第三十話 天使の誕生会
その日、クレイム伯爵の屋敷では朝から使用人達が忙しく動き回っていた。
屋敷の大広間やバルコニー、中庭にも瀟洒な椅子やテーブルが用意され、多くの貴人を客として受け入れる準備を整えて行く。
厨房では、料理人達が料理の仕上げに取り掛かり、菓子職人達が腕を振るって自慢の菓子を練り上げ、焼き上げる。
なぜならば、今日はクレイム伯爵家の御令嬢、エリーエル・クレイムの十二歳の誕生日。
彼女の為に開かれるこの『誕生会』には、多くの貴族の令息令嬢が招かれている。
豊かな領地と交易で得られる富を持ち、帝国政府の要職をも務めるクレイム伯爵と誼を通じたい貴族は多く、この誕生会に子供達を出席させる事を拒む者はいない。
それにそうした貴族の子息達の中には、政略抜きでエリーエルに惚れ込み、求婚した事のある者が少なくない数でいた。
令嬢達の間でも意外と彼女の評判は悪くはなく、天使という至上の血とその高貴なる美貌、若くして『賢者』の職にも就いて見せた溢れんばかりの才能と知性に、憧れを抱く少女達もいた。
クレイム伯爵家から届いた誕生会の招待状を受け取り、彼らは皆、この日を楽しみにしていたのである。
そしてこの日は、一部の関係者のみが知る、重大な発表が行われる日でもあるのだった。
屋敷の大広間は、賑やかな雰囲気に包まれていた。
この屋敷の中でも最も広いその部屋の中では、正装した貴族の少年少女達が集まり、テーブルの周りで楽しそうに談笑している。
白い布が広げられたテーブルの上に、彩り豊かな軽食や菓子、果物が並び、果実水や葡萄酒、泡を立てる天然の炭酸水等が入れられた瓶が、銀製の杯と共に置かれていた。
十二歳のエリーエルを主役とした会なので、参加者にはやはり若い者が多い。
その為だろう、大人の夜会とはまた違う、子供達のお茶会のような華やかで楽しげな空気が、大広間には流れていた。
「賑やかですよね、師匠。お嬢様の誕生会ってだけで、これだけの貴族の子供達が集まるんだ」
「伯爵の人徳と、お嬢様個人の魅力の結果だな」
それらの様子を、セディルとライガは部屋の壁に背を向けて眺めていた。
エリーエルの護衛をクレイム伯爵から個人的に頼まれ、依頼された二人は、いくつかの準備と確認を整えてこの日を迎えていた。
幸い今日までは何も起こらず、彼らも十分時間を使って、もしもの場合屋敷からの『緊急脱出』する下準備を行なう事が出来た。
そして今日、この誕生会に出席する許可を伯爵から貰った彼らは、彼女の周囲をさり気なく見守っているのであった。
二人共、いつものラフな格好とは違い、場に相応しい正装をきちんと身に着けている。屋敷にあった衣装を貸して貰い、少し魔法でサイズ調整を行ったのだ。
それでも二メートルの長身に、服の上からでも判る分厚い筋肉を持つライガの姿は目立つらしく、出席者達からチラチラと不思議そうな視線を送られていた。
「師匠、目立っていますよ」
「お前が目立っていないとでも、言う気か?」
鋭い目で、ぎろりと弟子を睨むライガ。
その視線の先にいるセディルは、ある意味その師よりも激しく目立っていた。
身に着けている正装は、きちんと仕立てられた子供用の礼服だ。それ自体に異常は見られず、着こなした姿は他の出席者達にも見劣りはしない。
しかし彼の首から上だけは、少し異常であった。
セディルは、自分の顔にいつも包帯を巻き付けている。この世界に彼を産み落としてくれた母が、『悪魔の子』である兄妹の顔を、人目に晒させないようにと行わせていた習慣であるからだ。
その親元を離れた以上、顔を隠す義務は無いのだが、セディルは自信に課した一種のルーティーンとしてそれを採用していた。
セディルの素顔を知っている者は、この場にはライガしかいないのだ。
だが、貴族の子弟や子女が多く集まるこの会に、顔に包帯を巻いて出席する訳には行かない。
エリーエルの護衛としての出席なのだから、そんな失礼を働く訳には行かないのだ。
故に、今のセディルは包帯を巻くのではなく、『仮面』を被る事で顔を隠していた。伯爵家の屋敷の壁に飾られていた、民族色の強いデザインをした仮面である。
大陸南方の熱帯地帯に暮らす部族の物らしく、交易品に紛れてここまで流れ着いたのだろう。
それは石を彫り込んで作られた、異形の面である。
ストレートロングの黒髪も、邪魔にならない様に首元で縛って纏めている。仮面さえなければ出席者の一人と言っても通用するだけに、その姿を注目されてしまうセディルであった。
「まあ、誕生会が始まれば、皆の注意はお嬢様一人に向きますよ」
しかし今回は、何と言っても主賓となる者の輝きが違う。
彼女が現れれば、巨漢の男や少し変わった格好をした子供など誰も注目しないだろうと、セディルは予想していた。
そして、それは事実と成る。
「皆様、本日はわたくしエリーエル・クレイムの十二歳の誕生日をお祝いする為に、こうして集まって頂き、真に嬉しく思いますわ」
今日の誕生会は、会場となる大広間に父親と共に現れた、クレイム伯爵家の令嬢エリーエルのその言葉により始まった。
彼女が招待客達へ感謝の言葉を紡ぎ、微笑と共にその小粒の白い歯をキラリと光らせると、出席している少年少女達からざわめきや溜め息が漏れ聞こえて来る。
今日の彼女は、一段と自身の価値に磨きを掛けていた。
高価な東方の絹をふんだんに使ったドレスに、美しく整えられた縦ロールの黄金の髪。化粧など必要ないと言わんばかりに輝く真珠のように白い肌。
彼女を語る上で欠かせない、少し目尻の跳ねた印象的な光を帯びる蒼い瞳。
整い過ぎて高慢にさえ見える小さな鼻梁やふっくらとした薄桃色の唇も、今日だけは愛らしさの象徴のように客達には見えているのだろう。
それは正に、幼くとも天上人の美しさ。
彼女が『天使』の神魂を身に宿す、選ばれし貴種にして至宝である事を疑う者は、この場に於いて皆無であろう。
「うーん、様になっていますね、うちのお嬢様」
「あれが彼女の本職だ。お前同様、この七年間この日の為に修行を積んで来たのだろう」
大広間の隅に立つ二人は、皆が注目する美少女を見つめつつ、久し振りに見る彼女の伯爵令嬢としての成長を高く評価していた。
セディルが冒険者を目指して頑張って来たように、エリーエルも最高の貴婦人を目指して頑張っていたのである。
「本日、娘の誕生日にこうして集まって頂き、私からも感謝の言葉を送らせて頂こう。どうか今日は、皆さんに楽しんで過ごして貰いたい」
そのエリーエルの隣で、クレイム伯爵が誇らしげな様子で招待客達に挨拶を行なう。彼にとっても今日という日は、特筆すべき事が起こるであろう日なのである。
会場は皆の拍手に包まれ、今日の誕生会は始まったのであった。
今日の誕生会の主役であるエリーエルの周りには、多くの招待客が群がり、次々と彼女に祝福の言葉を送って行く。
「お誕生日、おめでとうございます、エリーエル嬢」
「お招き頂き、感謝の言葉もございませんわ、エリーエル様!」
「十二歳と成られまして、また一段とお美しく成られましたね。今日は、素晴らしい日ですよ」
皆、本心からなのか、お世辞なのかは判らないが、歯の浮くような美辞麗句を怒涛のようにエリーエルに浴びせ掛ける。
彼らの間を回りながら、その挨拶の連続をにこやかに受け答えして行く彼女の姿は、セディルの目から見てもお嬢様のプロフェッショナルと言いたくなる巧みさだった。
そんな貴族の子息令嬢達であったが、一通りの挨拶を終えると、皆、立食形式の食事を楽しみながら、雑談に興じ始める。
エリーエルの周りに最後まで残ったのは、彼女と特に親しい者達だけとなった。
「師匠、あの子達がお嬢様に関わる重要人物達ですよね?」
「ああ、俺達の集めた情報では、そうなっていたな」
ここ数日、彼らはエリーエルの護衛任務を遂行する為に、彼女の周囲情報ある程度収集していた。
その中には、彼女の親しい友人達の情報も含まれている。
セディルはその情報を精査し、今エリーエルの周りに集まり、彼女と時を過ごす四人の少年少女達を仮面越しに観察する。
場の中心、エリーエルの隣でにこやかに彼女と話す金髪碧眼の美少年がいた。
年齢は、エリーエルより一つ下。
実際には半年ほどの差なので、それ程年下には見えないその十一歳の少年は、高貴な血を示すかのように爽やかに整った顔立ちをしている。
彼こそがジーネボリス帝国皇太子エンドレイス・ケル・ジーネイアの嫡男、アレイファス・ドナ・ジーネイア皇子であった。
皇帝ミルファウスの現在のところ唯一の孫であり、父親が皇位を継げば、次の皇太子になる予定でもある貴種の少年。
そして今はまだ限られた者しか知らない事実として、彼は今日の誕生会の主役、エリーエルの婚約者でもあるのだった。
(正統派の皇子様、って感じの男の子だね。育ちも良さそうだし、馬鹿にも見えないし、人柄も伯爵様が保証していたから確かなんだろう)
エリーエルの側で会話を弾ませ、場を取り仕切る皇子の姿は堂々としつつも、傲慢な態度は微塵も見せず、寧ろ周囲への気配りが感じ取れる。
それはセディルが見ても、非の打ち所のない若い皇族の姿に見えた。
(それに、お嬢様に向けるあの目やあの気遣いは、不自然なものじゃない。求婚者の一人だったそうだけど、本気でお嬢様に恋しているのかな?)
敢えて苦難の道を行こうとする『若き勇者』に、セディルは生温い眼差しで賛辞を送る。
他の二人の少年は、知的で真面目な雰囲気を持っているのが、帝国宰相の孫で、十二歳に成るマイレル・オードナー。
野性的な風貌で長身の少年が、帝国軍総騎士団長の末っ子、十三歳のジェスナー・フォーガス。
この二人も、エリーエルの幼い頃からの知人であり、彼女の婚約者候補のメンバーだったらしい。
しかし、彼らはまだ知らないだろうが、彼女の婚約者は既にアレイファス皇子に内定している。
セディルは、多少の同情心を持って二人の少年を見つめるのであった。
そうしたエリーエルの取り巻きの中に、一人だけ女の子がいる。
可憐なドレスを身に着けているが、美しさよりも可愛らしさの方が先に来るような少女。
エリーエルと並んでいても気後れする様子も無く、寧ろ彼女を崇拝するかのように、キラキラとした瞳を向けている。
彼女は十二歳の、クラリッザ・ヘルス。
帝国に於ける寺院の取り纏め役、ヘルス大司教の娘である。
高位の聖職者の身分は、貴族と同等に扱われるので、見習い僧侶でもありエリーエルの友人でもある彼女は、この誕生会に呼ばれているのであった。
そこに居るのは、いずれも未来のジーネボリス帝国で、その中核と成る筈の子供達。
その子達が今、エリーエルを中心として、仲が良さそうに談笑している。
冒険者として生きる自分の人生とは、凡そ関わり合いの無い、彼らの様子を、セディルは不思議そうな眼差しで見つめていた。
彼はこの先、力を求めて各地への冒険に挑む予定でいる。
その果てに世界を旅し、刺激的な人生を送る事を望んでいるからだ。
(僕の人生とは本来絡む筈もない、子供達。それが何故か今、僕の目の前にいる……)
思えば遠くへ来たものだと、セディルは窓の外へと視線を向ける。
空は晴れ晴れとし、季節は間もなく初夏を迎える。
いつもだったら、その時期はあの森の中の館に伯爵一家が滞在しにやって来る筈なのだが、去年同様、今年もその日は来ないだろう。
もしかしたら、もう彼らが家族揃って館に来る事は、二度と無いのかも知れない。
時は流れ、全てのものが変わって行く日が訪れようとしているのだった。
誕生会の中頃、エリーエルは一休みする為に大広間から続く、外庭に面したベランダへと移動していた。
そこに置かれた瀟洒な椅子に座ると、彼女の雑用をしてくれている使用人の一人、アンナがお茶を入れてくれた。
香しい紅茶の入った磁器のカップに、エリーエルは優雅に唇を付ける。
彼女の周りには、気心の知れた四人の友人達がいる。
それに専属の護衛として父親から付けられた、別荘の管理人とその弟子が、彼女の視界に納まる場所にさり気無く移動して来ていた。
二人共いつもの格好ではなくきちんと正装した姿をしているが、二メートルもある筋骨逞しい大男と、いつもの包帯の代わりに石仮面を被った少年の姿は、人気の減ったこの場所では目立っている。
(お父様達は、何を気にしているのかしら?)
ここしばらくの間、父や兄達が彼女に何かを隠しながら動いている事は、エリーエルも何となく感じ取っていた。
数日前、彼女の婚約者が決まったと告げられた時には、この事かと思ったのだが、それだとあの二人を護衛に付けられた事に違和感を覚える。
そう考えつつ彼女の視線は、周りにいる友人達の方へと向けられた。
(お父様が、わたくしの婚約者を決められた……。この誕生会で、正式発表すると仰っていたわ。という事は、もう先方の家とは話が付けられているという事……)
いずれこの日が来る事は、彼女も判っていた。
そしてエリーエルは、それを受け入れる覚悟をずっと昔からして来たのだ。
(天使たるこの身は、一族の栄光の象徴であり、比類なき財貨ですわ。この身を得るべきお方は、お家の未来の繁栄を約束して下さる方でなければ成りません)
それは自分の願いであり、同時に譲れぬ誇りでもある。
エリーエルは決然とした眼差しで、自分に求婚して来た婚約者候補達を見つめる。
そこには彼女を娶る可能性の高い、三人の少年達がいた。
皇太子の嫡男たる皇子にして、未来の皇帝に最も近い少年、アレイファス皇子。
現宰相の孫にして、魔法学院でも一、二を争う秀才、マイレル。
騎士団長の末の息子で、武才に満ち溢れる騎士見習い、ジェスナー。
いずれも身分、血筋、年齢、容姿、そして才能に於いても見劣りしない、選ばれし者達だ。
エリーエルは父親の判断を信頼しており、娘を溺愛する彼が、身分だけは高い年上の馬鹿貴族に自分を嫁がせるような事をする筈が無い、と確信していた。
それ故に、候補として絞り込まれるのは間違いなく、彼らだと思えるのだった。
(でも、おそらくわたくしの婚約者と成るのは、アレイファス皇子殿下でしょうけれど……)
婚約者の候補者は、複数上げられる。
けれども、エリーエルが本命だと目算しているのは、この国の皇子アレイファスであった。
(それが、皇帝陛下のご意向の筈ですもの。お父様だって、それを知らない筈がありませんわ)
皇帝ミルファウスは、孫の伴侶に彼女を望んでいる。
その事を、エリーエルは知っていた。
そしてアレイファス自身も、少々ぎこちない様子ではあったが、他の二人同様に、彼女に恋心を告げて来ていた。
彼女にとって彼らは、身近な知り合いの少年達であり、仲の良い友人以上の感情を持つ事の無い相手である。
しかし一族にとっては、最優良の婚約相手である事は確かだった。
(まあ、アレイファス様なら、わたくしも別に不満はありませんわ。これまでと同じように、上手く付き合って行ける筈ですもの)
ふうっと一息吐き、エリーエルは手にしていたティーカップを、サイドテーブルに置いた。
後は、この誕生会の終わりに、クレイム伯爵からの発表を待つだけ。
それが発表された瞬間から、彼女の運命は劇的に動き出すであろう。
もう好き勝手は許されず、貴族令嬢としての教育に加えて、今までよりもさらに厳しい未来の皇妃と成る教育も始まる筈だ。
(望むところですわ。わたくしの高貴なる価値を、世界に知らしめるのです!)
そう心中で決意すると、無意識の内に彼女の形の良い唇の端が吊り上がる。
クレイム伯爵がセディル達に言った通り、彼女の傲慢さの源は、自己犠牲も厭わない程の使命感と責任感の強さ故。
そして思い込んだら一直線という、その性格によって、エリーエルは臆す事無くその階段を駆け上がろうとしているのだった。
その時、ふと彼女の視線が脇に逸れた。
その目に映ったのは、二人の冒険者。セディルとライガだ。幼き日に、ちょっとした冒険を共にした平民達である。
(お前達との付き合いも、これで終わりになりますのね……)
そう思うと、ほんの少しだけだが寂しい気持ちが湧き上がる事に、エリーエルは驚いた。
自由と冒険。
そんな非現実的な言葉に、少女の心はほんの少しだけ揺れ動くのであった。




