私は勇者を恨み、今日も祈り続ける。
勇者が憎い。神が憎い。
この国を、この世界を地獄のように変えた勇者が憎いのです。この世界を救うように勇者を遣わせた神が憎いのです。
しかし、既に勇者はこの世にはいません。神には会うことすら出来ません。
私の怒りは、憎しみは、どこへ向ければ良いのでしょう。
私はただ、祈り続けます。
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私はリウドルフィング子爵の娘としてこの世に生を受けました。しかし、それは決して望まれたものではありませんでした。
私には記憶はないのですが、私が2歳の頃、国を揺るがす大事件が起きたといいます。
それは、勇者の死。
勇者とは何百年かに一度、この世界を滅ぼすために蘇るという魔王を討ち取れる唯一の存在として、異世界より召喚される救世主のことです。
私が生まれるよりも前の話になるので、記録でえた知識でしかありませんが、28年前に魔王が復活し、この世界に勇者を召喚することと相成りました。
勇者召喚の儀は成功し、3年の月日を経て魔王は無事勇者が打ち倒し、この世界に平和が訪れることになりました。
勇者はこの国の王女様であったアレクサンドラ様、騎士団長の娘にして自身も女騎士として活躍していたブリュンヒルデ様、市井の魔法使いではありましたがその魔法の腕は他の追随を許さないクラーラ様、聖女として名高く貴重な回復魔法の使い手であったディアナ様を娶り、この国の王となりました。ただし、いきなり王となって政治をすることなどいかな天才であっても難しいであろうと、勉強期間として10年ほど儲けると、その間は王太子として、未来の王としての扱いは約束すると王からの発表がありました。
魔王の討伐、勇者と王女の婚姻、王太子の立志、その後すぐに王女が懐妊され、王子であるルイ様がお生まれになられました。
国は連続して起きるお祝い事にお祭り騒ぎです。その裏で起きていた恐ろしい出来事に、誰も気づくことはありませんでした。
魔王の討伐から7年が過ぎました。その間に王が亡くなり、王太子となった勇者が王としてこの国に君臨していました。勇者は政治には口を出すことはありませんが、宰相様が優秀であったので国に混乱は起こりませんでした。あの事件が起こるまでは……。
私が2歳のよちよち歩きの時、先ほども言いましたが大事件が起きたのです。
それが、勇者の死。
いえ、勇者の死自体はさほど重要ではありません。勇者が死ぬことによって、またその死因によって、様々なことが動き始めました。
勇者を殺したのは本来の王女の婚約者であった公爵令息アルフレート様、同じくブリュンヒルデ様の婚約者であった侯爵令息であり騎士団の若き部隊長であるベルンハルト様、クラーラ様と結婚の約束をしていた農民の青年であるカール様、地方教会の牧師で表立っていたわけではありませんが聖女様と半ば公認の好い仲であったディルク様の4人です。
アルフレート様とベルンハルト様は貴族の政略結婚で婚約者となっていましたが、しっかりと相手のことを見て、そして相思相愛になっていたのです。カール様に関しては言うまでもありませんし、ディルク様も表立って言えなかったのは聖職者であったためです。内々ではいつ婚姻するか話は動いていたそうです。
それをぶち壊したのが勇者ということでしょう。
愛し合っていたはずの王女以下彼女たちから手酷い裏切りを受けた彼らは、どうしてこうなったのかと調べていくうちに出会い、協力し、やがて1つの結論に至りました。
それは勇者の持つ能力に洗脳の力があったことです。
きっかけは王宮に勤めていた女官がある日懐妊を理由に王宮を辞したことです。その出来事だけで言えばよくある話なので疑問に思うこともなかったでしょう。しかし、その懐妊した女官というのが、酷い男嫌いで結婚などしないと公言しており極力男の入る余地のない後宮で勤めていたというところに彼らは引っかかりました。
100歩譲って、運命の出会いをし愛し合い子を成した。そんな小説のような出来事が起きていてもいいとは思うのですが、それでもその女官にはおかしいところが多いのです。
その女官は懐妊したにも関わらず、未だに男嫌いで結婚はしないと公言したのを撤回しないまま、他の男に触れられるのを極端に嫌い、しかしその大きくなったお腹だけは愛おしそうに撫で、結婚もしないまま働きもしないまま家を借りそこに1人で暮らしていました。
あまりにも不審でした。運命的な出会いがあったのならばその男と住んでなければおかしいですし、女性の一人暮らしが働きもしないのに成り立っているのは異常でしかありません。後宮での給金を貯金していた可能性もありますが、彼女はそういうタイプではなくあまり貯蓄をしていなかったそうなので、この状況はますます不審でした。極め付けは、黒装束の男が定期的にその家に金を置いていくのです。
このような事例が、他にも数件見受けられました。若い女性が結婚もせず、それなのに懐妊をしどこからか得体の知れない金を受け取りその金で子を育てる。そしてその女性たちは性格は多々あれど婚前交渉をしたり、誰とも知れぬ男と寝たりする人柄ではないことを誰もが知っているのです。はっきり言って異常でした。
洗脳の力に気がついたアルフレート様たちはついに行動を開始します。娼館を買収し、そこに勇者をおびき寄せ、娼婦を抱いて無防備になっている勇者を殺しました。男たちの悲願は達成されたのです。
それが、新たな地獄の始まりだとも知らずに……。
勇者の死と同時に、洗脳されていた女性たちの洗脳が一斉に解けました。そして、勇者に犯された女性達が発狂し始めました。結婚していた伴侶を裏切り、産まれた子どもをあまつさえその伴侶の子だと嘘をつき育てていたのです。洗脳により嘘をつき騙し、自身の愛した人を裏切ることすら興奮の材料になるようにさせられて。
私の母もその1人でした。
お父様とお母様は貴族では珍しく恋愛結婚でした。結婚して10年近くになりますが、それでもなお新婚のように仲睦まじかったのだと聞いています。私の兄を産んでからは運が悪かったのか懐妊することはなかったのですが、私を懐妊した時もお父様は大層お喜びになったと聞いています。
そこに勇者の影さえなければ……。
勇者が死に、女性達の洗脳が解け、当然お母様も洗脳が解けました。夜中、お父様とお母様は同じベッドに寝ていましたが、突然お母様が絶叫のような悲鳴をあげ始めます。お父様も何事かと思い起き上がり、お父様の顔を見たお母様は「ごめんなさいごめんなさい」と、只ひたすらに謝り続けました。
もちろん、お父様はそれだけでは意味がわかりません。お母様が落ち着き、事情をぽつぽつと話し始め、同じ時期に勇者の死亡とそれにまつわる王家からのお触れが交付されました。
勇者がうら若き女性や見目麗しい女性を洗脳し、子を産ませた。無理やり産ませられた子を持つものは王家にて補填をする。と言った内容のものでした。
そしてお母様が言った言葉。
「あの子は……勇者との間にできた子なの……」
お父様はひどく落ち込みました。愛する妻がそのようなことになっていたことに気がつかず、のうのうと生きていた自分と、その妻を傷つけた勇者に心底腹を立てました。
そして、お母様の落ち込みようはお父様以上にひどかったのです。妻として夫であるお父様を支えていたお母様の見る影はなく、一日中部屋にこもり謝罪を続ける日々が始まりました。お父様が近寄っても、兄が近寄っても、侍女が近寄ってもただ謝り続けました。
唯一反応が違ったのは私が近付いた時でしょうか。私が近づき、その私の姿を見たお母様は、「お前の! お前のせいでえええええええええええええええ!!!!!」と近くにあるものを手当たり次第に私に投げつけてきます。今まで愛してくれたお母様の豹変に、幼い私は理解することもできずただ泣くことしかできませんでした。そのせいか、大きくなった私にはお母様から愛された記憶がありません。ただ、お母様から殺されそうなほどに疎まれ嫌われた記憶だけがこびりついています。
そして1年後。お母様は罪の意識に耐えきれず自殺をしてしまいました。侍女がいつものように着替えを持ち部屋に入ると、首を吊って亡くなっていたそうです。お父様もお兄様も私も、お母様の自殺に絶望せずにはいられませんでした。
このころ、同じように勇者の子を産んだ女性が自殺をすることが多かったと聞きます。
有名なところで言えば聖女と呼ばれたクラーラ様でしょう。クラーラ様は洗脳が解けた後、お母様と同じように発狂し、神殿にこもり食事もろくに取らずにただ祈り続けていたと聞いています。それは最愛の人を裏切り、不貞を働いたことへの謝罪の祈り。牧師であるディルク様の言葉も届かなくなり、最後は飢餓による衰弱死でした。ある意味では緩やかな自殺だったのでしょう。聖女様の後を追うようにディルク様も祈り、同じように衰弱死されました。
間接的にお母様を殺した私を、お父様が近くに置くことはありませんでした。私を処分するのではなく、お母様の実家であるハルデンベルク伯爵家に預けたのは、お父様の最後の慈悲だったのかもしれません。
お爺様もお父様のことを説得していましたが、どうにも無理だったようです。
「この子に罪はない。この子はただ、運悪く産まれてしまっただけなのだ……」
「分かっております。しかし……私は、俺はその子をそばに置いて冷静でいられる自信がありません。現に、何度殺そうと思ったかもわかりません。妻を、エレオノーラを奪った勇者の子など、許せるわけもないでしょう……」
お爺様もお父様の気持ちは分かっているようです。お爺様も娘を傷つけられ奪われた被害者の1人なのですから。
ただ、嫁いでしまった娘の最後の形見である私のことを見捨てることができなかったというだけです。
「……すまん。あの子は我が伯爵家で預かる。うちももう後継者は決まっているし政略結婚の必要もない。なるべく心穏やかに過ごせるように気をつけよう」
「……お願いします……」
こうして私はお爺様の養子となり、ハルデンベルク伯爵令嬢となりました。預かるだけの約束が養子に出される事になっており、お父様はそこまで私と縁を切りたかったのかと今にして思うと悲しくなりましたが、当時の私はそこまで考えが至らず、ただお母様が死にお父様とも離れて暮らす事になる事に悲しんでいるだけでした。
その後はお爺様の元で、貴族としての勉強をしつつ穏やかに過ごしていました。勇者に抱かれた者の騒動も10年も経てばいい加減に落ち着いてくるというものです。
10年経ち、12歳になった私はハルデンベルク伯爵家のお屋敷でデビュタントパーティを迎えました。貴族の子としてお披露目をするのです。
お父様とお兄様にも招待状は出しましたが、来てはいただけませんでした。この10年、私からは手紙を何度か送らせていただきましたが、返事が返ってくることはありませんでした。私の出自からしてみれば当然で、お父様お兄様とは確かに血の繋がりはありませんが、血の繋がりのある勇者なんかよりも、お父様とお兄様のことは愛しているのです。愛しているからこそ、デビュタントには来ていただきたかったのです。
結局、幼心にあったそんな願いは叶うこともありませんでしたが。
「ハルデンベルク伯爵令嬢、1曲踊っては頂けないだろうか」
デビュタントだというのに、本当に祝ってもらいたい人に来てもらえなかったからとバルコニーに居続け拗ねている私に、そっと手が差し伸べられました。
その声に振り返り見てみると、手を出して来たのはノイエンドルフ伯爵の令息で私よりも1つ年上の男の子です。
「……気分じゃないの」
「それは頂けない。せっかくのデビュタントだろう? 思い出の1つぐらい作っていかないと」
彼はそう言って私の手を無理やり引き、ダンスホールまで引っ張って行きました。
ゆったりとしたワルツの流れる中で、彼の手を取り淡々とダンスを踊ります。お爺様に付けていただいた家庭教師にダンスも習っていたので踊れなくて困るということは流石にないのですが、それでも無理やり連れて来た彼にいい思いを抱くことはできません。
貴族令嬢として仮面を被ったように表情には出さないようにしていますが、見る人が見れば、それこそお爺様なんかが見れば不機嫌なのが手に取るようにわかることでしょう。
彼もそれを分かっているのか、それとも私がそんなことを考えている事に気がついていないのか。やたらといい笑顔をこちらに向けてくるのです。ちょっとムカつくぐらいに。
「思い出になっただろうか」
「……まぁ、忘れはしないんじゃないかしら」
これが彼、ハルトリートとの出会いでした。
ハルトリート様は私を気に入ったのか、暇があると私の住むお屋敷によく遊びにくるようになりました。一体私の何が気に入ったのかはわかりませんが、本当に暇さえあれば知らせもなしにやって来てしまうので、私だけでなく使用人達も困ってしまいます。
苦言を呈しても悪びれもなく、それでいて私のことはガラスでも扱うかのように優しくしてくれるものだから、いつの間にか、いえ、初めからなのかもしれません。彼に、ハルトにどうしようもなく惹かれていってしまったのです。
それを自覚し始めたのは、彼と出会ってから3年も経ってからでしたが。
社交のシーズンになると、彼は必ずと言っていいほど私のエスコート役を務めると宣言しにお屋敷にやって来ます。他のエスコート役の当てが義兄様ぐらいしかおらず、義兄様は領地経営をお爺様から引き継ぎ滅多に領地から出ることはなく、王都で行われる夜会やお茶会にやってくることはほとんどありません。義兄様の妻の義姉様は夜会やお茶会には出ますが、私のことを構おうとはしません。嫌われていないのは幸いですが、好かれてもいないので、どうでもいいと思われているのでしょう。
デビュタントの時はお爺様がエスコート役をしてくださいましたが、お爺様もお暇ではないので毎回エスコート役を頼むわけには行きません。彼がどういうつもりかはわかりませんが、こちらとしては願っても無い申し出でした。
もっとも、それ以外でも連れ回される事になるとは思いませんでしたが。
「ふふ、どうだった? 僕は結構好きだったんだけど」
「ええ、ヒロイン役の歌い手の方がとてもお上手でしたし、やはり王都の劇場はひと味違いますのね」
今日はいきなり現れたと思ったらオペラに連れていかれました。予定は確かに入っていなかったとはいえ、刺繍でも作ろうかと思った矢先にこれなものですから、少しは人の都合も考えてはいかがと苦言を呈したくなってしまいます。なぜか使用人達には話が通っているので、それが余計に私が困る事になるのですが。
それはそれとして、オペラは迫力があり感激してしまいました。前々から興味はあったものの、義兄様たちの手前あまりわがままを言えないもので、こうして実際に観るのは初めてだったのです。ステージの上には数人しかいないのに、彼らの発する声に歌に、心の底から魅了させられる。そんな夢見心地なひと時でした。
そう言えば10年前は勇者が魔王を倒すお話などが演目として多かったそうですが、例の事件が起きてからは勇者の演目は上演することはなく、代わりに古典的な恋愛ものの演目を上演することが多くなったとか。今日の上演も戦争中の敵国同士の王子様と王女様が大恋愛の末に戦争を止め結ばれるというストーリーのものでした。勇者のゆの時も出てきません。
まぁ、お母様をあのような目に合わせた勇者の活躍など見たくありませんので、こちらとしても願ったり叶ったりでしたが。
「気に入ってもらえてよかったよ」
「でも、殿方はもっと迫力のある……冒険譚のような演目が好みではなくて? 私はそのような演目でもよかったのですけど」
「僕も冒険譚は嫌いじゃないけれど、恋愛ものもたまにはいいものだよ。特に、女性をエスコートする時にはね」
そう言って彼は片目を瞑りウインクを見せてきます。そのあまり見せることのないお茶目な動作に、「この人、いいな」なんて考えてしまいます。というか、そんな表情を見せてくるなんてちょっとずるい、です。
そんな考えも読まれているのでしょうか、彼はふっと柔らかい笑みを見せ、どこに向かうのか使用人に馬車を用意させました。あらかじめ予定していたのでしょう。使用人達はテキパキと用意をし、すぐに馬車へ乗り込みます。そんな時でさえすっと手を差し伸べてくる彼はやっぱりちょっとずるいと思うのです。
ゴトゴトと馬車に揺られ向かった先は王都の郊外にある綺麗な丘の上でした。この時期によく咲いている黄色とオレンジの花々が夕日を照り返し幻想的な雰囲気を出しています。ひゅうと風が吹き抜ければ、花々が揺れささやくような音と、ほのかに甘い柔らかな匂いが感じられます。
「ここは僕の知ってる中でも1番綺麗な場所でね……特にこの夕日に照り返る花々はすごく綺麗なんだ。だからこそ、君にも見せたかった」
「そう……こんな素敵なものを教えてくれるなんて、嬉しいわ」
「君が喜んでくれるならよかった」
彼の茶色の髪が風で優しく凪いでいきます。そこから覗かせる赤い瞳が私を捉えて離しません。けれどそれは嫌ではなく。
ふと、彼は私の正面に立ち、手を取って片膝をつきます。
「どうか、僕の婚約者になってほしい。いや、婚約者止まりじゃダメだ。婚約し、僕の伴侶として共に歩んでほしい」
それは告白。
政略結婚の多い貴族社会で、政略結婚ではない、純粋なる愛の告白です。
なぜわかるかと言えば、彼の態度ももちろんですが、何より私と婚約するメリットが彼にはありません。政略結婚をするなら位の高い侯爵なんかの令嬢か、より豊かな領地を持つ子爵や男爵の令嬢を狙うべきでしょう。
恋愛をするにしても、私なんかよりももっと器量が良くて可愛らしいご令嬢なんて他にいくらでもいるでしょう。私は彼にそんな可愛らしいところを見せてきた覚えはないのです。
けれどそれでも。私を選んでくれた事に、私は、私は心の底から嬉しさが溢れて止まりません。なぜなら私も彼のことが好きだったから。好きだと気がついたのはつい最近だけれど、この気持ちを伝えようとは思わなかった。彼にはもっと素敵な相手がいると思ったから。でも、彼のことが好きだから。
「はい……あなたと一緒に歩ませてください……」
気がつけば私はその言葉を口にしていました。
愛されたいと思った人に、愛されていることがこんなにも嬉しいことを、私はようやく知ることができたのです。
ハルトリート様はぎゅぅっと私を抱きしめました。私も、彼の背中に手を回しぎゅっと抱きかえします。
ただそれだけ。ただそれだけのことなのに、心の中がポカポカと暖かく満たされたようになります。
「ああ……! こんなにも嬉しいことはない!」
それはむしろ私のセリフです。
あなたが愛してくれたから。私は愛することの、愛されることの喜びを知ることができたのです。
「私も、私も嬉しいです。大好きです、ハルトリート様」
その後屋敷に帰り、私はお爺様に、彼は彼のお父様に、それぞれ婚約のことを話しました。お爺様は「好きにしなさい」とだけ言ってくださいました。ハルデンベルク伯爵令嬢である私ですが、養子で、あの勇者の子である私は政略結婚には向かないのでしょう。好きにしろというのは、お爺様なりの優しさなのかもしれません。
婚約は恙無く進み、2年後の17歳になった時に正式に婚姻する事に決まりました。
私の国では婚前交渉は勧められていませんしー罰せられることはありませんがあまりいい目で見られることもありませんー勇者の事件があってからは特にその風潮は強まっています。婚前交渉、浮気不貞、そう言ったものに、国全体が過敏になっているのです。
私自身も父である勇者の行いに嫌悪感しか覚えておらず、誠意のないそういう行為はしたくないと思っています。それは彼も同じなようで、私たちは勤めて清い交際をしていきました。
そして、1年が経ち婚姻まであと僅かという時に、彼から大事が話があるということで彼の屋敷に呼ばれました。
「それで……話とは」
「それは、僕の生まれのことなんです」
その一言だけで、私は全てを悟りました。
勇者の子どもは、それだけで醜聞です。あの性犯罪者の子どもというだけで、私たちの未来は閉ざされてしまっているのです。
故に、勇者の子どもは、自分の生まれが勇者の子どもだと隠していきています。特に貴族は周囲に絶対に漏らしません。もちろん、陛下や政に関わる者たちは把握しているのでしょうが、敢えて話して回ることはありません。
このタイミングで生まれの話となると、ええ、そういうことなのでしょう。妾の子で伯爵家を継ぐことがないなどという可能性もなくはないですが、かの伯爵は愛妻家なのでそのような話は聞いたことがありません。そして、その奥方はある時期から人前に全く出なくなったと言います。現に、婚約が決まったのに彼の母親には会ったことはありません。
「僕の生まれは、勇者の……」
「は、はは……あはははははははははははははははははははははは!」
彼が勇者と言った途端。私は気が狂ったように笑い出していました。
だって、だってこんなの、あまりにも酷すぎるじゃないか! お母様に疎まれ、お父様とお兄様からは遠ざけられ、お爺様も距離を図りかね、ずっと一人ぼっちだった私にできた愛する人が異母兄妹だなんて!
あぁ神様。私の運命はどれほどまでに酷なものであればあなたは満足するのでしょう。ようやく巡り会えた幸せさえ、あなたは奪っていくのですね。
一頻り笑った後に、私は彼……兄に告げました。
「奇遇ですね。私の父も勇者なんですよ。つまり異母兄妹だったんですね、お兄様」
「っ! ……そんな、そんなことが……」
結局、彼の家も似たようなものだった。彼の母が勇者に洗脳され抱かれ、その結果彼が生まれた。それだけだ。
違ったのは彼の母はまだ辛うじて生きていること。彼の義父が彼のことを見捨てなかったことぐらいか。
私は笑い続けた。何がおかしいわけでもないけれど、ただ笑い続けた。
彼は狂って笑う私を抱きしめ、ひたすらに謝り続けた。彼が悪いわけじゃないのに。彼もまた被害者なのにも関わらず、私に謝り続けた。私は何もかもがどうでもよく、ただそれを聴き続けた。
そのまま家に連れられ、彼はお爺様に全てを話した。その間、私はぼぉっと天井を見続けていた。
お爺様は悔しそうに唇を噛みながら、ただ一言、分かったと告げて彼を帰した。
お爺様と2人きりになった部屋で、私はお爺様に言いました。
「お爺様、私、出家しようと思います」
「……何?」
「ですから、修道院に入ろうと思います。結婚したくありませんし、勇者の子どもなど外聞も悪いでしょう? だから」
「お前は!」
「愛した人が兄だった! この気持ちがお爺様にわかりますか! それでもまだ私は兄を、彼を愛しているのです! でもこの気持ちは叶わない! 叶えてはいけない! 気持ちを押し殺して別の男と結婚なんて耐えきれない! だから私は修道院に入ることに致します。お爺様、今までお世話になりました」
この国では、いや、他の国でもそうだが兄妹は結婚できない。法として決められている以上それは覆らない。だから私の願いは叶わないし叶えてはいけない。
お爺様はがくりと項垂れ、それ以上何かを言うことはなかった。年の割に壮健だったその体が、どこか萎れていくように見えた。
数日の内に荷物をまとめ、思い出になるものは全て処分した。母の形見も、彼からの贈り物も今となってはドウデモイイ。私に残ったのは神と勇者への恨みだけだ。
修道院では日がな一日祈り続けた。神を敬う祈りではなく、神への問いを投げかけ続けた。
あぁ、神よ。なぜ勇者などという存在をこの世に遣わせたのでしょうか。彼の者が誠に勇気ある者だというのであれば、なぜこの国はこんなにも不幸な目に合う者が多いのでしょうか。
私は何のために生まれてきたのでしょうか。父たる勇者に辱められた母に恨まれ、愛した人は異母兄妹。未来永劫結ばれることはない。
私の生に、意味はあったのでしょうか。
私は今日も問いかけ、ただ勇者を恨み続ける。その恨みをぶつけることもできないままに。
追記:中世世界観で近親婚が違法なのはおかしくない?に対して
「貴族階級なんて近親婚あたりまえな世界でしょうし、「魔法」があり魔法を使える事に優劣がある世界観なら「血を薄めないため」に血眼になるハズ。」
というコメントがありましたが、だからこそ逆に考えるべきであると思います。
王侯貴族の尊き血であれば薄めないための努力が必要でしょう。
であれば、未曾有の極悪人としてその名を残した勇者の血は?
勇者の血が濃くなった時に、また洗脳魔法の使い手が生まれるのか?
答えはありませんが、作者からのヒントとして一考して頂ければ幸いです。