プロローグ
「判決を言い渡します」
今日もまた法廷に声が響く。
氷のように冷たいような、アイスのように甘いような、そんな声。
「はぁ、今日もかっこいい……」
傍聴席の左から2番目、そこが私の特等席。ここで私はいつも"推し裁判官"を眺める。それが私の一番の幸せで、一番の楽しみだった。幸せな時間はあっという間。今日の裁判も終わりを告げた。いや、どうやらとっくに告げていたようだ。
「ちょっと、公子ちゃん!とっくに裁判は終わってるよ!」
ハッと周りを見渡すと、法廷の中には私に声をかけた清掃員と二人きりだった。
「ごめんなさい靖代さん!またトリップしちゃってました……」
「いやいやいいんだよ。公子ちゃんみたいな変な子、なかなか見られないでしょ?」
そう笑い飛ばすのは、清掃員の靖代だった。靖代はこの裁判所の清掃員として働く気のいい主婦である。
「もー、馬鹿にしないでください!これだ私にとっての推し活なんですから!」
「はいはい、わかってますよ。また長い話されたらいやだからね。帰った帰った!」
「はーい!お仕事頑張ってください!」
そういって私は法廷を後にした。
出口へ向うと、目を疑う光景が私の視界を覆った。推しだ。推しがいる。推しが"衣装"ではなく私服で私の目の前に現れたのだ。
「ぴぎゃっ!」
驚きのあまり私の喉から出たとは思えないような声を上げていた。その声に気づいた推しは、私の方を見てこう言った。
「いつもどうも。では」
茫然とする私にそう言って推しは裁判所をあとにした。
目の前に現れただけで気が動転していたが確かにそう言った。認知だ。認知されていた。
私も推しのあとを追うように駆け足で裁判所をあとにした。
誰かにこの喜びをぶつけたいという思いが膨らむ。私は有頂天になっていた。それがいけなかった。いつもの帰り道のはずだった。それなのに……。
「裁判長!起きてください裁判長!」
「う、うーん……ここは?」
「何寝ぼけてるんですか!もう裁判の時間ですよ!さっさと準備してください!」
状況がつかめない。
「確か私……あっ!」
断片的ではあるが、思い出せたことは有頂天にスキップする私はなにかの穴に落ちたのだ。
「その穴がここに繋がっていたってこと……?」
いやちがう、そんなわけない。
「異世界転生……ってこと?」
異世界転生。漫画や、アニメである王道展開。どうやらそれに巻き込まれてしまったようだ。そうでなければ、私が"誰か″に裁判長だなんて呼ばれる筋合いがないから。それ以外、腑に落ちる考えが私には浮かばなかった。
「もう!ドア開けます!」
その言葉とともにドアが開いた。そこには、ウサギのような生き物が立っていた。二本足で。これで確信した。ここは地球じゃない。
「キミコ裁判長!今日はあなたが裁判長に就任して初めての裁判なんですから!」
そういって私の法服のリボンを整える。
そのウサギに聞きたいことは山ほどある。ここはどこ?あなたは誰?私は死んだの?たくさんの疑問が沸き上がる。なのに私は意外な言葉を口にしていた。
「裁判ってなんの裁判なの?」
口にした私自身、なぜこんなにも裁判に対して前向きな姿勢を見せたのかわからなかった。
そんな私に、ウサギは呆れたような顔で
「なにを仰っているんですか?今日の裁判は"転生裁判"ですよ」
「"転生裁判"?」
耳慣れない言葉に戸惑う私を後目にウサギは続けた。
「今日の"クレイマント"は、惑星ジアースの人間です。この者の転生先を決めるのがあなたの仕事ですよ」
「私が決める?そういわれても、私法律とかわからないし……」
私はただの裁判オタク……いや裁判官オタクなだけで法律のことや判決の決め方なんて知っているわけがないのだ。
「法律?あぁ、気にする必要はありませんよ。ここではあなたが法ですので」
「私が、法?」
「ええ、あなたがクレイマントと対話をして、その者にふさわしい転生先を決めいただくだけですから」
どんなに話を聞いても私にできるとは思えない。
「私にできるのかな……」
「できますよ。キミコ様なら、絶対に」
このウサギは"私"をずっと前から知っているのだろうか。先ほどから呆れたような顔をするウサギの目の奥から信頼を感じとれたから私はそう感じた。
やろう。いや、やらなきゃ。私はその目に掻き立てられた。
「最後に一つだけ!転生先って何種類あるの?」
「ざっと100種類ぐらいですよ」
「100?!」
一気にやる気がそがれるほどの数。裁判がもう始まるというのに今から覚えるなんて到底無理だ。
「……ふぅ。安心してください。判決を下すのは今日より3日以内です。期日までにクレイマントの対話をし判決をしていただければよいですから」
「そっか、今すぐじゃないんだ。安心したよ!ありがとう!」
とにかく話を聞こう。まずはそこからだ。今の私にできることはそれだけだ。
気合を入れなおす。
その様子を見て、ウサギは少し嬉しそうにしているように見えた。
「さぁ、出廷です」