のバランスがいいんだろうね」
独り言のように呟きながら、丁寧に摘み取る。
数は多くないけれど、状態は良い。
“当たり”というほどではないが、外れでもない。
少し離れた場所で、キースが岩場の陰を覗き込んでいた。
「乾いた斜面の裏に、別の種類がある」
「行けそう?」
「問題ない」
ジークが一歩前に出て、周囲を見回す。
「視界も通っています。こちらからも把握できます」
私は頷き、岩場へ向かった。
岩の影はひんやりとしていて、風の流れがわずかに変わる。
そこには、丈の低い植物が群生していた。葉は細く、触れるとわずかに香りが立つ。
「……風寄り、かな」
キースが肯定も否定もせず、短く言う。
「加工向きだ」
それだけで十分だった。
採取を続けていると、フローラが急に動きを止めた。
空中でふわりと静止し、首を傾げる。
「り……?」
同時に、風向きが変わる。
草の揺れ方が、さっきとは違う。
キースが顔を上げた。
「……動きがある」
ジークが即座に一歩前に出るが、剣には手をかけない。
数秒。
遠くで、何かが草を分けて移動する気配がしたが、こちらに向かってくる様子はない。
やがて、風は元に戻った。
「……大丈夫そうですね」
ジークがそう判断すると、キースもそれ以上追わなかった。
「無理に追う理由はない」
「うん」
私も採取の手を止めなかった。
こういう判断ができるのは、助かる。
しばらくして、岩陰で小休止を取ることにした。
座ると、風が心地よく背中を撫でる。
フローラは私の膝の上に降り、満足そうに揺れている。
「りぃー」
「楽しいなら、それでいいよ」
ジークが遠くの丘を眺めながら言った。
「祭りが始まると、この辺りも人が増えます」
「そうだろうね」
「今は、いいタイミングでした」
キースは立ち上がり、周囲を一度だけ見回した。
「今日は十分だ。戻るか、もう少し奥を見るか」
私は丘陵の先を見た。
緩やかな起伏の向こうに、まだ静かな世界が続いている。
「……今日は、この辺まででいいかな」
無理をする日じゃない。
確認できたことは多いし、街に戻ればやることもある。
キースは何も言わずに頷き、ジークも異論はなさそうだった。
帰路につきながら、振り返る。
草は変わらず揺れ、風は一定の速さで流れている。
何も起きなかった。
それが、今日の収穫だった。
祭りは、まだ先。
今はただ、この静けさを覚えておけばいい。
そう思いながら、私はゆっくりと歩き続けた。




