第4走 見えざる色
「お、おお……。如何にもって感じだな」
空から見れば森の中にぽっかりと空いた穴のようにも見えるんじゃないだろうか。いや、これはひょっとして、ハートの形をしているのではなかろうか。
聖域じゃあなければ、立派な観光名所となりそうな場所である。
あの獣のような視線は結局わからず、何事もなく森の奥の泉へとたどり着いてしまった。
これは帰りに何かあるフラグなのではと落ち着かないが、俺から降りたティアは満足そうに笑っている。やだ、この少女肝座りすぎい。
「真ん中の像が初代聖女さま、左が二代目、右が三代目なんだって」
「へええ、見分けがつかねぇなあ」
くりそつ三姉妹のようにも見える三体の像が泉の奥に立っていて、それぞれの手のひらから透明な水が湧き出している。
「やっぱ、こういうのは美人に限るよなあ」
ぽろりと口にしてしまった炎上案件台詞だが、大変申し訳ない、これがオーレンのような厳つい男だったら手汗にしかみえなくてつい。
イケメンなら許されるのだろうか。そういえば俺の周りには線の細い現代風イケメンは……。いやいたわ、かつて背負ってた。
ティアからの視線が突き刺さっているが、首を捻じ曲げて視線を逸らした。
「ふふっ、すごいかお!」
からからと笑うティアに、しおりと首を下げるしかできなかった。
そうだ、ここだけの話を聞いてもらえるだろうか。実は、ティアと再会してから思っていたのだが、なにかがにおうのである。いや、まて、先に言わせてくれ、違う違う、そうじゃない!
そういうのではなくて、生臭いような、そう血の匂いがするのだ。でも怪我をしているようには見えないし、それに女の子だし、などと色々考えると、俺のようなおっさんは気軽に聞けないのだ。
だれかおしえてくれないだろうか……。後学のためにも。こういうとき、男はどうすれば良い?気にしなくて良いのか?それとも軽蔑覚悟で聞いた方が良いのかあ……?
「な、なあ、ティアさんや。それでここでなにを……キャアアア!!」
にこりとわらったティアは突然自分の服に手をかけた。思わず腰を引いて、草むらに首を突っ込む。
「ねえ、さすがに傷つくのだけど」
「全年齢対象でそういうのはだめですうう」
「なによそれ、それなら設定変えれば」
「それ以上はいけない。この手の話は乗ったら終わりだよお」
がさりと音を立てて首をしまった俺を、拗ねたような声が後ろからかけられる。
やっぱりこの少女やべえやつだった。
「と、とにかく!!よくわからんが、み、水浴びだろお?
どうぞ行ってきてください!俺はこの辺を見ておくから早く、さあ!」
「もー、フィロったら。でも、人間の男よりわかってるのね」
ぼそりと何かを呟いたティアは、やがて水音を立てた。どうやら水浴びを始めたらしい。スタートダッシュで鍛えた反射神経が生きてくれたようだ。
「それにしても、きれいな水だあ」
ティアの方を見ないようにして、泉から外へと流れる水を何気なく追ってみる。おそらくだが、方向からしてニアーク王国へと流れていくのだろう。
「水かあ、そういやあ、プール訓練たのしかったなあ」
馬用の深いプールで泳いだ日々が頭をよぎった。それと同時に、死んだ目をした同僚馬を思い出す。確か彼はプールというより泳ぎが苦手で、人間に促され入りはするものの、半分溺れた状態で泳ぐから、順番待ちをしていた俺も冷や冷やしたものだ。いまでもあの会話を思い出せる。
『た、たすけ、たすけて、タスケテ』
『お、おい、大丈夫か?な、なあ川元さあん、やめてくれよお!溺れちまう!』
『どうした、エテ。仲間が心配か?
大丈夫だ。あいつはやれる馬だ』
『し、しずんでるって!ああ、なんてことだあ!』
助けようとしても周りの人間に止められるし、第一どうやって助ければ良いのか。川元さんに訴えても、腕を組んで後方から見ているだけの顔をしていた。これは無理だ。
そうして、ふがふがと浮き沈みを繰り返すその勇姿を呆然と見るしかできなかった。
「クエ? ナンダ?ナンダ?」
「アッ、」
そんなことを考えていたから、すっかり見逃してしまった。
川を挟んだ向こう岸に、草むらからにょっきりと生えた"鳥の頭"を。
「ち、チュートリアルせんせーーー!!」
「クエエエエ!!」
さすが異世界の魔物というべきか、伝えるのが難しい姿をした生き物がたくさんいる。
先生を想像しやすい動物に例えると、オウムとダチョウのキメラだろうか。
ちなみに、グリフォンのパチモンみてえな奴とオーレンは呼んでいた。
濃いピンク色のオウムの頭には扇状に小さな羽が生えている。小さな冠のようだ。
派手で華やかな上半身とは裏腹に、胸から下は黒くて固いウロコで覆われており、これまた太い二本の脚の先には鋭い爪が生えそろっている。
本当は"ダチョット"という名前がなのだが、こいつはどこにでもいて、大体のハンターや冒険者たちの最初の関門として立ち塞がるので、誰が言い出したかは知らないがチュートリアル先生というあだ名がついていた。
「こ、こいつあ、まずいですよお……!」
先生は、猪突猛進でまっすぐにしか走ってこない。だから隙をついて攻撃するのが常套手段である。だが、俺にとっては最悪の相手なのだ。なのでオーレンがいないときはいつも不意を突くという先手必勝の技で倒していたものだから、鳥類特有のぎんぎんの瞳がばっちりと俺を見ているこの状況は、最悪の二文字なのだ。
「エサダ!エサダ!ウレシイ!」
「うれしくなあい!」
いくら先生が飛べないといっても、その脚で森を流れる川なんぞ、ひとっとびで越えられる。
木を利用して旋回しようにも俺も馬であるため、そういう動きは不得手であった。
ただ速さは俺の方が早かったらしい。だがそれ故に、地獄の鬼ごっこが続くことになってしまう、かと思ったその時だ。近くで人間の気配がした。うっすらと話し声が聞こえたのだ。
「おっ!ハンターかあ?それとも冒険者かあ?
まあ戦えればどっちでも良い!両方でも良い!」
ちなみにこの世界では、魔物を狩って賞金稼ぎをする人間をハンターと呼び、未踏の場所を探索することを目的としている人間を冒険者と呼んでいるようだ。
ハンターの方が戦力は期待できるのだが、この際戦ってくれればどちらでも構わない。そう思って、声のした方へと走った。
「うふ、ねえ、ここまで来れば大丈夫よ。奥さんにも誰にも警戒することないわ」
「ああ、そうだな。全く嫌になるよ。毎日毎日怒鳴ってばかり。俺は君に会いたいのに」
「かわいそう……。ねえ、早くわかれて?
私ならそんな思いさせないわ。私もあのクソを捨てるから」
「……なあ今度俺はハンターとして長期の魔物討伐に出ようと思うんだ」
「最高じゃない。それなら私は、冒険者として長期の冒険に出る。それで良い?」
「さすが、俺の運命!よくわかってくれる……!」
人影が見えたその時である。何やら如何わしい会話を耳が拾ってしまった。
「アアアア、ハンターと冒険者のダブル不倫カップルだあ……。確かにどっちでも良いとは言ったし、両方いてくれるなら心強いけどもお……。そっちのダブルはいらなあい……。うっそだろお、ここ聖域じゃなかったのか」
旅をしていれば色々なものを見るが、こういうのも多々あった。それでも路地裏とか、そういう店が立ち並ぶ馬車とか、如何にもなところでの話だったのに。
「はあ……。平和になったものだあ。って、そんな場合じゃない!」
がっかりするだろうが、ファンタジーの世界であっても、人間の営みは色んな意味で変わりはない。だが今は考えている暇はない。今、防具を解除されては困るんだ!
「た、タスケテ……!」
「きゃああ!な、なによ……馬?それに、あれ、せ、先生、じゃない!」
「ったく、なんだよ。いいとこだったのによ」
がさがさと背の高い草をかき分けて姿を見せると、先ほどの女が甲高い声を上げた。
どうやら防具も武器も解除していなかったようだ。いろんな意味で安心した。
「じゃ、よろしくう!」
「お、おい、まてよっ!てめえ、おぼえてっ」
「クワ!」
「わあっ、」
魔物を連れてきてなんだが、倒した後の地獄の空気を想像すると、俺はいない方が良い気がした。障害があった方が愛は燃えるんだ。って、言ってたのは牡馬が大好きな、俺の馬友のとんでもない美形の牡馬である。
「あー、にげきったー!」
正確に言うと押し付けてきたのだが、まあハンターや冒険者を名乗っているのならば、先生にやられるということはないだろう。
なにもしていないけれど、俺にとって魔物とのチェイスが一番楽しい時間である。肝は冷えるが、何とも言えない爽快感で気分が良くなるのだ。
「あれえ、おっかしいぞお?」
るんるんと脚を弾ませ、川沿いの道に戻ると流れる水の色がおかしいことに気が付いた。先ほどの泉に繋がる川が、透明ではなくなったいたのだ。
そういえば、見覚えのある色だ。確かティアの服もこんな色をしていたっけか。それも一部分だけではない。川の水すべてがその色になっている。
「も、もしかして!」
俺はぴゃっと飛び上がると、泉へと走り出す。幸いにも泉からそう離れてはいなかったので、すぐに戻ることができた。だが、まだティアが服を着ていない可能性があったのでまずは遠目から様子を伺う。
「て、ティア?」
三体の聖女の像の足元はやはり色を変えていた。聖女の手から流れ落ちる水は透明なので、原因はその足元にあるらしい。
「おちないの、なんで……?」
水の音がうるさくて俺の耳でも聞こえないけど、何かを言っているようだ。
服を洗っているのか、手元がゴシゴシと動く度に水が泡立っている。
「おちない。おちないの……。
ああ、ほんと、しつこいんだから」
聖女の手から落ちる水音が俺の声も、彼女の声もかき消していく。さて困った。一応泳げばするけれど、さっきとは違ってなんだか生臭いにおいのする泉に入るのは躊躇われた。
「ティアー!風邪ひくぞお!」
躊躇ったけれど、流石にそのまま放ってはおけなくて。仕方なく泉に脚を入れると、意外と浅いことに気がつく。やだ、俺の脚ながすぎっ!なんて冗談を言えない空気がただよっていた。
「な、なあ、どうしたんだよお」
「おちないのよ、おちない。どうして?」
「ええ……」
「おちるはず、だって、わたしは、わたくしは聖女のはず、でもなんでこの服の、この体の、けがれが、おちないの……」
「け、けがれ?」
「そう、けがれ、おとさないと」
「ど、どういうことだあ……?」
「きえて、そう、きえろ……!」
「ヒエ、どうしちゃんたんだあ、ティア」
泣きながら声を震わせたティアに、そっと近付く。前脚に触れたその体は冷え切っていた。