第102話 深淵をのぞくとき
久美浜さんはやつか町の小学校に勤務している先生だ。
もともとが優しく穏やかな性格なこともあり、子どもたちに慕われ、親御さんからも尊敬されている良い先生である。
そして知っての通り、久美浜先生は兼業狩人でもある。
多感な子どもたちが集まる小学校は怪異の発生率が高いと言われている。
やつか町ではとくに怪異の数が多いので、先生たちのうち誰かひとりは狩人免許を取得することが慣例となっている。
久美浜先生はやつか町に赴任してきたとき、無免許だった。でも入れ替わりに出て行った先任の先生が免許保持者で、転任と共に免許保有者もゼロになってしまったので、大学魔術競技経験者である久美浜先生がかわりに取得したのである。
べつに法律などで「取得せねばならない」と決まっているわけでもないのだが、なんとな~く、久美浜先生が取ったほうがいいのでは、という空気になり、忙しい業務の隙間を縫って自腹で免許を取得したのであった。
ある日、久美浜先生は職員室で居残り作業をしていた。残業ではない。教員に残業はないことになっている。
周囲はとっぷりと暗くなり、明かりの少ない学校周辺はほぼ暗闇だった。
職員室に電話がかかってきた。
生徒や保護者がかけてくるような時間でもないが、久美浜先生が受話器を取った。
「はい、北やつか小学校の久美浜です」
「あっ、ちょうどよかった。怪異退治組合やつか支部の相模です。久美浜先生、いつもお世話になっておりま~す!」
受話器から聞こえてきたのは、やつか支部の事務員である相模くんであった。
「久美浜先生、いま、職員室でお仕事中ですか? じつは、近隣住民の方からずいぶん遅くまで電気がついているので怪異ではないか、と通報がありまして。念のため、確認のお電話を差し上げました」
ふふふ、と久美浜先生を笑みをもらした。
「私ら、知らない間に妖怪になっちゃってましたかねえ」
「すみません、お忙しいところに」
近頃の学校現場は、教員のなり手が少なくなったこともあり、どこも多忙だ。
やつか町の小学校も例外ではなく、少子化で子供の数は少なくなったのに、一クラスあたりの人数を増やして何とか業務を回している状態だった。
もしもこのままの状況なら、来年か再来年あたりには、ひとりの教員が複数クラスの担任を兼任することにもなりかねないだろう。
「いやいや、実際に怪異が発生していたこともありますからね。ご連絡どうもありがとうございます。念のため、職員室内の点呼を取っておきますね」
久美浜先生は受話器を肩口に挟んだまま振り返る。
夜の職員室には、まだ複数の先生方が残って授業準備やテストの採点などにかかりきりになっていた。
「え~、職員室の明かりが怪異じゃないかと通報があったようで、怪異退治組合から確認のお電話です。皆さん、ご面倒ですが点呼をお願いします。周囲の方の顔と名前を確認しあってください」
そう声をかけると、居残っている先生方は「妖怪とまちがえられた」ことで苦笑いを漏らした。
何人か、明るい性格の先生たちが積極的に手を挙げ、冗談を言う。
「はいはーい、私、妖怪サービス残業でーす!」
「はい、俺は妖怪やりがい搾取です!」
久美浜先生は「ははは、こらこら」とか言いながら、これがもしも保護者の耳に入ったら、とヒヤヒヤしていた。
受話器を耳に戻し、点呼の結果を伝えると、先ほどのやり取りが聞こえていたようで相模君もほがらかに笑っていた。
「わざわざありがとうございました。久美浜先生がいてくださったので話が早く済んでよかったです。もちろん怪異が発生していた場合は、腕利きの狩人をすぐに派遣しますからね! それでは、残業がんばってください!」
久美浜先生は笑顔のまま受話器を置いた。
相模君のような若者の明るい声を聞くと、久美浜先生は教え子の未来を見るようで微笑ましい気持ちになるのだ。
それと同時に……。
久美浜先生は職員室に掛けられた時計を見あげた。
時計の針はそろそろ夜の九時になりそうだった。
こんな時間まで仕事を続けなければならない教員の苛酷な環境もさることながら、職員室に明かりがついているという通報を受けて連絡をしてきた相模君も、まだ事務所に居残っているのである。
ニーチェいわく、深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている。
残業をのぞく時、残業もまたこちらをのぞいているのである。




