第三十五話 新宿の霊能力者
新宿駅東口から徒歩数分。ひしめき合う古い雑居ビル群は、まるで迷路のように多種多様な看板を掲げている。その一角、古びたレンガ造りの建物の前で、ブレザー姿の女子高生二人が不安げに立ち尽くしていた。
「やっぱり、怖いよ……」
丸眼鏡をかけたロングヘアの女子高生は震える声で呟いた。
「ここまで来たんだから、せめて話だけでも聞いてみようよ」
隣の短いボブヘアの女子高生が少し呆れたように促す。二人は動けないまま、何度も同じようなやり取りを繰り返していた。
「お願い、千奈、絶対一緒に来て。一人じゃ、どうしても……」
眼鏡の女子高生は懇願するように言った。千奈と呼ばれた女子高生がため息をつきながらも頷いた。
「わかったよ。話を聞いて、佳南の不安が少しでもなくなったらいいね」
重たい硝子の扉に手をかけ、二人は薄暗い建物の中へと消えていった。
一方、同じ頃。
「レイち! ウチ、なんかめっちゃワクワクしてきた!」
隣で鈴那が興奮した様子で騒いでいる。怜衣は、なぜこんな場所にいるのだろうかと、心の中で深くため息をついた。
「どんな人なんやろなぁ……新宿一の霊能力者、千眼珠藻って!」
鈴那は待ちきれない様子で扉をすり抜け、建物の中へ消える。怜衣も仕方なく後に続いた。
◆
羽仁塚の部屋に鈴那が突然現れたのは、その日の朝のことだった。普段のおちゃらけた様子とは打って変わり、真剣な表情で鈴那は言った。
「二人にお願いがあんねん。これから一緒に出かけてくれへん?」
首を傾げる怜衣と釉乃に、鈴那は重々しく問いかけた。理由を尋ねる釉乃に、鈴那は一呼吸置いてから、真剣な眼差しで話し始めた。
「実はな……ウチ、ずっと気になっとることがあんねや。聞いてくれる?」
鈴那の真剣な様子に、怜衣と釉乃も自然と背筋を伸ばした。
「ウチ、小さい頃から不思議に思っとるんや。本物の霊能力者って、ほんまにおるんかなって!」
「えっと、霊能力……?」
怜衣は思わず聞き返した。
「プッ……アハハハハ!」
「ちょっと、酷い! 釉ねえ、笑わんといてや!」
笑い出した釉乃に、鈴那は顔をしかめた。
「ごめんごめん。一体何事かと思ったら、鈴那ちゃんらしいわね」
「ウチは真剣に聞いとるのに!」
「ふふふ、メリーちゃんはいつも突拍子もないことを言うわね」
二人のやり取りを見ていた羽仁塚が顔を出すと、鈴那はますますむきになった。
「ハニやんまでウチの話を笑うなんて……もうええ! レイち! ウチら二人で見に行こ!」
「え、え、私?」
鈴那は勢いよく立ち上がり、早く行くようにと急かした。突然の展開に、怜衣は助けを求めるように釉乃を見た。しかし、釉乃の口から出たのは予想外の言葉だった。
「確か、新宿の東口ならそういう占い師の店があるわよ」
「ほんま? よし、行ってみよう!」
「ちょ、ちょっと……」
すっかり目的が決まった鈴那は、怜衣の背中を押した。言われるがまま部屋を出る怜衣。
「あ! 二人とも、あんまり変なものには近づきすぎちゃダメよ――」
後ろで釉乃の声が聞こえたが、鈴那は生返事をして先を急いだ。
◆
「お、ここやな。【千眼珠藻、霊視鑑定処】……なかなか妖しげな雰囲気やん」
雑居ビルの階段を四階まで上がると、扉には巨大な目玉が描かれていた。明らかに胡散臭いデザインに怜衣は顔をしかめたが、鈴那はすっかりその雰囲気に呑まれているようだった。
「あ、さっきの女の子たちや」
扉をくぐると、薄暗い待合室のような空間が広がっていた。壁には何枚かの女性の写真が貼られている。近づいて見ると、どうやらここに所属する占い師たちの紹介らしい。どの写真の人物も、いかにも怪しげな肩書きと服装でカメラを見つめている。
「レイち、これ見て!」
「この人が【千眼珠藻】……」
鈴那が指差した写真は、他のものより一際大きく飾られていた。真っ赤な民族衣装で全身を覆い隠したその人物は、顔のほとんどが影になっていてよく見えない。ただ、奥深くから覗く瞳だけが、異様な光を放っているように感じられた。
『お次の方……どうぞ、中へお入りください』
天井のスピーカーから、低い声が響いた。二人の女子高生はその声に導かれるように立ち上がり、暗幕で仕切られた奥へと消えていった。
「あの奥に、噂の霊能力者がおるんやな!」
鈴那は目を輝かせ、二人の後を追おうとした。その時、怜衣は突然、背後から強い視線を感じた。冷たい汗が背中を伝い、ぞっとするような感覚に全身が粟立った。
ハッとして振り返ると、先ほど見た占い師たちの写真が並ぶ壁の前に、信じられないものが立っていた。
後ろ姿だけでもわかる。それは、生きた人間ではない。
着物のような奇妙な衣を纏い、地面まで伸びた黒く長い髪は不自然に折れ曲がっている。微動だにしないその姿は、まるで人形のようだった。
やがて、ソレは怜衣の存在に気づいたのか、ゆっくりと、ギシリ、と音を立てるように首だけをこちらに向けた。
怜衣は息を呑み、凍り付いたようにそれを見つめていた。真っ黒な長い髪で隠れた中で、爛々と光る二つの赤い点が、獲物を定める獣のように、怜衣を捉えて離さない。