043.政争をあなたへ①
「どうだったかな、我が家の料理は?」
再び応接間に戻ってくると、ゆったりとソファに身を預けながらローデンス卿がそう尋ねる。
「はい。とても美味しゅうございましたわ、閣下」
「閣下はよせ、ルシュ」
ルシュが笑顔でそう答え、ローデンス卿も満足げに頷いている。
先ほどの昼食会で、二人はすっかり意気投合してしまったようだ。
実際、これが昼食か? と目を疑うほどの豪勢な料理の数々は、見た目だけでなく、味もとても素晴らしかった。この世界に来て二番目に美味かったと言ってもいい。
ちなみにダントツの一番は、この世界に初めて来た日の夜にナルが作ってくれた干し肉のスープだ。滂沱の涙を流しながら貪り食ったのは、今となってはいい思い出だ。
「それにしても貴公らは実に愉快な者たちだな。黒髪と白髪の組み合わせだけでも十分希有だというのに、貴公は旅の巫女を妻として娶ったのだろう?」
「え、ええ……」
くくく、と思い出し笑いをする次期公爵に、俺は曖昧な返事をすることしかできない。
「そして、神の赦しを乞うために中央神殿を巡礼する旅をしていて、それを終えるまでは夫婦であっても純潔を貫いておる、と?」
「は、はい……」
「はっはっは! そんな話は初めて聞いたぞ。作り話にしても馬鹿げておるわ!」
ですよねー……
俺も初めて聞きましたもん……
ローデンス卿は俺たち白黒コンビに興味津々で、食事中に、加護のない苦労やら二人の馴れ初めやら根掘り葉掘り聞いてきた。
答えるのはほとんどルシュだったのだが、その答えがとにかく酷い。
適当な作り話をでっち上げ、さも真実であるかのように語るその様には戦慄を覚えたほどだ。
アドリブで合わせるこっちの身にもなってくれって話だよ、まったく。
おかげで、緊張と焦りのせいで昼間からワインが進んでしまったじゃないか。
「今度、吟遊詩人を呼んで戯曲でも書かせるとしよう」
「まあ、ローデンス様は意地悪ですわ」
「悪い、悪い。冗談だ。白と黒と言っただけで貴公らの話だとすぐわかってしまうからな。このような組み合わせは世界に二つとあるまい」
「ロー、そろそろ本題に入らないか? 僕も組合をあまり長くは空けていられないんだ」
脱線しまくっていた話をレイシェル支部長が軌道修正してくれる。
さすがです、支部長。助かりましたよ。
「そうだったな。ワインを届ける理由、だったな。しかし、どこから話したものか……」
「森林同盟の話からしたらどうだい? アキラさんたちはこの辺りの事情に疎いようだからね」
思案するローデンスに、レイシェル支部長が上手く水を向ける。
「そうだな。では、まず森林同盟というものだが——」
森林同盟というのは、ツクフ大樹海の辺縁に位置する都市の同盟をいうらしい。
このフレイミア帝国の貴族には大きく二つの派閥がある。
一つは、樹海の北側に位置し、帝都にも近い北派。
帝都に近い分、中央の要職にも多くの人を送り込んでおり、派閥の中心であるレシーノ公爵は中央の実権をその掌中にしているという。
もう一つは、樹海の南側に位置する都市と樹海周辺都市を合わせた南派。
その中心人物は、今目の前にいるローデンスの父君、サフォレス公爵だ。
中央からは遠いが、派閥に属する貴族の数が多く、広大で肥沃な大地や森林資源、鉱山資源などをその所領に治めているため、人、金、物の物量では北派を圧倒しているとのことだ。
まあ、ここまでは、それなりに学のある者であれば誰でも知っている話。
問題はここからで、件のノト侯爵領の話だ。
ノトの街は、ここサフォレスと大樹海を挟んでちょうど反対側に位置する。
ツクフ大樹海の辺縁都市であるため、森林同盟に加盟しているものの、その立地の関係上、内情としては北派の影響の方が強いという政治的に難しい街だ。
しかも、迂回路における交通の要所にあたらないため、敢えて訪れる冒険者や商人は多くなく、領主であるノト侯爵は、爵位こそ侯爵の地位にはあるものの、領地経営はかなり苦しく、レシーノ公爵の融資に頼らざるを得ない状況が続いているらしい。
「今年は十年に一度の帝国大会議の年でな、全ての領主、法服貴族が帝都に会する。父上も会議に参加するため、二月ほど前に出立したところだ。その会議の場でノト侯は、ツクフ大樹海縦断街道の整備を皇帝陛下に上奏すると言っておる」
「十中八九、レシーノ公爵の差し金でしょうね」
「ああ、間違いない」
レイシェル支部長の言葉を受けて、ローデンスは苦々しげにそう吐き捨てる。
「あのう、樹海を縦断する道路を作ることに何か問題があるのでしょうか?」
俺は頭に浮かんだ疑問をそのまま口にした。
だって、縦断街道ができれば、樹海を真っ直ぐに突っ切れるようになるってことだろ?
ただ便利になるだけのような気がするんだが。
縦断街道さえあれば、それこそ今回の依頼だって楽勝だろうに。
「確かに縦断街道ができれば、帝都がこれまでよりもずっと近くなる。実際、ここより南にあるサンドロとバーンを除けば、サフォレスが最も帝都から遠いわけだからな、人や物の交流もかつてないほど活性化し、我が領にとっても大きな利となるだろう」
だったら——
「しかし、縦断街道ができてしまえば、迂回路にある都市はどうなる?」
そりゃあ、わざわざ迂回する人がいなくなるんだから、廃れていくことは間違いないだろう。
なるほど、そうか——
「森林同盟の弱体化が狙いということでしょうか?」
「そうだ。縦断街道の整備を止められなければ、樹海周辺都市の没落を招くのと同時に、我がサフォレス家も森林同盟における求心力を失うことになるだろう」
迂回をしなければならないという不便の上に成り立っている経済圏ということだね。
「だがな、これらのことですら我がサフォレス家にとっては些事に過ぎぬ。縦断街道が我が領に大きな富をもたらすことは間違いないのだからな。しかし、それでも俺は、縦断街道を、いや、そのことを皇帝陛下に上奏することを容認することはできぬ。貴公は、三千年前、かつての対戦において、三大国の中で最も弱いとも言われたフレイミアが、なぜ最終的に覇者となったかわかるか?」
「いえ、無学なもので」
狼に目をつけられなかったから、というのは御伽噺だもんな。
「ツクフ大樹海があったらからだ。この広大な森が、南方の二大国の侵攻をことごとく阻んできたのだ。ツクフ大樹海は、言わば『帝国の盾』なのだよ。その盾を裂くことなど断じて認めるわけにはいかん」
「皇帝陛下がお認めになるとはとても思えないけどね。南の地からのスタンピードだっていつ起こるかわからないんだ」
南の地からのスタンピード? 魔物か何かの?
また不穏な言葉が出てきたな。帝国の最南端の都市がサンドロって話だし、そこより南ってことかな? 南半球の話って全然聞いたことがないけど、いったいどうなっているんだろうか。
「許可されることがないことぐらい、レシーノ公もわかっておろう。俺の考えでは、レシーノ公の目的は、森林同盟の加盟都市から縦断街道の件を奏上させること、そのものだ。街道については、許可が下れば僥倖という程度にしか考えてはおらんだろう」
「森林同盟に対する皇帝陛下の覚えを悪くすることが目的、というわけだね」
「だからこそ、レシーノ公自らが奏上するのではなく、わざわざノト侯にそれをさせるのだ」
「あ、あのう、ここまでのお話は理解できたのですが、それとワインを届けることとはどのような関係があるのでしょう?」
色々と面倒臭そうな政争の話をこれだけ聞かされたんだから、もはや足抜けは許されないだろう。酒好き貴族へのただの賄賂ではなさそうだということはわかったが、急いでワインを届けなければならない理由はまだわからない。
「まあ、待て。その前に茶を入れ替えさせよう」
俺たちの空になったティーカップを見て、ローデンスがベルを鳴らし、部屋の外で待機しているメイドさんたちへと合図を送る。
昼食のときもそうだったが、偉い人なのに、下々の者に対してもわりと細かな気遣いを見せるし、部下からの人望も厚いんだよな、この人。
「銅貨を使いたければ、席を外しても構わんぞ」
「では、一度失礼させていただきます」
ローデンスの言葉を受けて、ルシュが立ち上がる。
銅貨?
何のことかわからず、俺はルシュに助けを求めると、「トイレのことよ」とルシュが耳打ちをしてくれた。
なるほどね。お花摘みに行ってくるってことか。確か似たようなものに「一ペニーを使いに行ってくる」みたいな婉曲表現もあったな。
でも助かったよ。ワインと紅茶のせいで、さっきからトイレに行きたくて仕方がなかったんだ。こちらからはなかなか言い出しずらいからね。さすが気遣いの人だ。
アキラ編は月・木連載です。
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