第十四話 秘密の扉
「これで第一関門は、クリア出来たかな」
伯爵一家への挨拶を終え、セディルは館の一階の隅にある物置き部屋に用意された、簡素なベッドの上に、ぼふっと寝転んだ。
クレイム伯爵からこの館で暮らす許可を得た事で、セディルに使用を許されたのがこの部屋である。
部屋の中は狭い上に、まだ要らない木箱が積み上げられていたりもするが、流れ者で居候の身ではこれ以上の贅沢は言えない。
明かり取りの小さな窓から差し込む午後の光を浴びながら、セディルは今後の伯爵家のスケジュールを検討する。
伯爵一家がここに滞在するのは、今日も入れて七日間。
伯爵も忙しい身なので、それ以上の時間は割けないらしい。
その間、一家は庭を散策したり、家族で食事をしたり、それぞれの趣味を披露したりと、穏やかに時を過ごす計画を立てている。
館には今、使用人や警護の騎士も来ているが、基本的には一家の邪魔をしない様に配慮して仕事をこなして行くそうだ。
「つまり伯爵様達に会うのは、さっきで終わり。後はお見送りの時まで、奥に引っ込んでいれば良いんだよね」
管理人のライガもその弟子のセディルも、使用人としては員数外なので、今この時には何も仕事が無い。
クレイム伯爵との接点は、これで終わりの筈である。セディルはそう判断し、ベッドの上でのんびりしようかと、大きく身体を伸ばした。
しかし、事はそう上手くは行かなかったのである。
「出て来なさい、下民」
部屋の扉の前で、女の子の声がした。
今この館には、女の子は一人しかいないので、当然セディルにもその子が誰なのかすぐに判った。
悪い予感しかしなかったが、相手が相手である以上、無視する訳にも行かない。
「何か御用ですか、お嬢様?」
ベッドから立ち上がり、自室の扉を開ける。
そこには当然のように、可愛く腕を組んだ伯爵家の御令嬢エリーエルが立っていた。
さっき応接室で出会った時と変わらない、若干目尻の跳ね上がった大きな蒼い瞳に特徴的な光を宿し、扉から顔を覗かせたセディルをその視線で突き刺して来る。
「ついて来なさい」
エリーエルは一言そう命じると、クルリと回ってセディルに背を向け、廊下を歩き出した。
セディルの返事も聞かず、了承も必要としないのは、平民には命令する事が当たり前で、その命令に相手が従って当たり前、という幼く傲慢な価値観の表れらしかった。
しかしセディルにも、その命令を聞かないという選択肢は無いので、あながち間違いという訳でもないのが現実だった。
(仕方ないな~)
心中でぼやきつつ、セディルはエリーエルの後ろを下僕のように歩いて行くのだった。
「ここですわ」
エリーエルに連れられて、セディルがやって来たのは、館の一階の奥の方であった。人気のない寂れた廊下に面して、壁に一つの扉がある。
二人の身長の二倍はありそうな、重厚で頑丈な黒い木製の扉。その扉で閉ざされているこの部屋は、何の部屋なのだろうと、セディルは思う。
「この部屋に用があるんですか?」
セディルもこの館に来てから、まだ日が浅い。
この古い館はそれなりに大きく、部屋数も多いので、何処にどんな部屋があるのか彼も把握出来ていない。
当然、初めて来たこの部屋の中に何があるのか、セディルも知らないのである。
「これを使って、扉を開けなさい」
セディルの問い掛けには答えず、エリーエルが何処からともなく鍵を一本取り出した。
真鍮で出来た、古いが立派な鍵だった。
見ると、扉のドアノブの近くに鍵穴がある。
「この鍵、この部屋の鍵なんですか?」
「それ以外の、何に見えるのかしら?」
早く開けろと顎で促され、セディルは仕方なく鍵穴に鍵を差し込み捻ってみた。
「カチリッ」
小さな音がして、錠が外れる。
「開いた」
確かに、この鍵はこの部屋の鍵だったようだ。
セディルは真鍮製のドアノブを回し、重い木製の扉を押した。幼児には少々重たい筈のその扉は、意外と滑らかに、音も立てずに開いて行く。
「……お嬢様、部屋の中は真っ暗ですよ」
開いた扉から、セディルは部屋の中を覗き込んだ。鎧戸を閉じてあるのか、部屋の中は窓から差し込む光も無く、真っ暗闇が広がっていた。
「構いませんわ。中に入りなさい」
しかしエリーエルはそんな事は承知していたらしく、眉一つも動かさずに部屋の中に入れとセディルに命令した。
「……いきなり、閉めないで下さいね」
ひょっとしたら自分はこの部屋に閉じ込められるという虐めを受けてしまうのだろうか、ふと、そんな心配をしたセディルだったが、お嬢様の命令では仕方ないので、そっと暗闇の中に足を踏み入れた。
だが、エリーエルはセディルを虐める為に、いきなり扉を閉めたりはしなかった。
彼女が扉を閉めたのは、自分も部屋の中に入った後だったのである。
「カチャリ」
セディルは暗闇の中で、扉の閉まる音を聞いた。気配を探るまでもなく、扉の内側、即ち部屋の中にエリーエルがいるのが判る。
(何をする気なんだろう、この子??)
真っ暗闇の部屋に下民と呼び捨てる彼を連れ込んだエリーエルの行動に、訳が判らずセディルは首を捻った。
部屋の中はどこか黴臭いような、長い間放置されていた廃墟のような澱んだ空気が漂っている。少なくともこの部屋は、使用人達も掃除する場所とは認識していなかった部屋なのだろう。
その時、暗闇の中にポッと小さな光が灯った。
見ると、それはエリーエルが胸元で合わせた小さな手の平の中から生まれている。
「怖がる事はありませんわ。わたくしが、明かりを点けて上げましょう」
エリーエルの、どこか得意気な声が聞こえた。光はすぐに一個の光球となり、彼女の頭上へとふわりと浮遊する。
その光球の下は真昼のような明るさになり、部屋の中の暗闇を駆逐した。
「一般魔法の第一レベル魔法【照明】……。お嬢様、一般魔法使えるんだ」
これにはセディルも驚いた。
一般魔法の中でも、一番最初に使えるようになる第一レベルの魔法とはいえ、セディルと同じ五歳の女の子がそれを使って見せたのだ。
インチキ幼児のセディルは、もう第十レベルまでの一般魔法を全て習得しているが、天使とはいえ本物の五歳児のエリーエルが魔法を使えるのは、凄い事であった。
「魔法を見るのは初めてかしら、下民? この魔法は、お母様に教わりましたわ」
セディルが【照明】の魔法を見て驚き、敬服していると思ったのか、明かりの下でエリーエルがにっこりと笑っていた。
下民相手に自分の優秀性を見せつける事が出来て、得意になっているらしかった。
(確かに……、これは驚いた。このお嬢様、本物の天才かもね)
しかし当然セディルが驚いているのは、五歳児のエリーエルが一般魔法を使って見せた事に対してであって、魔法そのものにではない。
この魔法なら、セディルだって使えるのだから。
(でも、それをここで言うのは、得策じゃない。この子に嫌われる訳にも、行かないし……)
そう判断したセディルは、即座にエリーエルに跪いた。
「流石です、お嬢様。これなら、将来『賢者』に成れる事、間違いなしですね」
全力で褒め殺しにするのであった。
「ふふん、当然ですわ」
セディルの賞賛の言葉に、つんと小さな鼻を聳えさせ、小鼻をピクピクと動かすエリーエル。若干興奮気味なのか、頬も上気してピンク色に染まっている。
尊大な女の子なのだが、褒められるのは嬉しいらしかった。
(嬉しがっているところは、普通の可愛い子供なのか~)
ちょろいなあと思いつつ、この女の子との付き合い方を模索するセディルであった。
「ところで、お嬢様。この部屋はいったい……」
エリーエルの機嫌を取りつつ、セディルは明るくなった部屋の中を見回した。
部屋の中にはいくつかの書棚が立ち並び、大きく重厚な革表紙の書物が多数収められていた。全部合わせれば、三百冊以上はあるだろう。
この部屋は、古い書庫だったのである。
「去年、この別荘に来た時、わたくしは偶然その鍵を見つけたのですわ」
エリーエルの視線が、セディルの持つ真鍮製の鍵に注がれる。
良く見ると鍵には所々傷が付き、薄く錆も浮いていた。相当に年代物の鍵なのだろうと、セディルも思う。
「何処の鍵か不思議に思って、あちらこちらの鍵穴に合わせてみましたら、この部屋の扉が開いたのですわ」
「凄い行動力ですね、お嬢様」
謎の古い鍵を見つけたとしても、去年なら、エリーエルは四歳児だった筈。鍵から部屋を特定する行動力は流石だと、セディルは感心する。
「お父様にさり気なく聞きましたら、この部屋は鍵が無くなっていて、長い間『開かずの間』と呼ばれているそうですわ。お父様も、一度も中を見た事はないと仰っていましたの」
伯爵の年齢は四十歳くらいなので、少なくともそれ以上の年月、この部屋には誰も足を踏み入れた者はいないという事になる。
「不思議ですね、こんなに色々な本が置いてある部屋が、開かずの間だなんて」
そう言いつつ、セディルは書庫に並んだ書物の背表紙を読んで行く。
それらの書物はいかにも古い物で、現代の言語で書かれた物がほとんど無い。
(古代共通語、古エルフ語、悪魔文字や天使文字、爬虫人語なんて、マイナーな言語で書かれた本もあるなあ……)
おそらく中には、『文明崩壊』の遥か以前に書かれた書物もあるのだろう。
それらは少なくとも、一千年以上前の貴重な書物の筈である。
(暇が出来たら、読んでみたい)
現代では、専門の言語学者くらいしか目にする事のない珍しい言語でも、セディルは問題なく全部読む事が出来る。
それは転生時の特典の一つであり、今後も冒険時に役立つであろう特技だった。
「本が読みたいのでしたら、まずは字を覚えなさい、下民。帝国にも、一般庶民が通う学校はありますわ」
セディルが書物を見つめているのを、本に興味があるからだと思ったのか、エリーエルがお姉さんぶった言い草で、彼に勉強しろと言い放つ。
当然、セディルが言語学者顔負けの語学力を持つ事を、彼女は知らなかった。
「そうですね。でも僕は師匠の下で、冒険者に成ります」
前世の知識と与えられた知識があれば、態々学校に通う必要はセディルにはない。
彼が優先して得るべきなのは、今は知識ではなく、『力』なのであった。
「ところで誰も入った事のない部屋に、お嬢様は、いったい何の用があるんですか? まさか、もう本が読めるとか?」
五歳児で魔法を使ったくらいだからと、セディルは念の為に聞いてみた。
「共通語なら読めますわ。ここの書物に書かれているような古い言葉は、勉強中ですの。でもいずれは、どんな書でも読んでみせますわ」
共通語の読み書きは、もう既に出来ると豪語するエリーエル。天才児というだけでなく、彼女は努力家でもあるようだった。
「でも、鍵を見つけてこの部屋の扉を開けた事は、お父様にもお母様にも話していませんわ。自分で調べたい事がありましたもの」
「調べたい事?」
開かずの間の鍵を見つけたのなら、それを伯爵に渡せば良かった筈。
それをせず、誰にも内緒で一年後のこの日に再び部屋に来たエリーエル。しかも、出会ったばかりのセディルを連れて。
「下民、お前は冒険がしたいと言いましたわね?」
「言いました」
冒険者に成って冒険をする。それは今のセディルの大目標であり、目指すべき指針であった。
「それなら、こちらに来なさい」
頭上に光球を浮かべたエリーエルが、書庫の奥に入って行く。
事情がまだ良く判らなかったが、セディルは彼女の後に着いて行く事にした。
「この絨毯を捲りなさい」
部屋の奥で、エリーエルが床を指差した。そこには、埃塗れの古い絨毯が敷かれていた。
良く見ると、絨毯の形と周りの床に積もった埃の形が一致していない。
この絨毯は、何十年もこの場所に敷かれていた筈。これは誰かが最近動かした痕跡だと、セディルは推測した。
「ひょっとして、お嬢様が去年この絨毯を動かしたんですか?」
「そうですわ。偶然、この下にあるものを見つけたのです」
絨毯を動かしたのは、去年のエリーエルだった。状況から見て、絨毯に足を引っ掻けて転んだりして捲れ上がったのではないかと、セディルは思う。
しかしその推測は口にせず、セディルは絨毯を手で捲ってみた。
書庫の床は、磨かれた灰色の石板で構成されている。絨毯の下で、埃に覆われていないその床の一箇所に、窪んだ鍵穴が見つかった。
「ここに、鍵穴がありますね」
「その鍵穴に、この部屋の鍵を差し込んでみなさい」
エリーエルの命令に従い、セディルは部屋の鍵を見つけた鍵穴に差し込み、ゆっくりと捻ってみた。
「カチリッ」
何かが作動する確かな手応えと音が、小さくセディルの指先に伝わった。
同時に、書庫の床に変化が現れる。
僅かな軋みと共に、床の石板の一部が陥没を始めた。
床の陥没は徐々に進み、それはやがて地下へと続く急な階段を形成したのであった。
「隠し階段!? この館には、こんな場所があったんだ!」
セディルは、床の仕掛けに目を見張った。
おそらくは、魔法技術と機械技術の融合によって動く、古代の絡繰り仕掛けなのだろう。
「この仕掛けは、去年わたくしが見つけたのですわ。見なさい、階段の先を!」
驚くセディルの側で、エリーエルがビシッとその場所を指差す。
明かりに照らされた階段を降りた先には、高さ二メートル強、幅一メートル強程のアーチ状の通路が口を開けている。
それは館の謎の地階へと続く、入り口だった。
「この先に何があるのか、わたくしは知りたいのですわ。その為に、一年掛けてお母様から【照明】の一般魔法を教わったのです」
一年ぶりにこの絡繰りを作動させ、地下への入り口を目にしたせいか、エリーエルは少し興奮気味に瞳を光らせる。
去年は明かりに不安があったらしく、いかに勝気な彼女でも、この先に進む事は出来なかったのだろう。
だから今年、態々一般魔法の【照明】を習得して、ここを調べに来たのだ。
「お嬢様、ひょっとしてここの事が気になっていたから、空を飛んで来たんですか?」
彼女から滲み出る未知への好奇心を感じ取り、セディルはエリーエルが家族の乗る馬車から飛び出し、先行して屋敷に来た理由をそう推測した。
「ふんっ、そのような事は、下民のお前が気にする事ではありませんわ! お前はもしも何か悪しきものが出て来た時に、わたくしが逃げる間の時間を稼ぐのです。その為に、着いて来なさい」
無邪気な好奇心を指摘されたエリーエルは、目尻を吊り上げてそれを否定する。
どうやら、図星だったようだ。
そしてセディルに自分の探検に付き合うよう、強引に命令するのであった。
「僕に肉壁になれと?」
「何か、問題でもあるのかしら?」
エリーエルはキッパリとそう言い切った。
お嬢様と流れ者の下民。
生かす者の盾になる者。それらの立場の違いは明白であり、心底問題は無いと思っているらしい。
「えーとですね、お嬢様。もしも何か危険なものが出て来るかも知れないなら、師匠に護衛を頼んだ方が良いんじゃありませんか。あの人、こういう場所の調査の専門家ですよ?」
余りに選民思想の強い女の子への対応に、セディルはライガを引っ張り込もうとした。
彼が一緒なら、仮に何か怪物の類いが出て来たとしても、全く問題は無い。それに忍者であるライガなら、仕掛けられている罠を見つけ出しそれを解除する技術にも、当然のように長けている筈なのだ。
「あの管理人に話せば、お父様に話が行ってしまいますわ。お父様がここの事を知れば、わたくしに近付かないようにと言うに決まっていますもの」
親の反応を予想し、エリーエルはつーんと横を向く。
確かに、いくら娘には甘い伯爵でも、幼児のエリーエルが未知の地下室を探検しに行くと知れば、必ず止める筈だった。
「だから、僕だけ連れて来たんですか?」
「ええ、そうですわ。お前は、ここの探検に興味ありませんの?」
頭上に輝く光球の下で、天使の女の子がセディルを冒険に誘う。
セディルはもう一度、地下へ続く階段に視線を送る。その先には、未知へと続く通路が、黒々と口を開けていた。
「あります」
咄嗟に口から飛び出したのは、その言葉だった。
この世界のセディルという子供に適合した結果、彼は既に冒険者であった。胸の奥から湧き上がる冒険心だけは、どうしても否定出来ない。
その答えを聞き、エリーエルがにっこりと微笑んだ。
それは傲岸不遜な我が儘娘の笑みではなく、危険に挑まんとする勇者を祝福する天使のような笑みだった。
「宜しいですわ。では今夜、皆が寝静まったらここに来なさい。それまで、お昼寝でもして準備して置くと良いですわね」
流石にこれからすぐに探索に出ては、伯爵達や使用人達に心配され探されてしまう。
通路の奥へ進むのは、夜に成り、館の住人達が眠ってからにした方が無難だった。
「判りました。それじゃあ、夜にまたこの部屋で」
セディルも同意し、二人は一旦書庫を出た。
扉を閉め、部屋の鍵も掛け直す。
「来なかったら、承知しませんわよ」
「来ますよ、僕も興味がありますから」
エリーエルの挑戦的な瞳に、セディルも不敵な笑みを返す。
子供達の危険な遊びが、始まろうとしていた。




