第五話 初期ステータス
男の足取りは、森の中とは思えない程に速かった。
セディルの最初の感想通り、男は勝手知ったる縄張りの中を平然と歩く虎のように、木々の隙間や岩場の上を軽やかに移動して行く。
二人の子供達を気遣う素振りさえ見せずに進んで行く男に引き離されないよう、妹を背負ったセディルは必死に彼の後を追った。
それから一時間程も歩いただろうか、突然森が開け、木々に囲まれてはいるが人工的に整地された広い場所へと彼らは辿り着いた。
その場所に、一軒の割と大きな邸宅が見える。
周りを石塀で囲い、綺麗に庭園が整備された石造りの館だった。
かなり古い時代に建てられたものらしく、二階建ての館の灰色の石材や、そこに刻まれた不気味な彫刻等には青々とした苔がびっしりと生えている。
しかし館自体は良く手入れがなされ、窓には高価な板ガラスが嵌り刺繍されたカーテンも掛かっていた。 今でも現役で使われている館なのは、間違いない。
「あの、あなたは、この館で暮らしているんですか?」
男に続いて館を囲む塀の門前までやって来たセディルは、妹を背負ったまま視線を上に向けて質問した。
「そうだ、この館はこの辺の領主、クレイム伯爵家の別荘。俺は五年前からこの館の管理人をしている、ただの男だ」
そう言って男は懐から鍵を取り出し、門に掛かっていた錠を外す。
ギギギッ!
分厚い樫の板を鉄で補強した重い扉を、男は片手で難なく押し開き、中へと入る。
セディルもそれに続いて、塀の中の庭園へと足を踏み入れた。
塀の中の庭園には石畳が敷かれ、花壇が造られ、小さな泉や四阿も見えた。なかなかに趣味の良い別荘だなと、セディルは思う。
男が館の玄関の鍵を開け、セディルも館に入った。
玄関ホールは二階まで吹き抜けの構造になっていて、床には大きな絨毯が広げられ、奥には大きな階段も見える。
調度品や絵画が飾られているのも目に付いたが、割と質素な物ばかりで、ここにも館の所有者の嗜好が現れていた。
「ここには、あなたの他には誰もいないんですか?」
「いるのは、俺一人だ。一人で、適当に暮らしている」
男は淡々と短い言葉を口にしつつ、セディル達を館の使用人用の浴室に連れて来た。
「まずは風呂に入れ」
二人の子供は、数日分もの汚れと土埃で酷い有様だった。身体や服の汚れを落とす第三レベルの一般魔法【洗浄】もあるが、今まで使う余裕がなかったのだ。
「良いんですか?」
「汚れたまま、館の中を歩かれては困るんでな」
貴族の別荘の管理人にそう言われては、セディルも逆らえない。ここは大人しく、言われた通りにする事にした。
床にも壁にも規則正しくタイルが張られた浴室には、水を満たした銅の浴槽があり、石鹸やタオルも備え付けられていた。
セディルは、第四レベルの一般魔法【発熱】を使って、浴槽の水をお湯に変える。
熱を作り出し、物体を温める事が出来るこの魔法によって、冷たい水はすぐに湯気を上げ始め丁度良い湯加減になった。
「セディナ、お湯が沸いたよ。一緒にお風呂に入ろう」
「うん、お兄ちゃん」
幾日かぶりで身体を洗えるのが嬉しいのか、セディナは素直に喜んでいた。
妹の服を脱がし、顔に巻いてある包帯も解いて素っ裸にする。
包帯の下から出て来たセディナの顔は、黒髪に黒い瞳、それに真っ白い肌という『悪魔の子』の特徴を露わにしていた。
彼の双子の妹であるセディナの容姿は、セディルのそれと鏡合わせにしたように同じなのだ。
セディルは木製の手桶にお湯を汲むと、それを頭からザバザバと妹に掛けてやった。
「熱いよぉ……」
幼児には少し熱かったのか、セディナが抗議の声を上げた。
「ごめん、ごめん。さあ、身体を洗うよ」
妹に謝り、セディルは石鹸を泡立てて、セディナの黒髪と身体を洗ってやる。妹をお風呂に入れるのは初めてではないので、セディルは手際良く彼女を洗い上げた。
それから自分の身体も洗い、汚れていた服もお湯と第三レベル【洗浄】の一般魔法を使って綺麗にする。
垢と土汚れを落としてサッパリしたところで、今度は第五レベルの【乾燥】を使い、自分達の身体と服から余分な水分を飛ばして仕上げをした。
風呂から上がり、乾いた服を着直したセディルとセディナが浴室を出ると、何処からともなく良い匂いが漂って来る。
その匂いに誘われて、二人は廊下を通り館の食堂にやって来た。
「来たか」
そこには、男が待っていた。
食堂の分厚い一枚板のテーブルの上に、湯気を立てる陶器の深皿が二つ置かれている。中身は温かいシチューらしかった。
男が兄妹の為に、簡単な食事を用意してくれたのだ。
「取り敢えず、食え」
椅子に深く座った男が、二人にそれを食べるよう促した。
「良いんですか?」
「話だけは聞いてやるから、その腹の音を止めておけ」
男はセディル達が空腹でお腹を鳴らしている事に、気付いていたようだ。非友好的な態度を見せていた男の意外な親切を、セディルはありがたく受け止める事にした。
「いただきます!」
うっかり前世の風習が出てしまったが、気にもせずセディルは椅子に座り、角製のスプーンを握ってシチューを口に運んだ。
セディナも兄の横にちょこんと座り、同じようにシチューを食べ始める。
肉と根野菜と芋を放り込んで、調味料で味付けした適当な料理だったが、空っぽの胃袋にとっては何でも良かった。
二人の子供達は、無我夢中でシチューを平らげた。
「御馳走様でした」
すっかりと深皿を空にしたセディルが、行儀良く男に礼を言う。
空腹が満たされ、ようやく彼の精神にも余裕が生まれ出した。
今のところ、男に敵意は感じない。
森の中で迷っていた彼らを家まで連れて来て、風呂と食事を与えてくれたのだから、まるっきり薄情な男でもないのだろう。
しかし自分達が生き延びる為には、それだけでは不十分。
何とかして、この男の弟子にして貰わなければならないと、セディルはこれから慎重な交渉に臨む覚悟を決めていた。
「改めまして、僕はセディルって呼ばれていました。この子は妹のセディナです」
まずは、自分達の事を相手に刷り込む事。
セディルは、再び名前を名乗る。
表情を消した男が、包帯を解いて露わになった、そっくり同じ顔の子供達を見つめている。ただの田舎の村の子供にしては、異様なまでに整っている幼い容貌がその黒い瞳に映っていた。
「名前は捨てた。好きに呼べ」
二人は名乗ったが、男は名乗らなかった。相手との友好関係を構築したいセディルと違って、男は彼との距離を保ったままであった。
「じゃあ、『師匠』と呼びます」
それでも、セディルはめげなかった。目的に向かって真っ直ぐ。男に望む最終的な立場を、即座に呼び名に採用した。
「……これに触れてみろ」
セディルが師匠と呼ぶ事に決めた男は、その呼び名に異を唱えず、懐から一枚の長方形をしたカードを取り出すと、彼の前に置いた。
「これは……」
カードを手に取り、セディルはそれをしげしげと眺める。
手の平くらいの大きさのカードは、軽くて薄い何らかの金属で出来ていて、真っ黒い鍍金が施されていた。それに、隅の方に小さな赤い石が嵌め込まれている。
「それが『ステータスカード』だ。赤い『魔石』に触れて念じれば、お前の今の【ステータス】を見る事が出来る」
男が淡々と、その黒いカードの使い方を教えてくれた。
広い意味で『人』と呼ばれる種族や、多くの人型生物は、その持っている力を具体的な数値やスキルで表す事が出来る。
それを【ステータス】と呼び、【ステータス】を表示する事が出来る道具こそが『ステータスカード』と呼ばれる物なのだ。
現代の魔法技術では作る事が出来ない魔道具だが、一千年前の文明崩壊以前には大量生産されて普及していたらしく、今でも各地で大量に発見されている。
その為、ある程度の金額を出せば購入する事ができ、冒険者なら一枚くらいは誰でも持っている品となっていた。
「ふ~ん、これが『ステータスカード』なんだ!」
ようやく手にした道具に、セディルの黒い瞳がキラキラ光る。
彼の村にはこの魔道具が無かったので、今までセディルは自分の【ステータス】を知る事が出来なかったのだ。
この世界に生まれ変わって、五年目。
ついに『何か』がくれた力の謎と、自分の【ステータス】情報を見られる日が来たのだった。
セディルは、カードに嵌め込まれた赤い魔石に小さな親指を押し当てて念じてみる。
すると、黒い板に精密な文字と数字が白抜きに浮かび上がって来た。
レベル:0
名前 :セディル・レイド
HP : 5/10 MP : 7/10 状態 :正常
職業 :なし 年齢 : 5 性別 :男 種族 :半人間 属性 :混沌
筋力 :18 敏捷 :18 魔力 :20
生命 :18 精神 :18 幸運 :20
スキル
【絶対天与】【能力強化】
魔法
一般系レベル:10
カードの上には、まぎれもなきセディルの【ステータス】が表示されている。
「これが、僕の今の【ステータス】か~」
セディルは、その内容を細かに見て行く。
レベルは、0。これは何の職業にも就いていないのだから、当然だろう。
生存力の高さや肉体の強靭さ、それに死に難さを表す『HP』と、魔法を使う為に必要な体内魔素の絶対保有量を表す『MP』の最大値が、子供にしては異常に高いが、これも与えられた力の一つなのだろう。
名前、年齢、性別はこの通り。
しかし種族の表示は『半人間』になっており、半分が『人間』なら、もう半分は何なのだろうかとセディルは首を捻る。
『属性』の意味するところは、『魔素』に対する適性であり、『秩序』『中立』『混沌』の三属性を人は生まれながらにどれか一つを持っている。
セディルの属性は『混沌』。
これによってまそに対する適性が決まり、同時に就ける職や扱える武具等にも重大な影響が出て来るらしい。
六つの能力値だが、これも子供にしては異常に高い。
成人でもレベル0なら一桁止まりの人が大半を占める筈なのに、セディルの数値は全て18以上もある。
五歳児に過ぎない彼が異常に高い身体能力を持っているのは、この能力値の高さが原因の一つなのだろうと、推測出来る。
そして、表示された二つの『スキル』。
これこそセディルが『何か』から与えられた、他者とは異なる『特典』を示していた。
(スキル【絶対天与】と【能力強化】。基礎知識で知った、人間の『種族スキル』には無いスキル。多分これが『何か』がくれた『特別な力』に間違いない)
セディルはそう確信した。
それぞれの種族に応じて、人は『種族スキル』を持っている。
人間なら【生命強化】、エルフなら【魔力強化】、ドワーフなら【筋力強化】といったスキルが知られていた。
それらは生まれつき所持しているものであり、後天的に得られるものではない。
種族スキルの力によって、それぞれの能力値には補正力が働き、その種族は他の種族に対して優位な力を発揮する。
その例から見てみると、セディルの種族スキル【能力強化】とは、全ての能力値に対して補正が得られるスキルだと考察出来た。
(それに、僕の力の根源を成すのが、この【絶対天与】のスキルだ)
その意味するところは、『ルール無用』の何でもあり。
今後セディルが職に就いた時、そのレベルを上げる時、何か不可思議な事が起こったとしても、このスキル一つで全て説明出来てしまうのだろう。
(そういう事なら、上手く活用しなきゃだね)
ついに自分の得た力の謎が解け、セディルはウキウキと【ステータス】を眺めていた。
彼が習得している魔法は一般魔法だけだが、魔法の使用可能階位を表す『魔法レベル』が、上限のレベル10まで達している。
これはセディルが一般魔法を、全て習得している事を示していた。
「……………」
そんな彼の様子を、男が冷徹な目で観察している。
「何が表示してあるか、判るのか?」
「はい!」
嬉しかったセディルは、良い笑顔で返事を返した。『ステータスカード』を使わせてくれた礼を言おうとしたが、男はそれを遮って口を開く。
「なぜ、『古代共通語』が読める?」
「……………」
セディルは沈黙してしまった。
『ステータスカード』が作られたのは、一千年前の文明崩壊以前。
当然、そこに浮かび上がり表示されるのは、一千年以上前の世界で使われていた古い共通語なのである。
今現在、世界で広く使われている共通語とは、そもそも文字からして違う言語だ。
カードに表示されるのは、数字や記号、決まりきった事柄だけなので、無学な冒険者でも少し習えばその意味を理解する事は難しくない。
とはいえ、それは大人の冒険者の話。
共通語の読み書きが出来ない者さえ珍しくないのに、一般人が知らない古代共通語を、五歳児がスラスラと読んで理解出来るというのは、異常な事なのであった。
セディルの場合『何か』がくれた基礎知識によって、既知の言語の大半で流暢に会話し、読み書きする事が可能になっている。
つい普通に【ステータス】を読んでしまったが、男には不審がられてしまった。
刃物のように鋭い男の視線が、セディルに突き刺さる。
(……失敗した?)
心中でピンチを悟り、額に冷や汗が流れる。
生まれてから村を脱出し、ここに到るまで続くセディルに降り掛かる災厄は、依然として終わらないのであった。