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第25話: レティシア・ヴァイオンの演奏


静寂が会場に広がる。観客の息遣いさえも感じられそうなほど、全てが静まり返った中で、次に名前を呼ばれたのはレティシア・ヴァイオン。彼女の名前が発せられると、観客は一瞬、息を呑む。まるでその名前自体が不安定で危険なものを秘めているかのように、空気がひときわ重くなった。舞台に立つ彼女の姿は、まるで時間そのものを操っているかのように、無駄な動きひとつなく完璧に整っていた。しかし、その目は、どこか遠くを見つめるような、全てを見透かしているような、冷徹で狂気を孕んだ瞳だった。


彼女が舞台に歩を進めると、観客はその歩みのひとつひとつを無言で見守っている。目を閉じ、アルペイロの前に座る。指が鍵盤に触れるその瞬間、空気は凍りつく。全てが無音となり、ただ一つの音が、深く、ゆっくりと響き始める。


最初の和声が、まるで呪文のように空間を貫く。最初は美しく、柔らかく、けれどもどこか冷たさを感じさせる。音が広がるたびに、会場の空気が変わり、音楽が目に見えない糸となって聴衆の心を締め付けていく。そのメロディは、静かに、だが確実に心を蝕んでいくようで、聴く者はその音に取り込まれ、逃げることができない。


和声が次第に複雑になり、メロディがより速く跳ねる。レティシアの指先は次々と鍵盤を叩き、そのリズムは完全に支配されたかのように一貫して進行する。しかしそのリズムは、次第に不安定に、歪んでいく。音楽の中で、何かが壊れ始める。和声が崩れ、メロディが跳躍し、全体の調和が崩れていく。まるで音楽そのものが、自らの意志で暴れ出すように、ひとつひとつの音が暴力的に響く。


レティシアの演奏は、静かな狂気を内包していた。彼女の顔に浮かぶ冷徹な表情と、指が鍵盤に落ちるその力加減から、次第に音楽が怒涛のように激しくなり、観客はその音の渦に呑み込まれ、もはやその音楽がどこから来てどこへ向かっているのか分からなくなる。音楽は、暴力的に、破壊的に進行し、聴く者を無理矢理その中に引き込んでいく。


その狂気は、リズムが変わるたびに激しさを増し、メロディは完全に崩れ、次第に音がひとつの渦を巻くように膨れ上がっていく。観客の顔が歪み、恐怖と感動の入り混じった表情が現れる。音楽が強烈に鳴り響くその瞬間、レティシアの目は完全に虚ろとなり、まるで彼女自身がその音楽に支配され、解放されることなく溺れていくようだった。


突然、音楽が静まる。すべてが止まったかのような一瞬の静寂が訪れる。レティシアの目は、どこか遠くを見つめ、表情は完全に無表情だが、彼女の内側ではまるで何かが爆発しそうな勢いで感情が渦巻いているのが感じられた。次に響く音は、まるで音楽そのものが息を呑んでいるかのように、ゆっくりと、そして確実に、また違う形で鳴り響く。


その音は、最初の静けさを取り戻し、最後の和声へと向かう。音が収束し、曲の終わりが近づくと、レティシアはようやく静かな顔を取り戻す。曲が完全に終わり、最後の音が消えると、会場はしばらくその音の余韻の中で完全に静まり返る。観客は誰もが、何が起きたのか、理解するのに時間がかかるかのように、その場に立ち尽くしていた。


そして、ようやく拍手が起こり、会場がその演奏に対する評価を示し始めた。レティシアは静かに頭を下げ、舞台を降りる。その顔には何の表情もなく、ただ冷徹に次の瞬間を待っているようだった。


彼女の演奏は、ただ技術的に完璧であるだけでなく、その中にある狂気や未解決な感情が、聴衆の心に強烈に刻まれた。それはまるで、音楽を通じてその内面の不安定さをさらけ出し、音楽自体がその感情に支配されていくような力を持っていた。


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