Prelude
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ルクシア王国において『戴煌の儀』といえば、国民に知らぬ者はいない一大行事である。
内容は至ってシンプルだ。12歳を迎えた王族の子女が、奇蹟たる『光』を天から授かる。神代より国を照らす光を標榜するルクシア王家にとっては欠かすことのできない、重要な儀式だ。
だからこそ、『戴煌の儀』には入念な事前準備が為される。これはあまり知られていないことだ。
第一、王族に生まれたからといって、『光』への適性が高いとは限らない。ぶっつけ本番で授かった『光』がロウソクの灯り程度であれば、王家の威光など吹けば飛ぶものだと思われても仕方ないだろう。だから、それを"適正"に演出するために──有り体に言えば、"盛る"ためにも、いろいろな仕掛けが必要なのだ。
そしてそもそも『戴煌の儀』、その主役は12歳の子供だ。いくら王家の良質な教育を受け育っていたとて、子供は子供。リハーサルの回数は一回や二回で済むものではなかった。
そのような事情もあって──幸か不幸か、そのことが明るみに出たのは、王宮内部の、限られた人間のみにとどまった。
「なんたることか……」
「なんといたましいお姿に……」
第四王女ジュリア、11歳。渦中の彼女は、事の重大さを知ってか知らずか、どこか他人事のようにその場にたたずんでいた。
陽光に負けじと輝いていた見事な金髪は、新月の夜よりも闇い黒に。
澄んだ青空よりも蒼いと評された碧眼は、どこか艶めかしい紫紺に。
理由は定かではない。『光寄せ』の魔法が反転したとか、『光』に感応した生まれ持っての闇が溢れ出ただとか、王宮の人々は盛んに議論していたが、結局のところそれらは、目に見えた未来からの逃避でしかなかった。
そういうわけで、ちょうど半年後に『戴煌の儀』を控えたその日。第四王女ジュリア──私は、謎の病に伏し、一週間としないうちにこの世を去った……ということになった。
かれこれ、もう5年も前の話だ。
◇
容姿が変わってしまったというのも善し悪しで、幸いなことに黒髪はこの国ではそこまで珍しくもない。変装の必要はなかった。
変えるべきは……名前だけだ。
「ジル、と。これからは、そう名乗りなさい」
それが、父──ルクシア王イドガー二世の、ジュリアへの最後の言葉だった。
どうやら当代のルクシア王は第四王女ジュリアの急逝を酷く悼んだらしい。彼は失意の中に、天よりの啓示を受けた。つまり、正体不明の病に斃れた我が子こそが、流行病をその一身に引き受け、病魔が市井を蝕むのを未然に終息させたのだと…………いやいやいや。流石に無理ない?
ともかく、そうして王は、彼女の想いを受け継ぐべく、病により親をなくした子どもたちのために孤児院を興した。これが今の世に誉れ高い、『王立ジュリア救貧院』だ。自分で言ってて背中が痒くなってきた。
まあ、お察しの方もいるかとは思うが……この大層なお題目を伴って設立された『王立ジュリア救貧院』、その実は、王が年に数回も顔を合わせない我が子のために建てた、いわば別邸であった。
木を隠すなら森、子を隠すなら孤児院、というわけである。まったく、ゴリ押しもいいところだ。
孤児院での暮らしはそれほど悪くはなかった。なにしろ王宮には同年代の子供など親戚しかいない。まあ、世の中には素敵な方がたくさんいらっしゃるんですのね……なんて目を白黒させていたのは……まあ、多めに見積もっても最初の三ヶ月くらいの話。
ある日ふと気づいた。どうやら私は人付き合いが苦手らしいぞ、と。
王宮にいたころは良かった。聞くこと、話すこと、その全てが礼儀作法にがんじがらめで七面倒なところはあったが、だからこそ、"正解"があった。王族としてのふるまい、と言い換えてもいい。それを頭に詰め込んでなぞるだけでよかったのだから、今思えばなんと気楽なことか。
私には、確たる"こたえ"が必要だった。あゝそうか、学問か。人付き合いに四苦八苦するくらいなら、この世の真理を探求すればいいのか。
そうして些か飛躍した帰着を以て、私は魔術の学徒を志した。あそこならば、生徒は寮に個室を与えられる。やたら懐いてくる隣人たちの顔色を窺いながら寝食を供にする必要もあるまい。もしかしたら学者こそ私の天職なのかもしれない。
かの学び舎に就学できる15歳になるや否や、私は魔術学院の門戸を叩いた。これは、一年とちょっと前のことになる。