005.魔法をあなたへ
手のひらの上で踊ろう!【クライ編】と合わせて二軸同時進行中です。
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※こちらは【アキラ編】です。
「なあ、ナル。俺たちって、どこに向かってるんだ?」
荷馬車——実際に引いているのはラクダなのだが——の荷車を後ろから押しながら、御者台のナルに声をかけた。
「あれ、言ってませんでしたっけ? サンドロの街ですよ。それよりも、すみません。すごく大変ですよね?」
「全然。軽い軽い」
彼女に拾われた後、荷馬車のところまで戻ると、その横には積荷の半分ほどが運び出されていた。ラクーダ——このでっかいラクダをそう呼ぶらしい——一頭だけではとても曳いていけないので半分は置いていく、と彼女は言った。
しかし、積荷の半分というのは、単純に考えて、行商の利益に当たる部分だ。半分は経費で消えて、残りの半分から利益をとる。
その半分をここに置いていく、つまりは捨てていくということは、利益を全て手放すということに他ならない。収支がプラスマイナスゼロで済めばまだいいが、足が出ることだって当然考えられる。
ナルは「命があっただけでも儲けもの」と笑うが、行商人としては苦渋の決断だろう。ただでさえ、財産の一つであるラクーダを一頭失っているのだ。
俺にとってこの世界での唯一の寄る辺である彼女に、これ以上苦しい思いはさせられない。というわけで、俺が荷馬車を押せば積荷は全て載せられると、遠慮するナルをなんとか説得し、俺は今こうしてラクーダ一頭分の働きをしている。
ラクーダ一頭分の働き。その言葉自体が、バイト先でビールケース一つ運ぶのにすぐ根を上げていた程度の力しか持っていない本来の俺からすれば、普通に考えておかしいのだが、そのおかげでこうしてナルの役に立てているわけなので、この疑問については当面目を瞑っておくことにする。
「で、そのサンドロっていうのは、どういう街なんだ?」
「大きな街ですよ。帝国の中で最も栄えている街の一つと言われています。確か伯爵様が治めていらっしゃる街だったはずです」
なるほど、この国は帝国制なのか。
ナルの言葉一つひとつに学びがある。
この状況が妄想か現実かは別として、現に今俺はここにいる。そして、この世界に関するすべての知識が俺には欠けているのだ。
だから、こうした他愛のない会話の中からもたらされる情報は一つ残らずきっちりと自分の脳細胞に刻み込んでいかなければならない。
「早ければ、あと五日くらいで着けると思いますよ」
そう言われて辺りを見回すと、今日の朝から半日歩いて来た砂だらけの風景とは趣が異なり、ところどころに低木やサボテンのようなものが見られ、足下も砂というよりも土に近いものになってきていた。
「今日はここまでにしましょうか」
ナルはそう言うと、低木の脇に荷馬車を停めた。
「ごめんなさい。疲れたでしょう? 木陰に入って休んでいてください。今、水を準備しますから」
水か……ありがたい。
いくら荷物を重く感じないとはいっても、交通機関の発達した現代日本に暮らす若者が半日も歩き続ければ、疲れるものは疲れる。それに疲れも然ることながら、やはり一番の問題は乾きだ。
しかし、砂漠での水の貴重さは経験がなくても理解できているつもりなので、渡された水筒の水を早々に飲み干して以降、水が欲しいとはなかなか言い出せなかったんだ。
正直、喉がからからだ。
俺は低木の幹に体を預けて、何やらいそいそと作業を始めたナルを眺める。
ナルは鉄製の湯たんぽのような物を御者台の下から取り出すと、それを地面に置く。そして、何やら小声で呟くと——湯たんぽが突然炎に包まれた。
「そ、それって……もしかして、魔法……なのか?」
俺は驚愕とともにナルに尋ねた。
「そうですよ。そんなに珍しいものではないと思いますけど」
いやいや、待て待て。魔法っていったらザ・ファンタジーそのものじゃないか。これまでも十分に異世界だとは思っていたが、まさか本当に魔法を目の当たりにすることがあろうとは……
いよいよもって異世界確定だな、これは……
「ああ、アキラさんはこの大陸の人じゃありませんもんね」
驚きを隠さない俺に、ナルが何を思ったのかそう言った。
「どういうことだ?」
「アキラさんの髪の色、黒ですよね」
「髪の色?」
「そうです。この大陸で生まれた人はみんな赤い髪の毛をしています」
そう言ってナルは、少しパーマのかかった赤毛に手櫛を入れる。
「火の神の加護を受けている証なんです。だから、ほら」
ナルの人差し指に火が灯る。
「火魔法は誰でも使えるんです。威力や規模なんかは人それぞれですけどね」
「そう……なんだな……」
そういう世界なんだな、と実際に目にしてしまった以上、納得するしかない。
そして、納得すると次に湧いてくるのは、俺にもできるんじゃないか、という期待だ。
そういうわけで、俺は人差し指を立てて、「火よ、出ろ!」と念じてみる。しかし、残念ながらその先端に火が灯ることはなかった。むしろ火が出たら逆にびっくりだ。
「加護のない人には、火魔法は難しいらしいですよ」
俺の様子を見たナルは「ふふふ」と笑みを見せる。
「アキラさんは、どちらの大陸の出身なんですか? 私、黒髪の人って見たことがなくて」
「大陸って、他にもあるのか?」
「人が住んでいるのは、ここ赤の大陸を含めて、青、緑、黄の大陸の四つだったと思います。他にもあるのかもしれませんけど……私ってあまり学がなくって」
「どこでもない……と思う」
どこから来たかと問われれば、地球という星のユーラシア大陸の東の端っこにある島国、日本という国からということになるのだが、この世界にはそんなものはないだろう。
だから、嘘をついた。
「俺がどこから来たのか、実は俺もわからないんだ」
「もしかして記憶がないんですか?」
「前にいたところがどういうところだったかは覚えてる。だけど、それがどこにあるのか、そこからどうやってここに来たのか、どうやったら帰れるのかは、わからない。帰りたいと思ってるんだけどね」
そうやって苦笑いを浮かべた俺がナルの目には寂しげに映ったのだろうか、ナルは殊更明るい笑顔を作ってから言った。
「じゃあ、アキラさんが帰れるように、私もお手伝いしますよ。私、サンドロの商業組合に登録して、自分の店を持ちたいって思っているんです。その軍資金がこれ」
ナルが荷馬車いっぱいに詰め込まれた荷物を指差す。
なるほど、ただの行商人ってわけではなく、夢を背負ってこの砂漠を渡ってきていたってわけか。
「アキラさんのおかげで命も助かったし、荷も捨てずに済みました。少しぐらいお手伝いしないとバチが当たってしまいます。と言っても、大したことはできませんけどね」
「何度も言ったけど、命を救ったのは俺じゃないよ」
「じゃあ、そういうことにしておきます」
ナルはご機嫌に笑いながら、先ほど火にくべた湯たんぽをちょんちょんと指でつつく。
「もう少し覚めたら飲めるようになると思います。砂漠だと水がすぐ腐っちゃうから面倒ですよね」
ナルはそう言うと、「ちょっとラクーダの様子を見てきますね」と立ち上がった。
ラクーダの首を撫でる赤毛の美少女。
神の加護と魔法。
ファンタジー感満載の、わけのわからないこの現状。
異世界転移モノは好きだったけど、俺がそうなりたいかって言うと、そうでもなかったんだけどなあ……
俺は湯たんぽに手を伸ばすと、あまりの熱さに、すぐさま手を引っ込めたのだった。
⚫︎
砂漠の夜は寒い。それが定番なのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。地球にある砂漠がどんな感じなのかはわからないが、少なくともここでは凍えるような寒さというわけではなかった。
ただ風が吹けば身震いする程度には涼しいし、外套のような防寒着を持たずに過ごすのは少しきついかもしれない。
「一緒に入りませんか?」
くしゃみを響かせた俺を見かねて、ナルが自らの外套を広げた。
「い、いや、でも……」
ひとつの外套に二人で入るとなると、必然、体を密着させることになる。さすがにそれはちょっと気まずい。
俺のそんな遠慮を察したのか、ナルは俺と背中合わせに座り直し、外套を羽織った。
「夜更けはもう少し冷えますから」
「ありがとう……」
ナルの体温を感じながら空を見上げる。
月のない空。それどころか星の瞬き一つない。真っ暗で真っ黒な空だ。
嫌でも元いた世界とは違うんだということを感じてしまう。
「ナルは怖くないのか?」
「夜がですか?」
「それもあるけど、ほら、今日のこと……」
「もちろん怖いですよ」
言葉とは裏腹にナルは笑ったようだった。
「でも覚悟はしてきましたから」
「覚悟?」
「はい。村を出て街へ出ようと決めたときに覚悟を決めました。私は大した魔法も使えませんし、扱える武器もありません。護衛を雇うようなお金もありませんでした。そんな私が砂漠を渡れば今日のように魔物に襲われて死んでしまったとしてもおかしくありません。ううん。もしかしたら死んじゃうのが普通なのかもしれません」
ちょっと無謀でしたね、とナルは笑う。
死ぬ覚悟——というのは少し違うのかもしれない。
例え死の危険があるとしても挑戦する。ナルが示したのはそういう覚悟だ。
カッコいいとは思うが、俺には理解が及ばないことでもあった。
俺には覚悟がないからだ。
いきなりこんなところに放り出されて、そんな覚悟をする暇さえなかった。
いや、時間があったからといって覚悟をすることなんてとてもできなかっただろう。現に今の俺が全く覚悟などできていないのがその証拠だ。
「俺は怖いよ……」
意図せず俺はそうこぼしていた。
そして一度溢れ出してしまうともう言葉は止められなかった。
「怖いんだ。どうしてこんなところにいるのかわからないのが怖い。帰りたいのに帰れないのが怖い。魔物が怖い。魔物がいるこの場所が怖い。死ぬのが怖い。でも、ここで生きていくことも怖い。とにかく全部が怖くて、不安で仕方がないんだ……」
気付けば、弱音だけではなく、涙も溢れていた。
「大丈夫ですよ」
耳元で、幼子をあやすような優しい声音が響いた。
ナルが俺の背中を包み込むようにして寄り添い、優しく俺の頭を撫でた。
「私がいます。私が守ってあげますから」
ナルの言葉がゆっくりと心に沁みた。
大の男が年下の女の子に慰められ、あまつさえ「守ってあげる」なんて言葉をかけられている。それはとても情けないことなのだろうが、俺はナルのその言葉に救われたような気がした。
「大丈夫ですから、もう眠ってください。ずっとそばにいますから」
「……ありがとう」
促されるまま俺はゆっくりと目を閉じた。
寝て覚めたら元の世界に戻れていたりするだろうか。
そうだったら本当に嬉しい。夢オチこそが最高のハッピーエンドだ。
でも、そうなるとナルには二度と会えなくなってしまうのか。それは寂し過ぎるな……
月も星もない真っ暗な夜に、放り出された異世界で。
背中に柔らかな温もりを感じながら、俺は静かに眠りに落ちていった。
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