幕間:ベルティナの休日
辺境の空は澄み渡り、久々に穏やかな風が城を撫でていた。
影喰いの拠点を潰してから数日。戦場の緊張が解け、束の間の平和が訪れている。
――だからこそ、俺はメイド長リュシアの一言に違和感を覚えた。
「ベルティナの様子を、見に行っていただけますか」
「様子?」
「ええ。ここ数日、部屋から出てきません。報告は滞りなく届いていますが……」
「……仕事はしてるのか?」
「仕事は完璧です。ただ――」
リュシアは一拍置き、言葉を選んだ。
「――生活が完璧とは限りません」
俺は嫌な予感を抱えながら、ベルティナの部屋の前に立っていた。
扉をノックする。
「ベルティナ、俺だ」
しばしの沈黙。そして、くぐもった声が返る。
「……アルノ様? ちょっと待って……片付けるから」
片付ける? そう聞いた時点で嫌な予感は確信に変わった。
数十秒後、鍵が外れる音。
扉が開いた瞬間、酒と果実の香りが鼻を突いた。
「――これは……」
思わず言葉を失う。
部屋は広く豪奢だが、床には酒瓶が散乱し、テーブルには食べかけのチーズと干し肉、そしてカードゲームらしき札が放置されていた。
ソファには、ゆるいルームウェア姿のベルティナが腰を下ろしていた。
深い藍色のゆるニットが肩からずり落ち、視線を誘う白い肌が覗く。
髪は無造作にまとめられ、紫の瞳はとろんとした光を湛えていた。
「……お仕事じゃないのに、どうしてそんな顔するの?」
彼女はグラスをくるくる回しながら、上目遣いで笑った。
「お前……酔ってるのか」
「ちょっとだけ。ほら、久しぶりの休日だもの。好きにさせてよ」
頬杖をついた彼女の仕草には、戦場で見せる冷徹さの欠片もない。
「……だらしないな」
「ひどい」
ベルティナは膨れっ面をしながらも、立ち上がってふらりと歩み寄る。
そして、何のためらいもなく俺の肩に腕を回した。
「アルノ様って、意外と甘えさせてくれないのね」
「仕事中は甘やかさない」
「じゃあ今は? 休日でしょ?」
紫の瞳が近づき、吐息が首筋を撫でる。
その距離に、心臓が妙にうるさく鳴った。
「……ベルティナ」
「何?」
「服、ずれてる」
「わざとよ」
「……」
俺が言葉を失った瞬間――。
バンッ!
扉が乱暴に開いた。
「アルノ様!? 報告が――……え?」
固まる声の主は、リュシアだった。
その後ろには、なぜかメイド隊の面々。ミリア、ノエル、セレナまで揃っている。
そして、彼女たちの視線が一斉に俺とベルティナに注がれる。
……ベルティナが俺の肩に抱きついている、その状態で。
「ち、違うぞ」
俺は即座に否定した。
「ベルティナが勝手に――」
「あら、アルノ様。そんな言い方、酷いわ」
わざとらしくしょんぼりしたベルティナの声に、周囲の殺気が跳ね上がる。
「ベルティナさん……説明を」
リュシアの声が氷のように冷たい。
「説明? 休日にお酒を楽しんで、好きな人に甘えただけよ」
「「「好きな人!?」」」
メイド隊のハモり声が響く。
ノエルが拳を鳴らし、セレナが銃の安全装置を外す音がした。
「ちょっと待て!」
俺は両手を上げて後退する。
「仕事の話に来ただけだ!」
「そう? 私はちゃんと答えたわよ。“全部あげたい”って」
「言ってない!」
カオスな修羅場に、俺の理性は限界を迎えかけていた。
そんな空気を切り裂いたのは、ベルティナの次の一言だ。
「――でもね、皆。遊んでる場合じゃないの」
彼女の紫の瞳が、一瞬で冷徹な光を帯びた。
「影喰いが動いた。炎蓮国と繋がってる確証を、今手に入れたわ」
室内の温度が、凍りついたように下がる。
「……詳しく聞かせろ」
俺が言うと、ベルティナはソファに腰を下ろし、足を組み直した。
さっきまでの甘ったるい雰囲気は消え、そこにいたのは“諜報の女王”だった。
「王都方面で影喰いの密使が捕まった。そいつが持っていた暗号、解読したわ」
「内容は?」
「――“焔の盟約、東にて結ぶ”。炎蓮国と手を組み、大規模な動きを仕掛けるつもり」
リュシアの表情が険しくなる。
「戦争の火種……」
俺は息を吐き、剣を握る手に力を込めた。
休息は終わりだ。
ベルティナが微笑みながら、ふと小声で囁いた。
「ねえ、アルノ様」
「なんだ」
「今度のご褒美、期待してて」
「……」
彼女の声は、甘く、そしてどこか獰猛だった。




