第五話 ヒトガタ
目星を着けた大学生は、友人達と別れ一人駅へと進んでいる。彼の後を追いかける二人は人波の中を隠れることもせず、ピッタリと後ろについて歩いていた。
浮遊する身体にまだ馴れない怜衣を他所に、釉乃は鼻歌交じりで楽しそうに足を進める。同じ幽霊であると言った割りに彼女は悠長に両の足で歩いている。つい先ほど釉乃が説明してくれた話を訝しく思いながらも、怜衣はすぐ前を歩く男に視線を向けた。
「……? あれ、この人、ひょっとして」
横断歩道手前で止まった男子大学生をまじまじと見て、怜衣は独り言ちた。
「どうしたの?」
「いや、私、この男の人、知っている……、かも?」
自信なさげに身体を揺らす人魂の怜衣に、釉乃は悪戯に顔を歪めていた。もしかして、この人、初めからこの男の素性を知っていたのかもしれない。
「やっぱりね。この大学生を見た時からピンときたんだよね。幽霊の第六感ってヤツ? もしかして生前のレイちゃんに何かしらの関わりがあるんじゃないかって、それで、この男の子とはどんな関係だったの」
予想が当たったと喜ぶ釉乃は、楽しそうに尋ねてきた。
「どんな関係っていうか。二ヶ月位前に一度だけあったことがあるだけで……」
言い淀んで声は尻すぼみに小さくなる。
「なになに、何だか意味深な関係?」
釉乃は興味津々に詰め寄ってくる。
「そんな深い仲じゃあないですよ。マッチングアプリで繋がったけど、条件合わないのに一方的に連絡しつこく寄越してきて……」
「ほほう? レイちゃん生きてた頃は案外、恋愛体質だったのかなぁ」
釉乃は含み笑いのような表情で、その顔を近付けていた。
「全然、まったく。私がそのアプリで探してたのはただの援助ってヤツです。この大学生、なんか変に勘違いして私に自分の恋愛感情を押し付けてきて……。そうだ、この人に直接断りをいれたのも、あの公園だった……」
人魂となって彷徨っていたあの場所、この男とあったのも殺害された公園だった。まさか、コイツが自分を刺し殺した犯人なのであろうか。考えを巡らせるすぐ隣で、釉乃は小刻みにその身体を揺らしていた。
「援助って……、レイちゃん、そんな軽々しく身体を売っていたの?! 自分で自分を粗末にするなんて、絶対ダメよ!」
「ち、違ッ……、私はただ食事とか、映画とか、デートして時間分の手当を貰ってただけ。身体なんて売れるわけ無いじゃん! だって私……、まぁ、それはまた今度ちゃんと話します」
言いかけて止めると、釉乃はまだ心配そうに眉を下げてこっちを見ている。問い詰められる前に怜衣は口を開く。
「あ、ほ、ほら! あの大学生行っちゃいますよ? はやく追いかけないと」
信号が青に変わり歩きだした彼が駅の階段を下ってゆくのが見える。煮え切らないような表情の釉乃は不承ながらに歩きだした。二人を追いかける怜衣はフラフラとそれに続いたのだった。
◆
改札を通る大学生は電車を待つ人の列に並んだ。おもむろにスマートフォンを取り出して弄び始めている。警笛を鳴らしてホームに到着した地下鉄の電車は目の前で止まると、吸い込まれるように彼も中へと続いた。
「結構混んでるね、どうしようかな……」
電車をすり抜ける釉乃は車内を見て呟いた。後に続いた怜衣は手すりに寄り掛かる男をまじまじと見ていた。
「うわ、コイツ、まだやってたんだ」
彼の持つスマートフォンを覗き見て思わず溢してしまう。
「なになに? あー、この男の子、このマッチングアプリってヤツにどっぷりだね。かなり飢えてるカンジ? 相手の子の好みまで下調べして、ちょっと異常だわ」
つられて覗き込んだ釉乃も苦い表情で呆れている。この男はきっと好みの女なら誰でもいいんだろう。
「やっぱり気持ち悪い。私の時もそうだった。こっちの話もろくに聞かないで、ずぅっと自分語りだけしてて。断ったら異常なくらいDMで罵倒してきたっけ」
「うわぁ……、それ最低。けど、そんな奴なら多少強めに灸を据えても構わないね」
釉乃は不気味に口角を上げていた。彼女がこれから何をしようとしているのか、何故だか何となく想像が出来る。
男子大学生はおもむろにイヤホンを両耳に押し込むと、流暢に画面を動かしてゆく。移り変わる液晶を暫く覗き込んでいると、電車は次の駅へ到着した。
「そろそろ、いいかな」
呟いた釉乃が動く。彼女はその身体を男子大学生のもたれ掛かった手すりにすり抜けさせると、背後から彼の両目に目を伸ばした。目隠しをするような釉乃の行動に驚いていると、彼女はにっこりと笑って口を開いた。
「よし、レイちゃん、そのスマートフォンに近付いてみて」
「ええ……、は、はい」
言う通りに男が持つ端末に近付く。すると液晶の画面は真っ黒に変わったのだった。
「オッケー。これで繋がった」
「つ、繋がったって?」
液晶には【神子島怜衣】という文字が、意味不明な文字に化けて映っていた。
「いいから、レイちゃん。さっき教えた通りにやってみな?」
「うん、えっと、あれ、これで……後はそうか、私の記憶……」
釉乃が先刻言っていた言葉を思い出す。対象に触れた瞬間、私はあの時の事を思い出せばいい。そうすれば連鎖が始まると言っていた。
頭によぎる不快なあの感触を思い出す。
痛みは夢だとばかり思っていたけれど、生々しいあの感覚だけは忘れられない。あの時感じた感触を、あの不快な痛みを思い出す。私はあの時、確かに願っていたんだ。
「……同じめに逢えばいい」
頭によぎった感情を声に出したとき、男子学生は突然震え始めた。釉乃の手で目隠しをされたまま上を向いている。何かを見て恐れおののく彼は、震えながら何か口を動かしていたのだった。
「いいよ、その調子! さあ、最後の仕上げだよ。レイちゃん、思いっきりこの男の子に囁いてごらん?」
両手を離した釉乃は大きく頷いて言った。人目も憚らず嗚咽を漏らす大学生は、ちから無く身体を投げ出して虚構を眺めている。
そっか、釉乃さんはこの人が犯人か教えてくれてる。でもちがう、この男にそんな度胸はないよ。
怯える男子学生を周囲の人々は奇異の目で見ていた。それを見て怜衣は確かに確信している。これ以上、この人に聞くことは何もないと。
「せいぜい気に入る人探せばいい。だけど、恨む人もいるかもしれない。もしその人が私みたいな幽霊だったら、いつでも、何度でも見つけて仕返し出来る。だから、他人にはもう少し気を付けたほうがいいよ。……私が言える事でもないけど」
耳を塞ぎたくなるような慟哭が車内に響く。学生は泣き叫ぶように懺悔を繰り返していたのだった。
◆◆
「いやぁ、大成功だ。レイちゃんも案外なかなかの役者だね」
電車を降りたとき釉乃は楽しそうに声をかけてきた。楽しいとは全く違う感情のなかでは、とりあえず相槌だけを返してみる。
「そんな簡単には犯人見つからないか……。でも少しは進歩できたね。ただ、結果オーライってカンジかな?」
「なにが……、って、あれ……」
怜衣は身体に現れた変化に気がついて、言葉を止めた。身体は球体の人魂から確かにヒトガタへと変わり始めている。
「おー、さっそく変わってきたね」
「え、え? こんな事で本当に元に戻れるの?!」
怜衣は自分の身体に目を向ける。伸びてゆく四肢は確かに知りえる人の形を作ってゆく。
「あ……、え? これで、おわり……?」
身体は黒い煙のような形のまま、その変化を止めていた。シルエットは確かにヒトガタではあるものの、細部は全く省略されており、子供が描いた落書きのような身体は黒く塗りつぶされていたのだった。
「初めてにしては上出来だって。でも次は、もう少しディテールにこだわろうか」
「あの、元に戻れるんじゃないんでしたっけ!?」
人魂の姿は無事、ヒトガタの影へと姿を変える。もどかしさに眉を寄せたつもりだが、黒い影の頭には細部は浮かばない。溜め息を落とす怜衣とは対照的に、釉乃は満足げな表情で笑っていた。