第82話 ねこまた
怪異退治組合やつか支部は平和そのものであった。
事務所には事務員の相模くんと七尾支部長だけがおり、トラブル製造機である悪の狩人・的矢樹はお仕事中である。
あまりにも静かなので、受付で二十四時間ループ再生し続けている『白熱大陸』の録画が少々うるさく感じられるくらいだった。
やつか支部の受付に来ると必ず流れているこの『白熱大陸』は、七尾支部長がかつて密着取材を受けたときのものだ。七尾支部長はいまより少しばかり若々しく、番組としてもなかなか見所がある。
しかし相模くんが事務員として採用されてからというもの一度も途切れることなく再生され続けているため、さすがに飽きがきていた。だからといって「DVDを止めたい」などとは口が裂けても言えない。
七尾支部長は過去に『白熱大陸』の取材を受けたということを何よりも自慢にしているのだ。そして、これは相模くんのあずかり知らぬことであるが、七尾支部長は『白熱大陸』が再取材を申し込みに来る日を心持ちにしていた。彼は白熱大陸に二度出た男になりたいのである。それが人生の目標なのだ。
そんな日の午後、何気ない電話が静寂を打ち払った。
相模くんが受話器に手を伸ばす。
「はい、怪異退治組合やつか支部です。怪異に関するご相談でしょうか――……」
そつなく電話を受けた相模くんの表情が、一瞬で強張った。
「えっ、取材!? テレビ取材ですか? ——しかも白熱大陸の密着取材!」
その瞬間、七尾支部長はお気に入りの扇子を掴んで立ち上がった。
とうとう、この日が来たか。
はい、はいと電話口で頷く相模くんを固唾をのんで見守っている。ちなみに今日の一首は『小倉山峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ』である。
とにかく七尾支部長の心は期待に膨らんでいた。
支部長らしくつねに余裕のある態度でかっこつけていたいという気持ちとは裏腹に、『白熱大陸』という単語はプライドを打ち崩していく。彼は焦燥を押さえきれない声つきで「だ、誰にだ!?」と声を発した。
支部長がそういう複雑な感情を抱いているとは露ほども思っていない相模くんは、受話器の口のところを押えたまま、困惑した顔を向けた。
「えっと……宿毛さんに、です…………」
「宿毛に!? なんでだ!?」
「さあ、まだわかりませんけど……」
七尾支部長は呆気に取られた様子で「俺じゃないのか」と言いたい気持ちをグッと堪えた。そしてどっしりと椅子に腰を落ち着けて、しばらく俯いたまま立ち上がれないでいた。
*
撮影当日まで、七尾支部長はそれがかの有名なドキュメンタリー番組『白熱大陸』の取材であることを疑っていた。しかし撮影クルーがカメラを持って現れると、いよいよ信じないわけにもいかなくなった。
ただその頃になると七尾支部長は落胆から立ち直り「まあ、宿毛湊は俺の弟子みたいなもんだから、実質、俺が二回出たようなもんだよな」とか言いだしていた。
撮影当日はもちろん相模くんと共に撮影現場に駆け付けた。
場所はいかにも昭和風な一軒家で見た目はごく普通の民家なのだが、よくみると『下宿屋鮎川』という色あせた看板がかかっている。
数十年前までは二階の部屋に学生を下宿させていたようだが、家主が高齢化してからは商売を畳み、いまは孫が一人暮らしをしながら隣県にある大学に通っていた。
カメラが入っていても宿毛湊はいつも通りである。無表情気味に一階の座敷で依頼者の相談内容を聞いている。
会話が聞き取り辛い隣の部屋に待機しながら七尾支部長は相模くんに小声で耳打ちする。
「で、今日の依頼はどんなもんなんだ?」
「ええと……事前の相談では、家の中で騒音がしたり、ときたま生き物の気配を感じたり……あと、依頼者さんがカップラーメンを食べるとき、お湯がひとりでに減っているとのことでした」
「お湯ぅ?」
「はい。依頼者さんは几帳面なタイプで、必要なだけのお湯を電気ポットで湧かすんですが、いつもちょっとだけ足りなくなるので困っているそうです」
「そんなんでいいのか? もっとテレビ映えするような依頼なかったのか? 悪い妖怪と戦うとかさ」
「そんなのあったら困るじゃないですか」
相模くんはびっくりして言う。
相模くんはどちらかというとテレビよりも、SNSやインターネットになじみのあるデジタルネイティブ世代だ。七尾支部長が『白熱大陸』に向ける異常な執着をいまひとつ理解できないのだろう。
二人が隣の部屋ですったもんだしているあいだ、宿毛湊は淡々と仕事をこなしていた。怪現象が起きるというキッチンで、いつものようにカップラーメン用のお湯をグツグツと沸かしてもらう。
キッチンにはテレビ局のカメラのほかにも組合のカメラが仕掛けられている。
これは怪異を視認するために作られたカメラだ。画質は荒いが、霊感もなく霊薬を飲むことができない一般人でも怪異を視認することができる。
幽霊や妖怪の一部は見られることで攻撃性を発揮するため、普段は倉庫の奥に眠っている装置だが、今回は直接見ても問題ない怪異だと事前に確認が取れたので使用の許可がおりていた。
宿毛湊は依頼人の鮎川治とともに、別室からカメラの映像をみていた。撮影クルーも後ろからのぞきこむ。
うつっているのは、ぐつぐつと煮え立った湯をたたえた電気ポットである。
保温機能のない、スイッチを押すとお湯があたたまるシンプルな家電だ。
じっと見ていると、画面の端から何かがするりとポットに近づいてきた。
「こ、これは!」
「静かに」
思わず声をあげた鮎川氏を、宿毛湊がとがめる。
ポットに近づいたのは四つ足の獣……キラリと輝く眼、しなやかでふかふかの体、三角のおみみ――猫であった。それも、茶色のトラ柄の猫だ。
猫は器用にポットのふたを開けると、わいたお湯をのぞきこんでにやりと笑った。そして、ふかふかのおててをお湯にさしこみ、肉球にすくいとってはペロペロとなめている。
画像は荒いが、猫だと思うとふしぎとかわいい。
撮影クルーたちからも、何ともいえないどよめきが聞こえてくる。
「これは、古典妖怪のひとつ。猫又です。ほら、ちょっとだけ尻尾が割れてるでしょう」
宿毛湊が画面を指さす。
じっと観察すると確かにちょっと先の方が二股にみえなくもない。
「以前、ここに下宿していた方に確認を取ったので確かです。当時からたびたび出現しては、お湯をなめてたみたいですね。猫又もほかの妖怪たちの例にもれず最近はあまり強くないんですが、この子なりにいたずらをしようとがんばっているのでしょう。お湯が足りないのはこのせいです」
「やけどしないんですか?」
「何回も繰り返しているということは、やけどはしていないものと思われます」
「でも、熱そうですよ」
音声のボリュームを上げると、何やら、かわいらしい声が聞こえてくる。
「はちち……はちっ……はちちちち……」
猫又といえど、熱いものは熱いらしい。
「かわいそうですよ。いったいどうすればいいんですか、宿毛さん!」
「お湯を沸かした後はすぐに使うか、この子が近づかないよう見張ってあげてください」
撮影現場はほのぼのとした、和気あいあいとした空気である。
しかし、その様子を別室から覗いている七尾支部長は複雑な心持ちであった。
「あれでいいのか? 日本を代表するドキュメンタリー番組があれで、本当にいいのか……!?」
しかしその後も撮影は淡々と進んで行く。
宿毛湊は基本的に現代の猫又はみずから姿を現わそうとしない限り人前には現れないこと、かなり気まぐれな性格であることなどを説明する。最終的にこの家の住人である鮎川治はこの見えざる猫としばらく共に暮らす方法を模索することを選択した。
そしてテレビ撮影も夕方頃に終了し、撮影クルーはさっさと帰っていった。
あとには七尾支部長だけが狐につままれたように取り残された。
「あれっ!? 密着取材はいったいどうなったんだ……!?」
宿毛湊はきょとんとしながら、その戸惑いの正体を察したようだ。
「支部長、これは俺の取材じゃありませんよ」
「なんだと、お前の取材じゃない?」
「はい。東京のゲーム会社、サンテン堂のゲーム開発プロデューサーの密着取材です。彼らは番組のなかで使われるスポット映像として、ちょっと撮影に来ただけなんです」
「サンテン堂の……?」
「支部長、ご存知なかったんですか」
何故サンテン堂というゲーム会社大手と、怪異退治組合の、それも地方の支部のごく小さな依頼がかかわってくるのか理解できない支部長のために相模くんが助け舟を出す。
「支部長、覚えてらっしゃいますか? ヨーカイザーですよ」
「ああ、あの妖怪バトルとかなんとかいう、迷惑なやつだな。あれがどうした?」
「あれがオモチャになりまして、小さい子どもたちのあいだで異例のヒットを遂げてるんです。サンテン堂の新作は、ヨーカイザーのゲームなんですよ。それで実際の妖怪についての映像がほしかったらしく、西古見さんが宿毛さんを紹介したんです」
『白熱大陸』の取材が、片田舎の組合の狩人の元にやってきた理由はそのようなものだったようだ。べつに、彼らは狩人の仕事に興味があったわけではないのだ。
気が抜けたのか、七尾支部長はしばし放心した後「そうか」と呟いた。
そして、やつか町の田舎町をとぼとぼと帰っていった。
その後、番組はぶじに放送された。宿毛湊の仕事姿も5分ほどの映像になってお茶の間に流れた。
反響はというと。番組にちらりと出た狩人のビジュアルがちょっといかついというので世間におもしろがられたようだ。競技魔術の選手時代のことを絡めてインターネットで話題になったが、映像が短すぎたのかすぐに静かになった。
ただ、やつか支部のSNSは確実にフォロワーが増えた。宿毛湊の肩にのるマメタがかわいいとたいへんな評判である。




