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057.調味料をあなたへ

 それから二週間ほど、午前中に侯爵城に登城し、夕食前には宿に戻るという生活をしばらく続け、サッカーの指導や街興のための施策立案会議に参加したりする日々を過ごした。


 正直、サッカーは見る専なので、技術的な指導はほとんどできなかったが、ルールや大まかな戦術の話ぐらいは伝えたので、あとは優秀な誰かが上手くやってくれるだろう。

 それよりもサッカーをプロスポーツとしてどうやって運営していくのかということの方が重要なので、どちらかというとプロスポーツの仕組みの説明に重きを置いたのだったが、こちらも経営のプロがあとはやってくれるだろうから任せておけばいいだろう。『知っている』ということと『できる』ということは全くの別物だからね。


 何だかんだ言っても結局は、サッカーは、そしてスポーツは『するのも見るもの楽しい』という文化というか意識が根付くかどうか、というのが一番の決め手なので、衛兵さんたちと練習したり、街の子どもたちと草サッカーをしたりと、久しぶりのスポーツに汗を流す時間が一番多かったように思う。

 ルシュからすれば、ただ遊んでいただけのように見えたかもしれないが、断じてそうではない。これはこれで草の根活動として大切なことだったのだ。


 さて、人を呼ぶための興業としてのサッカーが仮に軌道に乗った場合に、次に重要なのが、訪れた人々にさらに金を落としてもらうための術だろう。

 そしてそれは、『食』が最も簡単で、確実性が高い。

 幸いにして、ノト公爵領には醤油と味噌という素晴らしい調味料がある。いや、調味料というよりも食文化と言った方がいいかもしれない。これを使わない手はないだろう。

 さらに、この国の主食はパンだが、一部の地域、特に都市部よりも農村部では、麺も食されている。醤油、味噌、麺——夢が広がるというものである。

 うどんが食べたい。ラーメンが食べたい。俺のこの切実なる欲求を、誰がとがめることができようか。

 毎日のように厨房に通い詰めては試食を繰り返す俺。

 ルシュからすれば、ただの食いしん坊に見えたかもしれないが、断じてそうではない。試行錯誤は商品開発として大切なことだったのだ。


 と、まあ、ノト公爵領の経営改善のために、昼寝をする暇も惜しんで汗をかいていたわけだが、もともとここまで領地経営に干渉するつもりはなかった。ただ、乗りかかった舟というか、乗った舟が沈みそうだったので、必死にオールを漕いだという感じだ。

 技術顧問として俺かれすれば少なくない給料ももらっていることもあるが、結局は、俺が侯爵一家を好きになってしまったというのが一番の理由かもしれない。

 本心から民のことを想い、苦悩し、苦心し、苦労する領主の一家。上級貴族らしからぬ親しみのある人たち。そんな彼らのために一肌脱ぎたいと思うのは、男としておかしなことではないだろう。ローデンスもきっと同じような気持ちだったのかもしれない。


 ただし、俺がここで用いているものは全て、元の世界で誰かが努力の末に生み出したものだ。他人のふんどしで相撲を取る以上、俺は自分に二つのルールを課している。


 一つは、文化ハザードを起こさないこと。

 ある文化に別の文化や技術を持ち込むことは、思いの外ハレーションが大きい。特に技術レベルを跳躍するような知識や概念を持ち込むのは絶対にダメだ。

 俺が伝えるものは、この世界の文化や技術の進展の程度から見て、すでにありそうなもの、あってもおかしくないようなものに限定すると決めている。そしてこれは異世界テンプレ物の絶対のお約束でもある。知らんけど。


 そしてもう一つは、その技術自体で俺自身が富を得ないことだ。

 今回のように、一時的な収入を得ることはあるだろうが、それで富や名声を得て、財産を築くことは許されない。それは俺の中の信義則に反するからだ。


 これらのことは、サンドロの街で、ナルに鉛筆のことを伝えたときに決めたことでもある。

 まあ、純粋にラーメンを食べたいという個人的願望を全て否定することはできないけどね。



「こ、これは、美味いね……」


 ノト侯爵は、醤油ラーメンをフォークで口に運び、驚愕をもってそう呟いた後、一心不乱に麺を啜り、ついにスープまで完食した。


「これも美味いな! そちらがショーユラーメンということは、これはミイソラーメンか」


 ルファードのどんぶりもあっという間に空となっていた。


「ルファード様が仰られたとおり、醤油ラーメンと味噌ラーメンです。いかがでしょうか?」


 俺としては、まだ麺に納得がいっていない。ラーメンの麺というよりは、細いうどん麺、細いパスタ麺といった感じで、あと一歩しっくりこないのだ。しかし、スープについては、試行錯誤の積み重ねにより、近所のラーメン屋の親父の味に限りなく近いものが再現できたと思う。


「これだけで十分人を呼べるような気がするよ」


「父上の言うとおりだ。これは帰ってきたら忙しくなりそうだな」


「こうなってくると、帝国会議が億劫になってくるな……」


「あなた、そういうことを言うものじゃありませんわ」


「わかっとる、わかっとる。ああ、行きたくないなあ」


 ノト侯爵とベロニカ夫人、そしてルファードとは今日で一旦お別れだ。

 彼らはこの昼食を食べた後、帝国大会議のために帝都へ発つ。会議の開催までにはまだかなり期間があるが、貴族間の折衝や根回しなど色々とやることがあるそうだ。

 特に今回は、樹海縦断街道の整備を上奏する予定だったものを急遽撤回することにしたため、事前調整に奔走することになる。その中でも彼らがこれから向かうレシーノが最初にして最大の山場だ。レシーノ公爵に話をつける——それこそがノト侯爵の最重要命題だ。

 そういうわけで、ノト侯爵のこの嘆き節ももう何日も前から続いていた。

 そして、彼らの出発に合わせて、俺たちの期間限定侯爵家勤務も終了だ。


「これまでのご厚情、感謝申し上げます、侯爵閣下。旅の安全を火の神に祈っております」


 一応今日まではノト公爵に雇われている身なので、臣下の礼をとってそう言った。

 まあ、俺自身が加護なしなので、俺の祈りにどの程度の効果があるかはわからないが……


「急にそんなよそよそしい態度をとってひどいではないか、アキラ君。君が私のことをクソジジイと呼んでいたのは知っておるんだぞ」


「な、何のことでございましょう……」


 ラーメンのスープ開発の初期の頃、何度も何度もダメ出しを食らって意気消沈していた厨房チームを鼓舞するために、一度や二度ぐらい、いや、一度や二度ならずそう言ったこともあるような、ないような……


「まあ、そんなことはどうでもいいのだよ。本当は何か褒美を取らせたいところなんだがね、あいにく君の働きに見合うだけのものを準備できていなくてね。そこで思いついたんだが、君がこのまま我が家に仕えてくれるのであれば、爵位を授与しようと思っているんだけど、どうだろう?」


「慎んでお断りします」


 爵位なんて支部長の推薦状以上にもらいたくない。旅を続けられなくなるのも困るしね。


「君ならそう言うと思ったよ。しかし困ったね……そうなるとあげられる物がなかなか思いつかないなあ」


「お気持ちだけで十分で——」


 いや、待てよ——


「恐れながら閣下、一つお願いがございます」


「なんだい? お手柔らかに頼むよ」


「ショーユとミイソを少しお分けいただけないでしょうか?」


 晩餐会に招かれた日、本人は覚えていないかもしれないが、確かノト侯爵は、醤油と味噌を分けてくれると言っていたはずだ。もし本当に分けてもらえるなら、爵位なんかよりはるかに素敵なご褒美だ。


「ああ、それならもう用意させておるよ。帰りに厨房に寄って好きなだけ持っていくとい——」

「ありがとうございます!」


 おっと、いけない。嬉しさのあまり、また食い気味にいってしまった。


「アキラとルシュもこれからレシーノ経由で帝都へ向かうのだろう? レシーノでは我々も少々時間をとるのが難しいかもしれないが、帝都に着くころには粗方の問題を片付けておくつもりだ。だから帝都では是非ともノトの私邸にも寄ってくれ。まだまだ聞きたい話もあるしな」


「ありがとうございます、ルファード様。ぜひお伺いさせていただきます」


「それはよろしいですけど、あなた。ルシュに手を出すのは許しませんよ」


「何を言うか、ネメシア。私は、神の巫女に手を出すほど、畏れ知らずでも愚かでもないぞ」


 ぐぬぬ……

 その大根役者っぽい台詞回し、俺をディスるためだけにわざわざ仕込んできやがったな。


 次期侯爵夫妻の代わりにルシュを睨むと、てへっとしてぺろっとなんかしていやがる。

 早くこいつを何とかしないと、俺はどこに行っても、畏れ知らずの愚か者扱いになっちまう。


「まあまあ、アキラ殿。お二人のことを無理矢理聞き出したのは母上たちですし、ルシュ殿に悪気はないのですから」


 え? ヴェルファ君、今のルシュの顔見てなかった? 悪気の塊みたいな顔してたけど?

 そんなふうにルシュを庇ったりしてたら、ヴィオラ嬢に言いつけちゃうんだからな。


「ところで、アキラ殿たちはいつ出発されるおつもりなのかしら?」


 俺の非難の目が自分に向く前に、侯爵夫人がさらりと話題を変える。

 どうせ俺の味方なんかいやしないよ。わかってるさ。


「旅の支度が整い次第、早ければ今週中にも発とうと思っております」


「でしたら、あっという間に追い抜かれてしまいますわね。いっそアキラ殿に護衛を頼めれば良かったのですけど」


「それじゃあ、我が兵の士気に関わってしまうよ。しかし、私たちが魔物に襲われていたら駆けつけてもらいたいものだね」


 縁起でもない話だけど、そのときは必ず駆けつけますよ、閣下。


「何にせよ、ともに無事で、再び帝都で会おうではないか!」


 そう言って笑う侯爵の顔は、初めて会った日よりもはるかに明るいものだった。


 こうして、侯爵家の見送りを受けて、俺たちは侯爵城を後にした。

 侯爵一行は、これから出陣式を行った後、俺たちよりも一足先にレシーノに向けて出発だ。

 これで一件落着。巻き込まれ型強制イベントは無事終了ってことで、マリアンネ支部長も今度は依頼達成を認めてくれることだろう。


 さあ、次は俺たちの番だ。

 誰にも縛られない、気ままな世界一周の旅を再開しようじゃないか。

アキラ編は月曜連載です。


【以下テンプレ】

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同タイトル【クライ編】と合わせて二軸同時進行中です。

https://ncode.syosetu.com/n2899ja/

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