第1話 置き配無限吸収呪文
アパート海風には魔女が住んでいる。
一棟八戸、A棟とB棟で二棟ある。
築三十年の年季が入ったアパートの外壁は渋い柿色、扉はなぜか緑のペンキで塗りたくられていた。
周囲にある最新鋭の設備をそなえたマンションとはちがい、海風には郵便受けすらない。
郵便物は扉に備えつけられた新聞受けに突っ込まれるし、宅配物は、住人がいなければそのまま持ち帰られるか、雨ざらし、風ざらしの公共の廊下に置き去りになる運命だった。
いま、流行りの置き配である。
さて、このアパートに何故魔女が住んでいることが明らかになったかというと、置き配にされた荷物が忽然と消えてしまう、という事件が相次いだからである。
物の大小は関わりない。
電池や雑誌といった小さなものから、冷蔵庫や本棚といった、どう考えてもトラックがなければ運び出せないだろう、というものまで、ほんの数分ほど目を離しただけで消えてしまう。
屋外に荷物を置きっぱなしにするほうも悪いのだが、人にはなかなか宅配便の到着にあわせて在宅できない事情というものがあるし、そもそも住民はオンボロアパートで盗みを働こうという者がいるとは思っていない。何より盗んだやつがどう考えてもやっぱり悪い。
住民のみならず配達業者からも苦情を受け付けることとなった大家は、頭を悩ませた。
そう大きくないアパートで住人も顔が知れているため「犯人はあいつなんじゃないかな」とは思うのだが、このような狭い世間で直接指摘するのは気が引ける。
そういうわけで、怪異退治組合に依頼することにした。
後日。
依頼してからそう日を置かずに、若手の狩人の《《スクモ》》なにがしというのがやって来て「これは最近はやりの置き配無限吸収呪文ですね」ということになった。
置き配無限吸収呪文とは、自分の棲家のまわりに結界を張り巡らせて、置き配された荷物をすべて自分のものにしてしまう呪文だ。邪悪である。
「じゃあ後のことはよろしく」
大家はすべてを組合にまかせることにした。
めんどうごとに巻き込まれるのはごめんである。
狩人は著名なインターネットショッピングサイト、樹海ドットコムからの荷物を装った空の荷物を留守宅の前に置いた。
そうして五分ほど、春の燦々とした陽射しの下で呪文が働くのを待った。
いい天気であった。
ふいに、ダンボールがふわふわと浮きはじめた。
そして地面から五十センチほどの高さをゆっくりと滑るように飛んでいこうとする。狩人はあわてて荷物に向けて指で三角を描く。金色に輝く魔術の印だ。
「スロウ!」
段ボールは空中で止まり、再び気を取り直したように、外付け階段へと移動していく。
その速さは大体、三歳児の歩行くらいである。呪文をかける前は、五歳児の小走り程度だった。
単に走りたくなかったのだろう。
空飛ぶダンボール箱は二階に上がり、一番奥の部屋の新聞受けに吸い込まれていった。
物の大きさからして、三十センチほどの隙間には入らないはずが、受け口の手前で急にぺしゃんこになって、ところてんの逆再生のように吸い込まれていったのである。
狩人はその家の呼び鈴を鳴らした。
表札には『諫早』と出ている。
大家のくれた情報によると、諫早さくらという独り暮らしの三十代女性が在宅しているはずだった。
「はい、どちらさま」
と中から声がする。
「大家です」
と狩人は平気で嘘をついた。
諫早さくらは、慎重に扉を開いた。
扉の隙間からは分厚い眼鏡が、続いてボサボサの黒髪の合間からは、多少迷惑そうな顔を突きだしている。
このとき、狩人は組合から支給された閃光手りゅう弾の安全ピンを抜いたところだった。
いわゆるスタングレネード、海外ドラマで特殊部隊が突入するときに使うやつである。
狩人は隙間からそれを放り込むと、乱暴にアパートの扉を閉めた。
ぎゃっ、と悲鳴が上がった。
閃光がおさまると、黒のカーテンや調度品で統一された室内で、諫早さくらがひっくりかえっていた。
「後から本物の大家が来る」
狩人はそう告げて立ち去った。
後ほど、盗まれたポータブルDVDプレイヤーや新年会で使う虎の着ぐるみ、スピーカー付きゲーミングチェア、かにスプーンやペットのおもちゃなどが住人に返却された。
今回の犯行は営利目的ではなく呪文の研究目的だったため、諫早さくらは一週間ほど魔法使い専用の矯正施設に送致された後、今後もアパート海風に居住してよいとの許可が出た。
人の良い大家である。