第三話 最初のターゲット
「……やっぱり元の人魂に戻ってる」
鏡に映った自分を見て怜衣は溜め息をついていた。釉乃の薦めで公園から移動した二人は、大型商業施設の中に居たのであった。青い人魂は、大きな鏡の前で呟く……。
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云われるがまま彼女についてゆく怜衣は馴れない移動に戸惑った。道すがら何度も人にぶつかりそうになるのだが、当然のようにすり抜けるこの身体はやはり他の人には見えていないようだ。初めは怯えながら進んでいた怜衣もこれには多少の興味が湧いたのか、いつしか自由に飛び回れる事を少しだけ楽しんでいたのであった。
正午を迎えたフードコートの一角に二人は席を取る。賑わいを見せる店内。周囲には誰も座っていない。
ここで待っていてと釉乃に言われた怜衣であったが、自由に動き回れる事を喜ぶ彼女は一人で周囲を飛び回ってみる。
ふと、つい先程の手鏡に映った自分の姿を思い出す。怜衣は無意識に手洗い場へと向かっていた。そこでまじまじと見る姿はやはり人魂だった。子供が絵に描いたような、お手本のようなオバケのヒトダマ。わかってはいたものの、少しだけ溜め息が漏れる。
「ちょっとこんな所に居たの? 待っててって言ったのに」
釉乃の声が聞こえた。顔を上げて鏡越しにそれを見ると、やはりそこには艶やかに着飾った釉乃の姿があった。
「ご、ごめんなさい。少し気になっちゃって」
「気持ちはわかるけど、今は何してもその姿のままだよ。だからこそ、これからについてちゃんと作戦を練らなきゃなんだからさ」
「作戦って……」
釉乃は綺麗な顔を子供のように無邪気に崩す。まじまじと見れば見るほど、彼女は生きている人間と変わらない姿で鏡に映っている。鏡に映る彼女と実際にそこにいる彼女を見比べると、怜衣には幾つか疑念が浮かんでいたのだった。
「釉乃さんは本当に生きてるみたいに見える。本当に私もそんな風に、もとの姿に戻れるの?」
怜衣の身体の青い焔が揺れる。感情の表現の一つなのだろうか。ようやく自分の気持ちと身体が繋がっている事が理解できてきた。
「私に任せてくれれば大丈夫だよ。きっとすぐにレイちゃんも人魂から人間の姿まで戻れるから。とりあえず、さっきの席にもどろうか?」
「はい……。勝手に居なくなってしまって、ごめんなさい」
怜衣は焔を揺らして頭を下げていた。その仕草に釉乃は目を丸くして見つめていた。
「釉乃さん、どうしたの?」
「あ、ううん、じゃあ早くもどろう!」
彼女はそう言って踵を返した。怜衣は首を傾げたつもりであったが、球体の身体は揺れるだけなのであった。
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「それじゃあ、順を追って話そうか」
座っていたテーブル席に戻ると、やはり周りには不自然なほど空席が目立つ。怜衣の視線は周囲の様子よりも、向かいに座る釉乃の目の前に置かれたモノにくぎ付けになったのだった。
「いや、それより、それって……」
「ん? ああ、これはそこの珈琲屋さんのフラペチーノだよ。ここのお店、チョコレート沢山掛けてくれるから大好きなんだぁ」
そう言って釉乃は大きなカップを手に取ると、突き刺されたストローに口を付けていた。
「いや……いやいやっ?! 私達、幽霊なんですよね? 何で普通にそんなの飲んでるの」
「え? 普通に飲むけど……あ、そっかそっか、ごめん。レイちゃんの分も貰ってこようか迷ったんだけど、まだ人魂だからね……」
「待って、色々理解が追い付かないんですけど……。まず幽霊ってそんな普通に食べたり飲んだりしないでしょ?!」
慌てた怜衣の様子に、釉乃は笑って答える。
「えー、けっこう普通に飲むよ? 人間と同じ見た目の霊だったら結構飲食店に通ってる人もいるし……。あ、ほらあそこにいるちょっとだけ透けてる男の人! あの人、たぶん幽霊だよ」
頬杖をついた彼女がストローで指し示す。離れた場所に座るタンクトップ姿のがっしりとした男性は丼のような物を嬉しそうに口に掻き込んでいる。言われてみれば確かにうっすらと透けている様にも見えるその男性の周りには、自分達と同じように不自然なほど空席が目立っていた。
「まあ、実際にはそのものを食べると言うよりは思念を食べてるって感じだけどね。それでも甘いもの食べると幸せな気持ちになれるんだよ?」
「幸せな気持ちって……」
釉乃の手元にあるチョコフラペチーノのカップもよくよく見ると少しだけ透けている様に見える。どうやら実際の食べ物を食べていると云うわけではなさそうだ。
「それってつまり、生きてる時とは違う世界で生きるとか、そうゆう意味ですか?」
「うーん、まぁ、近からず遠からずって感じかな? 生きてるとか死んでるってゆう、明確な違いなんて今の私達にはわからないでしょ?」
釉乃はストローを啜りながら言っていた。言葉の意味はわからないが、怜衣には彼女の姿に底知れない自由な感情を覚えさせていた。
何にも縛られない自由で優雅なその出で立ちは不思議と居心地が良さそうな気がする。何故かはわからないけれども、彼女の行動の一つ一つに自分にはない余白のような余裕を感じてならない。
「あの、私も……釉乃さんの言う通りにすれば、そんな風に、あなたみたいに自由になれるの?」
釉乃は呑み込んで笑う。その顔には幸せそうという曖昧な感情が読み取れていたのだった。
「もちろん。私はレイちゃんの事を友達だと思ってるから、騙すつもりとかは一切ない。それは勘違いしないでね。これから話す作戦も、全部あなたの為だから。誤解される前に聞かれて、むしろ良かったよ」
彼女の言葉に悪意は感じられない。いや、上手く隠しているのかもしれないが、それを疑う工程すら今の怜衣には無駄に思えたのだった。
「わかりました。私はあなたの提案を受け入れる。詳しく聞かせてほしいです」
頭を下げつもりの怜衣の身体は僅かに揺れた。人魂の彼女にとって表現する方法は他にない。その意図を汲んだように、釉乃は優しく口を開いていた。
「初めての事ばかりだろうから、不安な気持ちはよく解るよ。私も初めは同じだったもの」
「……今、私がおかれてる状況が全然わからない。だから、わらないことは質問させて貰います」
彼女は納得したようにストローを吸いきると、空になったカップをテーブルに置いたのだった。
「オッケー、よし。それじゃあ本題に移ろうか」
釉乃は得意気に微笑む。その表情に怜衣は思わず息を呑んで聞いていたのだった。
◆◆
「ところでさ、レイちゃんって生前にゲームとかって良くやっていたほう?」
釉乃は突然尋ねてきた。質問の意図が解らないまま答える。
「え、家はあんまり裕福じゃなかったから……。ああ、でも。お母さんが持ってた携帯ゲーム機は昔遊んでました」
「ふーん。どんなやつ?」
「え……っと。良く理解はしていなかったけど、怪物を捕まえて戦わせるヤツ……。あんまり好きになれなかったけど」
思い出して言い淀む。母がくれたゲーム機は正直言ってあまり興味が持てなかった。大まかな内容は把握できたものの、当時の怜衣にとって操作している側に選定されるようなそのゲーム構成は、とても好感を持てる代物ではなかった。
「おー! 時代的にアレかな? それなら話がはやいよ」
「……? そのゲームと何か関係があるの?」
釉乃は何度か頷くと、テーブルの隅に置かれた紙ナプキンを一枚引き抜いた。
そんなものまで触れられるのかと、怜衣は素直に関心して見る。
「そうだね、今の私達って……そのゲームと良く似ているの。例えば、これが今のレイちゃんね」
彼女は何処からか取り出した黒いボールペンで、紙ナプキンに丸い絵を描いた。そこから矢印を引く彼女は、何かを真剣に描くのだった。
怜衣は眉を寄せてみる、人魂の姿の彼女はただ揺れる。
「完成、ざっとこんな感じかな? あ、この中心の丸がレイちゃんね?」
「はい……それはなんとなく解ります。この矢印の先はどうゆう意味なんですか?」
釉乃の描いた簡素な絵には、中央に描かれた丸い絵からいくつも矢印が延びていた。一つ一つ目で追うと、それぞれ個性的な絵を指し示している。
「これはいわゆる可能性ってヤツよ。見て、まずこの先にあるのが、ついさっきレイちゃんが見せた変化の先」
「え、私、こんな怪物みたいになるの?」
思わず聞き返していた。左側に伸びる矢印の先には、他の絵と比べても一層醜態なモノが描かれている。
「怒りとか、嫉妬とか……、とにかくこれでも元の姿には戻れるんだけれど……。私はあんまりお勧めしないかな。地縛霊とか聞いたことある? 所謂そんな存在かな」
釉乃は自嘲気味に笑って答えていた。恨み……それがこの先自分にとってどう映るのか、言葉がなくてもなんとなく解る。釉乃のコミカルな絵からでも十分過ぎるほど、その忌々しさは伝わってきたのであった。
「じゃあ……、私はこの絵の中だとどれを目指せばいいの?」
人魂の身体を揺らし尋ねる。釉乃は少し考えるような仕草を見せた後、何か含んだような笑みを浮かべた。
「そうね……。じゃあ……」
彼女の指は一つの矢印の先をなぞる。そこに描かれるモノを見る怜衣は、青い焔を揺らし戸惑った。
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「まずはカモを探そうか?」
「カモ……?」
怜衣は、釉乃の言葉に首をかしげた。
「あ! あれなんかいいんじゃない?」
釉乃の指差す先には、楽しげに話す大学生風の若い男達が談笑していた。
「ちょっと、話が全然わかんないんだけど、どういう事ですか?」
「あー、まぁ、幽霊の力を増幅させるためには、人間の感情エネルギーが必要なんだよ。特に、強い感情ほど効果がある。だから、感情の起伏が激しい若者たちは、格好のターゲットなんだ。それに、ひょっとしたらあの男の子……」
「え、どういうこと……?」
怜衣は、ますます混乱した。
何かを企んだ様に釉乃は笑うのであった。




