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051.粗茶をあなたへ

 ……ザワザワ……ザワザワ……


 冒険者組合ノト支部。

 その扉を開けると、一瞬の静寂の後、潮騒のようなざわめきが起こった。


「黒髪だ……」

「まさか……ちょっと早過ぎないか……?」

「しかし、白髪もいるぞ……」

「じゃあ、やっぱりオーファンズの二人か……」

「おれ、サインもらっちゃおうかな?」


 何を言っているのかはわからないが、ヒソヒソと話す冒険者たちの視線がチラチラとこちらを向いているので、たぶん俺たちの髪の色のことでも話しているのだろう。

 不躾だとは思うが、いつものことでもあるので特に気にはならない。そんなことよりも——


「あー……頭いてェ……」


「飲み過ぎだよ。疲れてたんだから、ほどほどにしとかなきゃ」


「ルシュは平気なんだな?」


「私はほどほどにしてたもん」


「ほどほどね……」


 飲みニケーションを得意とする俺も、ギロックさんとその木こり仲間に囲まれてはさすがに分が悪く、見た目に違わぬ酒豪たちにさんざっぱら飲まされる羽目になってしまった。

 ルシュも俺と同じか、それ以上に飲んでいたはずなんだが、それを『ほどほど』と言うのであればそうなんだろう。お前の中ではな。


「失礼します。オーファンズのお二人でしょうか?」


 痛む頭を押さえながらルシュと立ち話をしているところに、受付のお姉さんが声をかけてきた。


「いえ、違いますけど?」


「え?」

「え?」


「でも、黒髪と白髪……」


 受付のお姉さんは戸惑いながら、俺とルシュの顔を交互に見る。


 オーファン……? 確か『みなしご』って意味だったっけ?

 そういえば、黒髪加護なしのことを『神のみなしご』と呼ぶって、どこかで聞いたことがあるような……


「もしかして、俺たち周りの人たちから『オーファンズ』って呼ばれてるんですか?」


「あら? ご自身でそう名乗られているわけではなかったのですね。黒髪のアキラに白髪のルシュ、新進気鋭の冒険者パーティ・オーファンズ。最近はお二人の噂で持ちきりですよ」


「へえ……」


 いったいどんな噂なんだろうか……悪い予感しかしないんだけど。


「まあまあ、立ち話もなんですから、どうぞこちらへ」


 そうして受付のお姉さんに案内された先は支部長室だった。

 サフォレス支部から連絡も来ていることだろうし、それも当然か。こちらも支部長に会いに来たのだから好都合だ。


「どうぞ、粗茶ですが」


 ソファに座って支部長を待っていると、先ほどの受付のお姉さんがお茶を出してくれた。

 俺はそのお茶を見て、目を見張った。


「こ、これは……!」


 カップを持ち上げ、香りを嗅ぐ。爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。

 我慢できずに、その鮮やかな緑色の液体を口に含むと、爽快な渋みとまろやかな旨みが口いっぱいに広がる。


「緑茶だ……」


「あら、よくご存知ですね。ノト侯爵領、それからレシーノ公爵領の一部では、紅茶よりも緑茶が好んで飲まれているのですよ。飲み慣れない方の中には、この苦味が苦手だと仰る方も多いんですけどね」


 そう笑顔で解説してくれる受付のお姉さん。ニコニコしていてなかなか可愛らしい。


「あの、お代わりをお願いしてもいいですか?」


 客人の方からお代わりを要求するなど無作法極まりないが、そんなことに構ってはいられない。

 この味、懐かしすぎる。ちょっと涙が出そうだよ。


「ふふ。お気に召していただけたようで何よりです。すぐに準備させますので、お好きなだけ召し上がってくださいね」


 そう言って受付のお姉さんは、俺の目の前のソファにゆるりと腰をかけた。

 可愛らしい上に、優雅だ。


「さて、それでは早速ですが、本題に入りましょうか」


「本題?」


「ええ、ローデンス様からの依頼の件です」


「ああ、それでしたら、申し訳ありませんが、支部長を呼んでいただけませんか?」


 俺だって皺枯れた支部長なんかより、可愛らしいお姉さんと話をしていたいが、依頼の件はノト支部長とだけ話すようにと、レイシェル支部長から強く念を押されているんだよ。


「ええ、ですから、私がお話をお伺いします。支部長は私ですので」


「え?」


 その言葉に驚いたのは、まず俺だった。

 いくら何でもそれは無理があるだろう。目の前の女性は、その若さに驚かされたレイシェル支部長よりももっと若い。俺たちと同じぐらいか、下手をすれば年下まである。


「こう見えて、私は五十三歳なんですよ」


「え?」


 次に驚いたのはルシュだった。驚愕のあまりカップを取りこぼしそうになっている。


「うそ……」


「はい、うそです」


 ルシュの唖然とした呟きに、支部長を騙る受付のお姉さんはニコニコと答えた。


「申し訳ありません。お二人の反応があまりにも可愛らしいもので、ついからかってしまいました」


 可愛らしいって、あんたの方が若いだろうが。こんなに肌艶の綺麗な五十三歳がいたらもはや人間じゃねえよ。

 なかなか面白いお姉さんだが、そろそろこちらも本題に入らなければならない。


「でしたら、支部長をお呼びいただいてもいいでしょうか?」


「あら、ごめんなさい。誤解させてしまいましたね。私が支部長という話は本当なのです」


 そう言って支部長を騙る受付のお姉さんが左手を差し出してきたので、俺はその手を取った。


「まあ、手を取っていただけるなんて。こちらの指輪を見ていただければ、それでよかったのですけど、でも嬉しいです」


 勘違いを指摘された俺は真っ赤になって、慌ててその手を離す。

 いや、だってさ、美女に手を差し出されたら、条件反射で握ってしまうよね。俺は悪くないはずだ。だからルシュさん、思い切り太ももをつねるのはやめてくれませんかね?


 それにしてもその指輪、バーンのグラム支部長も嵌めていたやつだよな。飾り気のない爺さんにしては派手な指輪だなと思ったから、やけに印象に残っている。


「支部長の指輪だよ」


 悩む俺にルシュがそう耳打ちをしてくれる。

 そう言われると、確かにレイシェル支部長もそんな指輪していたような?

 あの人は見た目に派手な人だったから、あまり覚えてないけど、ルシュがそう言うのだから、そうなのだろう。


「では、改めまして。フレイミア冒険者組合ノト支部の支部長を任されておりますマリアンネと申します。昨年任命されたばかりの若輩ではございますが、以後、お見知り置きくださいませ」


 立ち上がって淑女の礼をとるマリアンネさんは、支部長という肩書きを知ってしまったせいか、それだけで先ほどまでとは違って、風格が漂っているようにも見える。


「ご、ご丁寧にどうも……俺たちは——」


「存じておりますよ。黒髪のアキラさんと白髪のルシュさん。加護を持たないにもかかわらず、すでに十体もの大型種を屠り、二週間と四日という驚異的な早さで樹海縦断に成功した奇跡の冒険者パーティ。本気か皮肉か、決め台詞は『ゴッドブレスユー』、修道女を神から簒奪した恐れ知らずの自称イケメン・アキラ。神よりも一人の男を選んだ背徳の巫女、その身に纏うのは白いロマンス・ルシュ。生ける伝説・炎拳のグラムの推薦状を携え、森林の賢人と名高きローデンス次期公爵閣下の信頼も厚い神のみなしごたち。人呼んで、オーファンズ・ツーのお二人ですよね」


「ち、違いますけど……?」


 少しどころか盛大にディスってるよね? ってか、自称イケメンって何なんだ。俺はイケメンを自称したことはないし、イケメンであったこともないぞ。

 俺だけじゃなく、ルシュまでも呆然とさせるとは、大した女だよ、まったく……


「お二人の戯曲を書きたいと、吟遊詩人からの依頼が早くも舞い込んできていますけど、どうしましょうか?」


「お、お断りします……」


「そうですか。冒険者として名を売るいい機会なんですけど、無理強いはできませんから仕方ありませんね。私の口から武勇伝をお伝えしておきましょう」


 な、何を言っているんだ、この女は……。こいつに俺たちのことを語らせると、尾鰭どころか、背鰭、胸鰭まで付いて、終いには泳ぎ出してしまいそうだ。


「そ、そんなことよりマリアンネさん、いや、マリアンネ支部長。レイシェル支部長からノトの支部長に直接渡すようにって、書簡を預かっているんですよ」


 急いで話題を変えるべく、俺は鞄から取り出した二つの封筒を差し出した。


「あら、レイシェル先輩から? ああ、確かにこの印璽はサフォレス支部のものですね。何でしょうか?」


 マリアンネ支部長は封蝋を丁寧に剥がすと、取り出した二つの手紙にほんの一瞬だけ目を落とす。そしてすぐに一つを封筒に戻し、もう一つを再び俺に渡してきた。


「一つはアキラさん宛てでしたよ。こちらにいらっしゃる前に読んでおかれた方がよかったかもしれませんね」


 え? 俺宛てだなんて言われなかったけどな……

 そう思って手紙を見てみると、その文面は確かに『アキラさんへ』から始まっていた。念のために、もう一度封筒を確認してみたが、宛名はどこにも書いていない。

 これじゃあ、誰宛てだかわからんだろうが、あのポンコツめ。

 心の中でそう悪態をつきながら、改めて内容を確認する。




 アキラさんへ


 マリアンナは私と学院の同期卒なのですが、見かけによらず恐ろしく頭が切れます。

 しかし、そんなこととは関係なく、私は彼女がただ恐ろしい。


 健闘を祈ります。




 破って捨てたくなった手紙は初めてだぜ。

 わざわざそんなことを手紙にしたためなきゃならんのか? 出発前に直接教えてくれたらよくない?

 てか、宛名書いていなかったせいで、その恐ろしい相手に手紙読まれちゃってるよ?


「レイシェル先輩も酷いですよね。いつもそう言って、私のことを避けるんですよ」


 ニコニコとした笑顔を崩さないマリアンナ支部長を見て、ゾクリと背筋に悪寒が走る。なんとなくレイシェル支部長の気持ちがわかるような気がした。

 きっと、宛名を忘れたのも、恐怖心故だったのかもな。


 それにしても、飛び級で卒院したレイシェル支部長を先輩と呼んでいるのに同期卒だということは、彼以上の飛び級で卒院したということなのだろう。そうだとすれば、ものすごい才媛だ。

 結局すごいのは肩書きではなく、この人自身というわけか。

 気を付けておかないと、いいように操られてしまいそうだ。まあ、気を付けたところで、俺が敵うとは思えないんだけどね。


「ああ、またずいぶん話が逸れてしまいました。依頼のお話をしなければなりませんでしたね。アキラさん、依頼の品はどちらに?」


「こちらに」


 テーブルの上に木箱を置き、その中からフェルトで何重にも包まれたワインボトルを取り出す。

 今回の旅路で、ルシュと同じぐらい運ぶのに気を使っていたこのワインともようやく今日でお別れだ。


「確かにこのエチケットの紋章はサフォレス公爵家のものですね。破損も見られませんし、完璧ですね。お疲れ様でした」


「それなんですけど、ボトル自体は無事なんですけど、ずっと森の中を走ってきたんで、中身の品質はちょっとどうなってるかわからないっていうか……」


 高温、温度変化、振動——ワインの大敵っていうもんな。一通り全部揃ってたよ。


「それは問題ありませんよ。ローデンス様もご承知の上です。このワインが今、ここノトにあるという事実が大切なのですから、何も問題はありません」


「そうですか、それは良かった。では、これで依頼は完了ってことですね」


「え? まだですけど?」


「え? だって、ワインは無事お届けしましたし……」


「アキラさんは、ローデンス様にどちらにワインを届けるように依頼されました?」


「それは、ノト侯爵に、ですけど……」


「でしたら、依頼はまだ達成されていませんね」


「い、いや、でも……」


「それに、ローデンス様が『ノト侯爵にワインを届けよ』と仰ったのであれば、それは『ノト侯爵に樹海縦断街道の件の上奏を思いとどまらせ、その言質をとれ』と仰っているのと同義です。依頼主の真意を的確に見抜けなければ、冒険者として依頼達成はままなりませんよ」


 マリアンネ支部長は相変わらずニコニコ笑っている。

 声色も穏やかだし、品の良いお嬢さんがただ座っているだけにしか見えないんだけど、なんか……恐い。底知れぬ恐怖を感じる……

 こういうことなんですね、レイシェル支部長……


「そういうわけですので、これからノト侯爵に面会の打診をします。サフォレス公爵の使者という扱いですので、おそらく晩餐会に招かれることになるでしょう」


 げ、絶対行きたくない……


「アキラさんには、これから三日間、ノト侯爵家のこと、周辺諸国との関係、貴族の習わし、礼儀作法やその他諸々について、みっちりとレクチャーを受けていただきますね」


「……まじすか?」


「がんばってね」


「もちろんルシュさんも、ですよ」


 ルシュの笑顔が固まった。

 死なば諸共だよな。がんばろうぜ……


 こうして俺たちは、マリアンネ支部長の本当の恐ろしさを三日間たっぷりと堪能すふことになったのだった。


アキラ編は月曜日連載です。


【以下テンプレ】

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同タイトル【クライ編】と合わせて二軸同時進行中です。

https://ncode.syosetu.com/n2899ja/

よろしければそちらもお楽しみください。

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