プロローグ
早川明菜は喫茶店『ル・ニュアージュ』の前にいた。約束の時間の10分前に着いた明菜はイライラしていた。
きょうは友人の遠藤さなとこの店のアルバイトの面接を受けることになっている。さなはいつも明菜を待たせる。……といっても、5分前くらいには一応さなも来る。しかし、真面目な明菜にとってはこの5分間もイライラや不安の元だった。
黒縁めがねを指で何度か押さえた後に、ひらひらシャツのさなが表れた。
「明菜、お待たせ!」
満面の笑顔で言うさなにやはりイラっとした明菜は嫌味を言った。
「いつも言ってるけど、10分前行動は大切よ。特に今日みたいに大切なお相手がいるときに何か起こって間に合わなかたら相手に迷惑をかけるのよ?」
明菜の言葉を聞いてさなは真面目な顔になった。
「姉御、説教ですね? 甘んじて受け止めます」
さなの言葉にカチンとくる明菜。
「その姉御、は、やめて。私たち、同い年でしょ?」
「へい」
「真面目に言ってるの! 返事!」
「はい、姉御」
「あぁ……もうええわ。面接に挑むよ、さな」
「はい、姉御」
明菜はため息とともにル・ニュアージュのドアを開けた。
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
店員が座るように促す。
「すみません、こちらのアルバイトの面接を受けに来た早川明菜と遠藤さなです。担当の薄井さんはいらっしゃいますか?」
明菜がいうと、店員は空いているテーブルに案内し、お冷を二つ置くと、キッチンのほうに行った。
「緊張しますね、姉御」
と、小さな声で言うさな。
「しばらく姉御っていう発言、禁止な」
明菜も小声で言う。二人が黙っていると、奥からクマのような大きな男とその後ろから背の低いマロン色のボブで目がぱっちりした女性がついてきた。
明菜とさなは立ち上がって一礼する。男が声をかけてくる。
「初めまして。オーナーの薄井孝と申します」
「妻の詠美です」
明菜たちも挨拶をする。オーナーは二人に座るように促した。言われるままに座る二人。多少緊張していた。履歴書をオーナーに渡すと、二人ともテーブルの下で自然に足の上に手を重ねていた。
「どう思う、詠美」
二人に質問もなしに奥さんに聞くオーナーにかなりの疑問符を頭の上に浮かべる明菜とさな。
「うん、いいんじゃない?」
「そうか。……二人とも採用します。明日から来れますか?」
「は?」
明菜は思わず声を出した。何も聞かれてない。大丈夫か、この店? もしかして店員が辞めるのが早いブラック喫茶店なのでは? 彼女は思いめぐらすものの、もう決まってしまった。
「は、はい。よろしくお願いします」
明菜は頭を下げる。さなも同じように頭を下げた。
それを確認すると、オーナーは頷き、席を立つ。詠美が細かい説明をするという。
オーナーは二人より後に来たセーラー服の美人な女の子に超デカい声で話しかけていた。
「お、夕食を食べに来たか」
お客さんにこんなことを言っていいのか? 不安になる明菜に詠美が言った。
「あの子、うちの子。薄井雲っていうの。うすぐもちゃんって呼んであげて」
薄井雲……うすぐも……なるほど。
無表情の彼女を見ていて、ちょっとだけ楽しみになった明菜だった。