最終話 冒険者だったアレックス 前編
分けます。
カリーナの実家が経営する商会に入って三年が過ぎようとしていた。
まさかカリーナが大商会の一人娘だったとは知らず、初めて来た時は声が出なかった。
カリーナの両親に挨拶をする時は緊張したが、事前に俺の事を説明してくれていたお陰で無事に商会の職を得る事が出来たのだった。
「どうですか?」
商会の応接室で1人の男性が俺を見る。
持ちこまれた剣の刀身を見た後、柄を外し茎を確認した。
「残念ですが、この剣は最近作られた物ですね」
「...やはり」
男性は残念そうだが、どこか納得した様な表情を浮かべる。
彼はアレクサンドラの街で冒険者ギルドのマスターをしているヤニスさん。
冒険者から持ち込まれた剣が本物かどうか鑑定を頼まれたのだ。
「この時代に作られたにしては茎の部分の形状が違います。
あとはブレードですね、最近打ち直した可能性も考えましたが、鉱物の材質が違いました」
偽物と判断した根拠を紙に書きながら実物と合わせて説明をする。
目利きには自信があるつもりだが、慎重にならざるを得ない。
間違っていたら商会の信用に泥を塗る事になるのだから。
「いや、さすがは特級鑑定士です。
私共では判断がつきませんでした」
そう言ってヤニスさんは頭を下げた。
「偽物にしてはよく出来てましたからね、こんな傷まで」
いかにも時代物と見える様に古傷まで、逆に怪しいと思うが。
だが一般のギルド職員はそこまで分からないだろう、彼等の仕事はそれだけでは無いのだから。
「終わりましたか?」
部屋の扉が開き、カリーナがお盆に乗せたティーセットを手に入って来た。
「ありがとうカリーナ」
「すみません奥様」
熱い紅茶の入ったティーカップを受け取る。
三年が経ち、カリーナはますます綺麗になった。
「いいえ」
微笑むカリーナに私は幸せを実感する。
美しい妻とやりがいのある仕事、そして厳しくも暖かで、結婚を許してくれた義父母。
こんな素晴らしい人生を送れるなんて想像出来なかった。
カリーナには本当に感謝しかない。
「随分大きくなりましたな、いつ生まれるのですか?」
「再来月です」
「そりゃ楽しみですね」
「ありがとうございます」
大きなお腹を愛おしむカリーナ。
彼女は今妊娠している。
俺達にとって、いや義両親にとっても初孫になる。
義両親は歓喜し、隣町に住む出産の名医をカリーナの為に何度も呼び寄せた程だ。
「商会はますます安泰ですな」
おおらかにヤニスさんが笑う。
彼は随分タイプが違うギルドマスターだ。
荒々しさは無く、包み込む様な器の大きさで冒険者達を仕切っている。
だが気遣いの出来る所はユートさんと同じ。
サイラムの冒険者ギルドマスター、ユートさんと...
「そういえばアレックスさんは元冒険者でしたね」
「ええ」
俺が冒険者だった事は別に隠していない。
誇れる程の活躍した訳でもないし。
「どちらで冒険者を?」
「まあ...遠い街です」
言葉を濁す。
場所までは知られたく無い、やはりミッシェルの事がある。
万が一洩れて、奴等に知られたら何かと面倒だ。
「失礼しました」
「いいえ、頭を上げて下さい」
頭を下げるヤニスさん。
カリーナも複雑な表情で私を見ている、そんなに気を使わないで良いのに。
「冒険者を辞める人間は沢山居いますからね。
事情はそれぞれですよ、私は冒険者が合わなかったという事です」
俺にとって冒険者という職業は人生を賭ける仕事では無かった。
勉強をする金と、弟達に仕送りして学校に行かせる為の手段だったに過ぎない。
だがミッシェルは?
アイツの人生を巻き込んでしまったのではないだろうか。
あれ程の酷い目に遇わされたが、憎む気持ちが薄れつつあった。
「お疲れ様」
「ありがとう」
ヤニスさんが帰った後、カリーナは新しいお茶を運んで来てくれた。
心配を掛けてはダメだな、彼女は俺の全てなのだから。
「いよいよ来週だな」
「そうですね」
来週カリーナはアレクサンドラを離れて隣町にある別荘へ行く。
子供の安心して出産する為に、義両親が手配してくれた。
その町には例の医師も近くに住んでいる。
「あの...」
「なんだい?」
カリーナは浮かない顔で俺を見る。
出産が不安なのだろうか?
女性にとって命懸けの事だから当然だろう。
「出来るだけ行くから」
休みが取れたら出来るだけ行くつもりだ。
本当はずっと一緒に居たいが、仕事もあり、そうもいかない。
隣町には他にも名医が住んでいるから、この街より安心なのは分かっている。
「それは...はい」
やはりカリーナは浮かない顔だ、一体どうしたのだろう?
「僕の両親の事か?」
俺の両親は弟達に任せている。
弟の商売はまだまだこれからみたいだが、彼等も俺と同じ堅実な性格だ。
両親も手伝ってくれているから大丈夫だろう。
「...そうではありません」
「違うのか?」
それでは何だろう?
他に思い当たる事といえば...
「...ミッシェルの事なの」
「...う」
まさかカリーナからミッシェルの名前が出るとは思わなかった。
どうして急にその名前が出たのか?
「...見たんです」
「見た?...まさか」
「先週、別荘の下見に行った時に町でミッシェルを...」
「なぜだ?ミッシェルはサイラムに居るんじゃないのか?」
三年前に別れて以来、ミッシェルがどうしているか全く知らない。
知りたいとも思わなかったから、ミッシェルの両親にも手紙を書かなかったのに...
「...ごめんなさい、私は貴方にずっと隠してました」
「カリーナ...」
カリーナは何を隠していたのだろうか?
それより、興奮させてはダメだ。
「落ち着いて、さあ...座ってくれ」
カリーナを椅子に座らせる。
しばらくの沈黙、カリーナは静かに話を始めた。
「ミッシェルはマンフから激しい暴力を受けたの、それで彼女は....」
それは初めて聞くミッシェルの末路だった。
俺と別れた後、ミッシェルはマンフから半年間に渡る暴力を受け続け、足の自由と片目を失ったという事実だった。
「そうだったのか」
「ごめんなさい、ずっと黙っていて。
サイラムのギルドマスターからミッシェルの事を聞いて、ずっと調べてたの」
「それは全く構わないんだが」
別にミッシェルの現在なんか気にしてなかった。
死ねば良いと思っていたかと言われたら、そこまでの憎しみは無かった。
人生の袂を分かった人間。
それくらいの感覚しか残って無かった。
だがマンフが殺された事は自業自得だと思った。
「それで、どうしてミッシェルは隣町に?」
「分からない...先月ミッシェルの両親が店を畳んだとまでは知っていたんだけど」
「そうか...」
偶然だろうか?
いや、そんな偶然があるのか?
でも他に説明が着かないな。
「ミッシェル...すっかり変わってた」
「それって...」
「足を引き摺って...杖を突きながら、笑って歩いてたの。
両脇を二人に抱えられながらね」
「なるほど...よくミッシェルと分かったな」
「面影が...」
「面影?」
「ええ、ミッシェルの面影よ、あと声も」
カリーナはミッシェルを妹の様に可愛がっていた、だから分かったという事か。
「止めるか?」
「え?」
「お義父さん達には悪いが、隣町に行くのは止めよう。
カリーナも気分が落ち着かないだろ?」
「でも...」
「心配するな、ミッシェルの事はお義父さん達も知ってるんだ、分かってくれるさ」
きっと大丈夫だろう。
初孫に何かあっては申し訳が立たない。
「...そうね」
ようやくカリーナの顔に笑顔が戻る。
こうして俺達は安心して日々を過ごせると思った。
...しかし運命はいたずらだった。
カリーナが無事に出産を終えた1ヶ月頃、仕事で街を歩いていると遂に出くわしてしまったのだ。
「...アレックス」
「ミッシェルか?」
「...まさか?」
「...アレックス....こんな場所で」
ミッシェルの両親に両脇を抱えられ、虚ろな瞳をしたミッシェル。
その手に俺の剣を改造した杖が握られていた。