第56話 ジャンボタニシはビッグになりたい
やつか町にはけっこう田んぼがある。
風にそよそよとそよぐ緑の稲、水路を流れていく冷たい流れ、明るく輝く青い空。
それだけで済まないのが稲作だ。近頃、やつか町では外来生物の被害が深刻であった。その生物が残していった落とし種が水路の外壁にこびりついている。鮮やかなピンクのつぶつぶが無数に固まってできた卵は、いわゆるジャンボタニシの卵だった。
狩人の宿毛湊が応援に呼ばれて現場に到着すると、長靴を履いた的矢樹が錫杖片手に、ぼんやり田んぼの縁に腰かけていた。
宿毛の存在に気がつくと、それまで所在無げにしていた的矢はぱっと笑顔になる。
「宿毛先輩、来てくれて助かりました。今回、僕は用無しで~す」
宿毛湊はため息を吐いた。的矢樹は優秀な狩人ではある。
しかし怪異への対応能力のほとんどを錫杖に頼っており、錫杖のキャパシティが必然的に的矢樹の限界点ともなっている。
つまり、錫杖がなんとかできるのは仏敵だけなのだ。
「お前はおじいさんに頼りすぎだ。魔法の講習を受けとけって言っただろ」
「え~でもでも、たとえ講習を受けてたとしてもこれは無理でしょ!」
的矢樹が示した先には、ジャンボなタニシがいた。
ただのジャンボタニシではない。身長170センチ越えの二人が見上げるほどデカいジャンボタニシだ。体長は両隣の一軒家の屋根を越えている。
今年度の収穫は絶望的だろう。
「いちおう雑食ですし、家屋を破壊されると困るんで、近隣住民の方には避難していただきました。普通に自衛隊案件だと思います」
「そんなに簡単に自衛隊が出動してくれると思うんじゃない」
「あっちの予算で、タダで重機持ってきてほし~な~」
「こら、都合よく使おうとするな」
「じゃあどうするんですか? 僕的には先輩の魔法で動きを止めて、その隙に市街地から移動させるしかないと思うんですよね。いま、相模くんに業者の手配をお願いしてます」
適当でめんどくさがりな男ではあるが、無策で宿毛を呼んだわけではないらしい。
「一応、考えてはいるんだな」
「ひどい、僕は先輩の後輩ですよ。先輩の仕込みで狩人になったのが僕なんですよ。こう見えても。でもどこに移動させるかがネックですね。やつかの海に沈めるのが現実的ですけど……あそこ海水浴場あるし、適応されちゃうとマズいかなって」
怪異は時代と環境によって変貌する。通常の生物とちがって、新種が発生したり、進化を行うスパンがかなり短い。ただのでかいジャンボタニシに見えても、海に適した怪異に進化しないとも限らないのだ。
そうなれば、海水浴場は閉鎖だろう。
「……錫杖が使えない相手だっていうのは間違いないな」
「ええ。ですから、ムジナ系の変化じゃないはずです」
「お前が現着してから、タニシは動いたか?」
「いいえ、びくともしてないです」
でかすぎるジャンボタニシは餌を食うでもなく、長すぎる二本の触覚を揺らしているだけだ。
宿毛湊は長靴を履いて田んぼに入った。
「先輩、危ないですよ。人間も食べるかも!」
しかし宿毛が近づいても、タニシは微動だにしない。
その姿はまるで眠っているかのようだ。
狩人はその茶色の表面に触り、何事かを考えているようだ。
「的矢、この案件、少しの間俺に任せてくれないか?」
「え、いいですけど……」
宿毛湊はその場でスマホを取り出し、どこかへと連絡していた。
*
一時間ほどで、近隣の動物園から飼育員に連れられて獏が運ばれてきた。
白黒の二色にぬりわけられたずんぐりとした体、長い鼻。姿形は、マレーバクにそっくりだ。しかし運んできた小型トラックに『怪異動物保護協会』と書かれているあたり、ただのマレーバクでないことは確かだ。
「え~、かわいい~。お名前は?」
「ばくです」
「喋った~!」
ただのマレーバクではなかった。
「この子は夢を食べるほうの獏のばくちゃんだ」
宿毛湊が紹介する。安直な名前だ、と的矢樹は思ったが、けっこうしっかり自我がありそうな雰囲気の獏だったので黙っておいた。
「えーと、獏を呼んだということは……もしかして、僕が見ている今この世界は夢?」
「そうじゃない。史記の天官書にいわく、海旁の蜃気は楼台に象ると云々……。今昔百鬼拾遺だ」
「あ、なんか聞いたことあるかも!」
「蜃だ」
「それって、蜃気楼を発生させるハマグリのことですよね」
昔の人たちは、蜃気楼が発生する仕組みがわからずに、ハマグリが吐いた気が蜃気楼になると思っていた。それを蜃と呼ぶ。蜃が気を吐いて楼台の幻影を起こすから蜃気楼なのだ。
また、彫刻や絵画には、ハマグリが立派な楼閣を夢にみて、それが具現化する『夢見蛤』というものも存在する。
「もしかすると、ジャンボタニシが夢見た姿を蜃気楼として投影しているのかもしれないと思ってな」
「これ、タニシですけど……」
「もともと蜃の正体についても、ハマグリとするものとシャコ貝の一種とするもの、蛟とするものと説が分かれている。アライグマも変化する世の中だから、ジャンボタニシにも可能性はある。それで、念のためにばくちゃんを用意してもらったんだ」
宿毛湊はしゃがんでばくちゃんに視線を合わせると、巨大ジャンボタニシを示した。
「ばくちゃん、あれをちょっと食べてみてくれないか」
「い~よぉ~」
ばくちゃんは田んぼにザブンと入ると、泥をかきわけてジャンボタニシの元へとゆく。
「ぱくぱく~!」
何やらカワイイ音とともにジャンボタニシに大穴が空いた。
ばくんばくんと食べられて、フォトショップで加工されたかのように、巨大タニシの姿が消えていく。ものの五分くらいで、人騒がせな巨大ジャンボタニシの姿は消えて、あとには手のひらサイズの普通のジャンボタニシが残った。
「このタニシ、どうします?」
タニシを指でつまんで、的矢樹が訊ねる。
宿毛湊は思案顔だ。
「なんかね~そのこ、だれよりもおっきくなりたかったんだって~。まだ夢をあきらめてないみたいだよ~」
ばくちゃんは言って、飼育員さんとトラックに乗って行ってしまった。
後には風にそよぐ稲、明るい青空、陽射しに熱された空気だけが残っている。
宿毛湊も次の仕事に行ってしまい、的矢樹はしかたなく、バケツに田んぼの水を入れて、ジャンボタニシを連れて事務所に戻った。
「……これ、ほんとに僕の見てる夢じゃないですよね?」
「……あたま大丈夫ですか?」
思わず訊ねた的矢樹に、相模くんが不思議そうに返した。




