第80話 いつの間にか増えている(下)
玲音の運転で一時間ほどの距離にある県立大学へと案内された。
サークル棟の一角に郷土史研究会の部屋があり、そこで他に二人の学生が待ち構えていた。ひとりは玲音と同学年の仁田美里、一学年上で他学部に在籍する坂手俊である。
部室には資料がおさめられた本棚とテーブル、丸椅子が四脚ある。そのひとつに宿毛湊がすわり、向かいに玲音と浅川という女性が腰かけた。
美里と俊は窓際に立ち、お湯をわかしてお茶をいれる準備をしていた。
「こちらをどうぞ」
玲音が差し出したのは、地方新聞の記事の複写をスクラップにしたものだ。
記事は三十年ほど前この地方で起きたある事件についてのものだ。
それも地元の小学校に通う少女が三名ほど連続で誘拐され、殺されたという痛ましいものだった。記事は事件の経過を詳細に伝えており、最終的に犯人と思しき人物が少女を監禁していた小屋のそばで自殺をはかったこと、少女たちも助からなかったことを伝えていた。
「どうぞ」
玲音は宿毛と浅川氏のまえに紅茶のカップを差し出したが、宿毛湊はそれには手をつけずに訊ねた。
「この事件が怪異に何かしら関連性があるのですか?」
「ええ……。その通りです。事件の取材をずっとしてらした記者の方から、捜査資料や現場の写真を譲って頂いたのです。それがこれです」
ファイルに納められた写真には、薄暗い山のなかの物置小屋がうつっていた。
木でできたみすぼらしい小屋の入口には、何故か大量の南京錠がかけられている。
「犯人はこの小屋に少女たちを監禁していたようです。それから、こっちも御覧になってください」
資料の中には、警察が押収した鍵がずらりと並んでいる写真があった。
鍵は小屋の南京錠を開けるためのものだった。
「こんなにたくさんの鍵を……いったい何のために……?」
「犯人が自死した以上、今となってはわかりません。少女たちの直接の死因は餓死と凍死だったようです」
玲音がそう言うと、浅川さんが「うっ」と声を詰めてうつむいた。
美里がそっとそばに寄り添い、背中をさすっている。
「浅川……浅川菜摘さんは、三人目の被害者である浅川裕香さんの妹です」
その名前は記事の中で何度も目にしていた。名字が同じことから、何かしら関係があるとは思っていたが、実際にそうだと知らされると重たいものがある。
玲音は続けた。
「犯人が用意したこれらの鍵と、怪異退治組合が保管していた鍵の型番が一致したんです。誘拐事件と怪異に関係があることはあきらかだと思ってます。ね、浅川さん……」
「はい、その通りです」
浅川菜摘は促され、ハンカチで涙を拭いながら答えた。
「きっと姉の魂は事件にとらわれたまま、救いを求めているに違いない……そう思います。じつは事件が起きたあと、親戚の紹介で霊能力者の方をお呼びしたんです。母の落ち込みがすさまじくて、少しでも慰めになれば、と。その方のお話では、お姉ちゃんの魂は、家には帰って来ていないと……事件現場に捕らわれたままだということでした」
そう言って浅川菜摘は零れ落ちる涙をこらえようとして、苦しげに唇を噛んだ。
それに対して、玲音は冷たい瞳で宿毛湊のことを見つめている。
「素人考えではありますが、この鍵を開ければ、浅川さんのお姉さんの魂も帰ってくるんじゃないでしょうか? ですから、我々は浅川さんや遺族会の方々と、組合に集めた鍵を使って『開錠』するように交渉していたんです。それなのに……」
玲音は言葉の続きを口にしなかったが、何が言いたいかはわかる。
彼女たちにとって、開錠の手続きを邪魔する宿毛や的矢は敵のようなものだろう。よほど心のないひどい人物に見えているに違いない。
「しかし、それはおかしいですよ」
遺族の前で発言するのは気が引けるが、宿毛湊もプロの狩人として言わなければいけないことがある。
「残念ですが、担当支部からはこうした事件との関連性は聞かされていません」
「さあ、連絡をし忘れたんじゃないですか? 組合内部のことは私達にはわかりませんし……」
「確認を取っても良いでしょうか」
「いいですけど、ここ、電波悪いですよ」
宿毛湊は一旦席を離れて、ひとつ下のフロアに移って仕事用の携帯電話を取り出した。
玲音の言う通り、山の上だからか通話は難しい状況だった。
的矢樹にもつながらない。
席に戻ると、玲音は変わらずに鋭いまなざしを向けてくる。
「紅茶、冷めますよ」
「仕事中はいただいた飲み物を口にしない規則ですので……」
「組合とは連絡ができましたか?」
「いいえ。しかし、先に言った通り俺たちは外部の狩人ですので、担当狩人の判断がないと何もできません」
宿毛湊がそう言ったとき、浅川さんが声をあげた。
「お願いします。これを見てください!」
浅川さんは鞄から風呂敷包みを取り出した。
宿毛湊は息をのんだ。
包みを開くと、そこには新品のセーラー服があった。少し古めかしいタイプのものだが、きれいに洗濯されてアイロンがかけられている。
「おととし他界した母が用意したものです。事件がなければ、姉はこれを着て中学校に通っていたんです。お願いします、どうかお姉ちゃんを家に帰してあげてください!」
そう言って声を上げて泣き始める。
こうなると、宿毛湊にもどうしていいかわからなかった。
浅川菜摘はセーラー服を抱きしめて「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と声を上げ続けている。
「ひとまず……現場を見てみましょう」
困惑しながら出した結論は、宿毛自身にとっても意外なものだった。
玲音の先導で、宿毛湊と浅川菜摘、そして研究会のメンバーはキャンパスの端にある細い階段を降り、竹林の間を抜ける小道に分け入って行く。
竹林を通り抜け、舗装のないむき出しの地面を進んで行く。
しばらくすると竹林の奥に小屋が現れた。
どうやら物置小屋のようだ。
壁は木製で、色褪せたトタン屋根がついている。
正面の扉に南京錠がズラリと取り付けられていた。
ただ、写真と違うのは、ひとつを残して開錠されている点だ。
他の錠を開けたのは研究会なのか、それとも、組合のほうだろうか。
あらかじめ事件の詳細を知らされていたからか、薄暗い小屋の周辺には背筋を冷たく這い上っていくなんともいえない空気があった。
暗がりの向こうから誰かがのぞいているような気配もあった。
それでいて、殺風景な景色には悲しみが満ちている気がした。
玲音は小屋の扉の隣に立つと、ひどく錆びついた南京錠を示した。
「これが、今回開けられるはずだった最後の鍵です」
あたりには、浅川菜摘の啜り泣きが響いている。
宿毛湊は近づいて、複雑な気分でその南京錠に触れた。
もちろん遺族たちの気持ちはわかる。彼らは事件に巻き込まれ、日常をズタズタに引き裂かれ、やるせない日々を何十年も過ごしたのだろう。魂が本当にあるのかどうか、あるとしたらどこにあるかは、才能のある者にしかわからないことだ。それでも、もしもこの小さな鍵を開けることで救われるかもしれないと言われたら、しない理由はないだろう。
しかし事情はどうあれ、鍵を開けるべきではないことはもう明らかだった。
じつは、ここに来る途中ずっと錫杖の音が聞こえていた。
音はどんどんと大きくなり、玲音の言葉が聞き取り辛いほどだった。
何かしらの警告であることはまちがいない。
それなのに、宿毛の心は、開けてやりたいという気持ちが確かにあった。
狩人はポケットから最後の鍵を取り出した。
するとどこからかか細い声が聞こえてきた。
おねがい、ここをあけて。
たすけて。
そとにだして。
それは手にした南京錠から聞こえていた。
宿毛湊の視線が錠に落ちる。
声は鍵穴の奥から聞こえてきていた。
おねがい、おなかすいた。
なにかちょうだい。
すっごくさむいの。
たすけて……。
奥の暗がりからなにかが這い出してくるのがみえた。
それは白く蠢く細い糸のようなもので、目をこらすと、先の方が五本に別れていた。手だ。
南京錠の角度を変えて穴の奥をのぞきこむ。
ふたつの瞳がこちらを見つめている。
小さな女の子が鍵穴の中にうずくまり、こちらをじっと見つめ、手を伸ばしていた。
「たすけて」
はっきりと声が聞こえた。
そのとき、一際甲高い錫杖の音が聞こえた。
それは紛れもない現実から聞こえてきた音だった。
背後から伸びてきた長い指が、跪いたまま動けずにいる宿毛湊の手から鍵を拾い上げた。
「先輩、ダメですよ。出てきちゃうじゃないですか」
振り返ると、錫杖を手にした的矢樹が微笑んでいた。
突然の闖入者に驚いている玲音の姿もある。
「的矢……どうしてここに? 宿で寝てたはずだろう」
「あれは演技です。僕に何かしようとしてるのはわかってましたから、引っかかったふりをして油断させてたんです」
的矢樹はそう言って玲音を睨みつけた。
あれほどうるさかった錫杖の音がぴたりと止んでいる。
小屋の周辺はしんと静まり返り、葉擦れの音だけがする。錠を開けたい、という気持ちはすっかり収まっている。
背後の藪の向こうから、チラチラと明かりが見える。
懐中電灯を持って現れたのは、怪異退治組合の腕章をつけた狩人たちだった。
玲音は青い顔になり逃げだそうとしたが、狩人のひとりに止められる。
「ずいぶん前から取り憑かれてたみたいですね。明るい家送りでしょう」
「最初からわかってたんだな。二人いないといけないって駄々をこねたのは、このためだったのか」
「すみません。でも茜先輩がいない今、先輩がいてくれないとダメだったんです」
囮にされたとわかっても宿毛湊は叱る気になれなかった。
助かったという安心感が強いせいもあるが、それ以上に、この場にいない誰かの存在を強く感じたからだ。
的矢は小屋の扉に近づくと、開けっ放しの南京錠をすべてかけていく。
そして真新しい錠を取り出すと一番上にかけた。
「僕的にはね、この小屋の扉が開いてても、閉まってても、別に大した問題じゃないんですよ。錫杖もあるし……。でも先輩が困るだろうなって思うから、閉めておこうって思えるんですよね」
あっけらかんとした声に出会った頃と同じ響きがあった。
幽霊が存在するのが普通の世界で生きている的矢樹には、そうではない人間の『普通』がわからない。以前はその基準を作っていたのが鷲津茜だったのだろう。記憶の隅に、懐かしい人物の影が過ぎった。
「この小屋には何がいるんだ?」
「さあ……開けてないのでわかりません。でも、開けたらそれでおしまいです」
的矢樹は扉の前に片膝を着いたままの宿毛湊に手を貸すと、二つの小さな鍵を上着のポケットにしまった。
「鍵は、やつかの海にでも捨てましょう」
小屋の周りはさっきよりも荒れて見える。
冷静になって周囲を見回すと、そこには玲音と自分しかいなかった。
浅川菜摘や研究会のメンバーの姿はない。
雑草の生い茂った地面のあちこちに誰かが投げ捨てたようなごみが落ちている。
ジャージやチェックのシャツ、トートバッグやセーラー服などだ。
後でわかったことだが、仁田美里や坂手俊という名前の生徒は玲音が組合に接触してくるより前に大学を退学していた。そして浅川菜摘ともども行方不明となり、現在も捜索が続いているそうだ。




