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梅雨の紫陽花園

作者: Dr.フロム

 蝉が、いつミンミンと泣き始めても可笑しくない。夏の訪れを、顔をしかめる暑さと共にヒシヒシと感じ始めている今日この頃は、しかし、梅雨も明けていない日頃である。

 今年の梅雨は、六月の時期にあった。

 私が生まれてから片時も、地球温暖化の報が止まった試しがない。夏が来るたび、今年の夏はまたと嘆き、地球温暖化の悪辣なところを、人類悪と紐づけて語られる仕来りがあったものだ。梅雨は、いわばその前座であり、今年もまた六月は梅雨じゃなかったと、友達と一緒に囃し立てたものである。六月に雨が降らなければ、梅雨というやつはいなくなったのだと笑い、五月に雨が降り始めれば、あわてんぼうの梅雨が来たと笑う。しかし、どうも今年に限っては、律儀に六月の始まりで陣取りやがった。これでは文句が付けられない。それでも、六月の中頃、梅雨が明けるという知らせがあれば、文句のつけようがあるというものだった。夏が来たと、そういう文句だ。

 こう、梅雨について綴ってみたものの、私は実をいうと梅雨が好きだ。雨が好きなのだ。別に、梅雨を待ちわびるほどではないが、年が暮れて、梅雨が来てみればホウと息を吐いてしまう程度の関心具合だ。雨がガレージを叩く音を、窓の越しから聞いているのである。また、雨が地面を冷ますさまを、蚊帳をつけた大窓を開けて感じるのである。窓隙間から、涼やかな風が入れば、私はふと、悦に入るよう目を閉じてしまう。結局のところ、まだ学生の身分である私にとって、地球温暖化の何が嫌いかというと、温暖の差であり、暑いとか寒いとか、そのくらいの悪感情に留まる。気温がまだ顕著でない梅雨の訪れは、私に言わせれば日本の原風景の訪れでもあるのだ。大きな葉皿から、小さな雫がポツポツとこぼれ落ちる様こそ、はるか昔から変わることのない不変の景色である。私は憎まれ口を叩いてみれども、その内心、梅雨を歓迎していた。天邪鬼である。

 それでも、結局、私にとって二十余年の歳月を以って、梅雨とは前座に過ぎないのだ。あるいは付属品だ。雨なくしては梅雨ではないし、夏なくしては梅雨でもないのだ。梅雨らしく梅雨ゆえに梅雨と呼べるものを、私は知らない。

 今朝は、日照り始めると、次第に夏の太陽を感じた。講義室に入ればいの一番に、「暑いねぇ」とぼやき、やはり「夏だね」と返って来た。「もう梅雨明けだなぁ」といわれれば、「いや、夏はまだ言い過ぎだろう」と返す。友達同士で顔を見合い、「ニュースで言っていたよ」と告げられれば、私は驚嘆の顔をした。

 今年もどうやら、梅雨を知らぬまま時過ぎるらしい。悲しいという気持ちすらない。このままでは、きっと、一生知らないままだろうが、きっと私の人生に影響を及ぼさないだろうと、そんな確信があった。むろん些細なことだ。

 会話は雪崩れていく。「今週はオリックス戦がみられないから、生きている意味がない」とか。「課題の紙に、なんとか答えらしいものを書かなければいけない」とか。「阪神が先週は全敗していて悲しいだ」とか。何とか。

「この休みは何をしていたの?」

 いつの間にか、隣に座っていた友人に、そんなことを聞かれた。ふと、思い返して、何もやっていないことを思い出す。せいぜい、一時間くらいの出来事を、さも土日祝日の全行程であったかのように、語る。

「友達がsteamで送ってきたゴッドイーターを一緒にプレイしてたよ。久しぶりに、がっつりゲームをしてた」

「へえ、ゴッドイーター。聞いたことがあるな。友達とってことは、マルチがあるのか。そのゲームは、どんなマルチ要素があるの?」

「んっとね、ストーリーが出来るんだよ」

「マルチで?」

「マルチで。珍しいよね。友くんは何をしていたの?」

「俺は、バイトだな。物流センターでずっと働いてたよ」

「うわっ、エラっ!」

 なんて、くだらない会話をしていた。

 次第、他の友人が集まってくると、授業が始まり、そして終わる。たった九十分の授業は、いつものことだから、あっという間に終わっていく。時間の浪費の繰り返して、こうして六月の中頃になっており、いつの間にか七月になり、そして一年も終わっているのだろうと思えば、少々と怖さばかりが思えてくる。

 よし帰ろう。さあ帰ろう、としているところ。また別な友達の一団が話し込んでおり、私は何となく輪に入ってみると、思い立ったよう、女性の友達から私に、話題が振られた。

「君だったら、こういうの好きなんじゃないの?」

「ん?なに、どんなの?」

「紫陽花園」

 おや、私はいったいどのようなキャラと思われているのだろうかと振り返ってみれば、しかし、意外と花園に行ったとか行ってないとか、そんな話を良くしていたことを思い出した。花好きと思われるも、仕方のないことかと思い、私は想ってもいない言葉を返した。

「いいね!紫陽花、梅雨ならではの花じゃん。近くにあるとか、そういう話?観に行くの?」

「うん、そうなの。来週の月曜日に、中学校の頃の友達と一緒にね。すっごく綺麗だと思うんだけど、みんな興味ないって言ってるのよ。調べてみて?」

 言われるまま、調べてみる。

 画像をみれば、淡い青とか赤とかの紫陽花が、階段を侵食するように横から顔を出して、階段上の寺門と共に写っていた。その葉々と花々の青々と瑞々しい景色が、どうにも梅雨らしく思えてならなかった。紫陽花、紫陽花。自分でいった言葉を反芻してみれば、梅雨といえば紫陽花なのである。雨と、夏と、そして紫陽花。

 私はどうにも、この紫陽花園を観てみたく思った。返す刀を取り返し、大学を出れば車を走らせ、その紫陽花園へと駆けていた。梅雨は明日で終わりであるそうだったから、これを逃せばきっと私は紫陽花を忘れると思ったのだ。

 車を走らせていると、方向に、分厚いどす黒い雲があった。凶兆を思わせる雲だった。自然の暴力というやつを、思い出させるような、そんな雲だった。

 あの雲の下は、雨だろうか。車を転がせば、いつの間にか雨がポツポツと降り出して、やはり雨だった。車を止め、いつからか置いていた傘を持ち上げて、空をみた。あの黒い雲が、今は私の真上にあった。

 傘は雨をはじく音がした。道を歩いて行くと、他にも似た音が紛れ始めたことに気が付いた。それは、森の音だった。雨に応えるよう、合唱をしていたのである。

 しかし、対して、紫陽花は静かに構えていた。階段を見上げると、壮観だった。雨が細かな線を空間に描きつつ、紫陽花が寺門を彩っていた。まるでハイカラな絵柄でありつつ、それでも、この空間には森と紫陽花と寺しかない。いうなれば、日本は昔の景色であった。それは正しく、日本の原風景と呼ぶにふさわしく思えたし、私は雨の冷たさに震えた。寒かったのではなく、感受したのだ。かつて、寺を開いた人も、この光景を愛したのであろう、と。

 私は、ザーザー雨が奏でるオーケストラを楽しんで、帰った。決して、その階段は登らなかった。もしかすれば、高いところに行くと、素晴らしい景色がみられるかもしれない。それでも、この梅雨を忘れがたく思ったのである。紫陽花が、梅雨の記憶であれと、願ったのである。

 かくして、私の梅雨は彩りを増した。

 きっと来年は、雨と夏と、紫陽花を思い出すだろう。梅雨と共に、人生の豊かさを心打つのだ。

 車は豪雨を突っ切る。かつて、私は父が運転する車の中でも、雨の中を走る車が好きだった。しかし、運転をし始めてみれば、分かるが、雨というのは走り辛くて仕方がない。前の景色がサッパリみえなくなる頃、私は馴染みの場所に車を止めて、しばらく雨が去るのを待つことにした。

 雨が晴れると、虹がみえた。

 私が走ってきた方向、紫陽花園の上だ。私は、科学的な事実などかなぐり捨てて、直感した。梅雨が明けたのだろう。とある年、ひとつの季節。それが終わったのだ。

 私は車を走らせた。


車を降りれば、私はいつも電車に乗る。田舎の学校は通学時間が長くていけない。毎日、そうとうな距離を移動するものである。また、私の文章も長くていけない。最近は、文豪の小説を良く読んでいるのだが、今日は太宰治の走れメロスを読んでいた。だから、きっと、影響を受けたのだろう。ここまで読んでくれた心優しい淑女諸兄は、ただひたすらに感謝の意を示したい。どうか私の感受のままの、感動できた梅雨を共有出来ていればと願う。

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