『おかん、異世界って知ってる?』『異世界? アレやろ、なんや変な生きもんがうねうねしてて、魔法がビュビューで、ドラゴンが火をバーッて吐くアレやろ。知らんけど』
彼の名前は出雲 勘路、今年で齢二十五歳になる男性。
中肉中背の何処にでもいそうな顔立ちをした彼は、黒のスーツを着込み、実家の玄関で母親の友人や知人たちを見送り終えると、実家のリビングの椅子に腰を下ろし、一息つく。
時計の針の音、水滴の垂れる音、遠くから聞こえてくる自動車の走行音。
普段は気にも留めない小さな音が鮮明に聞こえる程、実家の中は静寂に包まれていた。
「おかん、無事に一周忌、終わったよ」
そして、ふと腰を上げ、リビングの隣にある六畳ほどの和室。そこに設けられたお仏壇の前に正座すると、彼は報告するように語り始めた。
仏壇に置かれたお位牌には、出雲 三琴の名前と共に、一年前の年月日。そして、行年五十才。と書かれている。
そう、彼女は勘路の母親で、今回行われた一周忌は、故人である母親の節目をしのぶべく行われた。
勘路の両親は、彼が幼い頃に離婚し、以降は母親である三琴が、女手一つで育ててきた。
寝る間も惜しんで息子の為に働く母親の姿を見て育った勘路は、高校卒業後、少しでも母親を安心させようと公務員に。それも、彼が幼い頃より憧れていた特別職国家公務員である自衛官として、陸上自衛隊に入隊した。
なお、陸自の入隊が決まった時の母親の喜ぶ顔は、今でも勘路の脳裏に大切な思い出の一ページとして焼き付いている。
こうして息子への苦労が減り、今後は自分自身の為に悠々自適な人生を送る。と思っていた矢先。
それまでの心労がたたってか、母親である三琴は病に倒れてしまう。
そして、看病の為に折角入隊した陸自を除隊し、勘路は必死に看病したものの、その努力もむなしく。三琴は五十歳という若さでこの世を去った。
「さてと、報告も済んだし。夕食、何か買いに行くか……」
そんな母親に、一周忌を無事に終えた報告を済ませた勘路は、ふと自身の腕につけている腕時計で現在時刻を確認すると、買い物に行くべく支度を始める。
二階の自室でカジュアルな服装に着替え、財布やスマホ等の必要な物を持ったことを確認すると、勘路は実家を後に、近くのスーパーに向けて歩き始めた。
やがて、通りの信号に差し掛かろうとした時、勘路はふと、母親との思い出を思い出す。
幼い頃、母親と手をつなぎ、これから向かうスーパーに買い物に向かっていた懐かしい思い出。
そんな懐かしい思い出に浸っていた勘路だが、彼は、思い出に浸り過ぎて、周囲の状況の確認が疎かになってしまっていた。
「ん──?」
そして、ふと間近から聞こえる大音量のクラクションの音に、意識を現実へと引き戻した、刹那。
彼の体は、衝撃と共に宙を舞い。程なく、固いアスファルトに叩きつけられる。
駆け寄る人々の顔、様々な声、全てが遠くなる世界。
薄れゆく意識の中、勘路は一筋の涙を流すと、程なくその意識を深い闇の中へと手放すのであった。
「……しら、いや、あれ?」
それからどれ程の時間が流れたのか。
不意に意識を取り戻し、目を覚ました勘路は、眼前に広がる天井を目にし、知らない天井だと言おうとしたが。
その途中で、その天井が何千回と見てきた、見慣れた天井である事に気がつき言葉を詰まらせた。
「え?」
そして、上半身を起こして周囲を見渡すと、そこは見知らぬ場所でも何でもなく、実家のリビングであった。
何故、実家を出た筈の自分が、再び実家のリビングに戻っているのか。そもそも、記憶を辿れば、自分は確かに不注意でトラックにはねられた筈。
と、この状況に理解が追い付かず混乱していると、不意に、背後に人の気配を感じて慌てて振り返る。
「……え?」
すると、そこにいたのは、勘路にとって目を疑う人物であった。
ゆとりのあるパンツに、ゆったりとしたベージュ色のワンピース。そんな服装の上から長年愛用の割烹着を着た、五十路の女性。
誰であろう、勘路が会える事ならもう一度元気な姿で会いたいと願っていた、母親の三琴その人であった。
「お、おかん?」
「なにあんた、そんな死人が生き返ったような目ぇして?」
久々に聞く母親の声に、勘路は堪らず起き上がると、三琴に抱き着こうとした。
「おかーー、んぶ!!」
が、それは三琴の見事な平手打ちにより叶わなかった。
「え? えぇ!?」
「あほかあんた! 親よりも長生きせんと死んでももうて! しかも、それがあたしの一周忌の日やなんて、ほんまにこの子は……」
そして、次いで三琴の口から出た言葉に、勘路は漸く、状況を理解し始めるのであった。
その後、三琴が小言を言い終えた所で、二人はいつもリビングでの定位置であった椅子に腰を下ろして、久々の親子水入らずの会話を始める。
「で、おかん。俺、死んだん、だよな」
「うん、死んだよ」
「はぁ……。ま、おかんが目の前にいるって所で、現実離れしてると思ってたけど」
さらりと衝撃的な事実を肯定した母親に対し、勘路は何処か達観したかのような様子で、その事実を受け止めるのであった。
「所で、おかん」
「なに?」
「俺が死んだって事は、ここって、所謂天国って所?」
「あー、せやな。あんたが極力混乱せえへんようにって、生前見慣れた場所に似せてるけど、ま、天国みたいなもんやな。厳密に言ったら現世と冥界の狭間言うらしいわ、しらんけど」
生前の母親と変わる事無く、本当に分かっているのかいないのか判断に苦しむ結び言葉を聞き、勘路は懐かしさを感じると共に、若干の不安を覚えるのであった。
「それじゃ、おかん。俺が事故で死んで、ここが何処かは分かったけど。なら、どうしておかんが俺の目の前にいるんだ?」
「あ、そうや、それまだ言うてへんかったな。……ええか勘路、よう聞きや」
刹那、母親の顔つきが改まり、これから母親が口にすることはとても重要な事だと感じ取った勘路は、耳を傾け姿勢を正す。
「実はな、あんた、異世界って所に行ってその世界を救わなあかんなんて」
「……へ?」
そして、母親の口から出た言葉に、勘路は一瞬我が耳を疑った。
なので念のために母親にもう一度聞き直し、再度告げられた言葉を聞き、一言一句間違いのないことを認識すると、勘路の表情が喜びに変わる。
「や、やったー!! 夢にまで見た異世界転生!!」
そう、勘路は今回の様な事情が、巷で異世界転生というフィクション作品のジャンルの一つとして、各種媒体からそれを題材とした作品が出ている事を知っていた。
そして、実際に勘路は、そんな作品に目を通しており、決して体験する事の出来ない夢物語と分っていながらも、心のどこかでは体験できないかと切に願っていた。
それが、今まさに叶ったのである。喜ばずにはいられない。
一方、そんな息子の事情など露知らぬ母親の三琴は、喜ぶ息子の様子を目にし、そんなに嬉しい事なのかと小首を傾げた。
「そんなに嬉しいもんなん?」
「そりゃだって、新しい世界で、男なら誰でも一度は憧れる英雄になれるんだから! 嬉しくない訳ないだろ!」
「ふーん」
いまいち有難味が理解できない母親を他所に、勘路は暫し喜びを噛みしめると、やがて、思い出したように母親に確認を取り始めた。
「そうだ、おかん! 転生の際に、俺に何か特別な力とかって授けてくれたりするの!?」
「あ~、そういえば、そんな事"田中さん"から言われとったな。なんや担当する子に授けたってって」
「田中、さん?」
「あ、そういえばまだ言うてなかったな。おかあちゃん、今"女神"さんとして働いてんねん。しかも時給千五十円やで! あ、それで田中さん言うんわ上司の人で、ま、神様みたいなもんや」
刹那、勘路は母親の突然のカミングアウトの内容を聞き、もはやどう返事を返していいかわからず、困惑する。
生前イメージしていた美しく神々しい女神の想像図とは似ても似つかない、もとより見慣れた自身の母親である。という落胆と。それがまさかのパートタイマーという、予想外のお手軽さ。
そして、神々しさを感じられない、あまりに聞き慣れて平凡な神様の名前と。
もはや想像の斜め上過ぎた真実を聞き、勘路は唖然とするのであった。
「ん? なんやあほみたいに口半開きにして」
「いやいやいや! 普通、突然女神してますって言われたら、誰でもそうなるだろ!?」
「あ、何それ。それおかあちゃんが女神さんっぽくないって言いたいんか? 言うとくけどな、これでも昔は、難波の"マドンナ"って言われとったんやで」
「え? マドンナってまさか聖母の……」
「いや、女子プロレスラーの方や」
「って、そっちかーい!」
それは勘路がまだ幼かった頃、伝説の引退試合と共に現役を退いた、女子プロレスラーの一時代を築いた立役者。
"戦聖母・マドンナ"のリングネームで活躍した女子プロレスラーである。
なお、その容姿に関しては、美しいというよりも、漢らしいという感じであった。
さて、勘路の鋭い突っ込みが入った所で、脱線した話を再び元に戻す。
「はぁ……。兎に角、おかんが今は女神で、そんなおかんから転生の際の特典をもらうのは理解した。……で、もらえる特典ってどんなの?」
「どんなのって言われても、なるべく相手側の要望聞いたって言われてるから、とりあえず欲しいもん言うてみ?」
「えーとそれじゃ。おかん、チートって知ってる?」
「ちぃと? なに? ちょっとでええの?」
「方言の方じゃなくて! チートだよ、チート!」
「あ、あぁ! アレやろ。外がサクサクで、中にチーズが入っとって、食べたら中から溶けたチーズがとろーってするアレ」
「そうそうそう、熱いから出来立てを食べる時は注意が……。って! それチートロ!」
こうして、漫才の様な掛け合いを繰り広げた後。
勘路は、チートではあまりに漠然としていて母親が理解しにくいと判断し、もっと判断し易い特別な力を要望する事にした。
「それじゃ、武器とか乗り物とか、色んなものを召喚できる召喚士の能力が欲しい!」
「しょうかんし? なんやよう解らへんけど、勘路がそれがええ言うんなら、それにしとこか」
ちゃんと要望通りの力となるのか、若干不安を覚えつつも、何やら手元で作業する母親の様子を見守る勘路。
程なく、作業が完了した母親は、これでオーケーと言葉を零した。
「それじゃ、これで事前の手続きみたいなもんは完了したから。あとは実際に異世界に行くだけやで」
「分かった。それじゃ、おかん、短い間だったけど元気な──」
「ほな、頑張って世界救おか」
「見られてよか……、は?」
「ん?」
遮るように母親が口にした言葉の意味が理解できず、勘路は素っ頓狂な声を上げる。
それに応える様に、母親も疑問符を浮かべる。
「いやいやいや、ちょっと待って。今、何て言った?」
「せやから、一緒に頑張って、異世界救おかって」
「それって、おかんも一緒についてくるって事!?」
「せや、あかん?」
そして、母親の口から飛び出した言葉で漸くその意味を理解した勘路は、可愛らしく小首を傾げる母親に対して驚きの声をあげた。
「はあぁぁっ!? いや、何で!?」
「何でって、勘路一人やったら心配やから。それに、勘路の喜んでる姿見てたら、おかあちゃんもちょっと興味湧いてきたし」
「心配って、俺もう十分大人なんだから……」
「親にとっては、子供は何歳になっても子供やの」
「だけど。……あ、そうだ。女神の仕事は!? おかん、今女神の仕事してるんでしょ!? 勝手にほっぽり出していいの?」
「あぁ、それやったら大丈夫や。同僚の"鈴木"さんに、ちょっと付いてくから、その間シフト代わっといてって頼んどいたから」
同僚の女神の名前が日本ではありふれたものや、安易に代替可能な女神の仕事内容等。
母親の口から飛び出した言葉に、最早勘路は慣れてしまったのか、もはや驚く事すらなく、逆に呆れるのであった。
「そう、ですか」
「ほな行こか!」
自身が思い描いていた異世界転生とは異なる様相。完全に乗り気な母親を思いとどまらせるのは無理と判断した勘路は、ため息を吐きながら、母親の言葉に応えるのであった。
「あ……、そうだおかん」
「ん? なに?」
「俺、いや、俺達がこれから行く異世界って、どんな世界なんだ?」
「えーっとな。確か、昔のヨーロッパみたいな所で、変な耳生やした人とか、変な生きもんがうねうねしてて、魔法がビュビューで、ドラゴンが火をバーッて吐くらしいわ、知らんけど」
母親の大雑把な説明を聞き、とりあえず、異世界の方は自身が想像していた想像図とあまりかけ離れていない事を理解し、内心安堵する勘路。
「よっしゃ、ほな今度こそ行くで!!」
「おー……」
「なんやそれ。もっと大きな声で言わな、こういうのはバスツアーと一緒で、最初に盛り上げていくのが肝心や。ほな、いくで!」
「おーっ!!」
もはや半ばやけくそな気持ちな勘路と、ノリノリな母親は、こうして異世界に向けて旅立つのであった。
その後、親子がどうなったのかと言えば。
「ちょ、おかん!? これ能力! どうなってるんだよ!?」
「なにが?」
「召喚の際にポイントが必要なのは分かるけど、そのポイントが"チャージ式"ってどういうことだよ!?」
「んな事言われても。おかあちゃん、そういう仕組みってよう解らんかったから、とりあえず生きてた頃に使ってたカードみたいにしたんやけど、あかんかった?」
「……、細かく説明しなかった自分も悪いけどさぁ……。だからって、無一文の今の状態じゃ、何にも使えないよ」
出だしから色々と問題が発生したり。
「なぁ、獣の兄ちゃん、これもうちょっとまけてや~」
「おかん! 何やってんだよ! す、すいません! はいこれ、お金です!」
到着した街で、我が道を貫く母親に勘路が振り回されたり。
「これがぽーしょん言うんか。ん~、あんま美味しないな。そうや、もうちょっとレモンと炭酸入れたら美味しなるんちゃう? 勘路、ちょっと出してや」
「いやおかん、出せって。召喚させるにもポイントが」
「ええやん! けち臭いな!」
母親の我儘に勘路が振り回されたり。
「ほえー、聖女さんはべっぴんさんやね。せや、お近づきの印に、アメちゃんいる?」
「おかーんっ!!」
自由奔放な母親の三琴に、息子の勘路は振り回されっぱなしであった。
果たして、親子は異世界でどの様な軌跡を歩むのか、そもそもこんな調子で異世界を救う事が出来るのか。それはまた、別のお話。
この度は、本作品を読んでいただきありがとうございます。
もしお気に召しましたら、連載中の作品等含め、今後とも応援のほど、よろしくお願いいたします。