044.政争をあなたへ②
「なあ、ルシュ」
まるでトゥトゥ製かと見紛うばかりに洗練された白い便器に感動した後、そのトイレからの帰り際に俺はルシュに声をかけた。
「このまま依頼を受けることになりそうだけど、それでもいいか?」
「樹海で一か月過ごすのが大丈夫かってこと?」
「そうだ」
「うーん、やったことがないからよくわからないな。でも、アキラがいるから大丈夫だと思う。私はこう見えて、我慢強いから」
どこがだよ! と突っ込みたいところではあるが、ルシュの言うとおり、彼女が我慢強いというのは間違いがない。
よく不平不満は言っているが、それは一種のコミュニケーションのようなもので、途中で諦めたり、投げ出したりするようなことは、これまでの旅で一度もなかった。
我慢強さという点でいえば、俺の方が心配なぐらいだ。
「お守りとしてそばにいるっていう約束だしね」
「俺もルシュのことはちゃんと守るよ。そういう契約だからな」
そんな契約があったことなんてすっかり忘れていたが、契約があろうがなかろうが、俺がルシュを守ることには変わりない。
「それじゃあ、さくっと森を抜けますか」
「そうだね。三日ぐらいで駆け抜けてくれたら嬉しい」
「無茶言うなって」
そうやって互いに笑い合いながら歩いていると、前を歩く案内のメイドさんが、廊下の端に寄って頭を下げた。
その先には、一人の女性。
明らかにメイドのそれとは違う高級そうなドレスを纏った赤い巻き髪の美しい女性。公爵家の人だろうか。
「あなた方が依頼を受けてくださるのかしら」
メイドさんに倣って俺たちも廊下の端で頭を下げていると、その女性が俺たちに話かけてきた。
「はい」
まだローデンスには正式に返事はしていないが、ほぼ既成事実なので、そう答えておく。
「ありがとうございます。これで父も兄も幾分気が休まることでしょう」
そう言って微笑みを見せる美少女。
ということは、公爵閣下の娘さんということかな。
そう思いながら頭を下げたままでいる俺の耳元に、公爵令嬢の吐息がかかった。
「お願いがございますの」
美女の囁きに、俺は背筋を正して硬直する。
び、びっくりするから、そういうのやめてもらえませんかね……ちょっと嬉しいけど。
公爵令嬢はそれだけ言って、俺たちから距離をとり、数メートル離れたところで立ち止まると、俺の方を見た。
こちらに来いって言っているんだよな?
ルシュの目が少し怖い気もするが、無視するわけにもいかないので、俺は公爵令嬢の方へと歩み寄る。
「これをヴェルファ様へお渡しいただきたいのです」
公爵令嬢が差し出してきたのは、一通の手紙だった。
「ヴェルファ様とは、どなたでしょうか?」
「ああ、失礼いたしました。ノト侯爵様の御子息です。女性の方から先に殿方にお手紙を差し上げるのはあまり好ましくありませんので、レタコンを使うのを憚っていたところだったのです」
内密に届けたいということか。
「このことは、ローデンス様はご存知なのでしょうか?」
色々と政治的に難しい話を聞いた後だ。トラブルの種を運ぶことは避けたい。
「いいえ。お兄様も、もちろんお父様も知りません。ただ、お兄様は私がこうすることは察していると思います。いえ、こうするように仕向けた、と言った方が良いかもしれませんね。私にここで待つようお伝えになったのは、お兄様ですから」
となると、これも彼の策のうちなのだろうか。
「承るとした場合、ローデンス様にお伝えしても?」
「いいえ。くれぐれも内密にお願いしたいのです」
うーん、悩む……
美女の、それも本物のお姫様の願いだ。できる限り叶えてあげたい気もするが、余計なことをして次期公爵の不興を買うのも面白くない。
「お願いします」
「わかりました」
結局、悩んだのもほんの一瞬で、俺は二つ返事で承諾してしまった。
ぶっちゃけ政治は俺には関係ないし、しがらみ云々よりも、美女の秘密のお願いに俺は弱いのだ。
お姫様も喜んでくれたから、良しとしよう。
⚫︎
「妹には会ったか?」
部屋に戻ると、ローデンスが開口一番そう言った。
「はい」
会ったという事実まで隠す必要はないだろうと思い、正直に答える。というか百パーセントローデンスの仕組んだことだよな、これは。
「ならばよい。では、続きを話すとしよう」
ローデンスは、妹君とのことにはそれ以上触れず、全員が着席したのを確認すると、紅茶で軽く唇を湿らせて、再び口を開いた。
「先日、ノト侯に親書を送ったのだ。俺が後ろ盾になるから、縦断街道の奏上を思い留まるように、とな」
まだ爵位を持たない次期公爵が上級貴族である侯爵の後ろ盾に? とも思ったが、どうやら現サフォレス公爵は今回の帝国大会議を最後に勇退し、家督を息子であるローデンスに譲ることは周知の事実らしい。
「しかし、ノト侯は、話を飲む代わりに、俺が後ろ盾となるその証が欲しいと言ってきおった。まあ、彼の難しい立場からすればわからんでもないがな。そこで、ワインを贈ることにしたというわけだ」
「ロー、もう少し丁寧に説明してあげないと、アキラさんたちがポカンとしているじゃないか」
こちらの態度を察して、レイシェル支部長が口を挟む。
「アキラさん、この国の貴族の風習に、婚姻の約束をを結ぶ際は、結婚をする者どうし互いに自分の生まれた年に作られた物を贈り合うというものがあるのですよ。土地柄によって贈る物には違いがありますが、ここサフォレス公爵家では、伝統的にワインが用いられているのです」
「そういうことだ。俺はノト公爵の息子に俺の妹を嫁にやろうと思っている。我がサフォレス公爵家と縁戚関係を結ぶのだ。ノト侯も不満はあるまい」
政略結婚ってやつか。
ローデンスに妹が何人いるのかは知らないが、たぶんさっき会った美女のことだよな。政争の道具にされるというのも何とも気の毒な話だが、俺が口を出していい話でもないだろう。
「そういうわけで、貴公にはこのワインをノト侯へと届けてもらいたいのだ。直接謁見できるようにこちらで手筈は整えておく。期限は、ノト侯が帝都に発つまでだ。おおよそひと月後といったところだろう」
そこまで話し終えると、ローデンス卿は組んでいた脚を解き、前のめりとなって、鋭い眼光を俺に向けた。
「さて、ここまで話したのだ。やってくれるな?」
一応、疑問形はとっているが、これはもう実質的には命令だ。断ることはできないだろう。
「承知しました。お受けいたします」
一度ルシュを見て、彼女が頷くのを確認してから、俺はそう答えた。
「そうか! それは重畳だ!」
ローデンスが快哉を叫び、レイシェル支部長も笑顔で頷いている。
ここに俺を連れてきた時点であんたの勝利ですよ、レイシェル支部長。
「して、貴公は何を褒美に望むのだ?」
おっと危ない。
報酬を確認する前に依頼を受けてしまったぜ。
だが、これはかえって好都合かもしれないな。こっちから要求を出すチャンスだ。
「では、ローデンス様。三つほどお願いが」
「申してみよ」
「まず一つ目として、樹海の縦断ルートがあると仰いましたが、実際に樹海を縦断したことがある方のお話をお伺いできれば、と思います。可能であれば、地図などもご用意いただけると」
「わかった。手配しよう」
まあ、これは報酬というよりも条件の話だ。これぐらいは飲んでもらわないと困る。
「次に、私たちは樹海を抜けたら、この街には戻らず、そのまま旅を続けようと思っております。そうなると、馬車と積み荷はこの街に捨て置くことになります。二つ目としては、その分の手当てをお願いできればと」
「いいだろう」
そう言ってローデンスはレイシェル支部長に視線を向ける。
「わかりました、アキラさん。そちらの件は、冒険者組合でお引き受けしましょう。馬車と積み荷はこちらで引き取り、その対価をお支払いします。その上で、ノトの支部に寄っていただければ、そこで新しい馬車をお渡しできるように手配をしておきましょう。これでよろしいでしょうか?」
え? そこまでしてくれるの?
馬車を買い取ってくれる上に、新しい馬車まで準備してくれるなんて、思った以上の好条件だ。
しかし、こちらも短い期間とはいえ、旅を共にしたかわいいお馬さんとお別れするのだから、これぐらいもらって当然、という顔をしておこう。
「最後の三つ目ですが、父を亡くした少年がいます。彼は父の形見の斧を探しています。その斧は、前回のフォレスター大会で公爵閣下から下賜されたものです」
「コキリ君のことですね」
レシェル支部長の言葉に黙って頷き、話を続ける。
「ローデンス様の名の下に捜索隊を編成し、斧の探索にあたっていただきたいのです。期間は、私に与えられた猶予と同じくひと月。お聞き届けいただけませんでしょうか?」
ローデンスの依頼を受けたからには、できるだけ早くこの街を発たなければならない。
そうなると気がかりになるのが、コキリ少年の依頼だ。一度依頼を引き受けた手前、何もせずにほっぽり出して出発するわけにはいかない。
俺が直接探すってことではなくなってしまったが、これならコキリ君もきっと許してくれるだろう。
「話に聞いたとおり、貴公は本当に欲のない男だな」
欲ならありますとも。ただ、俺はもともとこの世界の住人じゃないから、この世界の金や地位に固執していないだけだ。
一応、まだ元の世界に帰るつもりでいるからね。
「よかろう。次期公爵ローデンス=サフォレスの名において、その斧が少年の下へ帰ると約束しよう」
アキラ編は月・木連載です。
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