第三十一話 透明な演出家
スマホの液晶画面に映るのは一人の痩せた男。ボサボサの癖毛と伸ばしっぱなしの無精髭、男の容姿はどこか不潔さを感じさせる。動画の内容は表題について淡々と語るというシンプルなもので、終始男の熱弁が続いていた。
『――不都合は全て覆い被せてある。この動画を視聴してくれている皆に俺は真実を伝える、何故なら俺は真相を知る者だから』
画面の中で男は鼻息荒く言い放った。恐らくそれが締めの決め台詞なのだろう、動画はテロップもなくそこで終わる。
「……これ、本当に人気の配信者なんですか?」
曖昧な顔で怜衣は洩らす。はっきりいって少しも面白くは感じなかった。それどころか内容の半分以上は男の被害妄想に近い気がする。アップロードされた他の動画も内容は似たり寄ったりで、再生回数はどれも数十回程度しかない。
「どうして?」
釉乃がどこか含んだ笑みで尋ねてくる。
「だって言っていることほとんど支離滅裂だし、話の内容だって辻褄も何も合っていないし……。なんか、見ていて少し可哀想な気持ちになってくる」
曇り顔で思った事をそのまま伝えてみる。今度は隠すこともなく、嫌味な表情で釉乃が答えた。
「そうね。世間での彼への評価は冷ややか、それどころか誰も相手にしていない。空色サイファーが人気なのはこの男、狩野総一の頭の中だけね」
「頭の中だけって……」
釉乃は手のひらを返して怜衣の前に伸ばした。不思議に思いながらも手に持ったスマホを釉乃へ差し出す。彼女は空色サイファーの他の動画を選ぶと再生をタップする。
『ーー皆さん、今回の動画は……』
やたらとハイテンションな声色で狩野総一が語っている。先程とほとんど代わり映えのしない動画に、いたたまれない気持ちの怜衣は表情を歪めた。
「あれ……? そう言えば空色サイファーは複数人のグループって、さっき言ってましたよね。さっきからこの狩野って人しか映っていない気がするけど……」
釉乃は投稿者を複数人で構成されていると紹介していた。裏方に徹しているとしてもカメラは定点、画角は一度も変わっていない。編集自体もそれほど手の込んだ代物とは思えなかった。
「空色サイファーのメンバーは、景山迅、椎名杏莉、黒田心翔を含めた四人。だけどそんな人物は一度も登場していない。どうしてだと思う?」
スマホの画面から顔を上げ、上目遣いの釉乃が
尋ねるその顔と液晶画面を交互に見ると、眉を寄せて考えてみる。
「ひょっとして……、他の三人は初めから居なかった……?」
「惜しいなぁ、半分正解!」
釉乃は楽しそうに指を鳴らして口を開く。
「三人は実在する人物よ。ちなみに彼の中ではもう一人、登場人物が居るみたいだけど」
「もう一人、ますます解らなくなってきた」
頭を抱えて唸ってみる。よくよく思えばなぜ釉乃は空色サイファーを自分に見せたのか、始めからして話の意図が理解できなかった。
「ごめん、ごめん。話がややこしくなっちゃったね。最後にこれだけ見てくれる?」
釉乃はまた怜衣のスマホを操作すると、別の動画を再生し始めた。やはり代わり映えのしない、捻りのないフォントの題字が映っている。
「新宿公園殺傷事件……、これって、また私の事件の事……?」
表題は【新宿公園殺傷事件の真実】とだけ記されている。
「そう。レイちゃんが殺された事件と繋がっちゃったんだよ、狩野総一の頭の中ではね」
◆
「この……、狩野総一って、いったい何者なんですか? ひょっとしてこの人が私を殺した犯人なんじゃあ……、でも私、こんな人とは会った覚えもないと思うけど」
「残念だけどレイちゃんと狩野総一に接点は無いわ。それどころかここ二年くらい、この男は自宅から出てすらいない」
「引きこもりってこと?」
思い浮かんだ問いかけをすぐ口にすると、釉乃は頷いていた。
「狩野は一年前に通っていた大学を留年して退学している。それからはずっとアパートに引きこもってほとんど家から出ていない」
「よっぽど留年がショックだったのかな」
素性も知らない狩野総一に同情のような感情がわいていた。無意識に自分の学生時代の辛い記憶が重なってしまうのかもしれない。
「そうね、当時四年生だった狩野は就職先も決まっていたそうよ」
「そこまで順調だったのに、どうして留年なんてしたんだろう……」
再生したままの動画では狩野がまだ熱弁を続けていた。釉乃は目を細めてそれを見ている。
「留年の理由は三年まで参加していたサークルが原因だったそうよ。四年生を祝うために後輩たちが催した送迎会で問題が起こった。結果、どういうわけか狩野がその責任を取らされた」
「もしかして動画製作メンバーの三人って、そのサークルの?」
「そう。当時三年生だった三人、それともう一人。二年生だった表迫流美という女子生徒が狩野の人生を180度変えてしまった」
「さっき言ってたもう一人の登場人物か……」
複雑な人間関係を避けてきた怜衣にとって、狩野を取り巻く環境は想像のつかない関係性だった。
「さてと……、私達もそろそろ動き始めようか」
釉乃は動画の再生を止めると、スマホを手渡してきた。立ち上がった彼女の表情は何かを企んだように、いつもの笑みが浮かんでいる。
「動き始めるって?」
「言ったでしょ? これだけ宣伝に使われたんだから、出演料くらい貰わないと割に合わないからね」
そう言って彼女は顔を近付けると、小声で怜衣の耳元に囁いた。