第二十六話 『被害者R.Oについて』 投稿者:?.k part5
廃校舎の周囲に転々と設置された外灯は全て消えていた。遠くに見えるまばらな住宅からは随分離れていて、すぐ目の前にあるはずの巨大な建物は暗闇と境が見えない。それによって不気味さは増しているように思えた。
先を進む総一はLED懐中電灯を向ける。細く延びた光は窓ガラスにぶつかり、青白く、三階の廊下を照らす。
「ちょっと……、二人とも、あれ、見て!」
後ろで心翔が叫んだ。振り返ると、彼は青白い顔で校舎を指していた。
「あそこに、誰かいる……? えっ、ちょっと待てよ、あれって」
何かに気がついた迅も慌てたように声をあげる。総一の視線が二人の言う方へ向いたやさき、人影を見失った。去り際ほんの一瞬だけなびく髪だけが見えた。
二人は青ざめた表情のまま、大きく目を見開いていた。
「今の見たか!?」
「さ、さっきのって……、杏莉……、だよね」
慌てる二人の様子に眉を寄せた。迅と心翔は幽霊でも見たかのように騒いでいる。
「二人ともどうしたんだよ、ただの見間違いだろ」
二人はまだ青ざめた表情で目を見開いている。こんな場所に彼女がいるはずがない、と二人には分かっていたはずだ。連絡の取れない杏莉を心配するあまり、何かの反射を錯覚のように捉えたとしか思えない。
突然、誰かのスマートフォンが鳴った。ポケットから取り出す心翔は画面を見て固まる。
「心翔? どうしたんだよ」
小刻みに震えて心翔は顔をあげる。ゆっくりとそれを向けると、揺れる画面を二人は覗き込んだ。
「ショートメッセージ、杏莉の母親から? 【娘から引っ越し先の住所が届いたから送ります……】この住所って……」
転記された新宿の住所に既視感を感じた総一は、眉を寄せて首をかしげた。同じように眉間にシワを寄せる迅が当然、大きな声をあげる。
「おい、この場所、この新宿の住所って……、こないだの被害者が暮らしてたアパートと同じじゃないか?!」
「や、やっぱりそうだよね」
心翔が震えながら首を縦に振っていた。
「そんな、馬鹿な」
心翔から奪うようにスマートフォン取ると、慌てて車から例の被害者の資料を取りに戻った。
助手席のドアを開ける。乱暴に封筒からそれを抜き取ると、照明を当てて指でなぞる。
「新宿■丁目■■……、なんだよ……? 杏莉のやつ、なんの冗談だよ」
「やっぱり……、杏莉、この前の撮影から様子がおかしかった」
車内後ろから心翔の震える声が聞こえた。
「まさか心翔、杏莉が被害者Rの幽霊に取り憑かれたなんて言うつもりか?」
「だ、だって、実際そうとしか……」
「二人とも落ち着けって」
心翔に詰め寄る総一を迅が引き離した。心翔は震える手でスマートフォンを握りしめ、辺りを警戒するようにキョロキョロと見回した。その顔は恐怖で歪んでいる。そんな彼の姿を総一は鼻息荒く睨む。
「普通に考えて杏莉が取り憑かれたなんてありえるわけない、俺も総一と同じ意見だ。だが実際わけのわからない状況なのも事実だろ。そんなもん俺達が今考えても解るわけねぇし、とにかく今は杏莉が無事か確認してみるしかないんじゃねぇか?」
迅は感情的な二人を落ち着かせるように言い聞かせた。
「……たしかに、迅の言う通りだ。心翔、悪かった。母親に杏莉が無事かどうか確認してくれ」
「う、うん。僕も取り乱してごめん」
心翔は画面を叩くと、すがるように返信を待つ。
「さてと、俺達はどうするか。さっきのが本当に杏莉か確かめにいくか、このままここで母親からの返事を待つか」
迅は廃校舎と心翔を交互に見て呟いた。
「どうせ待つなら確かめながらでも一緒だ。もともと撮影に来たんだ、中に入れそうならそれこそ都合がいいさ」
暗がりに照明を向けて総一は答えた。確かに薄気味悪さは感じる、だが、それこそこの撮影に好影響を与えるもとだ。微かに震える身体は既に恐怖心と好奇心で満ち溢れていた。
「よし、とにかく中に入れる場所探そう。カメラは俺が廻してるから、心翔は杏莉の母親からの連絡に注意していてくれ」
「う、うん。わかったよ」
三人は再び廃校舎へ向かい足を進めた。
◆
封鎖されているとばかり思っていた廃校舎は、殊の外簡単に侵入できた。それというのも正面の大きな玄関口には扉はおろか、硝子すらも全て取り除かれていたのだ。
「普通封鎖しとくべきだろ。こんなんじゃ中に何がいるかわからねぇな」
迅はスポット照明を掲げながら眉を寄せた。
「仮に誰かいたとしてもいこっちは三人いるんだ。ホームレスくらいならどうってことないだろ」
総一はそう言うと開け放された正面玄関に足を進める。すぐ後ろに迅、遅れて心翔が続いた。
校内は想像していたよりも綺麗だった。残留物はほとんどないものの、特段荒らされたような形跡もない。住宅地から離れていることもあってか、誰も立ち寄ることがないのだろう。
「封鎖もされていなかったからてっきり荒れ果ててると思ったけど。これはこれで、逆に不気味だな」
辺りを照らす迅が静かに溢していた。
数年前まで使用されていた形跡はあるものの、不気味なまでにがらんどうの校内の空気は明らかに異様だった。
「もしかしたら、もうすぐ取り壊し工事が始まる前なのかもしれないな」
それなら尚更運が良い。総一は言葉を飲み込んで止めた。
「心翔、返信きた?」
振り向かないまま尋ねる。怯えるような妙な返事をする心翔はスマホを見て黙ると、間をあけずに彼は答えた。
「まだ……、何も。おばさん、もしかしてスマホ見ていないのかも」
期待はしていなかったものの、少しため息を溢す。暗い廊下の先に懐中電灯を向けてみる。リノリウムのような滑らかな床だけが鈍い色を反射していた。
「迅、さっき外から見たのって三階だったよな?」
「たぶんそうだ。誰か出てきた様子もなかったし、もし見間違いじゃなければまだ中いるんじゃないか」
「も、もし誰もいなかったら……?」
怯える心翔に少しだけ苛立つ総一は、また振り返らずに歩きだした。
「その時は心霊動画にでもしてアップすれば良いだろ」
足音が暗い廊下に響く。追いかけるように二人の足音が続く。
「それより、総一。そもそもお前はこの廃校で何を撮影するつもりだったんだ? 被害者が卒業した高校なんて、新宿の事件と関係ないだろ」
「ああ、それなんだけど。ほら、これ見てみろ」
総一は車から持ち出していた被害者Rの資料を二人に渡した。既に中身を確認していた二人は眉を寄せていた。
「その中にR、【神子島怜衣】が在学中に問題を起こしているってあるだろ」
「ああ、それがどうしたんだ?」
総一は足を止めると自分のスマホをを取り出して見せた。渡された迅は眩しそうに目を細めてそれを見る。
「担任教師からの不適切な発言に、生徒が自殺未遂……、これがその問題なのか?」
顔を上げる迅に、総一は続きを促すように顎をしゃくった。
「当時、一年生の生徒がホームルーム中の教室内で手首を切るという騒ぎが起こった。学校は事態を公には公表せず、担任教師の謝罪と転任で事を納めた……。この一年生ってのが【神子島怜衣】か、凄ぇことするな……。でも、いったいこんな事どうやって調べたんだ?」
「垂れ込みだよ。DMで送られてきた」
総一は液晶画面の右下の隅を指した。raycoと表示された真っ黒いアイコンが映る。
「事実関係を知っている同級生、もしくは近しい誰か……か?」
「ああ。それで俺も詳しく調べてみたんだけど、当時の生徒にそんな名前の女子生徒は居なかったんだよ」
「は……? ちょっと待てよ、それならこの被害者Rの情報は間違ってんのか?」
その時、二人のやり取りを黙って聞いていた心翔が弱々しく口を開いた。
「もしかして……、神子島怜衣は、男子だった……?」
心翔を見る総一は大きく頷く。
「そう、実際には在校生に神子島怜衣は存在した。男子生徒としてな」
「はぁっ!? 余計に訳がわからねぇ……、写真も戸籍も、開示請求した警察の資料でも確認した。確かに女って書いてあったぜ?」
混乱した迅は声を荒げる。四人の調べた被害者の素性は過去と不可解にずれていたのだ。
「だからこそ、そこを調べに来たんだよ」
総一は次のメッセージを開いてみせる。
『Rの最後のクラスは三年四組。当時の机が残っていれば、嫌がらせの落書きがまだ残っているはず』
raycoと名乗る人物とはその後返信は来ていなかった。
「机なんてそうそう新しくするものでもないし、二年前の卒業生ならまだ残っている可能性は高い」
暗闇はようやく突き当たりで止まる。変わりに折れ曲がった上階へと続く階段に差し掛かった。
「一階の教室に着いてた表記が一年って事は、目的の三年四組も三階にあるはず」
スマホを迅から受けとると、総一は階段に足をかける。どういう訳か階段は木目調で唸るように軋んだ。一階の床だけは上から改築されていたのだろうか。怪訝に足元を照らしていいると、迅も同じように声をあげていた。
「心翔、まだ返事はこないか?」
軋む階段を昇る足音が響く。心翔から返事はかえってこない。
「……おい、心翔。聞いてる?」
振り返るとすぐ後ろには、眩しそうにする迅の顔が見えた。
「心翔?」
「あれ? 心翔のやつ、どこ行ったんだ」
振り返る迅も異変に気がついた。暗く深く続く階段に心翔の姿はなかった。