第二十三話 『被害者R.Oについて』 投稿者:??? part3
七月二十九日の夕暮れ時、駅前の賑やかなファミリーレストランの一角で、総一は一人、満面の笑みを浮かべていた。目の前のテーブルには、いつものように注文したハンバーグとポテトフライが並び、慣れた手つきでフォークを伸ばしながらも、その視線は据え付けられたようにタブレットPCの画面に釘付けになっている。
「再生回数……、まだこんなに伸びるのか……」
小さく呟いたその声には、隠しきれない喜びが滲み出ていた。日に日に増え続ける動画の再生数。それはまるで右肩上がりのグラフのように、総一のアカウントのフォロワー数を急激に押し上げていた。全ては、周到に練り上げられた総一の思惑通りに進んでいる。
「この調子で第二弾も万再生を軽く超えたら、あっという間に人気配信者の仲間入りだ。ふっ、配信者なんて、やっぱり楽勝だな」
PCの画面に映し出される数字は、総一の期待に応えるように増え続けている。満足げな笑みを浮かべてその光景を眺めていると、突然、テーブルが微かに振動した。反射的に手を伸ばしたのは、傍らに置いていたスマートフォン。液晶画面には、鮮やかなゴシック体で【心翔】という二文字が表示されていた。逸る気持ちを抑えきれず、すぐに受話器のアイコンをタップする。
「心翔か、ちょうど良かった。実は俺からも今、連絡しようと思ってたところなんだ」
スマートフォンを肩と耳で挟み、片手を空けながら、総一はタブレットPCのキーボードを叩き始めた。投稿したばかりの動画のコメント欄に、あたかも熱心なファンであるかのように、応援メッセージを打ち込んでいく。自作自演ではあるが、その巧妙な手口に内心で舌なめずりをした。
満足感に浸っていた総一は、ふとした瞬間に奇妙な違和感を覚えた。電話の向こうから、一向に友人の声が聞こえてこないのだ。
「……? どうした、聞こえてるか?」
応答のない心翔に、訝しげな表情を浮かべながら液晶画面を確認する。Wi-Fiの電波はしっかりと掴んでいる。画面の中央には、【心翔】の名前と共に、通話時間が刻々と進んでいく秒数が表示されていた。通話は繋がっているはずなのに。
「もしもし? 心翔、聞こえてる?」
焦燥感が募り始める。やはり、何も返ってこない。一度通話を切ろうと指を動かしたその時、微かに、本当に微かな音が耳に届いた。
「……、……、ンゥ、ンゥゥ」
まるで喉が詰まったような、苦しげな呻き声が聞こえた気がした。瞬間、総一の脳裏には、何らかのトラブルに巻き込まれた友人の姿が鮮明に浮かび上がった。
「おい、心翔、なにか冗談のつもりか……」
今度は、さっきよりもはっきりと、堪えきれないような悲鳴が聞こえた。総一の心臓は、急激に早鐘を打ち始める。
「心翔! 聞こえるか?! 一体どうしたんだよ、返事しろ!」
抑えきれない感情が声となり、周囲の喧騒を切り裂くように店内に響き渡る。突然、通話口に向かって叫び始めた総一の異様な姿に、周りの客たちは一斉に奇異の眼差しを向け始めた。しかし、そんな視線など、今の総一には全く入ってこない。
「おい、心翔、大丈夫か?!」
なりふり構わず叫び続ける総一の声は、虚しく店内に木霊するばかりで、心翔からの応答は途絶えたままだった。
心翔に一体何があったのだろうか? 具体的な理由は全く思い当たらない。しかし、ひょっとしたら何か深刻なトラブルに巻き込まれ、助けを求めて連絡してきたのかもしれない。焦りと不安が入り混じり、矢継ぎ早にいくつもの妄想が頭の中を駆け巡る。その時、途切れ途切れだった通話の向こうから、唐突に声が聞こえてきた。
「総一? さっきからどうしたの?」
その声は、紛れもなく心翔のものだった。張り詰めていた総一の体から、一気に力が抜けていく。
「心翔、無事なのか?! 焦った、本当に何かあったのかと思ったわ。も、もうビックリさせるなよ……」
安堵のあまり、言葉は震えていた。心翔の声は、いつもと変わらない、穏やかなトーンだった。先ほどまで確かに聞こえていた、あの気味の悪い息遣いは、まるで幻だったかのように消え去っていた。
「なんだよ急に。こっちから電話してたのに、全然出なかったのは総一の方じゃないか。変な声も聞こえたし、何かあったのかと心配したよ」
心翔の言葉に、総一は混乱の色を濃くする。何を言っているんだ?
まるで、自分と同じような状況に陥っていたと言わんばかりの言葉。まさか、同じような奇妙な体験を同時にしていたのだろうか?
「そんなことより総一、SNSのコメント見た?」
「はぁ……? コメントがどうしたって?」
もしかしたら、先ほどの異様な感覚は、全てただの気のせいだったのかもしれない。たまたま、自分か心翔のどちらかのスマートフォンの回線に、一時的な不具合が生じただけなのだろう。そう考えようとした。
「いや、動画を見た視聴者から来てるコメントが、ちょっと荒れてるみたいでさ」
「荒れてるって……、アンチとか、荒らし目的のコメントでも上がってたのか?」
「いや、そうじゃないと思うんだけど……。とにかく今、見れる?」
言葉を濁す心翔の様子に、一抹の不安を覚えながらも、総一はタブレットPCの表示を切り替えた。個人的なアカウントから、鮮やかな水色のアイコンが印象的な【空色サイファー@公式】のページへと画面を遷移させる。フォロワー数は、また驚くほど増えていた。やはり、先日投稿した動画は、予想を遥かに超える反響を呼んでいるようだ。
「開いたぞ。そのコメントってどれだよ?」
トップページに表示された最新の動画、その投稿日にカーソルを合わせる。
「どれって言うか……、見ればわかると思うけど」
歯切れの悪い心翔の言葉に、少し苛立ちを覚えながら、総一はコメント欄へと視線を移した。
「……は? なんだよ、これ」
画面を見た瞬間、総一の指はピタリと止まった。最新のコメントが、一番上に表示されている。
◆
【BEMポン@空色信者】 2分前 初見じゃ解らなかったけど、今見返したらマジ鳥肌……。
【シューヤン@低浮上】 6分前 指摘のあった箇所確認!
【かナップ】 8分前 え、待って。これ普通に怖いんだけど……
【ドッペルちくわ】 10分前 確かに見られているキガス……
【あしゃみ@三次ホラー好き】 13分前 てかこれ空色サイファーのメンツだいじょぶなん?
…… ……
コメント欄には、まるで洪水のように次々と新たな書き込みが流れ込んでくる。上から順に目を追っていくが、そこに書かれている内容が、総一には全く理解できなかった。
「なんだよこれ……、コイツら一体何を言ってるんだ?」
スピーカーに切り替えたスマートフォンから、心翔の少し不安げな声が聞こえてきた。
「総一、確認できた?」
すぐに通話を切り替え、スマートフォンを右肩と耳の間に挟む。
「今見てる。全然話がわからない、何をそんなに騒いでいるんだ?」
スクロールバーを勢いよく上下させながら、何か手がかりになるような詳しい記述がないか、コメントの一つ一つを隈なく確認していく。しかし、コメントの数が多すぎるせいか、核心となるような内容はなかなか見えてこない。
「521番目からだよ。おかしなコメントが増え始めたのは」
心翔の言葉を受け、総一は画面を一気に下へとスクロールさせた。
「533……、529……、524……、あった、521、これか」
【rayco】 22時間前 よく見える
たったそれだけの、取り立てて意味のあるようには思えない短い文章。一体なぜ、このコメントに多くの人々がこれほどまでに反応しているのだろうか?
理解しがたい奇妙な現象に、総一は眉をひそめ、画面を睨みつける。その時、再び心翔の声が、総一の意識を現実へと引き戻した。
「そこから幾つか他のユーザーがコメントしてるんだけど、527番目のコメントで、ガラッと雰囲気が変わるんだ」
言われた通り、527番目のコメントを探し出す。そこには、【rayco】とは明らかに違う人物が書き込んだであろう、少し長めの文字列が並んでいた。
【真相者】 21時間前 521の意味、もしかしたら解ったかも。動画に時々映り込んでる黒い映像、あれに反射して誰か映ってない?
「え……、そんなシーン、あったか……?」
動画を撮影した時も、編集作業で何度もプレビューを見た時も、そんな奇妙な黒い映像など、全く記憶にない。
「僕も念のため見直してみたけど、指摘されてるような黒い場面なんて、どこにも確認できなかったよ」
心翔の声も、心なしか不安そうに揺らいでいた。投稿者である自分たちでさえ気づかない、何かが動画に映り込んでいるというのだろうか。
しかし、そんな不気味な状況にも関わらず、総一の頭の片隅では、抑えきれない歓喜が静かに渦巻いていた。理由はどうであれ、この動画は間違いなくバズっている。このままいけば、再生回数はまだまだ伸び続けるだろう。既に制作に取り掛かっている第二弾、第三弾の続編への期待も高まる。いつの間にか、タブレットPCの画面を見つめる総一の顔には、薄い笑みが浮かんでいた。
「それと……」
心翔との通話がまだ切れていなかったことに気づき、慌てて意識を集中させる。
「次の撮影の打ち合わせをしたいんだけど、杏莉と全然連絡が取れないんだ。総一、何か聞いてる?
」
「いや、俺は何も聞いてないな。後で迅にも連絡してみるよ」
「……うん、頼むよ。もし連絡が取れたら、僕の方に連絡くれるように伝えてくれると助かる」
「ああ、わかった。なぁ、心翔……」
「どうしたの?」
「今回の動画、絶対成功させような。俺達四人で」
強調するように、ゆっくりと、そして力強く言った。
「ああ、もちろんだよ」
心翔の明るい返事を聞き、総一は通話終了のアイコンをタップした。スマートフォンをテーブルに置き、大きく深呼吸をする。胸の奥には確かな手応えと、これから始まるであろう成功への期待感が高鳴る鼓動と共に広がっていた。