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第五十三話 噂の形、カラスの詩


 夜のバーを後にした二人が、自宅に戻って数日後のことだった。


「レイちゃん、見てこれ!」


 釉乃は、タブレット端末を怜衣の目の前に突き出した。画面には、掲示板のようなサイトの書き込みが表示されている。



件名:【ヤバい】紫鏡の呪い、マジで実体化してないか?


#1.誰か、あのバーの紫鏡を見た人いる?


#2.あそこで、妙なカードと、紫色のカクテル飲んだ奴が、急に「しほ」って連呼し始めたらしい。そのうち、鏡に映る自分が、故人の女の顔に変わるって言い出して、最終的に行方不明になった。


#3.今、ネットで「パープル・ミラー・シンドローム」って呼ばれてる。


#4.※追記:そいつが失踪する直前、足元に紫色の痣が広がってて、誰かに「足がいるか?」って聞かれたって話もあるぞ。これ、カシマさんじゃねーの?


 怜衣は息を呑んだ。数日前に自分たちが蒔いた種が、早くもここまで成長している。しかも、「紫鏡」の噂と、「カシマレイコ」の噂が、有機的に絡み合い始めている。


「すごい……たった数日で、こんなに形を変えて広がるなんて」


 怜衣の驚きに、釉乃は得意げに笑った。


「でしょう? 私たちはね、都市伝説の『枠』と『刺激』を与えただけ。あとは、人々の不安と想像力が、勝手に肉付けをしてくれるのよ」


 彼女の視線は、書き込みの最後の行、「足元に紫色の痣」と「カシマさん」の部分に固定されていた。


「でも、どうしてカシマレイコと結びついたんだろう。『紫鏡』の噂には、手足の欠損なんて要素はなかったはずなのに」


 怜衣が尋ねる。釉乃はタブレットを閉じ、ワタリガラスのブン太がいるケージに目を向けた。ブン太は「アー」と鳴きながら、羽を広げて見せた。


「それはね、レイちゃん。人間っていうのは、常に不安を抱えているからよ。特に、自分の身体に関わる不安は根深い」


 釉乃は立ち上がり、冷蔵庫から飲み物を取り出した。


「紫鏡の噂の根っこにあったのは、『自分の形アイデンティティを失うことへの恐怖』。亡くなった恋人に乗っ取られた、なんていうのは、まさにそれ。その恐怖が、次に、同じく『身体の欠損』をテーマにした、より古典的な恐怖、つまりカシマレイコの伝説を呼び覚ましたのよ」


「形と欠損……」


「そう。しかも、噂に登場した失踪者の男性は、足元に痣ができていた。カシマレイコは、足の怪異。これは、もう、物語の必然だったわ」


 釉乃はグラスを傾けながら、怜衣に鋭い視線を向けた。


「私たちの名刺のシンボルと、紫鏡の『形を塗り替える』力が、既存の都市伝説の弱点を突いたの。カシマレイコが求めていた『足』の物語に、『紫色』という新しい『色』と『感染力』を与えたわけ」


 怜衣は背筋が凍るのを感じた。自分たちが作り出した波紋は、単なる噂ではなく、既存の怪異をも変質させる力を持っていたのだ。


「じゃあ、私たち、カシマレイコを変異させてしまったってこと?」


「フフ、そうかもね。新しい名前を付けてあげましょうか。そうね……『紫鏡のカシマレイコ』。鏡の中の『紫』に触れた者に憑依し、その『足』を奪う、あるいは『足』を求める怪異」


 釉乃は楽しげに笑うが、怜衣は複雑な気持ちだった。噂が広がることは目的だが、それが本物の怪異の変質を招き、誰かを傷つけるかもしれないという事実に、心がざわつく。


「その『紫鏡のカシマレイコ』が、本当に実体化したら……どうするの?」


 釉乃はグラスを置き、真剣な表情になった。


「心配ないわ。噂が私たちの力になるなら、怪異そのものも、私たちの道具にできる。特に、『ワタリガラスのブン太』がいればね」


 釉乃はブン太のケージに近づいた。


「『カシマレイコ』の伝説では、怪異の問いに正しく答えられないと、体の一部を奪われる。『手をよこせ』には『今使ってます』、『足をよこせ』には『今必要です』。そして、『この話を誰から聞いた』には、『カシマさん』と答えるのが定石だった」


 彼女はブン太を抱き上げ、その黒い羽をそっと撫でた。


「でも、『紫鏡のカシマレイコ』は、もう古い答えでは通用しない。なぜなら、噂が変質しているから。そして、新しい怪異には、新しい弱点が必要よ」


 ブン太は「ガー」と低い鳴き声を発し、釉乃の肩にとまった。その黒い瞳は、怜衣をじっと見つめている。


「ワタリガラスは、古来より『知識』と『予言』を司る存在。そして、彼らが食べるのは『死』、つまり『欠損』の残骸よ。ブン太は、この新しい『欠損』の物語に、新しい解答と終止符を打つためにいるの」


 釉乃は、ブン太に「お手」と手を差し出す。怜衣が何度教えてもできなかったその仕草を、ブン太は躊躇なく行った。小さな足を、釉乃の指先にそっと乗せたのだ。


「――『カシマさんのカは(カラス)のカ、シは視線のシ、マは真実のマ』。これが、新しいカシマレイコを退けるための、真実の鍵よ」


 釉乃の言葉は、まるで古い呪文のように響いた。怜衣は、ブン太が「お手」をしたことにも、釉乃がその答えを知っていたことにも、二重の衝撃を受けた。


「それって、どういう意味なの?」


「フフフ。これから、それを実地で試す必要があるわ。噂は、常に実体験を伴ってこそ、何事も真の力を得る。そして、『紫鏡のカシマレイコ』の噂を広げた張本人が、次に狙われるのは、当然の流れでしょう?」


 釉乃は、どこか嬉しそうに、怜衣の顔を覗き込んだ。


「レイちゃん。私たちも、次の舞台に行きましょう。噂の震源地になった人、つまり谷田実也という男性が失踪した場所、彼の自宅へね。彼の部屋の鏡には、まだカシマレイコの残滓……紫保の『形』が残っているはずよ」


「え……彼の自宅に?」


「そう。そこで、私たちは、『紫鏡のカシマレイコ』の噂を、真実の物語へと昇華させる。ブン太の『詩』の力を借りてね」


 怜衣は、ブン太を見つめた。ブン太の黒い体は、都市伝説の闇の中で、一層深く、強く見えた。


「大丈夫。私たちは、噂の創造者であり、その物語の主人公よ。カシマレイコの欠損の物語を、私たちの物語に変えるの」


 釉乃の瞳は、夜の闇と同じ深さで輝いていた。彼女は、都市伝説を操る魔術師のようだった。怜衣は、自分の心の中で、恐怖と高揚感がせめぎ合っているのを感じた。


「わかった……。行くよ。紫鏡のカシマレイコの噂を、私たちが完成させる」


 怜衣は、ブン太の黒い頭をそっと撫でた。ブン太は「アー」と、まるで同意するかのように鳴いた。それは、怜衣の選択が、この異常な日常を、さらに深い非日常へと連れ去ることを示唆しているようだった。


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