第109話 増える毛糸玉
怪異退治組合の事務員である相模くんは手芸が趣味である。
もともと手先が器用で、コツコツものを作る作業が向いている性格だったのもあり、学校の授業でエプロンを作ったのを皮切りに、大学を卒業するころにはセーターが編める男になっていた。
最近はマメタや小さなおじさんに着てもらう服を自作するのにハマっており、仕事終わりにショッピングモールに立ちより、手芸店をチラ見して帰ることも多かった。
冬になって店先には様々な色や素材の毛糸が並んでいた。
(冬は……やっぱり編み物だよね。以前は自分で使うのも限界あるから程々に、だったけど、今はマメタとおじさんがいるから、ちゃんと使ってもらえるし!)
とはいえ、少し作りすぎてしまったきらいもある。マメタやおじさんは、すでに日替わりで別々のを着られるくらいにセーターやマフラー、帽子や手袋、腹巻や毛糸の靴下を編んでもらっている。
赤いモコモコした毛糸を手に取った相模くんだが、ふと、その飼い主である宿毛湊の顔が脳裏によぎった。
(この毛糸、マメタくんに似あいそうだけど……さすがにプレゼントしすぎかな……)
宿毛湊は、マメタが服をもらう度に、わざわざ事務所に立ち寄ってお礼を言って行く。相模くんは編むのが楽しいばかりで他意はないのだが、もらうほうは気を遣うものかもしれない。
そんなことにふと思い当たり、手に取った毛糸を商品棚にもどす。
相模くんは手芸店を後にして事務用品を買うために同じ階にある百均に入った。
なんとなく手芸用品のコーナーに立ち寄る。
すると、そこにも新商品の毛糸玉が並んでいた。しかも他店では見かけないようなカラフルなものが多い。
(あ、これかわいいかも! ——いや、いけない。何やってるんだ、さっき買わないって決めたはずなのに……でも、百均の毛糸って一度試してみたいと思ってたんだよな……)
気がつくと相模くんは事務用品のほかに新しい毛糸玉を四つ買っていた。
欲望に負けた形だが、買ってしまったものはもうどうにもならない。
四つの幸せを胸に抱き、一人暮らしのアパートに帰還した相模くんを待っていたのは、小さなおじさんだった。
毛糸の腹巻にニットキャップを着こんだおじさんは百均のビニール袋に入った四つのモコモコをじっと見つめた。
小さなおじさんはマメタと違ってしゃべらない。
腕を組んで何か言いたげにするだけだ。
「わ、わかってるよ! 家にはまだまだ使ってない毛糸もいっぱいあるし……とてもこの冬の間には編み切れないってことは……!」
相模くんはそう言って、仲間の毛糸たちが眠っている押し入れの戸をがらりと開けた。
「えっ」
その瞬間、押し入れの中から、大量の毛糸玉たちがなだれ落ちてきた。
*
相模くんに呼ばれてやってきたのは、宿毛湊と的矢樹のいつものコンビだった。
宿毛湊は青いつなぎ姿をしていたが、的矢樹はいったん帰宅したらしく上下ジャージで錫杖だけ持って現れた。
そのため、玄関先で怒られていた。
「でも相模くんちだからいいかなーって」
「遊びじゃないんだぞ」
「でもまだ1パーセントくらい、遊びの可能性があるかもしれないじゃないですか」
「そんなかすかな希望は捨ててから来い」
モメているやつかのエースたちを前に、相模くんはしょんぼりとしている。
「すみません……僕のせいでおふたりを争わせてしまって……。僕も帰ったばかりで片付けとかできてなくて、お恥ずかしいんですが、これたぶん怪異だと思うんでどうぞお入りください……」
相模くんは急遽呼び出した狩人ふたりを居間のほうに案内する。
そこには、大きな紙袋にパンパンに詰め込まれた色とりどりの毛糸玉たちが並んでいる。紙袋十袋ぶんの毛糸玉たちだ。
「うわあ、大量ですねえ」と的矢がおもしろげに言う。「これ全部、自分で買った覚えがない毛糸玉ってことですか?」
「はい……。もともと買い集めていたぶんもあるので、全部ってわけではないですが」
相模くんは、二人分のお茶を差し出しながら、難しい顔をしている。
「ご自分で確かに購入されたとわかる毛糸はどれくらいありますか」
「紙袋ひとつ……いや、あっても二つぶんくらいだと思うんですけど。はっきりしたことはちょっと……」
「何ごともきっちりされてる相模さんにしては、曖昧な返事ですね」
同町に住む諫早さくらとは違い、相模くんは非常に丁寧な暮らしをしている。男性のひとり宅ながら、急な来客にも対応できる程度に室内は片付けられているし、もてなしのために出されたお茶のカップもデザインの統一されたシンプルなものだ。コンビニくじの景品などを適当に使っているさくらとは違う。
宿毛湊にたずねられ、相模くんはつらそうに眉間を指で押さえた。
「宿毛さん……毛糸ってね、増えるんですよ……」
「増える……?」
「はい。いつの間にか、増えるんです。ストックしていた毛糸どうしが結婚して子どもを産んでいた、とか言う人もいます」
「結婚……?」
「もちろん冗談です。でもですね、ちょっと手芸店に入ってですね、いい毛糸が安くなってたりだとか、あ、これいい色だな、とか、これをマフラーにしたら素敵だろうな、とか、そう思ってしまったら、もうだめなんです。増えてるんです」
「それは……毛糸玉が自然に増えているというよりは……」
「もちろん、買ってるんですよ。買ってるのは、僕なんです。それはわかっているんです。でも、さすがにこんなには買ってないはずです!」
相模くんは必死に訴える。
どうやら相模くんにはこれまでも、使うあてのない毛糸を買い集めては、使いきれずに押し入れにしまう——あるいは、最初から押し入れにしまって『なかったことに』してきた前科があるらしい。
的矢樹は明るい口調で言う。
「わかりますよ、俺もそういうのよくやります。ミニ四駆のパーツとか。これ、いつか使うかもなーって思ったらついつい。気がつかないあいだに増えていくんですよね。宿毛先輩も、台所の調味料が勝手に増えるとか言ってませんでした?」
「まあ……。スーパーで新製品が出ていると、なんとなくな」
プラモデルや、カードゲーム、キャンプ、料理——何らかの趣味をもつと、それにまつわる細かな品を揃えるのが楽しくなって、ついつい買い過ぎてしまう……というのはよくある話である。
「これって、怪異ですよね? めずらしい事例なんですか? 宿毛さん」
「報告例はいくつか上がっています。よくあるパターンが『本』でしょうか」
「ああ、積読とかいいますもんね」
「もともと収集癖が強い方に発生しやすい怪異ですね。家中のあらゆるスペースが本棚でうめつくされているとか、棚に入れても入りきらずに床にまで置いているとか、病的なコレクションを管理しきれなくなって、気がつかないうちに怪異化してしまっていることが多いんです。床が抜けたり、積読が崩れてけがをしたりという事故につながることもあります」
「事故? けが? けっこう怖いような……」
宿毛湊が説明していると『ガササ』と音がした。
振り返ると、紙袋に詰め込まれた毛糸玉が盛り上がり、袋の口からこぼれていた。数にして、十個は増えているだろう。
「増えましたねぇ」と的矢樹がのんびりした口調で言う。
「…………ペースがはやいな」
「宿毛さん! これ、このまま増えていったらどうなっちゃうんですか!?」
「そうですね……。『鍵』のときのように危険な兆候はみられませんが、部屋の収納を確実に圧迫してきますね。近いうちに部屋からはみ出てしまうでしょう」
「そ、そんな現実的な……。あ、でも、これだけあったら、もう二度と毛糸は買わなくてもよさそうですね」
「それがそうでもないんですよ」
宿毛湊は増えた毛糸を手に取り、紙袋の中を漁って、同じものをいくつか取り出した。それはたまたま、百均で今日買ったばかりの毛糸だった。毛糸玉は、合計六個もあった。
「あれ? この毛糸……小物を作るつもりで、ひとつしか買わなかったのに」
「増えるのは、同じ品物だけなんです。まったく未知のものが増えるというのは、まれです」
「ええ! じゃあ、僕はずっとここにある毛糸だけを使い続けなくちゃいけないってことですか!?」
「そうなりますかね」
「節約にはなるかもしれないですけど、さすがに飽きますよね!? 売ったり、人にあげたりってできないんですか……?」
「できないこともないんですが、毛糸を販売している企業に打撃を与えますし、譲渡先で増える可能性があるので、できればやめていただきたいです」
「それじゃ、どうすれば……」
「本の場合は、すべて焼却処分したそうです。稀覯本などもあり、かなり揉めたらしいのですが、家屋の倒壊に繋がる可能性があって仕方がなく……」
「ええっ、もったいない!」
「はい。俺としてもできれば使いたくない手なんですが、その線で処分するのが確実だろうと思っています」
「そんな……。今年の年末年始は編み物ざんまいだと思ってたのに」
相模くんは本気でショックを受けている様子だ。
しかし、こうしている間にも、袋に入りきらなくなった毛玉が床に転がり落ちている。
「せめて二、三個残すとかできませんか」
「うーん……。的矢、何か方法を思いつくか?」
的矢樹は青い毛糸を手にとり、首をひねっている。
「正直、俺も先輩の方式がいいと思ってるんですが、でも相模くんの気持ちもありますし。打てる手は打ってみればいいんじゃないかと思うんですよね」
「どんな手だ」
「ほら、相模くんが言っていたじゃないですか。毛糸をストックしておくと、結婚して子どもを産むって。もしかしたら本当に子どもを産んでるかもしれないじゃないですか」
「それは、一種の物のたとえだぞ……」
「気持ちが大事ですから。相模さん、服を貸してもらってもいいですか? 僕ちょっと着替えてきます」
三十分後、相模君の手持ちの服から着れそうなものを選び、寝ぐせがついたままだった髪をワックスで整えた的矢樹が現れた。給料日前にタダ飯目当てでナンパ待ちをしているときの的矢樹に近い、と宿毛湊は思ったが、組合の信頼に関わりそうなのでそれは黙っておいた。
「どうです、宿毛先輩。キマってますか」
「わからない。で、どうするんだ……?」
「これで、毛糸玉を寝取ります!」
「は?」
「子どもを産むってことは、メスの毛糸がいるはずなんですよ。それなら、生霊のときの作戦が通じるはずです。えーと、これかな……」
的矢はそう言って、紙袋の中から、黄色いふわふわとした毛玉を取り出した。
毛糸を手に乗せ、的矢樹はここ一番——おなかがすいていて、肉屋で買い物したついでにコロッケおまけしてもらえないかな、などと考えているとき——のキメ顔をみせ、低音ボイスで囁いた。
「俺にしとけよ……」
「お前はいったい何をしているんだ?」
「え、不倫?」
ぽこん、といったかどうかは知らないが、また新しい毛玉が生まれ、床に転がり落ちた。
「ちょっとちょっと、先輩。茶々を入れるのはやめてください。僕はそれなりに真剣に、メスの毛糸玉を寝取ってるところなんですから」
「毛糸玉を……寝取る……? お前は何を言っているんだ?」
的矢樹は次々にメスっぽい毛糸玉を手に取り「あんな男より俺が満足させてやるよ」「ふたりで幸せになろう」などと愛の言葉を囁き続けた。
しかし効果はあまりみられず、新しい毛糸玉がさらに十個追加されただけで終わった。
「うーん、ダメっぽいですね」
「そもそも、毛玉にオスメスはあるんだろうか。あったとしても、どうやって見分けたらいいんだ」
「それでも連続でオスを引き続けるっていうのは、確率的にないんじゃないですか?」
「それはオスメスが同数だった場合の話だろう」
「もしかしたら、僕が編み物をしないせいもあるかもしれませんよね。相模君、やってみます?」
「えええっ」
的矢樹は、五つくらいの毛糸を無作為に選び、相模くんに渡した。
相模くんは恥ずかしさで顔を真っ赤にしながらも、これ以上毛玉が増えたら困る、二人によけいな仕事をさせたくないという一心でそれを抱きしめた。
「さ、寂しくさせてごめん……! これからは僕が大事にするから!!」
無情にも、毛糸玉は相模くんの腕のなかでまたひとつ増えた。
「こんなことまでさせられて、この仕打ち!!」
相模くんは、茶番につきあわされて怒り羞恥のあまり震えている。
「ダメですね、焼却処分しましょう」
「待ってください。もし、おふたりが良ければなんですが、この件、僕にまかせてくれませんか?」
「相模さんに、ですか?」
相模くんは何やら強い意志を秘めた目つきをしている。
*
相模くんは、まず、ノートパソコンとエクセルファイルを用意した。
そして宿毛湊と的矢樹の手を借りて、毛糸たちの仕分け作業をはじめた。
ブランド、色、太さなど、種類ごとに分けてもらう。そしてずらりと並んだ毛糸たちに言い聞かせるように宣言した。
「では、これより、僕の家に存在するすべての毛糸の個数を数えてリスト化します」
力強い声音であった。
「そして今後、週に一回、リストと毛糸を照らし合わせて棚卸をします。リストにない毛糸は即、焼却処分します。もちろん今日買った毛糸玉は四つしかないはずですので、数字に合わないものは焼き払ってください、宿毛さん。いいですね」
「はい……」
あまりの力強さに押されるように、宿毛湊は返事した。
「どんなことがあっても例外は、絶対に、認めません! わかりましたね、毛糸たち!」
相模くんがそう言ってにらみつけると、毛糸玉たちは恐怖のあまり、ぶるりと震えた……気がする。そうして数をかぞえているうちに、増えた毛玉はだんだんと消えて行き、最後には紙袋ふたつぶんの毛糸のみが残った。
「相模さん、狩人に向いてるかもしれませんね」
的矢樹はかなり本気でそう言った。
ちなみに今回発見された『増える系』怪異への対抗策は『相模式』と名前をつけられ、東京本部に報告される予定だ。