Encounter pt.1
◇
なんで学生寮が学院の敷地内にないんだろう。
「すみません、ちょっとどいて!」
道行く人を押しのけて市街を疾走する度に、そんなことを思う。
入学式の開始まで15分とない。これが普段の授業なら、仮病のひとつでも拵えているところだが、年に一度のセレモニーともなれば話は別。
なんせ、国のお偉方がわんさか来る。士官学校をルーツにもつガスト魔術学院では、そういう場での空席は、基本的に"ナシ"だ。
「……やむをえないか」
学院外での魔術の行使それ自体は、特に禁じられてはいない。ひと昔前ならともかく、今や魔術はひらけた学問だ。
かといって、太陽が燦燦と照る朝っぱらから闇魔法を使うのも気が退けるが……背に腹は代えられない。
「『渾渾たり、昏昏たり』」
詠唱と同時、薄暗い闇が私を覆った。どうやら私は、闇の中にいるほうが機敏に動けるらしい。朝日の降り注ぐ慌ただしい往来に1人、一際仄暗い影を帯びた者がカサカサ動き回っているのを見かけたらおめでとう、それが私だ。
「せめて《陰渉り》でも使えたらなぁ……」
《陰渉り》はその名の通り、日陰に沈みその中を渉る魔術だ。地形とか色々無視して移動できる便利な歩法なのだが、これにも多少問題がある。
なにせ、影に潜るのだ。誰かに踏まれたら、そりゃもう痛い。ここまで人通りが多いと、使用は躊躇われる。
そもそも、これは暗殺のための技術だったと聞く。それを早足の代わりに使おうと考える学生がいるのだから、この国もまったく平和なものだ。
ペラペラの学生カバンを両手に抱えて、ひらりひらりと身を躱しながら市街を抜けると、長い一本の並木道に突き当たった。この遥か先にそびえる大仰な建物こそが私の目的地、ガスト魔術学院の第一講堂だ。
さて……このストレートを、どうものにしたものか。
私の使える魔法の中には、全力疾走に向くものは一つもない。こうなるともう体力勝負──つまり、ただただ遮二無二走るほか選択肢はないのだが、それが嫌だからこそ、こうして考えているのだ。
ちゃんと走ればギリギリ間に合いそうな今の状況、むしろ、考えて立ち止まることこそが思考停止ともいえるが、しかし。
道のど真ん中で仁王立ちしてる男がこちらを睨んでいたら。立ち止まったってしょうがないとは思いませんか。
「えっと…………ごきげんよう?」
たぶん、歳は私とそう変わらないと思う。その男は、やたらと精悍な顔つきで私のことを睨んでいた。
まあ、そこまではよいとして(よくはない)、問題は彼の服装だ。なんというか、サイズのあわない肌着のような……あるいは、首から下の皮膚に直接黒い絵の具を塗りたくったような、と言うべきか……。
端的に言えば、ぱっつんぱっつんでぴっちぴちだった。
彼の服には幾何学的な紋様が淡く明滅しており、きっとこれは魔術的な何かなんだろう。そこに意味があるかどうかは置いておいて。
そして、私の挨拶に対して、ぱっつんぱっつんは絞りだすようにこう言った。
「"魔王"……。お前を……殺す」
「……ほ?」
……ははーん。わかったぞ。変態だなこれ。
魔術師には時々いるのだ、この手の変態が。それこそ当代随一の闇魔法の使い手は、嘘か真か、全裸に影を纏っただけの姿で生活していると聞く。
さておき、どうやらこの変態は、私に殺意を抱いているようだった。
だが、正直それすらも怪しいところだ。この手の変態は──なんというか、大抵、頭がおかしい。
初対面の人を指して『魔王』と言ってのける辺り、きっと彼の世界ではそれはもう壮大な救国の物語が紡がれているのだろう。しかしそうか、魔王ときたか……数年前にその手の娯楽小説が流行ったような、流行っていなかったような。
確かに、己の内面的な世界を構築する、というのは魔術師らしい魔術師と言えるが、それを現実世界とごっちゃにしてしまっては、ただただ痛いだけである。……巷で言うところの、十四病というやつだ。
傍から見ている分にはまだ幾分面白味もあろうが、通りすがりに巻き込まれた身としてはたまったものじゃない。
ともあれ、目の前の変態を如何にあしらうか考えを巡らせている間に、変態は何やら手に持ったものを私の方へと向けた。
拳銃……なんだろうか。
その手の火器に明るくない私でも知っている回転式の拳銃とは、見た目が余りにもかけ離れていて、どう説明すればいいのやら……。
弾倉もなければ撃鉄もない。拳銃のような握りの上に、魔杖をそのままくっつけたような、そんな、へんてこりんな代物だった。
「……えっと………何ですか、それ?」
たぶん、努めて冷静に無視するか、彼の世界観にのってあげるかが正解だったんだろうなー……と頭の片隅で後悔しながら、私は何とも宙ぶらりんな対応をしていた。
仕方がない、そもそもコミュニケーションは大の苦手なのだ。しかも相手は変態。こうなるともう、私には荷が重い。
私の言葉に、真剣そのものだった彼の顔から、少しだけ緊張がとけたように見えた。
そして、彼は言った。
「……そうか、この時代にはまだなかったか……」
ああ……そう来たか……。もはやこれは私の責ではあるまい。こんなの誰もついていけないぞ。もういいや、頃合いを見て逃げ出そう。私はいよいよもって逃げる算段を探し始めた。
「あー……なんて?」
「お前が知る必要はない。なぜならお前は──」
変態の顔が綻んだのも束の間だった。
「──今ここで、死ぬのだから……!」
冷酷なようで、それでいて何処か燃えたぎる殺意の篭もった、そんな碧い瞳で私を捉えて、変態は引金をひく。
そして、次の瞬間。私は変態に撃たれたのだった。