第六話 最後の忍者
「………………」
冒険者である事を否定する男の視線が、セディルに突き刺さる。
『ステータスカード』に浮かび上がった古代共通語を、うっかりと彼がスラスラ読んでしまったからだ。
男の興味を引き関心を持って貰うのは良いが、怪しまれ、危険視される事は避けたい。
セディルはこれからの男とのやり取りに、より慎重に取り組むよう己に言い聞かせる。
「お前の【ステータス】を、俺に説明してみろ。教えられるものだけで良い」
「……はい」
ステータスカードに表示される【ステータス】は、本人だけが認識する事が出来る情報であり、他者の目には何も映らない。
その内容は重要な個人情報であり、戦いに生きる冒険者達は、自分の【ステータス】の細かい数値を決して他人には明かさないのが常識であった。
しかしセディルの目的は、男への弟子入りである。
ある程度自分の力を彼に知って貰う事は、弟子入りに有効に働くとセディルは判断した。
「レベルは、0です。何の職業にも就いていません。HPとMPの最大値は、どっちも10点。属性は混沌、種族は半人間、能力値は全部18以上、魔法は一般魔法しか使えませんけど、魔法レベルは最高位の10になっています」
スキルの事だけは伏せて、それ以外の【ステータス】の内容を、正直にありのまま男に説明した。
「……………」
セディルが説明する【ステータス】の内容を聞き、男は押し黙った。それらの事柄が、余りにも常識外れなものばかりだったからだ。
「……種族は、『半人間』と言ったな?」
「はい」
「半分が人間なら、残りの半分は何だ?」
「さあ?」
男の質問には、セディルも答えられなかった。
『人間』のみ各種族の者達との間に、混血児を作る事が出来る。
その為、人とのハーフは時に見かける存在なのだが、セディルが何とのハーフなのかは、【ステータス】にも記されていないのだ。
「属性は、『混沌』だな?」
「はい、でも別に邪悪な性格なんてしていませんよ、僕は良い子ですから」
生き延びる為だったら手段は選ばないセディルだが、別に犯罪者や邪教徒を目指している訳ではないのだ。
「属性は、『魔素』に対する適性や相性を示すものだ。『性格』と何の関係がある?」
「ですよね~」
勿論、生まれ持った属性と本人の性格の間に、因果関係などない。
皆、人それぞれであり、戦う事の出来る職に就く必要のない一般庶民として生きるだけならば、自分の属性が何であるかなど気にもしないだろう。
「HPとMPも、確かな数値だな?」
「はい」
セディルのHPとMPは、レベル0の限界を超えている。普通の子供なら1~2、成人でも3~5くらいの範囲となる筈なのだ。
「ならば、能力値も本当に全て18超えか?」
「そうです」
正常な能力値ならば、職に就かない平凡な人で、全てが一桁。才能があるという人でも、いくつかが二桁に達していれば良い方だろう。
勿論、才能に溢れていて幼い頃から専門的に鍛えられ教育された者なら、最初から高い能力値を持ったまま『上位職』に就く事も可能だが、それは極稀な例外。
それにそんな者達ですら、初期の能力値が18を超える事は至難の業。
能力値の成長それ自体には、上限はない。だが五歳のセディルの全能力値が18を超えているというのは、異常を通り越して怪物的とでも表現せざるを得ない事態なのである。
「そっちの妹はどうなんだ?」
セディルの普通ではない【ステータス】を知り、男はセディナにもステータスカードを見るよう促した。
それにはセディルも興味があったので、妹の手を取りカードの魔石に彼女の指を押し当ててみた。
「何か見えるかな、セディナ?」
「うん、見えるよ。でもお兄ちゃん、セディナ字読めないよ」
セディルとは違って中身も五歳児のセディナは、まだ共通文字も碌に読めない。カードに表示されている古代共通文字なら、尚更理解不能だろう。
「それもそうだよね。すみません、妹は普通の子供なんです」
ぺこりと頭を下げて、男に謝るセディル。
「ではお前は、何者だ?」
セディルは男にこれまでの経緯を、掻い摘んで語る事にした。
五年前、母親が父親不明の双子を産んだ事。
親とは似ても似つかない黒髪黒眼白い肌だった為に、『悪魔の子』と呼ばれ、この五年間家の中に隠されて育てられた事。
今年になって村に災厄が頻発し、その原因がこの兄妹にあると不当な因縁を付けられ、村人全員から命を狙われた事。
そして最後に母親の顔を見て全てを察した結果、セディルはセディナを背中に担いで村から逃げ出し、森の中を十日近くも彷徨った果てに、あの場所で男に出会った事等を話したのだった。
「……………」
男はセディルの語る話を、黙って聞いていた。
この地に伝わる迷信と紙一重の古い伝承、幼い兄妹の容姿、そして明らかになったセディルの異常なまでの能力値と『半人間』という種族名。
それに五歳児でありながら、大人と対等に会話出来る彼自身の異常性。
それらを考え合わせれば、『悪魔の子』という村人の決め付けにも、一定の理解が得られる。
「お前自身は、『悪魔の子』という呼び名を、どう思っている?」
「多分、その通りなんじゃないかと思います。【ステータス】を見て、僕も納得しました。師匠も解ったでしょ、僕が普通の子供と違って少し変な事?」
セディル自身は、自分の事を『何か』と接触して力を得た『転生者』だと知っている。その上で諸々の事情を考えれば、『何か』が自分を『悪魔の子』と設定したのだと解釈する他なかった。
「それをなぜ、俺に話す?」
「師匠なら、悪魔なんて怖くないでしょ?」
村人が悪魔を怖がるのは、それに対抗する力を持たないからだ。
しかし、この男は違う。人でありながら、並の悪魔を凌駕する力を持っている。そうセディルは確信していた。
間違いなく、相当なレベルに達した冒険者なのだと。
「……………」
セディルの予想は、核心をついていた。
男は若き頃の日々において、遺跡で、迷宮で、戦場で、無数の悪魔と戦い、それを屠って来た経験を持っている。
それ故にか、悪魔の血を引くらしき変わった子供を前にしても、微塵の怯えも見せる事はない。
例えそれが、異常な知識と異常な【ステータス】を持っていたとしても、子供を子供としてだけ見られる柔軟な精神の持ち主なのだ。
「師匠は、『忍者』なんですよね?」
沈黙する男に、セディルは不意を突いて質問をぶつけた。
これこそがセディルの知りたい事の本命であり、出会った男を師匠と呼び続ける理由そのものでもあった。
「……………」
今まで表情を消していた男の顔に、初めて変化が訪れる。僅かだが、苦い物を口にしたように顔を歪めたのだ。
『忍者』。
それはセディルが元いた世界で知っていた、日本の歴史上の忍者とは全く次元の異なる存在。
この世界に於ける、強力な職としての忍者の事である。
彼が得た基礎知識によれば、忍者とは戦士系や盗賊系、それに魔術師系までが入り混じった強力な複合職であり、現代では失われたとされている伝説の上位職であった。
かつて東方の海に浮かぶ島国で生まれ、大陸にまで伝わって来た忍者という職は、戦士系の中でも特異な存在として知られている。
忍者専用に作られた武器や装備を使いこなし、盗賊の技を駆使して障害を潜り抜け、『忍者系忍法』と呼ばれる独自の魔法すら自在に操る。
『混沌』の属性を持つ者でなければ就く事が出来ず、例え属性が合ってもその技の習得には多大な才能と時間を要求される。
その為に、最初から忍者になれる者は皆無に近く、他の職業を一旦『マスターレベル』と呼ばれる、レベル15まで極めてからでなければ『転職』する事すら不可能、と言われる程の難行の職。
それ故に後継者が減り続け、同じく東方生まれの戦士系職業『侍』とは異なり、いつしか時の流れの中にその存在は消えて行った。
今ではその伝説だけが語り継がれる、最強の暗殺者とも殺戮兵器とも呼ぶべき能力を持った、東方の魔人。
それが『忍者』と呼ばれる者なのである。
「忍者などいない。何百年も前に、失われた職だ」
一瞬顔を苦しそうに歪めた男だったが、すぐに元の無表情に戻ると、自分に対するセディルの疑問を否定した。
「でも『下忍』じゃあ、あんな事出来ませんよ」
男の否定に、セディルは冷静に反論した。
「あんな事?」
「師匠は、あの大熊を一撃で『即死』させたんでしょ?」
セディルは、それを見ていた。
あれだけの巨体と生命力を持つ大熊が、男の一撃によって絶命した瞬間を。
「あれは、忍者の技ですよね? 今もいる『下忍』には、使えない技の筈です」
自分が目にした現象を思い出し、セディルはそうキッパリと断言した。
忍者という職は失われたが、その下位職と看做される職業は現代にも残されている。戦士系の忍者とは異なり、盗賊系の派生職である『下忍』の事だ。
下忍は忍者の専用装備を扱える『盗賊』の一種であり、混沌だけでなく中立属性の者でも就く事が出来る。
あくまで忍者の下位職なので、忍者の魔法である『忍者系忍法』は使えない。当然、それ以外の忍者だけが持つ職業スキルも得られない。
「師匠が使ったのは、忍者だけが使える、敵を即死させる『致命打撃』の攻撃ですよね」
失われた職である忍者が、今もなお畏怖と共に語られる理由がそれだった。
職業スキル【即死攻撃】。
忍者になった者だけが得られる、驚異の能力。
戦いの場に於いて忍者を敵に回した者は、恐怖の表情を顔にへばり付かせたまま、その首を斬り落とされる。
ある時は武器で、ある時は素手でも。
どんなにレベルが高くても、どれ程HPが残っていようとも、忍者と戦う者には容赦のない『死』が訪れるのだ。
しかしそんな強力な職である忍者という存在も、今は昔の話。
男も言った通り、もう数百年も前にこの職業は失われてしまっている。
今この現代に忍者など、いる筈がないのだ。
だが、セディルはもう確信していた。忍者はいる。今、彼の目の前に。こうして話している男こそが、失われた筈の忍者。
自分の師匠になる男なのだ、と。
「……俺が忍者だったなら、お前はどうする気だ?」
「だから、弟子にして欲しいんです。僕なら『悪魔の子』の僕なら、忍者に成れる筈なんです。成ってみせます!」
セディルの望みは、純粋にそれだけだった。
自分が持つ能力を最高のものに仕上げる為に、最強の職に就きたいのだ。
「……………」
その子供の願いを聞き、男は目を閉じて黙り込んだ。
重い沈黙が、しばらくの間続いて行く。
セディルは男の反応をじっと待っているが、食事と風呂を済ませたセディナは眠気に襲われたのか、もうウトウトと目蓋を閉じようとしていた。
どれだけの時間が経っただろうか。
セディナは眠気に耐えられず、テーブルに突っ伏してスヤスヤと眠り込んでいる。
「……何で、俺の前にこんな奴が現れたんだ?」
不意に男は目を見開き、苦悶するように顔を歪める。
先程とは違ってもう表情を消す様子もなく、自分自身に叫び散らすかのように苦悩の言葉を吐き出した。
出会ってからずっと超然とした表情を崩さずにいた圧倒的な強者が、五歳の幼児の願いを聞いて、迷い、悩み、呻いているのだ。
「俺はもう冒険者を辞めたっ! 今はただの別荘の管理人だ。それで良い筈だったのに、それで終われる筈だったのに、よりにもよって忍者に成れるかも知れない奴に出会っただとっ!?」
男は、鋭い視線をセディルに向けた。
セディルの言う通り、男も悟っているのだ。目の前にいる幼子が、尋常な存在ではない事を。不可能を可能にしうる、『何か』だという事を。
それは男にとっては本来、出会ってはならない存在。
同時に、心の何処かで渇望していた存在でもあった。
殺気すら孕んだその強烈な眼光は、悪魔すら怯ませるものだったが、セディルは歯を食い縛ってその視線を正面から受け止める。
「おい小僧っ!」
「はい!」
男の怒気を含む声に、セディルは背筋を伸ばして答える。
「俺は、世界で最後の忍者だ。忍者は、俺で最後になる筈だったっ! 俺の弟子になるという事は、その最後の忍者という立場も引き継ぐという事だぞっ! お前はそれでも、忍者に成りたいのかっ!?」
それは自分の運命への恨み節だったのか、或いは最後の忍者という重荷を子供に押し付ける事への罪悪感か、それとも新たな同胞が生まれる事への期待感だったのか。
男は、自分が『忍者』である事を認めた。
そしてセディルに、その覚悟を問う。
彼の『次』を担う意志が、有るか否かを。
「勿論です、師匠っ!」
一切の躊躇も迷いも無く、セディルは叫んだ。
元より引き返す道など無い。力を求め、望む師に出会った以上、このまま最後まで突っ走るしかないのだ。
「……修行だけは付けてやる。だが、忍者に成れるかどうかは、お前次第だ。生き残れたなら、忍者に成れるだろう。死ねば、そこで終わりだ」
何が男の心を動かしたのかは判らないが、忌々しそうな表情を見せつつも、男はセディルの弟子入りを認めたのであった。
「はい、師匠っ!」
ついに念願が叶い、セディルは冒険者の師を得た。
彼が本当に忍者に成れるかどうかは、まだ判らない。
男の過去も、なぜ彼が失われた忍者の最後の一人なのかも不明だ。
それでも『悪魔の子』として田舎の村に生まれ変わり、妹と二人で逃避行を続けた挙句、ようやくセディルは次に進むべき道標を見つけたのであった。
「期待していて下さい。僕、絶対に忍者に成ってみせますから!」
「……好きにしろ」
男の半ば投げやりな答えの中に、セディルは僅かに嬉しさや懐かしさを感じ取る。
不器用そうな男だが、強さに裏打ちされた優しさを内に秘めているのではないかと、セディルには思えた。
こうして、セディルの弟子入り一日目は過ぎ去って行くのだった。