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第1走 森へ至る道


"おれ"の世界は広くて、でも選択肢はなかった。

まだ日本で競走馬をやっていた頃の記憶を、たまに思い出す。



『ぐおおおおおっ、ぐもおおおおっ』



人間として死んで、馬として生まれて6年は経った頃だ。なんのエラーかは知らないが、記憶をそのままにして馬になったおれは苦行の真っ只中にいた。


人間として生きた中でとんでもない悪いことをした記憶もなく、もちろん警察のお世話になったこともないのに、なぜこんなにも酷いことになっているのか。神様でも仏様でもぜひお会いして問いたださせていただきたい。真っ当に生きているつもりでも空の上から見れば、そうでもなかったりするのだろうか。それはありえることである。



『ぐががががが……!』



時刻はまだ深夜であるから、人間だろうが馬であろうが睡眠はとる。だがまあ眠れない夜の小話としてちょっとばかし話を聞いてほしい。本日の議題は、隣のおっさんのおれへの仕打ちについてだ。


まずこの隣から聞こえるおっさんの寝息のような声だが、これはおっさんの寝息である。もちろん馬だ。おれより1つ上の先輩で、数多くの重賞レースに出走し、掲示板入りを重ね、なんとついにとある名のあるレースにて1着をとったのだ。

なんといってもこのおっさん、俺の腹違いの兄貴なのである。絶望。というのは冗談で、素直にすげえなと尊敬しているのだが、その反面この兄貴が走るということは、おれの引退も遠のくわけで。



『うっるせえええええ!!!』



同期の馬たちはもう数えるほどしかいなくなって、おれに残されたのはこの爆音いびきおじさん(半兄)ともう1頭であった。おれたちのようないい年したおっさんが、人間のおっさんたちにびしばし叩かれ泣きながら走るよりも、人間時代悠々自適に乗っていた車やら飛行機の荷物置き場にぎゅうぎゅうとつめられて運ばれるよりも、なによりも苦行なのがこの爆音いびきなのである。たすけて。



『……ねむい』



そうして迎える朝チュン。気持ちよく目を覚ます隣のおっさんとは裏腹に、がくりと首が下がる。地面と熱いキッスをかます直前、ぐわしと頭をつかまれた。



『川元さあん、おれもうやだあ』


「よしよし、エテ。今日も励むんだぞ」



なんともひどい会話のすれ違いである。まあ、こんな風にしわしわの皮の厚い両手でわしわしと撫でられると、なんか頑張るしかないなという気持ちになるのだけれど。

しゃんと伸びた背筋がきれいなこのじいさんは川元さんといって、おれがここに来てからずっと世話をしてくれる人である。見た目は剣道の師範といっても通用するほどの、不思議な圧がある人で、ガタイがよく筋肉質な体をしている。騎手はもちろん、調教師の先生とか、厩務員さんとかは細身の人が多いので特に目立つのだ。


ちなみに、エテというのはおれの競走馬としての名前で、こっぱずかしいのでフルネームはまだ秘密にさせてもらう。競走馬の名前なんてそんなものだとはいえ、おれの中の人間としての何かが疼き出す気持ちになるから。特にかつての右目が。



『やーーだーーーーっ!いかない!おにーちゃんを待つの。おにーーーちゃーーーん!』



用意された朝飯を頬張り、朝シャンを浴び、身なりを整える。これをすべて人の手でやってもらえるのだが、馬というのも良い身分なのかもしれない。そんなに甘い世界ではないのは、重々承知であるけれども。なんて最後の仕上げを施されて、さあいくぞと歩き出すと、ものすんごい唸り声が外から聞こえた。

人間には馬の唸り声にしか聞こえないそれも、おれたちにとっては言葉として聞こえるのだから不思議なことである。



「おーおー、お前の妹は朝から元気であるな。お前ももうちいと気合いれたらどうだ」


『となりからの爆撃に耐えきったおれにそんなこという……?』



通じない想いほど報われないものはない。しおしおと顔を下げながら外に出ると、随分上に背が伸びた白い馬がそこにいた。若い兄ちゃん3人がかりで宥めているが、一向に収まる気配がないそれは、直立不動といった体勢で3人を見下ろしていた。


わかっていると思うが、これはおれの正真正銘の妹だ。いわゆる全妹というやつである。

ただでさえデカいのに、さらに真っ白な毛色をしているがためにさらにデカくみえる馬が、背筋を真っ直ぐに伸ばして直立不動の構えを取り、白黒はっきりした輪眼で睨み付けてくるなんて、正直漏らすところであるが、さすがにもう慣れたものだ。



『朝からうるさいぞ、妹よ』


『おはよう、お兄ちゃん、おはよ!!』



やれやれと声をかけると、ギョロリとした目がおれをとらえた。そうしてやっと馬らしく四肢を地面に付けたかと思うと、前脚がガリガリと地面を削った。そうして、その白い巨体はそばにいた人間を跳ね飛ばしたのであった。


世界がスローモーションに変わり、人間が尻餅をつくのを見届けられないままに、視界が白く塗りつぶされる。ばああん、と効果音が聞こえそうなほどの立派な胸(筋)にむっきむきの盛り上がったボデーが目の前にやってきたからである。



『おいおい、かわいそうなことをするんじゃあない』


『あたし悪くないもん。あたしの邪魔をするからよ!』


『お前の艶々の毛並みも鬣も、あのおっちゃんたちがやってくれてるんだぞ。メシだってそうだ』


『ふん。あたしはジーワンバだもん。この前だってあの生意気な雌馬おんな弾き飛ばしてやったんだから!』


『あ、あまりやりすぎんなよ』


『だって、あのオンナ、お兄ちゃんに色目つかうんだもん!』


『ええ……』






はっと意識が戻った。が、また遠退きそうになる。地面までの距離がかつてないほど遠かった。

ぴょーん。と跳ね上げると、柵の上に付いていた槍状の棘の先っちょが腹を掠り、その刺激で意識を取り戻したらしい。背筋がぞぞっとしたが何とか刺さらずにすみそうだ。

ちなみに俺の目にはそんなものは見えてなかった。だから臆せず飛べたのだけど、多分、事前に見えてたら怖過ぎて飛べなかったかもしれない。



「わあ、すごい!フィロ、あなたすごいのね!」



そんな状況にも関わらず、背中のフロレンティアは歓喜の声を上げた。高く高く飛び跳ねて、着地も危ういというのに、随分と肝の据わった少女である。



「がんばれ……おれの、あし」



当然なことに着地をするまでが飛越であるのだが、数秒後俺は無事でいられるのだろうか。

近づいてくる衝撃に、ごくりと固唾を飲んだ。











「───おお、聖女の魂を受け継ぎし仔よ」



金を織り交ぜた白銀の髪は、母なる海の如く緩やかに波打つ。

イエローダイヤをそのままはめ込んだような、金色の瞳は蜂蜜のように甘く、黄昏のように仄暗い。


一段と高くそびえる城を真正面から見上げる場所にある教会は、城下町のシンボルであり、城にも見劣りしないくらい豪奢なつくりをしていた。

フロレンティアという少女が"お披露目"されたのは、王国が成立した大変めでたい日であった。やわらかな日の光を浴びて輝く髪に、瞳、そして肌は、町中の人々を魅了し、王さえも虜にした瞬間であった。



「これはうつくしい」



フロレンティアを見て喉を鳴らした王は、挨拶などなんだののすべての工程をすっ飛ばして、長く敷かれた赤い絨毯の上を小走りで駆け、司祭とその妻の間に佇むフロレンティアに跪いた。これがフロレンティアという少女の未来を決めた瞬間であった。少なくともこの時は、誰もがそう思っただろう。

かつて聖女としてこの国を導いた女性の、生き写しと呼べる容姿と魂を持ったフロレンティアがいつかこの国の姫となるのだと。



「聖女の、再来だ───。皆の者!聖女が、この国に降臨した!」



そこにフロレンティアの意思はない。そしてその光景を奥で見つめる彼女の姉の暗い顔に、誰一人気づくことはない。うれしそうな両親と、興奮に打ち震える王、そして歓喜に沸き立つ王民のみが、その姉妹の行末を決めたのだ。


それから数年の時が流れた。フロレンティアは草原を1人、いや2人で駆けていた。




「フィロ!みて、うさぎがいるわ!」


「おお、うさぎかあ。でもあいつら意外と気が強いんだよなあ」


「あ、みて!鹿がいるわ!」


「え、うっそ、やば……!そいつらは容赦なく角をぶっさしてくるんだ。俺も尻の穴をだな」


「フィロ!フィロ、あの黒くて、大きいのは……?」


「うん?ああ、あれはねえ……」



ふわふわの髪が風にあおられて靡く、格好はぼろぼろでもフロレンティアの瞳はかつてない輝きを放っていた。この世界では基本的にヒトに害をなさない生物を動物と定義している。そして、王国周辺で出没するのはほとんどが動物であり、魔物はほとんどいない。

草原の青臭くも爽やかな香りを受けて、フィロと呼ばれたその巨大な馬は走っていた。王国から離れれば離れるほど活発になっていくフロレンティアは、遮るもののない草原を見回し、視界に入った生き物をあれこれと指差す。その指が、"黒くて大きい"ものを指した時、"黒くて大きい"ものもまたフロレンティアを見た。



「く、クマ───!しかも、ヒグマ!エサはオレ!」



つぶらな瞳がぎらりと鋭利な光を放つ。どうやら獲物と認識されてしまったらしい。フィロも通常の馬よりも大きいのだが、その熊もまた普通の熊よりも大分巨大であった。そして、口から紫の液体を垂らしながら、一目散にフィロへと駆け出す。これは動物ではない、魔物だと気付いた時にはもう遅かった。フィロがヒグマと呼んだそれは、予想以上に速かったのだ。



「次はクマかよ……!!」



最初からスピードに乗っている分フィロの方が早い。このままどこかに逃げ込めれば回避はできるだろう。ただし、この開けた草原に逃げ場があればの話ではあるが。



「だいじょうぶ、まかせて!」


「えっ、て、ティアさん……!」



背後から爆速で迫り来る猛獣に怯んでいたのはフィロだけであったらしい。

白魚のような手が合わさり、ゆっくりと引かれる。ぱりぱりと光が集まり、それは弓と矢の形をつくった。



「て、ティア、ティアさん……!?」



背中の方から雷にも似た音が聞こえ、フィロが慌てて声を上げた。

いつの間に体勢を変えたのか、気が付けばフロレンティアは後ろを向いて、光の矢を放っていた。



「ぐおおおおおっ!!」


「うん、あたった」



魔物の額を打ち抜いた矢は、そのまま頭ごとふっとばしたらしい。フィロにはその光景は見えていなかったが、もし見えていたら腰を抜かしただろう。怪しげな色の血飛沫を散らしながら、落ちた頭と、しばらく暴れ狂いながらゆっくりと崩れていった胴体を見届け、フロレンティアは体勢を戻すと、フィロの首に抱き着いたのであった。



「た、たおしちゃったの……?」


「うん!」


「え、ええ……。これ俺いらなくなあい?」


「そんなことない!!フィロがはしってくれるから、わたしはなんだってできるの!」



声が弾む、フロレンティアは華やかに笑った。教会にいた頃には決して見せることのなかったそれだが、もちろんフィロはしらない。



「俺だって、ちょっとは戦えるんだぞお……」



ぼそりと呟いたフィロに、フロレンティアはまた声を立てて笑った。



「たたかうのはわたし!フィロは、わたしの"あし"なのよ!」



年齢相応の強請るような声に、いつの間にか彼女の脚という大役を担わされていた馬は舌をべろりと出した。



「まさか、この子、相当なじゃじゃ馬娘か……?いやわかってはいたけど、ここまでとは……。」



段々と周囲に木々が茂り始め、森の入り口へと彼らを誘う。

嫌な予感がフィロの心に芽生えるのと同様に、少しずつ周囲が暗くなっていった。




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