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第三十話 タイトル


 ナビの無機質な電子音が、右への進路を告げる。液晶画面に映る細い私道は、まるで迷路のようだったが、ようやく広い国道へと繋がるらしい。午前一時を過ぎ、夜の帳は深く、周囲の景色は黒々と沈黙していた。


 車内には、鉛のように重い沈黙が漂っていた。誰もが口を開くことを躊躇い、互いの表情を窺い合っている。この張り詰めた空気を打ち破る言葉を、誰もが見つけられずにいた。


俺は表迫流美について知っていることの全てを語った。あの日の出来事、彼女が兄を心配してビルへ向かったこと、そこで何かを飲まされ意識を失ったこと。朦朧とした意識の中で、彼女が俺に電話をかけ、震える声でビルの住所を伝えてきたこと。助けを求めていたのだろう。


 しかし、俺が駆けつけた時、既に現場は騒然としていた。大勢の人々がビルを取り囲み、何が起きたのかを訝しんでいた。誰かが屋上から落ちたらしい、というざわめきが、不吉な予感を掻き立てた。途中で途切れた彼女からの電話、何度かけ直しても繋がらない。流美が最後に残した、聞き取れない言葉は、直後の鈍い衝撃音にかき消された。彼女は最期の瞬間、私に何かを伝えようとしていたのだ。

それから今日まで、この重い秘密を胸に閉じ込めていた。全てを狂わせた表迫凌平への、燃え盛るような復讐心だけを心の支えにして。



◆◆



 杏莉と迅と心翔が、俺の語った話をどこまで信じてくれたのかはわからなかった。それでも、こうして共に帰路についていることから、ほんの僅かでも、彼らとの間に信頼が戻ったのかもしれない。


 結局、あの廃校舎では、目的のRの使っていた机は見つからなかった。もし日中の明るい時間帯で、もっと冷静な精神状態であったなら、見つけられた可能性もあっただろう。しかし、今となっては、あの場所へ再び戻る気力は微塵も湧いてこなかった。

あの廃校舎で垣間見た、心翔の確かな憎しみと殺意。それが再び自分に向けられるのではないかという、拭い去れない恐怖が、俺の心を支配していた。


 助手席に座る総一は、窓の外の暗闇を見つめていた。遠くには、明かり一つない山々が連なり、その漆黒のシルエットは、底知れない深淵のように続いていた。疲労でぼやける意識の中、彼はその景色をぼんやりと眺めていた。


【誰もいない夜の道を、車はただ逃げるように走り抜けた】


 突如、頭の中に浮かび上がった文章。それは、まるで何気ない独り言のような感覚だった。


 いや……、どこかで確かに聞いたことがある……?


 考えることから逃れるように、総一はその微かな違和感から目を背け、瞼を閉じた。


「……さっきは、ごめん」


 後部座席から、蚊の鳴くような弱々しい声が聞こえた。


「あたしも……、ごめん」


「……ずっと近くで騙してた俺が一番最悪だ。総一、悪かった」


 杏莉と迅が、続けて謝罪の言葉を口にした。総一は、重い頭をゆっくりと左右に振った。


「謝る事なんて何もない。みんな、同じ気持ちだったんだ。こんな事なら、もっと早く相談しておけば良かった……、そう思わせたのは、全部俺のせいだ」


 総一の声は、夜の国道を疾走する車の騒音に掻き消され、細く、弱く車内に消えていった。重苦しい空気は、さらに濃密になったように感じられた。後部座席の窓から吹き込む冷たい夜風が、総一の癖のある髪を揺らした。


「……総一、一つお願いがある」


 心翔の声は、震えながら呟いた。顔を上げ、深く溜め息をついた総一は、後ろを振り返った。通り過ぎる街灯のオレンジ色の光が、心翔の青白い顔を、まるで走馬灯のように照らし出す。


「総一、お願いだ。僕を……、殺してくれ」


「……は?」


 信じがたい心翔の言葉に、総一は思わず声を荒げた。


「お前、何言ってんだ。なんで俺が、どうして心翔を殺さなきゃならないんだ」


「だって、僕はほんの一瞬でも総一の事を……、こんな最低な奴は死んだほうがマシじゃあ……」


「馬鹿な事言ってんじゃねぇ!」


 総一の怒号が、狭い車内に響き渡った。押し黙った杏莉と迅は、口を挟むことができないでいる。


「なぁ心翔、お前だって流美の事を思ってやったことだろ。そんなお前を誰が責められるんだ、責められるべきは俺でもお前でもないだろ」


 頭の中に、あの優しい笑顔が浮かび上がり、無性に腹が立った。総一は、無意識のうちに拳を強く握り締めていた。


「心翔は、いや、お前ら三人はやっぱり俺の親友だ。ここに今、流美がいない事を一緒に悔やんで、一緒に悲しんで、一緒に憎んでいる」


 爪が右手の掌の肉に深く食い込んでいく。しかし、その痛みは不思議と遠く、感じなかった。


「ねぇ……、なんか、さ」


 杏莉の声が、張り詰めた空気を微かに揺らした。


「どうした?」


 運転席の迅が、バックミラー越しに問いかけた。


「いや……、やっぱりいい」


「なんだよ杏莉まで、言いたいことは言ってくれ。もう蟠りも疑うのも沢山だろ?」


 わざとらしく、自嘲的な笑みを浮かべて見せる。杏莉は、曖昧な表情で頷いた。


「こんな時にさ、空気読めないかもしれないけど。この今の私たちの状況って、あれに似てるなって……」



◆◆◆


「あれって……?」


 総一が次の言葉を発するよりも早く、杏莉の隣に座る心翔が鋭く顔を上げた。


「確かに、僕らの作品と同じだ……、流美と……、皆で最後に制作していた、あの長編と」


 心翔の言葉は、まるで背後から鈍器で頭を殴られたような衝撃を、総一に与えた。


「あ……、確かにそうだな。ラストシーンの廃屋で、疑心暗鬼になったままの四人が、車で逃げるんだったよな?」


 何か、何かとても大切な事を忘れている気がする……?


 それまで気が付かなかった小さな黒い点が、徐々に形を変え、おぞましい姿の不安へと変わっていくような感覚。それでも、記憶は三人の言葉に引っ張られるように、無理やり掘り起こされていく。


「あのラストシーン……。最後まで流美だけが納得しなかったんだよね。結局私たち、未完成のまま卒業しちゃった」


「あれが出来てたらさ、きっともっと大きな賞取れてたよな?」


「うん、間違いなく傑作だったよ。あの時の流美の演技は、撮影していても恐ろしい程だったよね」


 駄目だ、これ以上思い出してはいけない。


 気が付くと、総一は両手で頭を抱え込んでいた。呼吸が、浅く、速くなる。


「総一の脚本は、あの頃から凄かったよね」


「ああ。逆立ちしても俺じゃあ絶対思い付かない」


 杏莉の声が、反響するように聞こえる。


 迅の声色が、歪んで変わる。


「そんなの当たり前じゃないか。何たってあれは総一と流美の合作、現実の世界と精神世界が絶妙に絡み合っていてさ……」


 心翔の声は、まるで壊れた機械のように、抑揚がない。


 突然、車が急停止した。


 三人が、再びこちらを見ている。不気味な悲鳴が聞こえたかと思うと、耳を塞ぎ、顔を歪めた三人が、口々に何かを叫んでいた。


 目の前が、漆黒の闇に包まれる。


 目を閉じたのだ。


 はっと気付き、重い瞼をゆっくりと持ち上げる。


 目の前には、誰もいない。


 もとから、誰もいなかったじゃないか。


 悲鳴は、自分の喉から絞り出されたものだった。

そうか。あの作品は、とっくに完成していたんだ。

頭の中に、文字列が浮かび上がる。


 思い出した……。


 タイトルは、そうだ……。


『 真相者より 』



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