第111話 怪異退治組合忘年会の怪 下
相模くんはその後、七尾支部長主催の温泉麻雀につきあわされて、宴会の時間まで自分の部屋に戻ることはできなくなった。
その間も何度か宿毛湊のスマホが震えていたが、面子が足りないとかで相模くんが解放されることはなかった。「少しだけ離席して返しに行きたいたい」と言っても「いいから、いいから」である。スマホが個人情報満載の貴重品だという意識は、昭和生まれのおじさんたちにはないのだろう。
途中でフロントに連絡して事情を説明し、直接部屋に電話してもらったが、宿毛湊は客室に戻っていないようだった。相模くんのようにどこかの部屋で麻雀や酒に付き合わされているのかもしれない。
麻雀の役はタンヤオしか知らない相模くんはごく自然に接待麻雀をやりながら、夕飯の時刻ギリギリにようやく解放された。
「いやあ支部長、さすがにお強い!」
おじさんたちにほめられた七尾支部長はごきげんだが、相模くんは気が気でない。スマホを紛失したと思って宿毛湊があわてていないかと思ったのだ。
はやく届けないと大変だ。
そう思いながら宴会場である『煌』という部屋に入った。三十人が入れる和室の座敷にはすでに仲居さんたちによって、てんぷらや刺身などの豪華な食事が運びこまれていた。しかし。
「あれ、こんだけか?」
七尾支部長が面食らったのも無理はない。ずらりと並んた座布団に座っているのはわずか四、五人だ。雄勝さんと久美浜さん、宿毛湊の顔も見あたらない。
「宴会の開始時刻は何度もお伝えしたはずなのに……」
戸惑っている七尾支部長たちに、ホテルの受け付けをしていたおじさんスタッフがそっと近づく。
「大変申し訳ございませんが、お席がずいぶん空いているようです。このままですと、人数分のキャンセル料をいただかなければなりません」
そう言って提示された請求書には、とんでもない額が記されていた。
「ええっ! ——三百万!?」
多人数での宴会とはいえ、正規の宿泊料金よりもよほど多い。
「チェックインされなかったお客様の分は、宿泊料のキャンセル代も加算いたします」
「まさか、大串さんたちまだ来てないんですか!?」
「はい、お見えになっておりません」
「そんな……。でも、この代金はさすがにとんでもない額ですよ!」
「いいえ。ホームページにも記載しておりますので」
相模くんが慌てて自分のスマホで『憩いの宿みやこ』のホームページを確認すると、確かにそういう記述があった。ただし注意書きはトップページのかなり下の方に、ものすごく見えにくい小さなフォントで書かれていた。
「『大規模な宴会では、全員が揃っていない場合罰金300万をいただきます』……? なにこれ、全然気がつかなかった……」
七尾支部長から旅館の電話番号を直接聞いたこともあり、公式ホームページをよく見ていなかったのが仇となったようだ。
「どうしましょう、支部長」
「うーん……。まあ、こちらの確認不足とあっちゃしょうがないね。とはいえ空席の連中だって、時間を忘れてるだけで館内にはいるだろう。相模くん、悪いが客室を回って呼んできてくれるかい」
「は、はい」
「それで全員揃わなかったら、払うもんは払う。そちらさんも、それでいいね」
七尾支部長があっけらかんとした顔つきで言うと、スタッフはうなずいた。
対する相模くんは蒼白な表情だ。
「で、でも、300万ですよ」
「大丈夫大丈夫。最悪、俺がかみさんに頭を下げればそれですむ話だ」
支部長はそう言ってからから笑うと、さっさと座敷に上がり上座にどかりと腰をすえつけた。
相模くんは小走りで客室に向かった。
「ど、どうしよう。僕の連絡ミスかもしれない……」
記憶では、宴会の開始時刻はメールにも記載したし、バスの中でも連絡した。しかしメールを見ない狩人もいるし、バスの中ではみんなお酒を飲んでいた。もしも連絡が行き届いていなかったとしたら……。
責任感の強い相模くんは息を詰まらせそうになりながら、狩人たちが滞在しているはずの客室を回った。
部屋の外に取りつけられた呼び出しチャイムを押して回るが、いっこうに出てくる気配がない。
「ど、どうして……? みんなどこに行っちゃったんだろう?」
失礼なことだと思いつつも、扉を開けてみる。
すると、扉には鍵がかかっておらず、室内は真っ暗だった。
荷物を運び入れた様子もない。机の上に用意された茶菓子やお茶は手をつけた様子もなく、来たときのままだった。
「え……?」
相模くんは驚いて廊下に飛び出した。
すると、先ほどまで明るかった廊下の明かりが消えていて、あたりは真っ暗だった。
かろうじて足下のフットライトだけが灯っている。
「な、なんで!?」
旅館にはまったくといっていいほど人気がない。
うろたえる相模くんの耳元で声がした。
「おやおや、誰もいないようですね。キャンセル料金をいただきますよ、お客様」
振り返ると、どこから現れたのか先ほどのホテルスタッフが立っている。
「宿泊もキャンセルとなると、お客様からは600万いただかなければなりません。すべて現金一括でいただきます」
「そ、そんなに払えるわけないでしょう!」
「いえ、払っていただかなければ。いますぐに」
「今すぐにって……」
「さあ、払ってくださいよ。600万」
ホテルスタッフは気味の悪い薄ら笑いで両手を突き出してくる。
「ぼ、僕がですか!?」
「はい。だって、ほかにどなた様もいらっしゃらないじゃないですか」
認めたくはないが、客室はどれも空だった。
「だ、誰かいませんか!」
相模くんは走って宴会場まで戻った。
『煌』と書かれた札のかかった座敷のふすまを開けるが、そこには食べる者のない料理がずらりと並んでいるだけで、七尾支部長の姿もない。
「そんな、支部長たちは!?」
思わず悲鳴を上げるが、それを聞き遂げる者もいないのだ。
「払ってください、600万!」
廊下の奥にホテルスタッフが立っている。
何かがおかしいが、それに気がついたとしてもすでに手遅れだった。
ここには相模くんしかいない。
不安をさらにあおるように足元のフットライトが奥からひとつずつ消えていく。
「あ……!」
やがて完全な暗闇が相模くんを包んだ。
宿毛湊も、支部長もいない。狩人ではない相模くんにはこの状況に打つ手がなかった。
「さあ、払うと言え!」
心細いことこの上ない状況で、ホテルスタッフの声が大きく響く。
そのときだった。
鈴のような音が聞こえた。金属どうしが擦れあうような、澄んだ音だ。
不快ではなく、むしろ安心できる音だった。
「あっ……この音……。聞き覚えがある」
不意に、肩からかけていたショルダーポーチが鳴動した。
持ってきたままにしていた宿毛湊のスマホだった。ちょうど、的矢樹からの着信が入っている。
急いで通話を受けると、聞き覚えのあるのんびりした声が聞こえてきた。
『宿毛先輩、そこにいますか?』
「的矢さん、僕です!」
『あれ? 相模くん?』
「はい! ちょっと事情があって、ここにいるのは僕なんです!」
『なるほどで~す。もしかしてピンチだったりします?』
「はい、ピンチもピンチ、めちゃくちゃピンチです!」
このままだと、若輩の身空に600万という債務が課されてしまう。
すると通話口のむこうからしゃん、しゃん、という涼しげな音が響き、間近にあったホテルスタッフの気配が消えた。
的矢樹の錫杖の音だ、ということに気がついたとき、相模くんの肘のあたりを男の手が掴んだ。
「相模くん、見~つけた!」
「的矢さん!」
フットライトが再び点灯する。
薄暗がりの中で、錫杖を手にした的矢樹が、にっこりと笑っていた。
今の相模くんにとって、これほど心強い援軍はない。
「た、助かりました。さっきまで僕ひとりぼっちで……600万も請求されてどうしようかと思いました。助けに来てくれたんですね」
「はい、俺もみんなのことずっと探してたんですよ。午後になって到着したんですけど、宿毛先輩をはじめとして誰もいないから」
「えっ。僕はいましたよ? お風呂に入って、その後は支部長たちと一緒でした」
「うーん。なるほどね。『自分だけの国』と似てるなあ、やり口が」
的矢樹が口にだした怪異の名前に、相模くんも覚えがあった。
「もしかして、他の人たちの存在を認識できなくなるってやつですか?」
「あれよりもっと高度な感じですね。今回は同じ空間にもいられなくなってるわけだから。でも原理は同じですよ。たぶん、ひとりずつ孤立させて閉じこめてキャンセル料をせびるつもりだったんじゃないかなあ」
「えーっ、ひとりずつ、600万円も!?」
「ひとまず、ここを脱出して支部長たちと合流したいですね。さて、どうしたものか」
的矢樹はため息を吐いて考え事をし始めた。
「的矢さんにも、どうしたらいいかわからないんですか?」
「この旅館のどこにいるのかは見えてるんだけど。でも、なんていうか……位相が違うっていうか。少しだけ空間がねじれていて、薄いカーテンがかかっているっていうのかな。そのカーテンをどうやって開けたらいいのかわからない。声をかけてるのに届かない感じ……ここに来てから、何か飲み食いしなかった?」
「あ……」
そう言われると、覚えがあった。旅館に着いて部屋に入ったとき、用意されていたお菓子とお茶に手をつけたはずだ。それから、お風呂から上がったときに販売されていた飲み物を飲んでいる。
「そのどれか、あるいは全部に何かしら呪いがかかってたんだろうね。……まんまとやられちゃったなー」
「このままキャンセル料を払わないかぎり、皆さんとずっと離れ離れになってしまうってことですか」
「かもしれない。相手の目的しだいかな」
「そんな……ひどい!」
「しっ。静かに」
的矢樹が厳しい表情で指示を飛ばす。
「声が聞こえる」
そう言われて、ふたりで闇の中に耳を澄ます。
相模くんには、ほとんどそれは聞き取れなかったが、的矢樹は違ったようだ。
「ああ、これ、七尾支部長の声だ!」
ぱっと表情を明るくする。
相模くんも、もっと集中して全神経を聴覚に向けた。すると、闇のむこうから確かに七尾支部長の声が聞こえてきた。
『あきの田の、かりほの庵の……』
『春過ぎて、夏来にけらし、しろたえの……』
『あしびきの、山鳥の尾のしだり尾の……』
「百人一首の上の句ですね」
「はい。相模くん、覚えてる首はありますか? これ、たぶん支部長がバラバラになっちゃったみんなを呼び寄せているんだと思いますよ」
「はい。やつか町って百人一首大会があるので、おそらく小学生以上の住民はほとんど暗唱できると思います」
「それ、いかにも七尾支部長の策略っぽいなあ。もともと怪異対策のためにはじめたんじゃないかな。じゃ、支部長の詠む上の句に答えてみてください。それで戻れると思いますよ」
「は、はい」
「お先にどうぞ。まあどうなっても僕がついていますから、大丈夫ですよたぶん」
的矢樹は不安げな相模くんの背中をポンポンと叩く。
相模くんは必死に支部長の声を聴き分けようとする。
『背をはやみ、岩にせかるる滝川の……』
「えーと。われても末に、逢わんとぞ思う……?」
自信がなさそうな声つきながら、崇徳院の著名な歌の下の句を口にする。その瞬間、隣に立っていたはずの的矢樹の姿が消えた。
そして廊下に明るい光が戻ってきた。
宴会場からは、さらに賑やかな声が聞こえてくる。
相模くんがふすまを開けると、そこには忘年会に参加した狩人たちの半分くらいが戻ってきていた。
「おかえり、相模くん!」
「一番心配でしたが、なんとかなりましたねえ」
雄勝さんと久美浜さんが笑顔で出迎えてくれた。
七尾支部長は集中して魔術を使っている。扇子がひらめく度に、消えていった人たちの応答があった。
じきに宿毛湊も帰って来て、何事もなかったふうに座布団に座った。
最後が錫杖を持ったままの的矢樹だった。
的矢が座布団に座ったのを見届け、支部長は何もなかったかのように扇子を閉じた。
「みんな揃ったな。では、これより本年度の忘年会をはじめるぞ!」
「本年も、お疲れさまでした!」
「乾杯!」
「乾杯!!」
そして、宴会がはじまった。
相模くんだけがびっくりした顔つきで、訳も分からない様子で、とりあえずビールを一口飲んだ。
*
これは後でわかったことだが『憩いの宿みやこ』は長いこと経営難に苦しんでいたようだ。そして、いよいよ倒産という寸前に現れたのが『ウォッシャブル金蔵』という怪しい投資家だった。
ウォッシャブル金蔵はみやこの経営を乗っ取り、客から巨額のキャンセル料をせしめるというあくどい商売——というか詐欺行為をはじめた。
ウォッシャブル金蔵はアライグマ半グレ集団の首領とみられる化けアライグマで、かつてはラスカル水野を部下にしていた狂暴なオスだ。みやこの受付係に化けていたのも金蔵の部下のアライグマだった。(これは、孤立した狩人の何人かがアライグマを捕獲していたから判明したことだ。)
この件は警察の取り扱いになり、ウォッシャブル金蔵は日本中の警察と怪異退治組合、ついでに自衛隊の特殊部隊にも追われることとなった。
アライグマたちは化け力で人間社会に忍びこみ悪さばかりをする存在だが、しかし狩人たちを分断して孤立させるほどの妖力はもたない。憩いの宿みやこで起きた事件は、第三者の入れ知恵があったからこそできたことではないかとみられている。
この件で経営資金が底をついた憩いの宿みやこは倒産してしまった。
七尾支部長のおかげで危機を脱し、忘年会をぶじに済ませた怪異退治組合やつか支部ではあるが、後日、組合でも毎年同じ宿で忘年会をするのは危険だという話が上がった。
来年度からは別の旅館を手配する予定である。
あと、その流れで、これまでの忘年会の仕切り役はなんと宿毛湊であることを相模くんは知った。
「ええっ、あの、言っちゃなんですがいかにも昭和の忘年会を計画していたのが、若手エースの宿毛さんだったんですか?」
そうなのである。
宿毛湊は高校卒業後からずっと組合所属の狩人をやってきた。年末は忙しいのと「忘年会というのはそんなものだ」という思いこみもあって、長年同じやり方が継続されていたようだ。
だがおじさんたちはおじさんたちで、古いやり方には思うところがあったようだ。なにしろ兼業狩人がほとんどなので、一泊二日という旅程をスケジュールに組み込むのもなかなか難しい。
来年以降の場所のリサーチやスケジュール調整は相模くんに一任され、うれしくもあり面倒くさくもあり、内心では悲喜こもごもであるようだ。