第十三話 伯爵家の人々
「君が管理人に引き取られたという、流れ者の子供かな?」
森の中の館の応接室で、セディルはこの地を治める領主一家と対面した。
部屋の奥の椅子にゆったりと腰掛けている人物は、四十歳前後の長身の男性で、髭を蓄えた威厳のある顔立ちに温厚そうな表情を浮かべていた。
クレイム伯爵家現当主、オーネイル・クレイム伯その人である。
その伯爵の側の椅子には、二十代半ばに見える儚げな風情の女性も座っている。
大変な美人で優しそうなご婦人だが、余り健康ではないのか、色白で線が細そうに見えた。彼女のすぐ隣には、先程庭で出会ったエリーエルが付き添っている。
さらに十代半ばを過ぎた年頃の少年が二人、立派な服を着て伯爵の横に立っていた。
二人共伯爵に似たのか、それとも亡くなった母親に似たのかは判らないが、人目を引く容姿端麗な少年達だった。
この五人がこの館を所有し、ライガを管理人として雇っている、クレイム伯爵家の人々なのであった。
「はい、伯爵様。僕は、セディルといいます。お目に掛かれて、光栄です」
セディルは初めて会うこの世界の貴族、クレイム伯爵に出来る限り丁寧に挨拶をした。
その後では、ライガが直立不動の自然体で立っていた。眉一つ動かさない無表情だが、伯爵一家に相対するセディルの様子をじっと見つめている。
天使のエリーエルが別荘に飛んで来てからしばらくして、伯爵一家の馬車が到着した。
到着後は少しドタバタしていたが、その後、一家に寛ぎの時間が出来た時を見計らい、ライガがセディルを彼らに紹介してくれたのだった。
「ほう、なかなか賢そうな子ではないか、なあ管理人」
「抜け目が無い、と表現すべきですがね」
クレイム伯爵は、セディルの受け答えを気に入り、気さくな笑みを浮かべてライガに話し掛けた。
一国の伯爵と、伝説の忍者とはいえ一介の元冒険者である二人。
しかし、どこかで身分差を超えた付き合いがあるような印象を、セディルは二人の男の遣り取りから感じ取った。
何しろ、名前を捨てたと言うライガの事を、伯爵は平気で『管理人』などと呼んでいるのだ。
貴族であれば常識的には、名前を名乗らない男など雇ったりはしない筈であろう。
「ふむ、お前が気に入って拾ったというなら、余程非凡な子なのであろうな」
威厳のある顔に楽しそうな笑みを浮かべると、伯爵は途端に親し易いおじさんのように見える。
「確かに、才能だけはあるようです」
今のところ、ライガがセディルを評価出来るポイントは、その異常な才能しかない。
「なるほど、その才能で君は何を望むのかな、セディル君?」
伯爵はセディルにそう訊ねた。楽しそうな目をしているが、彼のその視線は真っ直ぐにセディルを見つめていた。
「はい、僕は親元に戻る事はもう出来ません、行く当てが無いんです。でも師匠に出会って、弟子入りを許して貰いました。師匠の下で学んで、職に就き、将来は冒険者に成りたいと思います。ですから、それまでは、この館にいる事をお許し頂きたいんです。お願いします、伯爵様」
セディルは自分の望みを伯爵に告げ、彼の慈悲を請うた。
「ほほう、管理人よ、お前はこの子を弟子にしたのか?」
「……はい、才能だけはあるようですので」
淡々とした口調で話すライガに、伯爵の顔の笑みが深くなる。
どうやら、本格的に面白がり始めたらしい。
「ふふふ、そうかっ! あの飲んだくれのろくでなしだった男が、ついに弟子を取ったのか。これは傑作だっ! 私達も、この男を拾った甲斐があったようだぞ、なあエミーシャ」
愉快そうに笑い出した伯爵が、側に坐る婦人に話し掛ける。
「ええ、そうですわね、貴方。五年前の彼からすれば、別人のようですわ」
エミーシャと呼ばれた儚げな風情の女性も、そう言って嬉しそうに微笑んだ。
その伯爵と女性のいつもとは見慣れぬ様子に、周りの二人の少年とエリーエルが少し驚いたような顔をした。
「お母様?」
エリーエルが彼女のドレスを掴み、不思議そうな眼差しを送る。
彼女がクレイム伯爵の後妻であり、エリーエルの母親であるエミーシャ・クレイムなのである。
彼女は既に家名が断絶した下級貴族の娘で、伯爵とは一回り以上離れた年齢ではあるものの、貴族社会では仲の良い夫婦として知られていた。
(飲んだくれの、ろくでなし?)
二人の評価を聞き、セディルは思わずライガを見上げる。その鋼鉄の彫像のような立ち姿からは、そんな評価は想像出来なかったからだ。
ここ数日で、セディルがライガから聞き出した情報によると、彼と伯爵との出会いは、五年程前に遡る。
五年前、伯爵とエリーエルを妊娠中の奥方が危機に晒された時、偶々通り掛かったライガが、二人を助けたのであった。
妻と娘の命の恩人となったライガに、伯爵は謝礼を申し出た。
ライガは金品には興味を示さなかったが、その時の彼は静かな暮らしを望んでいたらしい。
その結果が、この森の中の別荘の管理人の職となったのである。
『他にやる事も行く当ても無かったから、引き受けただけだ』
ライガはセディルにそう言っていた。
セディルは視線を伯爵に戻す。
最初は威厳のある紳士に見えていた伯爵だが、今この場ではすっかり寛ぎ、知人の子供を見るような眼差しでセディルを見ていた。
「セディル君、話は判ったよ。君が彼の弟子になったのなら、この館にいる事に問題は無いよ。ここの事は全て、管理人である彼に任せているからね」
伯爵は鷹揚な態度で、セディルが館に住む事を許してくれた。
ライガに聞いた話によると、伯爵一家はジーネボリス帝国の首都にも屋敷を持っており、伯爵と伯爵の前妻の子である二人の少年は、普段そこで生活している。
伯爵の二人の息子。
十七歳のシリアルド・クレイムと十五歳のエヴンス・クレイムは、まだ学生であり、普段は帝都の高等教育機関でもある魔法学院に通っている。
しかし奥方であるエミーシャは身体が弱く、幼い娘のエリーエルと共に、伯爵の領地であるリュームスタットで静かに暮らしていた。
伯爵自身は年に何度か領地に帰るが、勉学に励む息子達はそうも行かない。
それでもクレイム家では、この時期、領地であるリュームスタットに皆が集まり、家族でこの別荘に滞在するのが慣例になっていた。
「今では伝承も失われてしまい、由来は不明なのだが、この古い館は私の遠い祖先の持ち物だったらしい。まあ、一族の何か大切な場所だったのだろう。そのせいだろうかね、ここに来ると、私も何故か落ち着くのだよ。だから、せめて年に一度、家族が集まる場所は、ここにしようと決めているのだ」
この古い館を一家団欒の場に選んだ理由を、伯爵はそう説明する。
「だから、セディル君。管理人と一緒に、この場所の守りを頼んだよ」
「はい、ありがとうございます」
平民の子供に過ぎないセディルが相手でも、高圧的な態度は取らず、紳士的に対応するクレイム伯爵に、セディルは本気で礼を言い、頭を下げた。
「私からも、お願いするわ。この館は、家族皆にとって大事な場所なのです」
エミーシャも、にこやかな微笑みをセディルに向ける。
「そうですね、父上、母上。私もこの場所に来るのは好きです」
「僕もですよ」
シリアルドとエヴンスも、見知らぬ平民の子供に対する偏見や悪意は持っていない様子だった。
(良しっ! 上手く行った)
伯爵一家からライガの弟子として館に滞在する許可を貰えて、セディルは心の中でガッツポーズを思い描く。
その気配に気付いたのか、ライガが鉄面皮を崩さずに弟子の姿を睨む。
身分は伯爵だが、交易の要衝であるリュームスタットを領地とするクレイム家は、帝国内でも資産家として知られている。
伯爵自身も有能らしく、帝国政府の要職に就いていた。
それに二人の息子も優秀で、美人で優しい妻と文字通り天使の娘までいる一家。
クレイム伯爵家は、今まさに、順風満帆な家庭を築き上げているのであった。
(伯爵様は、温厚で見る目のある紳士。奥方も優しそうな美人さん。息子二人も、真面目そうな少年に見える。でも……)
伯爵家の人々を観察し、セディルは個々人の人柄をそのように評価しつつ、最後の人物にチラリと視線を向ける。
言わずと知れた、伯爵家の長女にして天使の美少女エリーエル・クレイムである。
(家族が皆、紳士的で優しそうなのに、何でこの子だけこうなんだろう?)
素朴な疑問を抱くセディル。
彼女だけはセディルに何も言わず、特徴的な蒼い瞳に冷たい光を宿して、じっとこちらを見つめていた。
「どうしたんだい、エリーエル? 君は、この子に何も言わないのかな」
その事に伯爵も気付いたのか、彼は愛娘にそう訊ねた。
「わたくしは貴族であり天使ですわ、お父様。わたくしは、このような下民に頼み事など致しません」
そう言って、エリーエルはつーんとした態度で横を向く。
家族の中で一人だけ、彼女だけはセディルへの対応が徹底して厳しかった。
「こらこら、そう無意味に偉ぶるのは駄目だよと、私はいつも言っているよね、エリーエル。礼儀というものは、身分の上下に関係なく大事にするものなのだよ」
娘の高慢な態度を、苦笑しつつも窘める伯爵。
しかし叱り付ける様子はなく、寧ろ、幼い娘の背伸びを微笑ましく思う父親の姿がそこにあった。
(このせいか……)
セディルは、諦観と共に悟りを開く。
天使の魂を宿して生まれた子は、非常に稀少な種族である。
その生まれに血筋などは一切関係なく、天使の出生は全て偶然によって決まるらしい。確率的にも、絶対数の多い農民生まれの天使が圧倒的に多くなるだろう。
その為、農村などで天使が生まれると、すぐに魔法学院や寺院がその子を引き取りに赴く。
彼らは貴重な天使を保護するという名目を掲げて、親元から赤子を引き取り、手元で育てて優秀な魔術師や僧侶にし、自らの組織の権威付けに使うのだそうだ。
しかし、エリーエルは伯爵家という貴族の下に生まれた天使である。
貴族生まれの天使は、数十年に一人もいるかどうかの貴重な存在らしい。
そしてこの世界の貴族社会では、天使の乙女と結婚する事が、貴人として最高の栄誉とされている。
天使という生まれ、伯爵家の令嬢という高い身分、本人も優秀で、幼くして将来の絶世の美貌を約束された女の子。
そんな風に恵まれきったエリーエルには、この歳で既に求婚者が絶えないのだそうだ。
政略的に見ても、彼女はクレイム伯爵家にとって非常に大事な存在なのである。
「それにさっきは、一人で馬車から飛び出して、ここまで飛んで来てしまったじゃないか。久し振りに家族が揃ってこの別荘に来られるからと、君がはしゃぐ気持ちは良く判るけど、あれは危険な行為なのだよ」
どうやらエリーエルは、勝手に馬車から飛び出して、この館まで先行して来たらしい。
自由に空を飛べる天使とはいえ、有翼の怪物も存在するこの世界では、飛行中も絶対に安全とは言い切れない。
「私達も心配したんだよ、エリーエル」
「うん、お転婆も程々にしないと、まあ僕達も、久し振りに元気な妹に会えて、嬉しいけれどね」
兄達も、可愛い妹に温かい言葉を掛ける。
「判ったわね、エリーエル。皆あなたの事を心配していたのよ。あなたもこれから立派な貴婦人を目指すのなら、勝手に空を飛んではいけないわね」
母親だけは少し躾に厳しいらしいが、その眼差しからは溢れる愛情が読み取れる。
「……善処致しますわ」
可愛く頬を膨らませつつも、エリーエルは家族の方を向いて一礼した。
稀少種族の天使で、貴族社会の至宝とも言うべきエリーエルは、政略的にも極めて重要ではある。
だが少なくとも彼女の家族達は、そんな娘の生まれや価値とは関係なく、皆で彼女に愛情を注いでいるようだった。
(家族全員、この子に甘々なんだね。その結果が、この高慢ちきな我が儘っぷりなのかなぁ……)
セディルは目の前で繰り広げられた愛情物語を、生温かい眼差しで見つめていた。
「そこの下民。管理人に弟子入りして職に就いたら、冒険者に成ると言いましたわね?」
家族に窘められた為か、エリーエルはセディルに話し掛けて来た。
「はい、そうです」
それでも偉そうな態度だけは変わらないんだと思いつつ、セディルは彼女に包帯を巻き付けた顔を向ける。
「冒険者という輩は、廃墟に潜って金目の物を漁ったり、怪物を倒して人々から金品を巻き上げる、山賊のようなものだと聞きましたわ。そのような者に成って、何をするのかしら?」
「……………」
冒険者に対する偏見の塊のような意見に、セディルも答えに詰まる。
確かにそのような輩もいるのだろうが、少なくともセディルの中にある冒険者のイメージは、もっと格好の良いものであった。
「僕が冒険者に成りたいのは、強くなりたいからです。強くなったら、今は遠くにいる妹や仲間を集めて、広い世界を自由気ままに冒険する、壮大な旅をしてみたいんです」
おかしな偶然によって第二の人生を生きる事になった以上、前の人生と同じでは面白くない。
今回の人生には、退屈は必要ない。
ならば前の人生には存在しなかった冒険者という生き方と、その先にある未知に挑む事に、セディルは一番夢と浪漫を感じるのであった。
「広い世界を旅する……」
セディルの口からその言葉が出た時、エリーエルの身体がピクンと僅かに跳ねた。今まで瞳に宿していた冷たい光が不意に和らぎ、歳相応の好奇心を持った子供の光を宿す。
(あれ、旅には興味があるのかな?)
その一瞬の瞳の色の揺らぎを、セディルは見逃さなかった。
「ふ、ふんっ、下民など気楽なものですわっ!」
しかし、それは本当に一瞬だった。
彼女は何かを振り払うように、セディルの夢と浪漫を全否定する。
「下民のお前は管理人と同じ、下賤な『下忍』に成るのでしょうけれど、わたくしは魔法学院の導師様に学んで、お母様と同じ『賢者』に成りますわ」
そして小さな手で胸をポンと叩き、キッパリと己の目指す職を宣言した。
「『賢者』になる?」
セディルは、その高貴な女の子の宣言を反芻する。
『賢者』は、魔術師系の上位職であり、『魔術師』と『僧侶』の複合職でもあった。
成長こそ遅めなものの、『魔術師系魔法』と『僧侶系魔法』を同時に習得して行く事が出来る職であり、もしも極める事が出来たなら、最強の魔法の使い手と成り得る職として知られている。
さらには未知の物品に込められた魔素を読み取り、その物の真の価値と能力を鑑定する力も得られるという。
勿論、それだけの能力を得られる反面、職に就く為の条件は厳しい。
二種類の魔法を習得する為なのか、生まれ持った属性に制限があり、秩序と混沌属性の者しか『賢者』に成る事が出来ない。
それに、通常は他の職から転職する事によって就くのが普通であり、転職なしで最初から『賢者』に成るとするならば、類い稀なる才能と不断の努力が要求される。
加えて、基本職に比べて、魔法の習得速度も遅くなる。
基本職ならば『マスターレベル』と呼ばれる、レベル15で『魔法レベル』も10に到り、全ての魔法を使えるようになる。
しかし『賢者』が全ての魔法を使えるようになるには、『ハイマスター』と呼ばれるレベル20に到らなければならないのだ。
職に就くだけでなく、職を極めるにも困難が付き纏う『賢者』という職に、それでもエリーエルは敢えて挑まんとしているのであった。
(まあ、僕の目指す『忍者』に比べれば、まだマシな選択かな)
エリーエルの目指す『賢者』への道は険しいが、それでもセディルの目指す『忍者』への道は、それ以上の無謀と狂気の産物なのである。
(それにやっぱり、この人達でも、師匠が『忍者』だって事は知らないんだね)
ライガは『忍者』という職を隠し、『下忍』という事にしていると言っていた。彼に雇い主である伯爵一家もそれを知らず、ライガをただの下忍だと思っているのだ。
「天使のわたくしが『賢者』に成れば、誰もわたくしを下には置きませんわ。わたくしはいずれ、お父様がお決めになった何処かの貴公子と結婚するのです。わたくしは、お前のような下民とは全く違う、華麗な宮廷人生を送るのですわっ!」
エリーエルは小さな拳を握り締め、その蒼い瞳に爛々とした決意の光を漲らせる。
貴族社会では、貴族が何らかの職に就く事は、必須と考えられている。
多くは戦場で活躍出来る戦士系の職業を選ぶが、中には僧侶系、魔術師系の職を選ぶ者や、盗賊系の職を選ぶ相当変わり者の貴族もいる。
上位職に就き、高いレベルに到る事も、貴族のエリートとしての価値に関わって来るのだ。
当然、伯爵と奥方も職には就いている。
伯爵は戦士系からの派生職『騎士』であり、奥方のエミーシャは娘が目指す『賢者』の職に既に就いていた。
幼いエリーエルが『賢者』を目指すのも、自分の価値を高める為。
確かに、『天使』『伯爵令嬢』『天才』『美少女』に加えて、上位職の『賢者』に就いたなら、貴族社会に於けるエリーエルの価値は天井知らずのものになるだろう。
どんな高位の貴族家でも、引く手数多の花嫁になる筈だった。
「いやいや、エリーエル。いくら何でも、今からそこまでの覚悟は、私達の誰も求めていないよ。君はまだ子供なのだから、自由に遊ぶ事だって大事なのだよ」
しかし愛娘のその圧倒的な決意に、伯爵達は困った顔をしていた。
彼らにとっては、伯爵家の隆盛よりも、エリーエルの幸せの方が優先するらしい。
「大丈夫ですわ、お父様、お母様、お兄様達。エリーエルは立派な貴婦人となって、お家の名を高めてみせますの。わたくしの誇りに掛けて!」
そんな家族の困惑とは裏腹に、娘の方は、傲慢なまでに自分の価値に絶大な自信を持っていた。
とても五歳児とは思えない認識と、それを支える高い知能。
確かに、彼女は類い稀なる子供であり、セディルにも近い、計り知れない器の持ち主なのであった。
「……師匠、ここ何年か大変だったんだね」
「……………」
セディルの小声での労りの言葉に、ライガは何も答えなかった。
これがクレイム伯爵家の御令嬢、エリーエル・クレイムとセディル・レイドとの出会いの日の出来事。
この二人の腐れ縁は、意外な形で長く続く事となるのであった。




