エピローグ カリーナからミッシェルへ~幸せへのプロローグ
国境を越え商会の馬車は進む。
2日前にアレクサンドラを出て目的地のアキシアまで後3日、16年振りの一人旅。
もちろん夫や両親に許可は取った。
心配はされたが、どうしてもケジメをつける必要があった。
「ここね」
ようやく着いたアキシアの街、さすがに首都だけあって活気に満ち溢れている。
馬車を降り目的地へと歩く、店は簡単に見つかった。
場所は予め調べていたが、目抜き通りに建つ店の看板が目についたのだ。
「ミッシェル化粧品店か...」
懐かしい名前が書かれた看板。
ミッシェルが化粧に興味があったのは知っている。
彼女が冒険者をしていた頃、私に化粧品の事をあれこれ聞いていた。
『カリーナさん凄いわ!』
私が化粧をしてあげるとミッシェルは鏡を見ながら目を輝かせ、アレックスが微笑んでいたのを思い出した。
「いらっしゃいませ!」
店の扉を開けると一人の店員が小走りでやって来た。
笑うと出来るえくぼが可愛い。
「ちょっと見て良いかしら?」
「どうぞ」
店内は綺麗に整頓されており、棚には沢山の化粧品が整然と並んでいる、
中は余り広くないが、雑然さは無い。
他には鬘や帽子、色眼鏡等も置かれていた。
「どの様な物をお探しですか?」
先程の店員が声を掛ける。
決して邪魔にならないタイミング、よく教育されているのが分かった。
「試させて貰って良いかしら?」
「もちろんです、どれをお持ち致しましょう?」
「そうね...」
数点の商品を言うと店員が店内のテーブルに並べて行く。
全てお試しの商品があるのは驚いた。
「これなんかおすすめです」
椅子に座り、店員が化粧品を薦めて来た。
当然だけど誰も私を知らない初めてのお店。
店員との話も何だか少女の頃に戻った様で楽しい、本来の目的を忘れそうになる。
「そちらをお使いになれば顔のシミやクスミを隠せますよ」
「へえ」
シミか...まだまだ若いつもりだったが、私も34歳、子供も三人産んだし、買おうかな...
「私も愛用してるんですよ」
「そうなの?」
見たところ若いのに必要なんだろうか?
「ええ、お待ちください」
店員は自分の右頬を布で擦る。
化粧の下から現れた彼女の頬には赤黒い痣があった。
「なるほど...」
全く分からなかったわ。
それにしても自分の痣を躊躇わずに晒け出すのは勇気がいるだろうに。
「ミッシェルさんが街の工房に頼んで共同開発されたんです。
痣で苦しむ人を一人でも救いたいと」
「...そうだったの」
7年前に見たミッシェルの痣を思い出す。
顔半分がどす黒く変色していたミッシェルを。
「おかえりなさい!」
「ただいま」
店の扉が開き、一人の女性が店内に入って来た。
大きな帽子を目深に被り、色眼鏡を掛けている。
手には杖を持ち、少し足を引き摺っているが、足取りはしっかりしている。
間違いない、ミッシェルだ。
「そのまま応対を」
「畏まりました」
ミッシェルが店員達に声を掛けながら奥へと消えて行く。
私には気付かなかったみないだ。
懐かしい声に胸が熱くなった。
「あの方が代表の?」
「はいミッシェルさんです」
「...そう」
店員の態度から彼女が慕われているのが分かる。
店は順調の様、調べて知っていたけど。
「ありがとう、楽しかったわ」
「こちらこそ、お買い上げありがとうございます!」
沢山買ってしまった。
評判だとは聞いていたが、やはり買い物は楽しい。
「ミッシェルさんを呼んで頂ける?」
「は?」
「来て貰えれば分かるわ」
「は、はい」
驚いた様子で店員はミッシェルを呼びに店の奥へ消えて行った。
「どうされましたか?」
しばらくするとミッシェルが再び姿を見せた。
まだ気付かないのね、まさか私が来るなんて想像出来ないか。
「久しぶりねミッシェル」
「どうしてカリーナさんが...」
口を押さえながらミッシェルは後ずさる。
どうやら分かったみたい。
「少し良いかしら?」
「...あ、はい、ここではなんですので...私の部屋に」
「分かった、これ預かっておいてね」
購入した化粧品を店員に預けて、ミッシェルに続く。
ミッシェルの身体が小刻みに震えていた。
「どうぞ...」
「ありがとう」
店の二階がミッシェルの私室だった。
質素な室内にはテーブルと椅子。
そしてベッドとクローゼット、後は鏡位しか置かれていなかった。
「改めて久しぶりね」
「は...はい」
椅子に座った私の向かいにミッシェルが座る。
傍らには見覚えのあるアレックスの剣を改造した杖が置かれてある。
ミッシェルは怯えた目で見ているが、そんなに恐れなくても良いのよ。
「あの今日はカリーナさん一人で?」
「そうよ」
最初はそれか、アレックスが来る筈無いだろうに。
「ご両親は元気?」
「はい、近くで別の店を」
「そうみたいね」
ミッシェルの両親は近くで別の店を経営している事は知っている。
元々人当たりの良かった二人は上手く街に溶け込め、経営は順調。
すっかり明るくなったと調査書に書かれていた。
「今日は...どうして?」
「これを返す為よ」
持参した鞄をテーブルに置く。
ずっしり詰まった鞄から聞こえる金の音、中身は言わなくても分かるだろう。
「...受け取って頂けませんか」
「ええ、受け取れない」
それは突然だった。私達の商会に送られて来た大量の金貨。
一通の手紙には謝罪の言葉が綴られていた。
「主人は....アレックスは貴女の謝罪を望んでいません。
これはお返しします」
「でも...」
ミッシェルの頬を涙が伝う。
化粧が剥がれ、目の周りに痣が現れた。
「もう良いでしょ。
貴女がやってしまった事は決して消えない、でも報いは十分受けたじゃない」
「そんな....私は」
「せっかく身体を治そうとしても、心が壊れたままじゃ何にもならない。
早く次に行きなさい」
「...無理です、私達は最後までアレックスに迷惑を掛けてしまって」
「そっか...そうよね」
言われてみればそうかもしれない。
恋人を裏切り、クズには半殺しの目に遇わされ、身体を滅茶苦茶にされたんだ。
ミッシェルの両親が金をアレックスに返さず、治療費に使った事は責められない。
私だって子供達に何かあったら、同じ事をするだろう。
7年前、ミッシェルの家族がアレックスにすがり付いた気持ちも分かる。
大金をはたいて治療したのに、満足出来ない結果だったなら、助けて欲しくもなるだろう。
「体調はどう?」
「どうとは?」
「あれからよ、話に聞いていたより、随分良いみたいね」
ミッシェルの状態はアレックスから詳しく聞いた。
錯乱を何度も繰り返し、合わない入れ歯が飛び出して大変だったと聞いていたが。
「はい...手配して頂いたお医者様のお陰で」
医師の手配はお父さんがしたのだろう。
治療費はお父さんが立て替え、ミッシェル達から毎月返済させる様に話を着けたそうだ。
この街に縛りつける意味もあったらしいが。
色眼鏡を外したミッシェルの左目も綺麗だ。
これなら義眼だと直ぐには分からない。
歪んだ背中も殆ど治っている、右足は何度もリハビリをしたのだろう、先程見た足の運びで分かる。
「人生は戻れないの、先に進まないと勿体無いわよ」
「でも...」
まだダメか。
「アレックスを忘れなさいとは言いません、あんな素晴らしい人は居ないから。
でも新しい人生を歩まなければダメ、それが私とアレックスの望みよ」
「本当に?」
「ええ」
アレックスは多分だけど、言わないでおこう。
「まだ32歳でしょ?
また出会いもあるわよ、アレックス程の人は居ないと思うけど」
「...なんですか...惚気るなんて」
惚気?そんな事言ったかな?
「...失敗したな...あんな素敵な人を...私は」
また泣き出してしまった。
けどまあ仕方ないよね、本当の事だから。
「...いつからアレックスが好きだったんですか?」
「それは...」
なんと答えれば良いのか。
「私がバカをしてから?それとも...」
「その前よ、ずっとずっと前から...」
正直に言おう。
出会って直ぐだ、ミッシェルから奪いたい程アレックスを好きになった。
「やっぱり...」
「知ってたの?」
「...はい」
気付いていたのか。
「アレックスとカリーナさん、本当にお似合いで。
私は...カリーナさんに憧れて...背伸びして...あんな事を...」
「そうだったの」
そんなに憧れを持たれる様な人間じゃ無かった。
ミッシェルの言葉は言い訳にしか聞こえないけど、黙っておくか。
「だから私は...幸せになんか」
「アレックスともう一度は無い、でも次は有るの。
他の幸せがね」
「次の幸せ...?」
「別の幸せと言ったら良いかな、貴女は素晴らしい化粧品を作って沢山の人に笑顔を与えているじゃない」
「あ...」
「人との出会いも幸せよ、よく考えなさい。
人生をもう一度始めるの」
「人の...私が出来る幸せ...もう一度...」
ミッシェルは小さな声で呟いている。
もう私が言える事は何もない、後は彼女自身が考える事だろう。
「何を買って帰ろうかな...」
店を出た私は家族への土産を考える。
お父さんにはお酒、お母さんには、シミ隠しの化粧品だ。
子供には...やっぱりお菓子かな。
アレックスには....
「...早く会いたいな」
大好きな家族と一緒に過ごす掛け替えの無い時間。
それこそが本当の幸せだと思った。
おしまい。